日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

黄金の都にたどり着いたその瞬間のため息の心情なんて誰にもこたえられるはずがない

 

 どうもかーびぃです。

 さて、2017ステージ最後のシーズンの最後の記事である。よくもまあ1年間飽きもせず130冊も読んだなあと思う部分と、130冊すべて紹介したいところはあるけれど一部しか紹介できなくてもどかしいという部分もある。

 

 THE ALFEEの名曲のひとつに「エルドラド」というものがある。とあるアニメのエンディングに使用されているのだが、民謡を思わせる歌詞、そしてそれを補強するメロディ、アルフィー独特のサウンド、そのすべてがバランスよく存在していて、彼らでしかなしえないハーモニーが光る曲だ。派手さこそないものの、この曲の行き着くところまで行ってしまった感は、なかなか音楽には出てこない感覚ではないかなと思う。

 

「心にいつも竜(ドラゴン)を」著:柊呉葉 ほか9名(えすたし庵)

(通読性:19、宇宙感:25、残響度:26、嗜好:9、闇度:A 合計86点

 通称「ここドラ」と呼ばれる、企画段階からして反則級の作品と常々ツイートした同人誌が、満を持して首位となった。ぼくはこの企画が発表されてから、「この作品と他の作品たちとの熾烈な戦いになるだろう」と予言した本シーズンレースであったが、強豪作家の主力作品や突如現れた伏兵にも屈せず、シーズン首位どころか、2017ステージ最高評点(しかも80点台後半!)をたたき出し、悠然とその王座を誰にも明け渡さなかったのは、もはやさすがとしか言いようがない。合同誌というある種のマイナス要素すらひっくり返すその火力に驚くばかりである。

 作品の構成自体は非常にシンプルだ。5人の書き手に5人の描き手がそれぞれの全力をぶつけて、5篇のドラゴン小説とその挿絵を書き上げているという、本当にただそれだけ。そのシンプルな構成こそが、この作品の神髄でもあり、ぼくが「究極の同人誌」だと述べる理由でもある。凝ったギミックではない、強い書き手と強い描き手、そしてその力をいかんなく発揮できる場をそろえれば、最大火力がこもった合同誌が出来上がるという、ただそれだけのシンプルな結果なのだ。けれど、そのシンプルな結果を出すことそのものが至難の業だというのは、ぼくのこのメモ帳を普段から読まれている皆さんにとっては既知の事実であろうと思う。だからこそ素晴らしいし、究極なのである。

 そして、そのシンプルな結果を成立させるため、柊呉葉氏の各参加者に対する気配りを思わせるような、(一見豪快なようでいて)きめ細やかな装丁、そしてそれを可能にした編集の手腕が恐ろしい。経験上、あくまでぼくの経験上ではあるのだが、この作品群をひとめ読んで、この掲載順にしようとはなかなか思わない。確かに、並木陽氏の「暗黒竜フェルニゲシュ」(挿絵:咲氏)はぼくでも最後にするだろうと思うのだが、最初に凪野基氏の「末裔」(挿絵:まのい氏)を持ってくるという芸当は、一朝一夕ではできないのではないだろうか。この「末裔」、全体から見るとわりかしスタンダードなファンタジー世界観で、その情景やストーリーが「浪速のおはなし職人」の手腕によって非常に読みやすくかつ入り込みやすいという部分で、引き込み要素としての導入と思われるのだが、導入として最初に置くものとしては、ぼくの考える定石では飛瀬貴遥氏の「ラジスラフの人攫い竜」(挿絵:帝夢氏)の方がしっかりとした世界観、かつ、スタンダードな線を持ちつつ、比較的朗らかな作品に仕上がっているので、おそらくこの5作品を並べられた時、その掲載順として最初にこれを用いる編集担当は多いはずである。しかし、柊氏はこれを最後の前、4作品目に置いた。最後の前というのは、すなわち「暗黒竜フェルニゲシュ」の前である。この緩急のつけかたは、やはり長く同人活動をされ、その中で真摯に様々な同人誌と向き合いながら、創作の在り方を探ってこられた人間でなければ出せないものだろう。その編集手腕が、この同人誌をよりさらなる高みへ導いたことは確実である。

