「性癖をさらけ出せるかどうか」も性癖のひとつ
どうもかーびぃです。BL出身の漫画家がなんとなくわかるようになってきた気がする。
昭和元禄落語心中のアニメ第1話を見た。かーびぃがシーズンのアニメを視聴するのは実に久しぶりである。母親が落語好きだったというのと、その影響もあってかそれなりに落語を聞きこんでいるタイプである(といっても古典落語は10も知らない。創作のほうが好きだったというのと、同じ落語で聞き比べるほうが好きだからだ)。
落語というのは話芸の中でもかなり難しいものとなる。ひとりで場面すべてを演じ切らなければならず、そのテンポやスピード、展開を統制し笑いへと昇華させていく必要がある。その制約の多さとそれに付随するかたちでの表現の自由さは、どこか小説の世界と似ている気もする。
原作を未読なのでなんとも言えないのだが、アニメの作りこまれ方は半端じゃない。投入されているリソースが今時あり得ないレベルで、まさにTBS系列がある意味腹をくくったのではないかとうがった見方をしたくなるくらいだ。もっとも、落語とアニメというある種のメディアミックスを本気でやっていこうと考えているなら、その作りこみは丁寧でなければならず、ましてやキャラクターを演じている声優は、まさに「音声だけ」でキャラクターを表現し、落語を演じる必要があるのだ。
そういった制約の中で、主人公の師匠にあたる有楽亭八雲を演じているのが石田彰というのは、ものすごく納得がいくし、どころかこの八雲に寒気がするような天衣無縫さを与えている。これは石田さんならではだろうと思う。落語もしっかりと、そのキャラクターを表現しきっている。聞いただけで「すげえ」と思わせる凄さが、やはり抜擢された最大の理由じゃないかとかーびぃは思う。
かーびぃ的には小夏という女性を演じる小林ゆうがもうなんかすっげーエロいと思いました。かーびぃも人間だったころは女性が好きな男性だったのだ。