日本ごうがふかいな協会広報

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省力主義者とメンタリティ

 どうもかーびぃです。

 

 ぼくにはいくつかあまり他人には持っていない才能みたいなものがあると自負している。その中のうちの一つが、「包括的な省力のセンス」だと思っている。怠けることにかけては努力を惜しまないし、最小の労力で最大の効果を得ることに関してはこと優れた才能を持っているように思う。立っているものは親だろうが何だろうが使い倒す。それがかーびぃいずむなんぢゃ。できるだけ自分のリソースを削らずに最大限の効果をあげる。これぞ僕の望む生き方である。そう、「できるだけ自分のリソースを削らずに」というところがみそなのだ。充てるリソースと戻ってくる利益が割が合わなかったらすぐに引いてしまうのが悪い癖である。

 この「リソース」というのは、周囲からの評価というものも当てはまる。だから一見無駄な努力に見えることも結構やっているじゃないか、という反論もあるが、ぼくが基本的に仕事(自分のやりたいこと、やるべきこと)以外に取り組んでいることは、仕事への評価に還元されることだけである。一見無駄そうな作業も、たとえば(生産性が全くないと分かっていても)上司からの評価を得ることによって一時的に人事評価が上がるとか、周囲の信頼を得られるということであればぼくは喜んで手を出す。逆に、明らかに合理的な作業方法であっても、その方法を選択することによって評価者だったり周囲だったりの評価が下がると判断できるのであれば、ぼくはそれをしないし、平気でサボる。だいたい勉強をサボるために毎日朝早くから学校に行って精勤賞を取るような人間である。短期的、あるいは中長期的な成長戦略などは、はなから考えていない。むしろ、自分の所持しているリソースをいかに削らないかを最大限に考えて行動しているといえるだろう。

 さて、こういう性格だと困るところがある。簡単に言うと賭け事なんかをやると信じられないくらいぼろ負けしたり、中長期的な戦略を要するゲームには普通に負けてしまうという点である。かーびぃは知能指数に自信ニキなのであるが、いわゆる「頭のいい人が強い」ゲームは好きだけれどとことん弱い。というのはなぜかというと、ゲームに勝つことをそもそも目的としないし、するわけもないからである。逆に、ゲームを通してプレイヤーの人間性だったり価値観だったりをよく見て、それをリアルに反映させていくようなタイプである。今思ったけどこれめちゃくちゃ性格悪そうだな。まあいいか。勝つ必要のないゲームにわざわざ勝つ努力をする必要はないし、負けたからといってリソースを失うわけでもないのに負けない努力をする必要もないというわけだ。

 こういった性格のおかげで(あるいは災いして)、ぼくはADHDとかいう発達障害を生まれながらにして持っていた(かどうかは知らんけど)にしてはそこそこまともな人生を歩めているし、おそらく「勝ち組」にも「負け組」にもくくられず、さほど動きのない、しかしよく見ると(他人からは)不可解な人生を歩むことになるであろうことは想像に難くない。別の言い方をすると「勝負を嫌う」とか「人の前に出たがらない」ということを言われるがどちらも違う。「先頭よりでかい集団の後ろにいたほうが風を防げて楽に走れる」、「人の前に出ると変に狙われるし、なんか抜きんでて強い奴は出る杭として社会に潰させたほうがあとあと楽」ということをいやというほど知っているからそうしている。

 ただ、この生き方は非常にタフなメンタルが必要である。なぜかといえば、価値観が他人と比べるとえらく超越しているため、コミュニケーションをとるのにそもそもかなり高い精神的コストを使用する必要があるからである。どうでもいいことに気を遣う必要が出てくるのだ。これほんとなんとかならねえのかなあって何度も思っているけどまあこういう生き方をしてきてしまったがゆえにそこから最適化されていない部分の能力は非常に低いので仕方がない。そう考えるしかないのだ。

 で、何を書こうとしたんだっけ。