 ちなみに、その柊氏も「ドライフ・ライフ」(挿絵:ZARI氏)で参加しているのだが、こちらもライトな世界観と高い構成力がひときわ異彩を放っており、書き手としての柊氏の筆致をうかがうことが出来る。参加した書き手の傾向を見てこの作品を書いたとするならば、おそらく非常にクレバーな方ではないかなと思うし、掲載順や装丁の妙をも勘案するとその可能性は高いのではないかと思う。

 2作品目に位置している、このメモ帳でもおなじみつたゐ先生こと孤伏澤つたゐ氏の「胎生の竜」(挿絵:鉄子氏)は、この作品内でいうところの「ごうがふかいな枠」ではないかなと思う。まずタイトルからしてつたゐワールド爆誕って感じではあるが、最初から最後まで徹頭徹尾一文一語の狂いもなく全て間違いなくつたゐ先生だというのには驚愕もするし本当にすごい才能だと思う。恋愛担当とおっしゃっていたがそれもそのとおりだなあと思った。でもぼく的には間違いなくごうがふかいな担当だと思います。

 で、さっきから内容に言及していなかった並木氏の「暗黒竜フェルニゲシュ」だが、これを最後に持ってくるのはもうなんというかそりゃそうなんだけどずる過ぎでは!?!?!?!?!?ずる過ぎ晋作では!?!?!??!?!!って死ぬほど思ったし事実8億回くらい死にましたんで!!!!!!!!!!!

 並木氏のこの作品はもう、全体を通して非の打ちどころが存在しないというか、そもそも非の打ちどころを探させる気すら起きなくなるほどの、全編通しての圧倒的な美と執着の塊みたいなもので、これもこれでごうがふかいなではあるし、熱量でいえばつたゐ先生とほぼほぼ同格ではあるんですけど、ここまでやっちゃう!?!?!?!?無理では!?!?!?!?死人出ますよこれ!!?!?!?!?!ってずっと叫びながら読んでて、読んだ人がみんな墓に入っていく理由がわかった。まあわしは球体の生物なんでお墓とか必要ないですから!!!!!!!!!!!!!!

 はっきり言うが、一次創作同人界隈で、この作品以上の合同誌は向こう5年は出てこないのではないだろうかと思うほどの圧倒的傑作にして究極の同人誌、すべての書き手の夢を形にしたというところがこの作品のごうがふかいなポイントであるわけで、つまりなにが言いたいかというと最高オブ最高すぎ晋作すぎやまこう市村正親松門左衛門ってことですよほんとに。いやほんと、読んでみてくれマジで、ナニコレ珍百景ですよ!「展覧会の絵」が一生リピート島倉千代子ですから!!!!!!!!!!ほんとに!!!!!!!!!!!!!!!

 

 これを超える作品に携わってみたいものであるなあ、と思った。

 

 というわけで、ギリギリではあるがテキレボ6シーズンを期間内に完走することができた。

 とはいえ、実はまだ本チャンの記事を書き終わっていない。おれたちの戦いはこれからだ!

 例のブツは明日朝ごろ公開予定にしたいと考えています。

拾い集めた嘘を小説に変えていく

 

 どうもかーびぃです。

 

 連チャンで書いていくのはどことなく変な気分になってくる。ランニングハイみたいな、自分の文章ばかり読んでしまった結果の自毒作用みたいな、そんな気味の悪い感じになる。

 

 ぼくがすきなピロウズthe pillowsの曲に「ファイティングポーズ」という曲がある。どれほど打たれようとも、負けが込んでいても、最後までファイティングポーズだけは構え続けるボクサー。その意地汚いほどに強い闘志と負けられないという矜持、それとは裏腹にもう戦いたくなくなっている身体。だけどファイティングポーズは構える。積み重なった、負債とも怨念とも、矜持ともいわせられない何かの得体のしれない圧力を背に、彼はファイティングポーズを構えるだけ、構える。

 余談だが、ぼくがピロウズを好きだというと、リアルの知り合いにはたいていこの「ファイティングポーズ」が好きだと言って納得してもらっている。そんな感じの曲である。

 

「拾遺」著:齊藤

(通読性:15、宇宙感:25、残響度:25、嗜好:8、闇度:S 合計83点)

