かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

ぼくらはたまたま、死なないように変化しているだけだったことに今気づいた

 どうもかーびぃです。

 

 申し訳ないが、今回はそんなにふざけた記事は書けない。お察しいただきたい。

 代わりに、先日出した裏ベスト短編集「こんにゃくの角で戦う大統領」の巻末に載せた短編「松崎しげるとアイスピックと無能と」と対になるエッセイを以下に書いたので、これで喪に服すことの代わりとさせていただきたい。このエッセイのタイトルはこの記事のタイトルと同名であるので省略する。

 

 

 4月の末だったように思う。ぼくはいつものように近所のショッピングセンターでぶらぶらしていて、その中でペットショップに寄るのが日課だった。猫とハムスターを見るのが好きだったからだ。ハムスターはそれほど高くはないし、いつか飼ってみようと思っていて、その生態を調べたりもしていた。

 そういうわけで、いつものペットショップで珍しくゴールデンハムスターが入荷したとでかでかと、安いポップが掲げられた時にはすこし驚いた。確かにいつも入荷しているのはジャンガリアンばっかりで、ゴールデンがいたら飼おうと思っていたのだけれど、急すぎだし、しかも隣のジャンガリアンは1900円で売られているのにこのゴールデンハムスターは「大特価 1000円」とひどい大安売りっぷりだった。ケージ(今考えると臨時でこさえた水槽に入れてたなそういや)を覗くと、真っ黒などぶねずみみたいなハムスターがちょこちょこと動き回ってえさをかじっていた。なるほどこの色のせいか、と思ってしばらく観察していたのだが、夕方ということもあって(ハムスターは夕方あたりから動きが活発になる)せかせかと動き回っている。

 店員にハムスターをどうやって買うか尋ねたら、いろいろな道具やえさを説明してもらいながら、特に手続きは必要がないと言われた。たぶん飼いたそうな顔をしていたのだろう。それから1時間くらい迷って、全然引き取られそうな気配もないので、その黒いハムスターを飼うことにした。名前は黒いから松崎しげるから名前を取って「しげる」と名付けた。

 GWが終わってからぼくの部署は最繁忙期で、帰宅も深夜0時をまわるなんてことがざらにあった。それでも土日はだいたい休みだったから、しげるの世話をしたり飼育方法を調べたりしていた。いろいろ試して床材をウッドチップにしたりケージの塩素消毒をやったら本気で嚙まれたり、無添加のミックスナッツを買ってあげたり煮干しを食べさせたりしていた。しげるは動物性たんぱく質があまり得意ではないのか、煮干しや卵の白身はほとんど食べなかった。ネットの記事にはあんまりそんなことは書いていなかったので、おそらく個体差なんだろうと思う。朝5時に起きてしげるにペレットと水を与え、支度をして出かけて仕事して、帰ったら回し車を回しているしげるをケージから出して散歩させたりミックスナッツをあげたりしていた。黒大豆(炒ったものだから毒性はないと思って買ってきた)が特にお気に入りで、あげるとすぐに皮をむいて頬袋に詰めていた。買ってきたときはさほど大きいと感じなかったが、しげるは一か月で結構成長したのか、仕事に余裕ができるころになったときにやたら重くなったなと気づいたのだった。

 そのしげるが変化してきたのはほんの2,3週間前くらいからだと思う。体毛の色が少し薄くなり、茶色いぶちが混ざるようになった。しげるじゃないじゃん、とか思った。そして明らかに行動量が減ったのだ。以前は毎朝空になっていた餌の皿が半分くらいしか減っていない。そして巣穴に決めた部屋からあんまり出てこなくなった。動きが鈍くなった。

 おそらく熱中症だろうと思った。ハムスターは高温多湿に非常に弱い生き物だ。身体が小さいから、20度台後半でも熱中症の危険性がある。ぼくはここでエアコンをタイマーで動かすということをしてみた。電気代は思っていた以上に安く、これなら毎日動かしても大丈夫そうだろうと思っていた。痩せていくしげるは、散歩をさせれば軽快に走った。ナッツはそれなりに食べた。一時期抜けていた体毛もだんだん回復していた。

 今朝、明らかに調子が悪いと思った。普段はほとんど巣穴から動かないのにやたら動き回るし、その動きが妙にゆっくりだった。ケージから取り出してみると尻に糞がくっついているし、抵抗もほとんどしない。明らかに体調に異常をきたしている。しかし、外はすでに炎天下で、下手に外に連れ出すのも危険だ。一瞬で死んでしまうだろう。ぼくはそう思って、とにかく身体を拭いてやったり、餌と水を取り替えたり大理石の石の上に寝かせたりして様子を見ていた。

 少し目を離していた間に、巣穴に変な体制で入ったまま動いていない状態になっていた。叩いたり、ゆすったりしても反応はない。ケージを開けて取り出すのも抵抗がない。身体はまだ暖かかったが、呼吸も鼓動もすでに止まっていた。

 時すでに遅しなのか、来るべき時が来たのかは、彼が死んでから4時間以上経った今でもわからない。生きているものの死を身近で見たのはこれが最初だった。だからだろう、ぼくはすごく取り乱している。客観的に見たらおそらく大変な取り乱しようだったのではないかと思う。震災の時ですら極めて冷静に対応したくらいだから。

 

 実は、昨日はサバイバルゲームを一日中やっていた。いつものようにエアコンをかけっぱなしで、水と餌をやってから出かけたのだが、昨日と今日は同じくらい暑かった。昨日ぼくは熱中症になりかけ、倒れこそしなかったが持参した塩飴をほぼ1袋使い切ったし水は4L消費した。それでも頭痛がしたので帰りにしょっぱいラーメンを食べて大量に水を飲んだらなんとかなった。しかし熱中症についての知識がそれほどなければ、頭痛が起きたら頭痛薬で済ましてしまうし、そのまま寝てしまうだろうと思うし、下手をすればぼくはそれがもとで死んでしまうかもしれない。さほど優れた身体を持っているわけではないし、褒められたような生活習慣ではない。ひとたび熱中症にかかれば致命傷を負いかねないことを今日になって思い知らされた挙句、しげるの死に直面した。かれの直接的な死因はどうやら熱中症とは別の原因のようであるが(調べた限りでは)、いずれにしてもぼくらは、死んでいない状態のほうが一般的だと考えているがそれは大きな間違いなのである。生物としては死んでいるほうが一般的で、たまたま何らかの状態がうまくいっているから生きているに過ぎない。卵はゆでればゆで卵になるが、これをいくら温めようが腐るばかりでひなが孵るわけではない。脳髄にアイスピックを突き立てれば簡単に人は死ぬ。そして二度と生きた状態には戻らない。命とは奇跡的な状態の上に成り立つ非日常だ。それを日常と表現することそれ自体が奇跡の上の前提条件のもとに成り立っている。それを考えろというわけではない。ただ、たったひとつの選択――それは、選択しないという選択も含めて――が、様々な生物の状態変化にかかわっているということ、それがひいては自分に回ってくることを改めて考えさせられたというそれだけの話である。

 そうしてぼくは業を背負って、おそらく明日も生き続ける。死ぬ直前になって、おそらくかれの名を思い出すのかもしれない。

 

 弔辞に代えて。