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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

色鮮やかな砂糖菓子に貴女と結んだロマネスク

 どうもかーびぃです。

 

 タイトルはとある歌詞の改変である。この曲を聞くとぼくは決まってとある女性を思いうかべる。それが誰なのか、かーびぃとどんな関係にあるのかはあえて伏せる。つーかそのうちじわじわわかってくるのではないかと思うよ。

 さて、タイトルついでに、小説を書くとき、どこから書いていくかというのは人によって大きな違いがある。例えば、書きたいところから書いていく人もいれば、ぼくみたいに最初からでないと書き進められないようなタイプも少なくない。中でも、タイトルのつけ方はかなりばらつきがある。最後までタイトルをつけないという人もいれば、途中でタイトルを思いつくということもあるし、最初からタイトルを固定して書く人もいる。ちなみにぼくはというと、仮タイトルをわりと初期につけて、書いていくうちにしっくりこなくなって来たら随時変えていくというスタイルである。ちなみに最初の仮タイトルがそのまま本タイトルになる確率は、だいたい半々といったところだと思う。変わるものは変わる。5回以上変更したものもいくつかある。書いている文章が端的にまとめられないもののタイトルをつけるのに苦労するのだろうか。そんなものを書くほうが間違っているともいえるし、逆にそれくらいこじれたものでなければ小説にする必要がないということもできる。

 書いている内容は経年によって変化するかというとこれもまた微妙で、高校時代に書いていたもののほうがお話自体はよくできているものが多いように思える。というか最近は話を考えるのが面倒になってきた。いくらでも字数は稼げるんだけど。

 小説を書き続けることはマラソンに似ているような気がする。単純に描き続けるだけであれば誰でもできると思われているが、ひとつのまとまりをもった文章を普通の人間はそう長く書き続けることはできない。これはやってみないとわからないことだったりする。また、日々の鍛錬によって字数程度であればいくらでも稼ぐことができるが、文章というのは当然分量だけではない。その内容をうまくまとめる能力というのはなかなかトレーニングだけではつかめないもので、いろいろな経験をまさに習得せざるをえないみたいなところがある。かーびぃが社会経験が少ないせいでまとめる力に欠けているのは周知の事実であるが、主に「小説家になろう」に転がっている超長編(20万字を超えてくると超長編と呼んでいる)アマチュア作家は総じて若い。なぜかといえば「書き続けること」は簡単だが「綺麗に収める」ということはテクニックが必要で、それはある程度の多様な経験を生かす必要があるからである。読みやすい分量でストーリーを収めきるというのはかなり重要なスキルであるのだが、反面習得しにくい(普通の人は小説を完結させること自体かなりの体力とスキルが必要になることは書こうとしたらすぐにわかるはずである)。でも、逆に言えば単純に終わらせることなら誰にでもできる。それだけにうまい終わらせ方というのは武器になるし、実はそんなに形式的に多いものではない。落語だって「オチ」がなければ話にならないのだ。

 しかしながら、これも周知の事実であるが、かーびぃは非常に話の落としどころをつけるのが苦手である。目の前に広がるのはどこまで行っても大草原で、世界の果てなど見当たらないように書き続けるからだ。ということでかーびぃは終わらせ方を探している。

 しかし、先ほども書いたが、こういった記事を終わらせるのはとても簡単である。

 

 仕事も納期が迫ってきているし原稿もかなりピンチなのに何一つ進まないの面白すぎるでしょ。