 たしか、おかさんことオカワダアキナ氏のブースで委託頒布されていたものだったように思うのだが、表紙からして異様な雰囲気を醸し出している、簡素な同人誌があった。それがこの「拾遺」なのであるが、わずか24ページの短編集が、これほどまでに重たいものだったとはその時予想もしていなかった。A5版1~4ページの掌編のひとつひとつ、そのパラグラフもセンテンスも打ち込むような強さがあってとてもリリカルで複雑で、しかもこれらが有機的に結びついている作品集になっているというのが、なんというか同人誌の極致を見たような気がした。読み終わったとき、いちど、ぼくは文章を書く自信というものを一切喪失した。こんな書き手がまだまだ、きっと世の中に紛れ込んでいるんだ、そのなかでぼくは、何を書いても無意味なのではないか、そんな無気力が襲い掛かってきたのだ。

 けれどこうしてぼくは記事を書いている。文フリ京都の新刊も、この作品と同じページ数で入稿した。ぼくはぼくにしか書けないものなんてないと思っているけれど、ぼくの立場で、ぼくが得た経験で、ぼくにしか書けないものは、確かに存在しているはずなのだ。どうしてだろう、同人界隈の書き手にぼくはこの作品を薦めたい。それはネガティブな感情というものを味わい尽くしてほしいという不幸の手紙的なものではなくて、どちらかといえばなんだろう、これを読むことでぼくはぼく自身の書き手としての姿を思い起こさせられた、そういう風に、書き手なりの感じ方を楽しむことが出来、それによって新たな作品を書き出すことが出来るような、そんな力があるのではないかと思っている。

 この作品集は衝撃だった。ひとことで言うなら、もう衝撃としか言いようがない。この作品に出合わせてくれて、ありがとうと言いたい。作者の齊藤氏はもちろん、委託することによって引き合わせてくれた(たぶん)オカワダアキナさんにも。

 

 1位作品、ここまでお読みの方にはそのタイトルが何かなんて聞かなくたってわかるかもしれない。この作品とは別の意味で、同人誌とは、創作同人とはということを教えてくれたあの究極の合同誌が登場する。こうごきたい。

出会い、別れ、出会いで1セット

 

 どうもかーびぃです。

 

 連チャンで記事を書き続けるというエクストリームスポーツをやろうとしている。控えめに言ってアホなのだが、自分で決めたのだから仕方がない。

 

 さわやかさの裏で鳴っている寂寥感といえば、ぼくが思い起こすのは、イトーヨーカドーのテーマでおなじみの、タイマーズ版「デイ・ドリーム・ビリーヴァー」である。原曲はザ・モンキーズというグループのものだ。この原曲に、忌野清志郎は自身の想いを重ね合わせて、日本語カバーしたといわれている。ってさっき調べた。

 

「フリンジラ・モンテ・フリンジラ」著:佐々木海月(エウロパの海)

(通読性:22、宇宙感:20、残響度:20、嗜好:9、闇度:A 合計78点)

 ということで、佐々木海月氏、史上初の3度目の記事化となった。ここまでで3作品が記事化された例はないばかりか、さらに言えば、3作品以上のシーズンレース登録作品がある書き手で、かつそれらがすべて記事化される例は今までなかった。ここで、佐々木海月氏は2017ステージシーズンレースにおいてのMVW(モストヴァリアブルライター)の座を名実ともに達成したといっても過言ではないと思う。2018ステージから導入する書き手レート制度においても、レート7を超えているのは咲祈氏と佐々木氏のみである。それほどまでに、氏の作風はぼくの嗜好とマッチしているのだ。

 さて、この作品は、めちゃくちゃ簡潔に述べるのだとするなら「一期一会」といった趣のもので、過重労働に音を上げた主人公と一風変わった中学生コウの出会いと別れまでを描いた作品である。佐々木氏の作品の中では、どうだろう、ニュートラルというべきなのだろうか、その静寂性は保たれてはいるものの、ここまで紹介した2作品のような、空間全体の澄み切った部分というものはあえて描かれていない。登場人物の会話はどこかさっぱりしていて読みやすい。ぼくはこのような会話の方がすっぱりと中身に入っていけるのかもしれない。その点はもう少し研究する必要があるように思う。舞台となる地方都市の郊外の、四季を織り交ぜた情景が美しく彩られながら、やはり登場人物そのものの普遍性というか、そういったものにはしっかりと碇がおろされていて、そのコントラストが美しさを対比的に描き出しており、さらに言えば寂寥感のようなものを出しているのではないかなと思う。特に、最終部はぼくがここまで読んできた130冊の同人誌の中で、1、2を争うくらいの美しさだと思うくらい。

