ひざのうらはやおのメモ帳

サイコパスクソメガネが祈る墓標みたいなやつ

改元と令和とイクリプス、だから革命は融解する

 どうも、ひざのうらはやおです。

 今日は本当に書きたいことだけをひたすら並べていくだけの記事。ゆえになにも言いたいことはない。リハビリである。

 

 銀座伊東屋で買った万年筆のクリーニング券の期限が切れそうだったので、出張の帰りに寄ってきた。1時間ほどでできるらしい。ついでにインクフロー面で調子の悪いプラチナセンチュリー#3776(シャルトルブルー)を見てもらったらなぜかすこぶる調子が良くて、販売員のお姉さんとふたりして「調子がいいですね」「普段はどんな紙に筆記してますか」「わら半紙ですね」「あーそのせいかもしれませんね」みたいな会話をしながら結局インクフローに問題は見られなかった。ぼくの扱いが悪いのかもしれないと思った。というのは、出張の仕事の最中にペン先と首軸の角度が曲がったものがあったからだ。書けることは書けるが、やはり長く書くとフローに難が出る。そしてこのような万年筆は初めてではなかった。

 うまれつき死ぬほど不器用で母親はよく笑っていたが、おそらくは何を扱うにもその調子で、やはりぼくはひととしてだいぶ不完全なまま生まれてきたんだなあと感じた。

 

 文學界新人賞が発表された。先日、拙作「猫にコンドーム」が箸にも棒にもかからなかったことはお知らせしたところだ。受賞者はふたりいたのだが、そのうちのひとりの年齢に驚いた。ぼくより若かった。

 ぼくは勝手に、というかイベントに出始めてからずっと、若手も若手、最若手であるという認識の元、いろいろなことを試したりいろいろな作戦を立案したりして、それをやったりやらなかったりしてきた。もちろん、ぼくは平成初頭の生まれで、つまりまだ二十代ではあるし、イベントに出てみればもちろん若手に属することは疑いようもないのではあるが、しかし、受賞した彼女がぼくよりも年下だったことに非常に衝撃を受けた。これがライトノベルの新人賞であれば、さほど衝撃を受けないばかりか、むしろ当然のこととして受け入れられたのだろうが、文學界という、純文学の中枢にほど近い雑誌の新人賞で、平成生まれの書き手が普通に、このお堅いイメージがある賞をとれるということに衝撃を受けたことそのものがより衝撃的だった。つまりぼくは、所詮新人賞なんてとれるはずがないと心のどこかで思っていて、それでもなおアタックを試みていたということに他ならないし、おそらく「猫コン」のどこかにそんな慢心未満のできそこないの雑な意思が隠れていなかったとは言い切れないだろう。そしてさらに、ぼくは心のどこかで「今は自分の満足する小説を書けていないけれど、いつかは書けるようになるし、そのためにひたすら修行を重ねていくしかないのだ」というある種の前時代的な、ぼく自身の文芸的な才能を過信しすぎているとも言うべき自らの小説観を再確認してしまったことが、なによりも衝撃的だったし、書けなくなってしかるべきであると思った。

 書き手界隈にあるあるなのかどうかはわからないが、ぼくは自分の小説にそこまでの(この「そこまでの」というのはほかの書き手界隈の人間に比べて、の意であるととってもらって構わない)プライドがない。多くの方には非常にプライドがあるように映っているだろうし、そうであることを期待しているが、それはもちろん、あるように見せかけているだけに過ぎない。この「見せかけている」という手法をぼくは非常に多く用いる。用いるところからして、自分に自信がないというのは明白である。さらにいえばここでこうして「本心を吐露している」ふうを装ってはいるがそれだって見せかけに過ぎない。こうして日本語で整理された感情などすべてが精緻に作り込まれたぼく自身のいわゆる「肖像」であり、それはぼくを写実的に写し取ってはいるものの、ひるがえって内面を写し取ることはおそらく不可能である。生まれつきずっと嘘ばかりついてきたし、時には嘘をついているという自覚すらないまま嘘をつき続けているので、ついた嘘など覚えているわけもないのだが、ただわかるのはパスカルよろしく「ぼくがうそつきである」ということは事実であるということだけなのだ。つまるところ、ぼくは自分の小説を頒布し、あまつさえより多くの人間に読んで欲しいと願っている(正確に言えばそれすらも本当かどうかは定かではないし、多分本当ではないという自覚がある)ので、その目的を達成するために、自分の小説にプライドがある、という風を意地でも装わなくてはならないと思っているし、実際同人活動において、それは実績という目に見える、持続可能な活動計画を考えていくうえで重要な数字を考えるうえで非常に避けて通れない部分であったので、そうであるように装い続けただけである。

 だからこそ、研鑽に研鑽を重ね、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び書きがたきを書き、春のそよ風や夏の蒸したアスファルトの匂い、秋の妙に青い空や冬の夜に飲むミルクの味をどのように小説に落とし込んでいくのかということを、もう人生の半分以上ずっとずっと、時に真面目に時に狂気に囚われながら考え続けてきた。だから、自分よりも年下の、平成生まれの書き手が、ぼくの最も書き慣れている純文学という戦場で旗をあげられたのは、希望というよりかはむしろ、始まってもいないぼくの「平成」が終わりを迎えようとしているように感じたのかもしれない。

