おもちくんのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

滅びの呪文は聞く人間がいないことにはその効力を発揮することはない

 どうもかーびぃです。

 

 さて、引き続いて、2位の作品である。これは正直一番書くのが難しいな、と読んでいるときから思っていて、上位になるのがほぼほぼ確実であったのだが特にあんまり考えることもなく、そのまっま何も考えずに全部読んで行ったらついに2位に残っていたみたいな、そんな感じである。というわけで、難しいながら、ぼくはそれをやってのけたいと思う。どうにかして。

 

 小南泰葉というシンガーソングライターがいる。3位の時に話題にした黒木渚とはだいぶ方向性が違う、ダークな少女性が強い、衝動的な作風である。中でもぼくは「藁人形売りの少女」という曲の物語性と発想の完成度に度肝を抜かれた。小南泰葉といえば「嘘憑きとサルヴァドール」が有名だと思われるが、ぼくとしてはこちらを推したい。ちなみに最近の曲はあんまり知らない。

 

「ミルチリカル」著:泉由良(白昼社)

文体:30 空間:30 (半客観分野:60)

感覚:29 GF:41 (主観分野:70) 闇度:0.492 レート:なし

総合点:130.492(文フリ東京25シーズン 2位 ごうがふかいな賞)

 

 ということで、泉由良氏の作品「ミルチリカル」が見事2位に。とはいえ、過去泉氏は「ウソツキムスメ」で75点を獲得し、記事化されている。のだが、このひとつだけの登録となるためレーティング対象から外れていた、実力があるノンレート伏兵のひとりなのである。同様の事情で実力があると思われながらもレーティングなしの書き手はほかに、遠藤ヒツジ氏(テキレボ6シーズンで75点を獲得)や紺堂カヤ氏(あまぶんシーズンで73点を獲得)などがあげられる。つまるところ本来はあるはずのハンデがないのだから、ある意味記事化は必然だった。

 とまあそんな言い訳はさておき、前作「ウソツキムスメ」よりもハードでより純文学的な印象が強い。少女が少女たり得るための、その記憶を書き留めたもの。この作品を通読して得たものを言葉にするとそんなところだろうか。少女はとしをとって、不可逆な変化をたどって少女ではなくなっていくのだが、抗酸化を試みている何者かによる、自らの少女性を抜け出さないように、社会に溶けださないように全力で保ち続けようとした末に生まれた副産物のような、そんな印象である。だからこれはゴシックでもなく、ロックでもなく、もちろんロリータでもなく、純文学として顕現したのだろう。純文学以外に少女性を保存できるすべがないわけではない。しかし、重要なのはこの少女性というものを保持するためにテキスト、それも純文学というフォーマットを選んだことにあるのではないかと思う。それはもはや、ごうがふかいなという言葉で表せるような、単純な概念ではないだろう(もっとも「ごうがふかいな」という概念自体も複雑で多様性に富んでいるものだが、ここで示されているのはその範疇を大きく超越している、という意味)。

 だからこそ、ぼくはGF点に異例の41という超超高評点を配し、結果的に本シーズンレースの中で「ごうがふかいな賞」を授与するという判断に至った。ここだけの話であるが、そもそも昨ステージにおける一分野25点以上、そして今ステージにおける一分野40点以上の評点は原則として配点しない方針である。50点が形式上の満点であるが、実際は40点を仮想の上限として想定しているという考え方だ。これはなぜかというと、想定していないとんでもない作品が突然現れた時のために予備の配点を残しておかないと、制度上の上限に達してしまう恐れがあるからである。すなわちこの作品に漂っているある種のごうがふかいなは、もはやごうがふかいなという概念を超越した濃度と強度をもって本作品に顕現していると考えられるため、今回特例的に41点としている。だから本作品がごうがふかいな賞になるのは必然といっていい。

 まあ何が言いたいかというとやっぱミルチリカルって滅びの呪文っぽいよねって話だ。

 

 というわけで、言語化に対するハードルが異常に高い本作であった。きちんとできたとは思えないが、それでも全力をつくしたつもりであるという言い訳はしておきます。

 

 ということで、1位はある種の必然。まんまる双璧としてのレートをものともしなかったあの作品です。こうご期待。