 あと、鳥を軸にしている作品でもあるのだけれど、ぼくはそんなに鳥に詳しいわけでもないしあまり好きでもないので、そういう部分もあるよという紹介だけにしておこう。鳥散歩に参加するようなタイプの人は必読だろうし、別の部分でこの作品の美しさを知っているのだろうなと。

 そういうわけでしまりがないんですけどそんな感じです。

 

 2位に輝いたのは、完全なるダークホース、でもその素晴らしさは知る人ぞ知るあの作品です。

それはたとえば何かに似ているけれどもそれに形容はできなくて

 

 どうもかーびぃです。

 

 ということで、ようやくテキレボ6シーズン参加作品すべてを読み終わったので、ここに最後の選外まとめを書いておきたい。

 

「暁天の双星」著:泡野 瑤子(Our York Bar)

 オリエンタルファンタジー。時代物の流れを取り入れている。序文はテキレボ6の公式アンソロジーに掲載されていたが、圧倒的な掴みの強さがあったのでそのまま新刊となって出たこの作品を買ってしまった。語られている歴史と真の歴史は異なるのだ、という歴史学の教授ターミ・ポアットの言葉から始まるあたりが、なんというか「ファイナルファンタジータクティクス」を彷彿とさせる感じがしていて個人的にはわくわくしていた。骨太な物語を比較的コンパクトに収めてきているというところが個人的つよいポイント。

 

「Cis1 冒険は授業のあとで」著:新島みのる(ひとひら、さらり)

 ジュブナイルファンタジーとしてはかなり完成されている作品じゃないかなあと思う。ひとりの少女がほぼ異世界と同じくらい非常に遠くに飛ばされ、「スーパーチャレンジャー」という勇者的な役割を与えられ、同じ役割を与えられた少年少女と奮闘する物語、そのステージ1、といった感じ。序章の日常が非常にコントラストが強く出ている。どことなく宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」を思わせるような構成。この物語はCis2、さらにその先へと続いているようで、そのCis2は「みんなのごうがふかいな展」参加作品であるのでこれから読む。楽しみだ。

 

「四季彩 ボリューム2 菓子」著:春夏冬(春夏冬)

 春夏冬の2作目となる合同誌。見本誌だった最後の1冊を貰ってきており、ふせんがついている。そして合同誌なわけだけれどふせんがついていてよかったというか、よく言えば色彩豊かな小説群が収録されているなあ、と思うわけで。分量も個性も本当に様々なメンバーを抱えて活動するのは非常に大変だろうとなんとなく思う。個人的に好きなのはなんべんも述べている通りこのサークルの代表を務めている姫神雛稀氏の「イヴァンフォーレ理の七柱」シリーズである。今考えたんだけど最低でも合同誌が7冊出ることになっているというのはなかなかにすごい。そりゃたいへんだ。は4で止まっている。ぼくの周りで7冊も同じサークルが定期合同誌を出せているところはない*1(あるかもしれないけれど今思いつかない、という程度の意味)ので、7冊と言わず行けるところまで行って欲しいというのが正直なところである。

 

「踊る阿呆」著:オカワダアキナ(ザネリ)

 おかさんの新刊、ということで手に入れた作品。そういえばアンソロの作品まだ読んでいなかったような気がする。おかさんの文体は本当になんというか引き込まれるような語り口がすごい。落語の様にフリがあって、オチがあって、みたいな感じで、文章そのものというよりは、もはや文体としてしっかりと個性を固めているというところが非常に面白いし、立体的な作品になっているのだなあと思う。冷静でエロティックで、それでいてパンク。なんかに似てるな、と思って気づいた。忌野清志郎だ。ということはおかさんはキング・オブ・文学なのか。なるほど。

 

「旅人は地圖を持たない」著:小町紗良(少女こなごなと愉快な道連れ)

