かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

祈りをささげることが苦手な人たちへ

 どうもかーびぃです。しゃれたタイトルですが特に意味はない。病み上がりというかほぼほぼ精神病に近い体調で本当に最悪だ。月100万くらいの税金をもらって暮らしたいし、そういう制度みたいなのが必要だと思うそんな今日この頃。上司に恵まれている社会人なんて本当にいるのだろうか。

 

 さて、まあいつもの通り書くことが極端に少ない。今週末は会社の旅行が入っていて、正直死ぬほどいやだしめちゃくちゃ行きたくないのだが、数少ない社内レクということで行かないこと自体許されていないみたいな雰囲気で、ヘイトが溜まりに溜まっているし、仕事は圧倒的に雑になるわけで、ぼくが行かないことになっていればものすごく仕事がはかどるはずである。まあつまり、ここでレクを行う理由というものがそもそもぼくの福利厚生ではない、むしろ僕の福利厚生など知ったことかという会社の姿勢であることは間違いなく、そしてこの方針は数年十数年我慢したところでたぶん変わらないだろう。

 

 他人と触れ合うことを重要視するというのは、組織としてはある種当然で、なぜかといえば組織労働というのはチームワークのみで成り立っているからであるのだが、それが間違った方向にシフトしているというか、そこの多様性を認めないからいつまでたっても進歩できないのではみたいなことを考える。同質な人間が多数在籍していたほうが当然仕事の効率ははかどるわけだが、全体主義的な考え方から脱しない限りは、次元が結局低いままで仕事をしてしまわざるを得ない。相手がどうだとか、こうだとかということをいちいち考えない会社ということである。それでは一定の規模を脱することができないように思う。

 かーびぃがうんざりしていることのひとつに、期せずして、まったく期せずしてかーびぃは今の職に就いているわけだが、これが死ぬほどうらやましがられるわけで。ぼくからすれば君の身分のほうが百億倍くらいうらやましいわけだが、結局期せずしてこの職場に入った以上、逆に言えばこの職場以上の職に就くことはできないわけで、それ以外の仕事で稼ぐことはできないということを示唆しているわけで、つまりはぼく自身がお金を稼ぐこと自体に絶望的なセンスのなさがある。

 だからぼくはただただぼく自身に祈りを捧げるしかない。いつか宝くじが当たって、7億円を手にできますように。そうしたら資産を流動的に運用しながら家を買い、うまくいけば5年くらいで会社を辞められるかもしれないだろう。そういう都合のいい未来が来ることをただただ祈る。そればかりだ。

 祈っても現実は何も変わらない、などと松岡修造ばりの熱い言葉をかけてくる輩もいるだろう。しかし、逆に考えてほしい、かーびぃにはすでに祈る程度のことしかできない。ぼくはきちんといろいろなことをシミュレーションした結果で祈ることを選択しているのだ。ぼくが転職できない理由は、ぼくが今の職に就いていること以外にいろいろな理由があって、それを尊重していない意見をぶつけられるのは納得がいかない。まあ開示しないこちらにも多少の瑕疵はあるのかもしれないが。

 

 そしてだいたいこういうことを命じている人間は莫大な退職金をもらって辞めるのに、ぼくらが退職するころにはそもそも退職金というものなんてあるかどうかだし、ましてや年金も期待できないし、すでに日本は終わってるんだよなあ。