日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

文学フリマのはなし

 今回は、ぼくが普段(というと、すこし語弊があるかもしれないけれど、恒常的に出ているという意味で)出ている「文フリ」こと、文学フリマについて、考えていることをつらつらと書き出していこうと思う。

 

 文学フリマとは、「己が文学と信ずるもの」を売る即売会形式のイベントだ。それは多くが同人誌と呼ばれるもので、その中でも小説中心のものが大半を占めている。文学と信ずるもの、という定義に則った結果そうなるのは当たり前のことであるが、漫画や音楽にも文学性があるし、事実頒布したとしても特に何も言われないはずである。もちろん、音楽であれば試聴環境として周辺に配慮したりしなくてはならないという意味では「フェア」ではないが、あってもいいなと思うし、事実、ちょこちょこ見かけるようになった。

 ぼくがなぜ文フリについて書こうと思ったかというと、先日の広報活動についてと同様、思ったことをそのまま書きたかったということと、ぼくが文フリについて書くことで、実は文フリのことをよく知らない層が遊びに来てくれるのではないかという一種のスケベ心からというのがその実態である。ぼくのツイッターのフォロワーや現実世界で交流のあるひとたちは、実は文フリからは縁遠いようなひとたちもかなりいる。文芸創作同人界隈にずぶりと入り込んでいったのはここ2,3年の話で、それまでは所属サークルの力だけで頒布を行っていたので、10年近くやっているツイッターの中でも界隈のフォロワーはどちらかというと新参なのである。そして、このブログはフォロワー以外のひとびとも気兼ねなく読むことが出来る。そういったひとたちが、少しでも多く文フリについて知ることが出来たらいいなと思うわけである。

 

 文フリ、実は様々な都市で行われている。文学フリマ百都市構想として掲げられるほど、その範囲は拡大し続けている。最も大きく、最初から行われているのが東京であるが、これ以外に、大阪、京都、福岡、金沢、岩手、札幌、前橋が行われ、来年2月には広島でも行われる。ぼくはここ2年で上記都市の文フリにすべて参加した。いわば全国制覇サークルのうちのひとつだ。もっとも、全国制覇した他のサークルはきっと巨大な規模を誇るものや、何百部も累積頒布部数があるようなベストセラー(小説本の世界では、50部でもかなりの売り上げだし、3ケタを出せる作品はかなり少ない)があるような新進気鋭のサークルばかりで、とくに取り立てたフラッグシップもなければ実績も薄い、いわば何の変哲もないようなサークルはきっとぼくのところくらいなのだろうと思う。

 ところで、サークルとは何か、同人をやらない人に軽く解説したい。ぼくのようにひとりでもサークルとして屋号ないしはそれに準ずるものを登録して即売会に参加することがほとんどであるが、これは、同人誌を売ることを「販売」ではなく「頒布」という文化と根本を同じくしている。すなわち、サークルのメンバーに実費相当分をもって作品を「分け与える」から「頒布」という言い方をするのだし、「同人誌」というのは狭義ではサークルの構成員でなくては手に入れることが出来ないものを指すのだ。一時的にサークルの構成員となる必要があるから、その実費相当分を負担しますよ、というのが同人誌を「もらう」という言い方に現れる。なぜそうなっているのかというと、その点は同人活動5年程度のぼくにはあまりよくわかっていないところが多いのだが、企業、つまり商業的活動とは目的を異にしているという部分からきているのだろうなと考えている。利潤追求をしてはいけない、というルールのもとで活動が行われており、だからこそ様々なグレーゾーンを潜り抜けてこられたのだろう、と概略から推測するとこんな感じである。だからおそらく正確でない部分がかなりあるが、その点はご容赦いただきたい。だから、たいていの書き手は「サークル」を持っている。それが複数人であろうが、個人であろうが、屋号のようなものとして持っておく必要があるのである。

 とはいえ、近年その意識が薄まっているように思う。かくいうぼくも、最初に文フリに登場したときは、「ひざのうらはやお」でサークル名を登録していた。いわばペンネームのみの屋号なしである。どちらにせよ、自分で綴ったものをブースを借りて、そこで手売りするのが即売会であり、文芸系が主力の即売会イベントで最大の規模を誇るのが文学フリマなのである。

 

 もう来週末になってしまったが、来る11月25日(日)には、東京流通センターにて「第二十七回文学フリマ東京」が開催される。これは過去の文学フリマの中でも最大といえる規模で、文芸系を中心としたサークルが1000前後集結するものだ。

 そのサークルで共通しているのは、「己が文学と信ずるもの」を売っているということ以外にないので、その形態はさまざまである。小説はもちろんのこと、詩歌や評論はもとより、漫画もあるし、「詩作したものに曲をつけた」という意味で音楽も普通に出されている。それ以外にも、写真とことばの融合というかたちで詩と写真集を一体化させたものや、一見作品とは思えないような見た目のものがあったり、創作形態が多岐にわたるのだということを思い知らされるような場であるのは確かだ。そのクオリティも高いものはプロの作品を圧倒するものがあるし、大学の文芸サークルや高校の文芸部なんかもいるし、かつては駅前や繁華街で詩を売り歩いていたのだろうなあ、というような年季の入ったひとも見かける。それが一堂に会するというところが文学フリマの面白いところでもあり、脅威でもある。そこに内包されているのは、まさに多様性であるが、かれらはみな己の中に文学を抱えているという意味では画一であるともいえる。多様性が尊重されるには、秩序がなければならず、それが文フリにおいては文学というアイコンに収斂されているのだ。これが文フリの最大の特徴である。いわば東京から「のれんわけ」されたように開催される地方都市の文フリでも、この点は同じである。

 

 だからこそぼくは、書き手だけでなく、すべての表現創作者や、文学というものを意識しているひとたちに遊びに来て欲しいと思っている。「お高くとまっている」「内輪」などという声も耳にするが、もはやそれが批判にあたらないほど規模が大きくなっていると感じている。そういう雑言を投げつけるようなひとこそ、その景色を見てほしい。そして、できればぼくと同じように全国の景色を比べてほしい。地方都市の文フリは、その都市ならではの「くせ」があるから、それを見に行って欲しい。

 各都市のくせ、については、またまとめるべき時にまとめたいと思う。

 

 というわけで、次回の文フリ東京には、D-02「ごうがふかいなHD」にてお待ちしております。当日は新刊となるスチームパンク浦安小説集「煤煙~浦安八景~」ほか、フューチャーファンタジー、現代ファンタジーなどの長編や短編集、エッセイ集など様々なものを取り揃えておりますので、ぜひ。事務所受付の真裏、入り口すぐのところに配置されています。すぐ見つかると思うので。