 少女こなごなといえばクイーンオブごうがふかいなでおなじみなわけなんですけれど、この作品は隅々まで最高にキマっているところがヤバイなあって思います。同人誌ってこう、装丁とか小説の文字フォントとかってどこかファッションセンスめいた美的感覚が出ちゃうじゃないですか。そういうものを全力で固めていった、小町氏が考える「この文章に合わせるのはこれだろ」っていうコーディネートをバリッバリのガッチガチにキメた感じのやつです。そこに一切の妥協の余地がないところがまたすごい。これもひとつのごうがふかいなではあるような気はするんですけど、まずはこの作品の同人誌としての完成度、これを皆さん読むことで感じていただきたい。個人誌、小説主体作品ということでいえば、2017ステージ最高クラスの完成度を誇る同人誌といっても過言ではないです。とにかく読め、そして感じろ。現場からは以上です。

 

「Last odyssey」著:孤伏澤つたゐ(ヨモツヘグイニナ)

 テキレボ6シーズンの最後を飾ったわけで、これはあまぶんシーズン3位の「魚たちのH2O」の後日譚にあたるとのこと。共通の世界観で、前作のラスト特有の寂寥感を残したまま物語が続いていくスタイルになっている。その文体は、限りなく詩的で日本語の持つ冗長性を極限まで排した造りになっている。だけに、言葉を尽くされている前作とは対照的な部分があり、一文一文をかなり深く読み込んでいかなくてはならないと思った。しかしながらつたゐ先生がもつ滑らかな語り口はそのまま、というのがなんだかものすごいなと思う。これがいわゆるごうがふかいなのひとつの完成形なのかもしれない。

 

 てなわけで、ギリギリで駆け抜けました。

 上位3作品についての記事も今日中にアップしていければと思います。こうごきたい。

*1:あるじゃん、ペンシルビバップ

のぼりきった山の高さがわかるのは、最初に立っていたふもとの標高がわかる人間だけだ

 どうもかーびぃです。

 

 週1ペースで記事を出していて、アドベントカレンダーまであと1週間と2日。これがおわかりだろうか。つまり、ぼくにはさほど余裕が残されていない。

 

 というわけで、駆け足だがテキレボ6選外まとめ、その2に入りたいとおもう。この時点で、上位ラインが75点を超えている超高度な激戦シーズンであったことを報告したい。しかも、まだまだ高評点を記録しそうな作品は残っている。2017ステージ最後を飾る大混戦だが、それはともかく、惜しくもこの時点で選外になってしまったものたちについて述べていきたい。

 

「ウーパールーパーに関する考察」(上下巻)著:伴 美砂都(つばめ綺譚社)

 非常にスタンダードな線を持ちながら、丁寧に作られている純文学調の作品。タイトルの通り、ウーパールーパーを小脇に抱えながら、ひとりの女子高生の成長をみごとに描ききるという、ど直球一本槍なストーリーラインを抱えている。ひとりの少女が、他人との距離感や社会の感覚、その底冷えした空気にあてられ傷つきボロボロになりながらも、手を差し伸べてくれた人々によって徐々に徐々に自分の道を見出していく。そのさまもなかなかに痛みを伴うもので人によっては目をそむけたくなるような冷たさが内包されてはいるが、しかし、伴氏のゆるやかな(少女目線の)語りによって、すっと頭の中に文章が入ってくる。そして小説も終盤に近付いていくにつれ、傷ついていたのは少女だけではなかったことに、彼女自身が気づき始めるという描写が入れ込まれていて、その絶妙さには驚いた。つばめ綺譚社はもうひとり、紺堂カヤ氏という書き手がいるのだが、このふたりは本当に好対照の書き手で、それゆえにこのサークルは様々なものに挑戦できるのだなあと思った。突き刺さるようなとげとげしさよりも、ウーパールーパーの肌のようななめらかさが、何よりも生かされた作品。青春小説としてはかなり完成度の高い作品だろうと思う。実際、超高評点を記録してはいるものの、惜しくも選外になってしまっていて、本当に惜しい。

 

「きこりのむすこでゆうしゃのササク」著:まりたつきほ(漣編集室)

