かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

鬼専用コメディアンことかーびぃの本領を発揮する時がついに

 どうもかーびぃです。なんだなんだその不穏なタイトルは。

 

 天皇の誕生日だからと言って祝うのが国民の義務ってわけでもないし、逆に祝うなって押し付けるのもおかしいんじゃねえの?っていうのが良識ある大半の国民の意見で、祝えも祝うなもキチガイの戯言みたいなところがある。それは、日本における天皇という存在が他の国に例のない、非常に特殊な、まさに「象徴」なのではないかとかすごく適当に思った。なんにしろ休みは休みであるし、かーびぃはカレンダーが赤い日は基本休みとされている会社に勤めているので出勤する必要はない。そういうわけでかーびぃはお寿司を食っていた。

 みなさんはお寿司というと何を思い浮かべるだろうか。普通の人はマグロだと思う。かーびぃもお寿司といえばマグロだ。だがかーびぃはほとんどマグロのお寿司を食べない。なぜかというとかーびぃの弟がマグロ大好きだからだ。かーびぃに兄弟なんていたんだ。続々と明かされるかーびぃの家庭環境。ちなみにかーびぃの好きなネタはタラの白子、あん肝、ウニ、芽ネギ、かにみそ、貝類などである。たぶんこの生活をあと15年くらい続けていたら痛風になると思う。まあもっとも最近は酒が飲めないだけマシではないかと思う。かーびぃは脂っぽいものはそれほど寿司に合わないと考えている。だから大トロとかトロサーモンとか、とかくトロがつくものや白身でもえんがわやブリなんかはあまり得意ではない。いや食べたいときはあるし普通に食べるけど。皆さんは逆にそういうものが好きな人が多いのではないかとかーびぃ思うのである。

 というのは伏線でも何でもなく、まさにどうでもいい話で、かーびぃは今ひとつの長編連載、6つの短編製作、2つの長編製作を行っていることになっているわけだが、ポメラがぶっ壊れたせいで、2つの長編の原稿が丸々吹き飛んでしまったことにさっきまで気が付かなかった。つまりこれが何を意味しているかというと長編の原稿にしばらく取り掛かっていなかったということで、かーびぃの製作力、生産力というのがともに落ち目になっているということでもある。さらに言えば、長編にいたってはその2本以外の構想がまったく立っていない。これはかなり小説家としてはまずい状況ではなかろうか。想像力が信じられない勢いで落ちているのだ。まあ逆に言えば自分の構成力の範囲でまとめられるものしか書かなくなったというべきなのか。皆さんには関係のなかった話だ。

 転職するのにスキルが必要なのだが、そのスキルってのが厄介で、単に仕事をしているだけでは身につかないものなのだ。そしてそのスキルを他人に表現できなければ転職は難しい。それがすごくめんどくさい。知りもしない他人に何かを伝えるのはものすごく難しい。日本語で書いたとしても、相手が日本語を読めるとは限らないところがとても難しいのだ。ましてや自分が日本語を書いているのかどうかすらよくわからない。これじゃあだめだ。せめてきちんとした日本語を書くか、相手の採用担当者が使用していそうな言語を読み解き、その言葉で語るしかない。その翻訳能力が自分には異常に足りない。なぜなら他人に対する興味が根本的に薄いからだ。物事というのはなんでも、好きでやっている人間にはかなわないようになっている。好きでなければ長期的な意味での合理的な経験を積むことが難しいからだとかーびぃは考えている。

 長期的な意味での合理的な経験というのは、つまり短期的な意味での合理的な経験とは異なる。つまり情報に直接アクセスするだけにとどまるのか、周辺情報ごと丸ごと吸収するのかという違いだ。短期的に言えば、前者が圧倒的に有利だが、最終的には後者が有利になる。それは、周辺情報を得ることで、その情報同士が相互に結び付き、より高度で発展した二次情報を得られる可能性があるからだ。で、そういった二次情報を得られるような経験をするには、モチベーションがとてもかかわっているように思う。高次元の情報を積み重ねた人間は、時に低次元の情報の寄せ集めを習得したに過ぎない人間には見えないような的を射抜くようなことが可能になる。世間はそれをわかりやすく天才と呼ぶ。かーびぃはそんな風に考えている。

 ぼくに何が足りないのかは見えているというか、確実に息切れしているのがわかるのだが、インプットできるだけの精神力が残されていないわけで、まあつまりは死ぬってこういうことなんだなみたいな。

 

 人生五十年、黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子。かびを。