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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

境界のはざまでゆらぎながら歩いていくことを人生というなら「キャリア」なんて言葉はビジネスで使われないだろう

 どうもかーびぃです。比較的ハイテンションです。連勤は精神にくるものがあります。

 

 なんかこう、気が付いている人は気が付いているかもしれないけれど、実はかーびぃもう精神科通ってて、ADHDという診断をもらって、投薬療法やってます。ADHDがどういう病気(というよりは発達障害らしいんだが健常と異なるという意味では病気に近い)かっつーのは各自で調べてくれ。この症状、文章で説明するのすっげーめんどくさいんです。そんなことより薬がすげー高い。保険適用のはずなのに1か月で5000円くらいする。つまり保険なしだと17000円近くかかってる。これを病気というなら、かなりコストのかかるもんをもってんな……って話ですが。まあしょうがない。ヘルニアと同じく、おそらく一生付き合う必要のあるものっぽいし。

 むしろ、今まで普通の人間とまともに戦ってきたぼくを誰かほめてほしい。嘘、本当はほめる必要なんかないわけだが、まあ言葉のあやってやつだ。

 転職しようという気にはあまりならない。それは、今いる会社がそれなりに好待遇というか、おそらくぼくが転職してもこれ以上の待遇になることはありえないだろうというくらいのものだからだ。ましてや、今までまともに社会生活をしていたとはいえ、精神科に通って薬を貰っている、という属性が付属するとふつうは市場価値がガタ落ちする。ディスカウントショップにならぶ訳アリ野菜を見れば、それが人間にも通用するような理不尽な、しかしある種の合理的判断だと納得せざるを得ないだろう。だってこの歳で、しかもこの社会不適合感で、300万を余裕で超える年収をたたき出すなんて今のご時世そうそうないでしょ。え?自分はそれ以上ですけどって?そういう高所得者層は黙っててくれ、ぼくは君たちみたいに何でもできるスーパーマンじゃない、ただのかーびぃだ。ただのかーびぃがこの年収であることに意味があるんだよ。

 大抵の人間はどこかの境界に足をかけるということはあまりしない。そりゃ行ったり来たりくらいはするかもしれないが、概念と概念の中間でぶらぶらするような馬鹿はそうそういない。なぜならとてもリスクのある行為だからだ。概念、もといそれを中心としたコミュニティには、多かれ少なかれそれがカテゴライズされたものであるがゆえに排他性をともなう。概念の中間に身を置くことは、両端の概念、両端のコミュニティのどちらにも属さないことを意味する。それは孤高であることを選択することと最終的には同義となる。人間は望むと望まないとにかかわらず社会的人間である。コミュニティに属することで生存することができる動物なのだ。まあわしかーびぃだけど。かーびぃも人間と同じルールで生活してるんだよ。軽自動車が交通ルールを守っているのと一緒だよ、多分。

 逆に、ひとつのコミュニティに属することは、高いリスクをはらんでいる。これは言うまでもないだろうが、つまりコミュニティ同士にも相互作用があって、崩壊する危険性はどのコミュニティにもあるし、崩壊する危険性の低いコミュニティは、逆にそこから自分がはじき出される可能性があるものだ。その相互関係についてはめんどうだから省く。かーびぃは省くこともたまにするのだ。素っ裸でガドリングガンをぶっぱなしたくてもできないのは、誰も銃弾に倒れたくないからだ。かーびぃみたいな、生まれつき社会的行動が苦手な人間にはとても生きにくい社会なのも、そういう人間がとち狂って無差別に人を殺したり社会の害になるようなことをさせないためなのだ。仕方ない。

 話は少し変わるが、ぼくがここまで生きてこられたのは、9割9分両親のせいである。おかげと言うべきところをわざわざせいと言っていることについてはみんなも考えてみような。小学生レベルの設問だぞ。かーびぃはたまに挑発することがあるのだ。

 幼少期の僕は、今から考えればかなりADHDの性質を発現していた。特に衝動性が非常に強かった。興奮すれば周りのものを手あたり次第投げたくなる(ちなみにこの衝動は現在まで依然としてありつづけているし、精神が不安定になるとそれと戦い続ける必要があるので非常に社会的活動に支障が出る)とか、そういう「癖」は確かに存在していた。忘れ物やなくしものだってかなり多いほうだ。だが、主に母親の高レベルな躾――あえて露悪的な表現をするならば、それはどのような手段を用いてでも、実質的にぼくを全面的な支配下に置くことと同義であった――によって、この症状の発現は最小限に抑えられていた。個人的、かつ自己中心的な視点で見れば、ぼくは両親に対して良識では考えられないほどの憎悪がある。自分でもそれは認める。けれど、それは両親がいわゆる毒親というものではなく、ぼく自身の先天的な異常を封印するために仕方なく施した処置だと考えれば、全体的に、きわめて客観的にみて、これは成功しているし、ぼく自身もそうしたおかげでここまで大した社会的損害も受けずにのうのうと暮らし続けてこられたという一面がある。ぼくの反社会的な衝動というのは、なんとなくこの辺に端を発するような気がしてならない。そこいらのメンヘラよりは情緒不安定な自信がある(というか原義的にはぼくもメンヘラではあるのだが)。ただ幸か不幸かそれを表出させるだけの身体的表現力が欠損しているだけである。

 で、薬を飲まされているわけだけれど、一番困っている衝動性についてはさほど効かないというか、「現状で統制されている」という判断をされている以上改善の余地はないわけで、これが一番困っている。おまけに薬というのはいうなればホルモン剤のようなものなので、やたらにイライラする副作用がある。あと思考する速度が若干遅くなった。その分精度が上昇した感じか。全体的な印象はその程度。

 で、思ったんだけど、そんなぼくが普通のビジネスマンみたいに「キャリア」とか気にしている場合ではないわけである。こちとら一週間何の精神的疾患も起こさず無事に走り続けることで精一杯なのだから、職歴を生かした社会活動なんてできる気がしない。いや実際はしているのだろうけどね。それはつまりぼくの意識していない部分というところであり、自動化された社会性のたまものである。この社会性の殻に閉じこもること、それがぼくの生きる唯一に近い手段であり同時に人生でもありいうなればそれが「キャリア」になる。さて、それをどう生かしていくか。冷静な方のぼくはそれを一生懸命考えている。このままこの職にとどまるか、ライターか何かで生きていくか。

 まあ、現状で新人賞のための長編も書こうとしていなければ、ライター業界にも何も手を出していない時点で、答えはすでに選択されたも同然なわけであるが。

 

 ここまででようやくぼく自身がもつ闇的な部分の、だいたい半分くらい書きだしたと思う。これだけ痛々しい文章をなぜここまで晒すかというと、ぼくがここから社会的あるいは精神的に成長するためには、まず自分の中に置いてきた闇の部分をすべて外部化して整地して、向き合う必要があると感じたためである。ぼくはぼく自身を、もっと深く知りたいのだ。つまりこれはナルシストだめかーびぃのクソながい独り言である。いやこのメモ帳に書いてあること全部そうだけどさ。

 

 霜月はるかとか志方あきことか聴いてると、なんか霊的な存在とか降臨してきそうな感じしない?しないか。