かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

記憶の断片

 どうもかーびぃです。

 

 3月11日だろうが1月17日だろうがそんなことはどうでもよくて、というか実は今のアクティブなネットユーザーって1月17日を知らない人間もかなりいるんじゃないかというべつの恐怖に駆られているのだがそれはさておくとして、今日は東日本大震災から丸5年が経った。

 

 5年前、俺は16歳だった……。

 (FF7のあの音楽が流れる)

 

 というボケはともかく、当時のぼくは何をしていたかというと、FF13を絶賛プレイ中であった。ジャボテンダーを倒そうとしていたような記憶がある。で、エンディングも見たしくつろぐかと思ってお湯を沸かしてラーメンを食べようとしていた時だった。

 強烈なP波とただならぬ警報の波。その瞬間、かーびぃの脳みそは全力で回転し始めた。それから震度5強相当の地震がやってくるわずか数秒間、ガスを消しやかんをシンクに沈め台所のドアを密封して廊下に立った瞬間に大きな殴るような揺れが襲い掛かってきた。風呂場は密封しておらず、そこに水が溜まっていたのだが、それが大きな波になってバスタブを、浴室を乗り越えて脱衣所を水浸しにした。テレビはかろうじて映っていたが、母親は完全に壊れていた。だから余計にぼくは冷静だったのかもしれない。余談だが、一般的なADHDの人間にありがちだが、ぼくは元来とてもストレスに弱い。なにか気がかりなことがあると全部だめになるし、平均すると月1日は全く使えなくなる日(「エンスト」と呼んでいる。そういう感じになってしまう)が来る。普段死なないのは、感覚を以上に鈍くすることでかなりダメージをサスペンションするように調節してきた成果である。だから、いつのころのぼくを見ていたかでぼくにたいする印象はだいぶ変わってくると思う。大学時代のぼくしか知らない人間はひどく鈍感な人間であるように映ったに違いないが、そうでもしないとまともに動けなかったことによるものである。逆に、その感受性のブレーキが別の部分で弊害をもたらしているし、結局これでも健常に生きることはできていないわけだが、しないよりはマシなのだ。

 で、話を元に戻すと、結局数分後に来た第2波で周辺は電気と水道がストップするし、ガスは止まっているから完全にライフラインがなくなってて、夜になっても電気なんてこないからおびえる母親を横目に冷凍庫が使えなくなるという理由でハーゲンダッツを貪り食っていた。この鈍感ぶりである。

 結局電気は1日程度で回復したように思うが、水道はなかなか回復せず、3週間くらいは水道局のタンク車が近くの公園まで来ていて、そこからありったけのペットボトルを持って行って給水したような記憶がある。電気はつかえるし無洗米なら余裕で炊けるくらいには水資源も余裕があったから、食い物に困るということは全くなかった。印象的だったのは絶交状態だった元カノが連絡を取ってきたことくらいか。彼女はぼくがかーびぃになったこととの因果関係は実はない。ないのかよ。じゃあなんで書いたんだよ。自慢したいだけだよ。誰に。素股で童卒おじさんかな。

 というわけでかーびぃわりとハードに被災してるけど当時の記憶もうほとんどないしなんでかというとぼくが当時かーびぃになったばっかりだからなんだよね。

 

 意味不明なオチっておもしろくない?

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