 語呂がいいタイトル。だがその中身はかなりエキセントリック。同タイトルのお芝居を劇場で見ているような形でこのお話は語られていく。当然、芝居自体の流れがメインではあるのだが、そこに演じている役者のサブ情報(プライベートなものが多い)が流れ込んだり、前回までの演技の内容が入り込んで来たりと非常に畳みかけるようなエトセトラの連鎖がしっちゃかめっちゃかではちゃめちゃで、シュールでシニカルに仕立てられている。劇自体はまったくドタバタしていない(むしろちょっとシュールでアンニュイな感じが出ている)のに、この思考というか、文体というか、とにかく字面のドタバタ感が激しくて、そのギャップで笑ってしまう。そのせいか構造が非常に複雑になっている。じわじわくる、が漣のように押し寄せてくる新感覚シュールコメディ。

 

「人魚のはなし」著:南風野さきは(片足靴屋/Sheagh sidhe)

 たおやかな装丁の、幻想的な短編が編み込まれた作品集。全編を通して、そのセンテンスやワードががちがちに組まれていて、たった4篇、字数にしてもさほどではないはずなのに、非常に重厚に感じられる不思議さがある。しかし、幻想文学的な様相を呈している文体とは裏腹に、ストーリーラインはどちらかというと伝奇・怪異小説に傾いており、そのギャップが非常に面白いなと思った。ストーリーラインとしては(軸がやや複雑さを重視しているがために)むしろ読みやすさなどを鑑みてフランクに書き換えがちな者が多い中、あくまでこのスタイルを貫き通すその矜持こそ「ごうがふかいな」がにじみ出ている。こういう美しさも同人世界の中にしかないものだろうと強く思わされた。

 

「贄と邪竜」著:藤ともみ

 えー、これはかなり生、というかごうがふかいなそのもの、というようなスタイルの作品です。公式アンソロに投稿されていた作品につづきを付け足したものなんですけど、もうそのアンソロ投稿部分ですら「この人ごうがふかいなで言えばランカーだわ」となるほどだったのですが、全編通して読んでもそれが変わらないどころか強くなっていく一方で困った。ごうがふかいなが魚だとすると、この作品は刺身です、刺身。

 とかなんとかどうでもいい話はおいておくとして、ストーリー自体はシンプル。双子の片方がいけにえに捧げられるのを気に病んだもう片方が入れ替わってしまい、残された方がいけにえになった方の仇を取ろうとする、っていう話。もうこの筋の時点でごうがふかいな一直線感がバリバリバリクソンなんですけど、この筋通り、本当に、こちらの期待を裏切らないという点においては圧倒的ともいえるくらいの完成されたストーリーとキャラクターが、もうなんというか本当にすごい。人はすごい時にはすごいとしか言えないって何度も言ってる。今回も言った。

 次回の「みんなのごうがふかいな展DX」に参加をお待ちしております。

 

銀河鉄道の夜の夜の夜の夜」著:遠藤ヒツジ(羊目社)

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を元にした、なんだろうあえて言えば1.5次創作みたいな作品。元の作品に4回、微分積分を重ねている関係で「の夜」が増えてしまったらしい。らしい、というのはぼくが微分積分をよくわかっていないからで、多分微分積分を知っている人はそんなわけねえだろとツッコミを入れてくることだろうが、そんな人はこの記事を読まないと思います(決めつけ)。

 と、もっともらしいことを書いたが、銀河鉄道の夜を読み込んでからこの作品を読んだときの印象はまんまその感覚で、だから銀河鉄道の夜そのものに寄り添いながらも、それを俯瞰し、その俯瞰を俯瞰し、その俯瞰をさらに俯瞰しているみたいな、不思議な多層性がこの作品の大きな軸になっている。全体がどことなくエロティックな動きをしているのだけれど、それでいてかつ宮沢賢治のオマージュであることを忘れさせない「イーハトーヴ」みの溢れるポエティカルにしてファンタジック、それでいてノスタルジックな小説。遠藤氏の技術力と「銀河鉄道の夜」という、ひとつの未完作品に対しての敬意と熱情がこれでもかというほどに込められた作品。

 気がつけばみんなも銀河鉄道に乗っちゃう感じの。

 ギャラクシーエクスプレス(ry

 

 というわけで、残るは6作品。ここで読みブーストをかけて、どうにかアドベントカレンダーに間に合わせたい。本当に間に合うかどうか非常に微妙なところなので、間に合わなかったらごめんなさい。

 ちなみに今もうすでにちょこちょこ書き始めてはいるんだけど、自己紹介の時点で伊集院光深夜の馬鹿力並みに脱線しまくっていて字数がひどいのでつらい。