 今回、第二十八回文学フリマ東京(令和元年5月6日開催予定、東京流通センター)、すなわちぼくの休止前最後のイベントにおいて、奇しくも最後の作品となってしまった新刊「平成バッドエンド」は、これも不本意ながら、ぼくが生き抜き戦い抜き、マジョリティすべてにアイスピックをぶっ刺しつづけてきた結果の集大成になってしまった。生きるために小説を書いてきた(それは生きるために小説を書いてきたという意味ではなく、結果的にそうなってしまったという意味である。あしからず)ぼくは、小説にその意義を殺され、小説を書くことが出来なくなってしまった。それはぼく自身のこれまでの半生をほぼすべて否定されたことに等しい。小説を書く以外のぼくの人生は、正味のところそれはぼくの人生ではないように感じてきたし、今もそう思っている。けれどぼくは小説を愛していたわけではもちろんなかったし、小説に愛されていたわけでもなかった。だからぼくは小説に小説を殺されてしまった。その凄惨なる殺人現場、そのものがこの「平成バッドエンド」には収められている。おそらく、気づく人は少ないと思いたいが。

 この「平成バッドエンド」の後に、ぼくはどうしても書かないといけない、自分の悪感情をすべて見えるように処理した、いわば下水処理場を通過した後の水のような私小説檸檬の墓標」を書こうと思っていた。その冒頭の文に「芥川賞を取らなくてはならないとずっと思っていた」という風に書いている。これは嘘でも何でもなく、本当につい最近までぼくは本当に芥川賞を人生のどこかで取らなくてはならないと思っていた。しかし、取らなくてもいいこと、そしてそれを認めるということは、ぼくは芥川賞をとれるような小説のスキルは持ち合わせていないし、今後得る見込みもないということを認めること、受け入れることとほぼ同値だった。今でもまだ受け入れ切れていないところはあるが、それでも半年前よりは、だいぶ諦めはじめている。良くも悪くも。

 ひとは思考が硬直したその時から急速に老化をはじめる。ぼくの思考もかなりの硬直性が見られるようになってきたから、本当に書き手としての死は近いのかもしれない。

 けれど、だからこそ、あがくのだ。

 ぼくは自身の人生になにも価値がないと思っているし、価値それ自体は社会が作り出すものであると考えているので、価値があがったりさがったりすることにいちいち考えているのは不毛であると考えている。つまり、生きる価値が存在しないので、当然に死ぬ価値すらも存在しないという逆説だけでぼくは三十年近くも生き続けてきた。そしておそらくこのまま、身体が限界になるまで愚直に生き続けるのだろうと思う。そのためには死ぬまで小説を書き続けていなくてはならない。ぼくにとって小説を書くことは生きることとほぼ同義なのだ。社会への恭順と反抗、それ自体を同時にやっていかなければぼくは精神の均衡を保つことが出来ない。現実世界で犯罪を犯す代替行為として小説を書いてきた。だから小説を書かないということは、社会それ自体に反旗を翻し自身の身体と周囲のコミュニティの存亡を危機的状況に曝す行為そのものである。つまりぼくの小説を書くという行為はそれ自体が社会的に価値があるとみなせる。あくまで主観的であるが、ぼくの小説を書く動機の8割ほどがそれである。だからぼくは根源的に、他者のことばで小説を書こうとするひとを好きになることが出来ない。これは病理のようなものだ。実際は他者のことばでなくては小説など書けるはずがないというのに、しかし明らかに他者のことばで語られた、つまりその人間が自分で考えだした末に綴られたものでなく、ひとのことばをうのみにしてそのまま出したような表現をぼくはあまり好まない。これはぼくの病理であるので共感を求めない。それにその基準は極めてあいまいで主観的だ。つまり気に食わないということの婉曲的表現以上の何物でもない。けれど、動機がなんであれ、小説を書くということは、自分の考えたことばで、けれどそれが自分じゃない人間にもわかるように、自己と他者の重心をとって翻訳された、だれのものでもないことばを使うのがきっと最適であるとどこかで思っている。そして、明らかにそうでないものに関して、ぼくは非常に怒りを覚える。シーズンレースをやっていくなかで、そういった作品に触れることも実は少なくなかった。というより、むしろ、そういった作品のほうがむしろ多数派であったようにも感じる。つまり、これはぼくと他者との断絶を意味していて、ぼくのいう小説と他の書き手がいう小説というのは似て非なる、何か違うもののことであるようだし、郷に入っては郷に従えということばがあるように、ぼくは自己の定義を拡張して考えてきた。そうしてたくさんの書き手のたくさんの作品を読んでいく中で、上記のような作品に出合うこともあれば、じぶんの言葉を綿密に誠実に洗い出すような凄まじいものにも出合った。まだ終わっていないが、ぼく自身の小説を研鑽するという意味合いで、おそらく非常に大きな役割を果たしていたのがこのシーズンレースではないかと思う。

 

 ぼくはぼくの知性の低さに絶望して、自分の小説を殺してしまった。だからぼくはぼく自身の剛性と愚鈍さをもって、再度、別の次元から、別の切り口から小説を作りたいと考えている。そういうわけで、復帰する日を暗に定め、その日に向かって課題となる作品を3つ考えた。この日までにすべての初稿が完成しなければ、ぼくは書き手をあきらめ、ひざのうらはやおとして生きることを諦めなくてはならないと思うし、そうする決断をするだけに十分な証拠になると考えている。

 ぼくはぼくの小説でだれかに革命を起こさせられると考えていた。

 最後に、今は活動を休止してしまった、黒木渚というシンガーソングライターの「革命」という曲の好きな歌詞の部分を引用して、何もまとまっていない駄文を終わらせようと思う。

 

 最後の最後でロザリオに奇跡など望んでしまえば

 最後の最後であきらめた自分の罪を知る

――黒木渚「革命」より