日本ごうがふかいな協会広報

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ふとよみがえる風景は221B戦記

 どうもかーびぃです。

 

 朝、久しぶりにバスに乗っていたので、どれどれと後輩のブログを覗いていたら、こんな記事を書いていた。

 

tarekune.blog105.fc2.com

 この書き手はぼくの後輩である。必然的であるがぼくの出自もここで特定される。というか、「ひざのうらはやお」名義で活動を始めたのは別に最近でも何でもないし、何を隠そうひざのうらはやおといえば知る人ぞ知る(?)横浜国大文芸サークル「伽藍堂」の2代目代表である。それはぼくのことである。このブログに記述にもある通り、彼(以下、「藤原」とする)の代くらいまではそもそも横浜国大に文芸サークルがあることすら知らないまま漫然と大学生活を過ごしている人間が多数存在しているようなもので、かつその文芸サークルも創始者にして初代代表の趣味が前面に押し出された、いわゆる大学サークルというものとは趣を異にしていた。ぼくはひょんなことから1年の時にこのサークルに出会い、以降真面目に活動をしていたらいつの間にか代表の座を継いでいた。いや、まあ仕切り屋的な意味でリーダー適性があるのがせいぜいぼくくらいだったというのもあるとは思うが、そんなこんなでぼく自身も創始者の趣味を受け継いだまま、サークルを私物化していた。

 その流れを変えたのが、藤原たちであった。

 とまあそんなことはさておき、なんでこんな話を書いたかというと、ぼく自身も小説を書き始めたころからの歩みをここに記しておきたいと思ったのである。随分な寄り道だ。原稿も書けていないのに。

 ぼくが小説を書き始めたのは、実に小学生時代にさかのぼる。ってこれ書いたような気がする。まあいいか。小学生時代、架空戦記物を一人で書いていた。何にかというと塾でもらってくるノートにである。当時、大手塾であるところのNは、「栄冠シール」という冷静に考えるとクッソださいネーミングのチケットがあって、それがテストの成績に応じて配給されたり、講師のさじ加減で小テストや問題演習の優秀者に褒章として配給されたりそういうたぐいのものがあった。で、一定の枚数の栄冠シールとN社特製グッズを引き換えるというまあなんというか教育機関にありがちなシステムであったわけだが、ご多聞に漏れずぼくは知能指数に自信ニキ(IQ108)なので、この栄冠シールを大量に稼ぐことができた。だがしかし、稼いでもほかの物欲有り余る小学生と違い、好感するグッズに全く魅力が感じられなかったぼくは、とりあえずノートと鉛筆をひたすら交換しまくっていた。おかげでN社のノートは十冊以上貰ってるし、鉛筆に至っては未だに使い切れていない。

 で、そのノートの有効活用法を考えた結果であった。もともとぼくはお話を作るのが大好きな人間だったし、おおきくなったら漫画家になってやると思っていた。かーびぃ程度の画力のくせに夢だけは達者である。

 話がそれてしまった。つまるところぼくはかなり前から小説を書いていたことになる。もっとも当時書いていたのは小説というよりは今でいうところのSSに近い形式のもので、地の文がほとんどないタイプだ。ちなみにそのノート、一部は現存するのだが、当時のキャラクターの動かし方から考えるに、どうも小学生時代のぼくは知性あふれるお嬢様系のツンデレが好きだったらしい。なるほど、センスはあまり変わっていない。

 中学に入ってからも、いや、中学に入ってからより小説を書こうという気力は増してきていて、学校の図書館こそ使わなかったものの(今となってはものすごく後悔しているのだが)、なにしろ本を死ぬほど読んだ。年間で4桁はいってたし、今どんなに頑張ったところで当時の読書数を超えることはないし、超えてもいけないと思う。ぼくの願望も、「楽しいおはなしを書くんだ!」から「芥川賞作家や!綿矢りさに続け!」みたいなことを考えていた記憶があるし、読んでいた本も小説は2割くらいで、残りはだいたい新書と科学書だった。とにかく文章力をつけるには何を読めばいいのか、ということをずっと考えながらゲームをしていた。むしろゲームをしていた。

 この「ひざのうらはやお」というペンネームは高校時代からのものである。このころになると、特に友達を作ることを考えていなかったぼくの周りにもそれなりに友達っぽい関係の人間は増えてくるもので、ひょんなことから彼らに乗せられていろいろな小説を書き始めたり、ブログをやっていたりしていた。その時書き上げたのが、ひざのうらはやお名義初の長編小説となる「そして今日もゴンドワナ大陸」である。黒歴史なので特に紹介はしないが、たしかなろうにおいてあったと思う。読まないほうがいいような気もする。

 で、大学に入り文芸活動をする場に悩んでいたら、サークルの創始者である彼岸堂氏に出会い、文芸サークルに本格的に打ち込むことになったのは先ほど述べたとおりである。合同誌の製作や初の個人誌の発表など、普通の字書きと呼ばれるたぐいの同人活動者がなかなか踏み切れないことを、ぼくはサークルという場を借りてさせてもらった。これは今の運営にも生きているし、とても感謝している。とくに、装丁やデザインに関しての参考をもらえたのは大きかった。藤原たちの代は、いろいろと奇跡が重なってそういったことを積極的に始める初めての世代となっていた。今「伽藍堂」はぼくが代表を務めていた当時の面影はほとんどなく、ごくごく普通の、危なげのない、悪く言えばありふれた文芸サークルのひとつとなってしまっているし、それは何より、文芸サークルの存続性を確立しにくかったかの大学としては悲願ともいえるのかもしれない。

 さて、社会人になったぼくは懲りもせずに、その粗削りでギラギラした雰囲気を持つ危なげなユニットを作ろうと画策した(残りのメンバーには言ってないが)。それが現在の「そりゃたいへんだ。」である。まさにそりゃたいへんなメンバーで構成されているこのユニットは、今回も文学フリマ東京に懲りずに参戦する。

 今回は、「カクテル」をテーマに、メンバー有志による寄稿とした。そのため今までの「私立しまりすが丘学園」シリーズとは趣が異なるし、出すも出さないも自由というところから、厚みもややひかえめとなっている。だが、集まってきた原稿はまさしく言語の束縛を生かした自在な表現力に満ち溢れた闊達な作品ばかりで、「そりゃたいへんだ」と言いたくなる代物であるので、お時間のある方はぜひ文学フリマに来てください。という宣伝。

 

 最後に、自分用のメモと所信表明に替えて。

 現在執筆中の短編集「順列からの解放」も新刊として並べる予定です。まだ原稿ほとんどできてないけどなんとかなるっしょ。

 

 というわけで原稿も書かずになにをやっているんだ。