かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

災厄があったときからそこは「被災地」となるが、それを忘れられることによって被災地はそれすらも失う

 どうもかーびぃです。

 

 3ピースバンド、ACIDMANの代表曲に「赤橙(セキトウ)」という曲がある。緩やかなベースとギター、淡々としたドラムに乗せて、だらだらと韻を踏みながら展開されていくイントロからAメロにかけての日常感と、「赤い煉瓦をそっと積み上げて/遠き日の魔法をかけてみる/丸い地球の裏側ならこれで行ける」という積み上げられた希望の実体化にすがるような展開をサビで見せ、連綿と続いていく世界に確かな希望をつなげていく。少しずつ明るくなっていくという努力を放棄してはいけないのだ。健常で社会に勤労する人間であれば、それはほとんど義務に近いくらい重い制約である。それを軽やかに歌いこなす彼らは、この曲以外にも様々な名曲を残している。

 

 そこで、今回ぼくが書くのは、予告通りひとつのシリーズ作品をすべて読み終わったのでその同人誌についての記事である。それは、極限までに我々が居住する日常と、震災という非日常を経験した人々との日常の差異・偏差を切り取りながら、それを壮大なバックグラウンドにしてふたりの登場人物の青春物語へと昇華させているというなかなか見られない小説である。

 

「イリエの情景~被災地散歩めぐり~(全3巻)」

(1巻評点 通読性:18、宇宙感:15、残響度:18、嗜好:5、闇度:B 合計61点)

(2巻評点 通読性:17、宇宙感:17、残響度:19、嗜好:5、闇度:C 合計61点)

(3巻評点 通読性:20、宇宙感:18、残響度:19、嗜好:5、闇度:C 合計65点)

(全巻平均 通読性:18、宇宙感:17、残響度:19、嗜好:5、闇度:C 合計64点)

 

 テキレボ5で隣になって以降、ぼくが行くイベントにはすべて顔を出し、このイリエシリーズを持ち前の営業力で1人でも多くの人に手に取ってもらうように努力し続けていた今田ずんばあらず氏。彼がぼくよりも年下だと知って驚いた。この行動力、とても見習えるようなものですらないのだが、ただあこがれるしかない。

 とまあ、上の評点でわかるように、実はかなり惜しいところで選外になるということを繰り返しているこの作品なのだが、それで済ませるには本当にあまりにも惜しいということで、今回この記事にて紹介させていただく次第である。

 尼崎文学だらけでも1巻を一押しの頒布物として登録しているので、ぼくはこのような推薦文を寄せた。このページの上から3番目の文章である。

http://necotoco.com/nyanc/amabun/recolist.php?name=%E3%81%B2%E3%81%96%E3%81%AE%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%8A

 ここでぼくは、この小説を「震災啓発小説」と題した。これはある意味では間違っていない。だが、すべてを読み終わっとき、ぼくはこの表現が間違っているということに気づかされた。

 これは、確かに震災をバックボーンとして醸成された物語ではあるし、震災を踏まえて変化した東北各地の人々の息遣いを記録するという氏の目的にかなうよう意図的にその体験を再構成したものであることは疑いようがない。しかし、この作品それ自体は「イリエとミツバのふたり旅」についての物語であり、それ以上でも以下でもないのだということに、最終巻にいたってようやく気づかされたのだった。

 ふたりの女子大生が、互いの感性を通して見た経験、その題材として被災地という部隊が選ばれているだけであり、物語の主とされるものはそれではなく、「旅を経てふたりが得られたもの」にあるのだ。第1巻ではあくまで作者の意図をなぞるだけであったふたりが、第2巻から徐々に自我と肉体を持ち始め、最終巻になってようやく作者との第二の邂逅を果たすといったようなギミックがこの物語には取り込まれている。また、最終巻の最後の最後で、これまで前に出てきこそすれ何も語ることなく、終始淡々とふたりを追いかけていただけの「作者」が読者にそのギミックでもって猛烈なカウンターパンチを繰り出す。それは予定調和を期待している依存性の高い読者の意思を粉砕する行為に等しいとぼくは考えているが、これこそが今田ずんばあらずの「本来の作家性」なのではないか、とも考えている。

 そして氏は、あとがきでこうも語っている。「最初からこのような形になるとは思っていなかった」と。書き始めた時から綿密なプロットを立てたならば、おそらくこのようなある種の奇妙な小説にはならず、もっと変わったお役所的な、被災地紹介小説みたいになっていたのではないかなとぼくは思う。しかしながら、本人も語っていた通り、この作品を読んだ感想からまた着想を得て、新たな展開、新たな要素を書き加え、ふたりの物語を強固にしていったとするならば、今田ずんばあらず、どんだけ柔軟で器用な作家なんだ、としか思えないし、この物語を作るその過程こそが、作者性が垣間見えるという意味で非常に「ごうがふかいな」であるといえるだろう。

 

 ちなみに、イリエ完結編はコミティア、そして尼崎文学だらけでも頒布予定とのことだが、コミケでの頒布数が想定外に多かったこともあり、どうやら早くお求めに行かないとゲットできない可能性があるそう。イリエタワーに急げ!

 

 ということで、熱い例外枠の記事でした。

 そろそろ読むお品書きを書くころだな。(全然かけない)