日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

目の前に広がる曇天の行く末を決めるのはほかでもない僕らなのだとしたら

 どうもかーびぃです。口コミだろうがステマだろうが、どんなことであっても発言し続けるということが重要なのではないか。そんな風に最近は思う。土俵の上に最後まで立ち続けられる者だけが先に進むことができる的な。

 

 ぼくの知らないうちにポケモンGOがいろいろなところに波及している。数年前に流行った「セカイカメラ」なんかとはケタが違うAR(拡張現実だったか)を利用したスマホアプリということと、任天堂が満を持してぶち込んできた強烈な大作でスマホゲーム業界は激震しているということはなんとなくわかる。しかしながら、実際にやってみればわかるのだが、技術としてはさほど最先端というわけでもない。それに、想像不可能なほどイノベーションを起こしたわけでもない。だからこそ、ここまで波及しているのだろうと思う。

 いつも思うのだが、この国は基本的にお役所は「事後処理」である。想定されたことに対してはマニュアルができていて、それ通りに行動することばかりを考えていて、対応不可能なことが起きた場合は初動が遅れる。なぜかといえば、不測の事態に対応できる人間と決定権を持っている人間が別のポジションについているというのが主な要因である。現場の人間の中では臨機応変に対応できる人間がきっと少なからずいるのだが、決定権を握っている管理職は必ずしもそうとは言えないのだ。それに初動の遅れと何とも思っていない(機会損失ととらえない=機会費用が損害費用に置き換わりにくいから)ところがある。これは単に役所だけではなくて大企業にもままある体質である。要は時間と経費に関してあんまり関心がないのである。人件費は気にするくせにね。だから規制という手段しか打てないのだ。先回りすればわざわざ禁止や制限をしなくても、流れの中である程度誘導できるものを、そうではなく足並みそろえてよーいどんでやろうとするから、その方向には流れないように規制を敷く必要があるのだ。しかし、規制を出すと、線引きが難しくなる。法の支配というのはそういうものだ。線引きをジャッジする人間が必要になる。そしてたいていの人間はその専門性を自分でもジャッジできると思っている。大きな間違いなのに。

 まあそんなことはともかく、日本から金がなくなっていくのは悲しいことだし、もはや日本企業からも相手にされなくなったこの国はいよいよタイタニック号のように派手に浸水し始めたのかもしれないなどと思っているわけで。

 都知事選までの顛末だってそうである。舛添前知事のちょろまかしたお金の出どころとレベルは、当然褒められるものではないにしろはっきりいって非常にチンケ(まあそれはそれでこの人本当に小物政治家感すげえなとは思ったのだが)で、それを一部の都民とエンタメ性とコンテンツ力を敏感にかぎ取ったハイパーメディアクリエイター的なおじさんたちが寄ってたかって面白おかしくエンターテインメントに仕立て上げながらこき下ろすという、まさに日本にありがちないじめエンターテインメント的なシナリオで引き下ろすと、今度は50億だか100億だかを都の税金をかけてその選挙をするという。これだけでも十分な損害(しかも、損害を被るだけ被った上で生まれた経済効果はまさしくチンケだろうと推察できる)なわけだが、そんな座ったら負けみたいな不安定極まりない都知事の椅子にエリートおじさんならびにスーパーハイスペックおばさんが腰かけるはずもなく、一世一代の大勝負に出るような崖っぷち面白人間ショーみたいになるのはまあもうしょうがない。だってそうさせちゃったんだもん。でもそうさせちゃったのって都民の人じゃないですか。そりゃしょうがない。ある種の自業自得である。「自分は違う」という都民の人もいるかもしれないが、どうにかしてこの流れを変えようともしなかっただけでも十分業を受けざるを得ない気がするぞい。かーびぃは他人に非常にキビシーのだ。意思表明をしないことは、ノイジーマイノリティに味方するのと実質的には同じことなのだ。だからうるさい人間にはちゃんと声で殴る必要があるのである。でなければ本当に死んでしまうぞい。かーびぃくらいの根性ひん曲がった人間になると、「黙ってる人間はみんなぼくの敵である」くらいには思うわけで、でもつまるところ実際そう思われても仕方がないくらいには意思表示をしないことは危険なのである。ダイナマイトを体に巻き付けたまま激戦地を駆け抜けるようなものだ。ただ死にやすいだけではなく、周囲を巻き込むところがえげつない。さらに、この手の人間はそういう状態であることに気づいていないのだ。つまり防衛手段すらない。最悪だ。

 

 めんどくさくなった。