日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

明日を夢見て欲に駆られる彼らと空虚な滅びのあいだに

 どうもかーびぃです。急ピッチなのはいつものことである。次に進みたいという焦りもあるが、まずは書ききってしまいたいという思いがある。みなさんは好きに読んでくれればそれでいい。

 

 文フリ東京25シーズンも、残すところ1位の作品を残すだけとなった。すなわちこの記事がそれなのであるが、半年以上をかけてようやくたどり着いたといっても過言ではない。だから余計にせいているのかもしれない。

 

 さて、ぼくがよくマクラとして使用するのでおなじみになってきてしまっている9mm Parabellum Bulletの「バベルのこどもたち」という曲がある。そこまでクサさもなく、激しさもない、9ミリにしては地味な曲調なのだが、しかしそれだけに歌詞のえぐみがすさまじいものがある。

 さて、なぜこの曲をマクラに選んだのか、それはみなさん実際にこの作品を読んで確かめてほしい。

 

「パペット・チルドレン(新装版)」著:咲祈(モラトリアムシェルタ)

文体:30 空間:35 (半客観分野:65)

感覚:33 GF:39 (主観分野:72) 闇度:0.702 レート:7.120(表記:E)

総合点:130.582(文フリ東京25シーズン1位)

 

 ということで、個人的に大本命でもあった師匠こと咲祈氏の新装版「パペット・チルドレン」が7点以上の高ハンデにも関わらずシーズン首位に輝いた。

 ちなみに、本作の旧版に関してもぼくは記事を書いている。

houhounoteiyudetaro.hatenablog.com

 2年半近く前の話、シーズンレースという方式を考え出す前、師匠の作品に触れ始めて、その世界観の荘厳さとそれ故の凄惨さに魅了された頃に書いたもので、随分と直球ではあるが言語化に苦労しているさまが読み取れる。

 それはさておき、つまるところ今回で同一の小説について2回記事が書かれるという異例の事態になったわけだが、それもそのはず、この新装版では旧版と表紙以外でもだいぶ異なった印象を持ったからであり、また、シーズンレースに乗ってきた場合のこの作品がどれくらいの位置にあるのかを自分で測りたいとも思っていたからで、まあ、ある種の必然ではないかなと思う。

 旧版から新装版にするにあたって、おそらく装丁以外に本文にも若干の修正を加えたのではないかと思う(もし違っていたらぼくの記憶違いになるが……)。というのは、旧版にあったストーリーテリングの若干のもたつき(ぼくはこれはこれで雑味として消費したのであるが)が完全に姿を消し、一縷の隙も存在しないほどに、より完成度の高い作品となっている。主人公たちは、身体を改造して人知を超える力を持つことで兵器と化した少年少女たちなのであるが、その主な任務というのが、旧世代の彼らを見つけ出して始末することであるというのが本作のごうがふかいなポイントであり、軸となる部分だ。

 ここで、一部のコアなかーびぃファンのみなさんはお気づきだろう。この構図が、拙著「V~requiem~」と全く同じであるのだ。いや、あのパクったわけじゃなくて、書いてから同じであることに気が付いちゃったパターン。これのみならず、Vは咲祈作品の影響を非常に強く受けており、師匠に出会わなければ完成しなかったといっても過言ではない。

 同じ同じと騒いでいてもしょうがないので、全然違う部分についても述べたい。この作品は、咲祈作品全体を貫通しているテーマのひとつ、「おとなとこども」の対立が非常に象徴的に描かれている。人間社会を維持するために心血を注ぐ「おとな」と、信念的な正しさと、自らの存在を守るために声をあげようとする「こども」の対比と対立、からのカタルシスは非常に強烈で、師匠の作品の中でもこれが最も色濃く、かつ、正面から描かれているのが本作であるといえる。(とはいえ、まだぼくは2作品ほどたどり着いていないものがあるのだが……)そこがまさに咲祈氏の作者性、すなわちごうがふかいなの部分である。前述したごうがふかいなポイントというのはそういう意味である。

 ちなみに、新装版になったことで、師匠自らが描かれた表紙ではなく、より師匠の意匠に近づいた表紙になっており、また章立てのレイアウトも一新されていて、全体的に読みやすさが大きく向上しているということは付け加えたい。

 

 ぼく自身、師匠のような美しいファンタジーを書くことを目指して活動を続けてきているというところもある。しかしながら、ぼくにはその才というものが実はあまりないということにも自覚的で、それは「V」を書いたあたりから感じてきたことであった。ぼくにとっては少なくとも、「V」を超えるものを作ることは当面難しいと考えている。目の前に広がる師匠の作品の確固たる世界観や、その筆致の進化などを見ていると、ひとには向き不向きというものがあるし、好きであることが必ずしも向いていることではないのだ。そこは、どこかで諦めなくてはならない部分でもあるのだろう。

 

 とにかく言いたいのは、師匠の作品と9ミリの曲の親和性が高いのは先回お知らせしたところであるが、この「バベルのこどもたち」もナバトレ(マクラ曲:光の雨が降る夜に)と同じくらい親和性が高いのではないかと勝手に思っている。ま、それは個人の意見ということで。いや全部個人の意見だけど。

 

 ということで、文フリ東京25シーズンを制したのは、やはり師匠、咲祈氏の作品であった。しかし、書き手レーティング制度があったことにより、上位が予想外の接戦を見せたことは面白い。今後も誠実に評点化しながら、シーズンレースを続けていきたい。