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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

「物理で殴る」ことの罪深さ

 どうもかーびぃです。

 

 ポピュリズムっていうんだったか。つまり、「多数決で勝てばなんでもいい」みたいな感じの考え方。民主主義の根幹をなすこの考え方であるが、よく考えるまでもなく、非常に暴力的なシステムであることは言うまでもないだろう。言わなきゃわかんないような人はこんなメモ帳を読んだりはしないはずだ。かーびぃが求める知性は思いのほか高い。

 多数派というのは非常に厄介だ。たとえば、10人の村があったとして、10個の基準があってそれぞれ「許容できる/できない」という感情を一人ずつが抱いており、村人は10個の基準のうち9個は許容できるが、1つだけどうしても許容できない基準があるとする。そのラインで基準を決め、すべての基準を許容できるような人間だけが、この村に残れるというルールを作った場合、お互いがお互いを追い出しあい、最終的に人はいなくなる。こういう単純な話にすら気づかなかったりする。

 多数派の中にいると、自分も周りも同じものばかりなので、そのものに多様性があるということ自体を忘れてしまう。身近な例でいえば、周囲の友達が全員、異性愛者(もしくは異性愛者としか観測できない行動をとる異性愛者以外の人間)であった場合、周囲から異性愛者以外が観測できなくなり、「異性を愛するのが当たり前」という基準になる。つまり、正常と異常の境をそこにおいてしまうわけだ。同性愛者を許容できない人間の多くはこういった現象によるものだろうとかーびぃは思う。だから、酷な言い方をしてしまうと「仕方がないこと」ではある。だってレアなんだもん。レアなものということは、周囲に自分と同じものが存在しにくいということでもある。したがって、レアなものを持っている人ほど、人間の多様性に敏感である。だが、そんな念能力者みたいなレアな人間ほど、コモンの量産型にぶっ潰される可能性が高くなっていく。だってコモンはレアをレアと知覚できない。彼らにとってレアは「人間ではない存在」であり、排斥の対象であるからだ。

 ぼくは自分が少数派という自信は全くない。なぜなら、現にいまこうして普通に普通の仕事をして生きているからである。いくつか少数派としての属性は持っているかもしれないけれど、それはぼくの持つ属性の中でも特別なものである。

 だが、ぼくは多数派に対して、単なる多数派、コモンにいる人間に対しては厳しい態度で接さざるを得ない。彼らがこちらの領域を侵略しようと虎視眈々と狙っている可能性が非常に高いからだ。願わくば自分が常に多数派でいたいのだ。かーびぃは生きようという意志だけは人一倍、もといかーびぃ3機ぶんくらいある。何なら多数派を一人残らず殲滅して、自分を中心とした世界を多数派に仕立て上げたいと思うくらいだ。まあそんなことをしたらそりゃたいへんでは済まなくなるんだけど。

 最終的に全員が同じ価値を持てるように、みんな揃って努力をすべきなのだけれど、多数派の中にいた人は、そもそもの基準の考えかたがシビアすぎるので、努力を怠りがちなのだ。かーびぃはそこが許せないし、その部分だけに猛烈な憎しみを抱いている。

 なぜかーびぃがここまで彼らを憎むのか。そんなものを語る義理はないわけだが、考えてみてくれ。自分よりも明らかにものを知らない人間が、自分よりも明らかに弱い人間が、「ただ価値観が多数派と同じである」というそれだけの事実によって徒党を組み、自分に襲い掛かってきたら。かーびぃは意外と血腥い主義を持っている。

 

 さて、みなさん、タイトルの意味はお分かりだろうか?