日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

世界の終わりが明日だとしても

 どうもかーびぃです。

 

 ようやっと、仕事ができそうなメンタルにもどってきたぞい。昨日あたりが一番ひどかったと思う。いい具合に明日は精神科に行く日だった。さっきまで忘れてた。何がいい具合なのかよくわからないけど。

 

 ぼくは昔合唱団にいたことがある。その中で、一番最初に歌うことになった曲集が「寺山修司の6つのうた」であった。今から考えると難易度的にかなりヘビーだ。そもそも合唱に入門する人間が信長貴富作曲の曲集を全部やること自体かなりチャレンジングである。なんてことに当時は気づくはずもなく、なかなかはまらない和音や見当違いの音を出す同期(新入生)やちょっとピッチが下がると殴ってくる先輩などなど、非常に楽しい練習を積みに積みまくって、まあなんとか形にはなったのではないだろうかという程度のクオリティにはなった。当時の学生指揮者の先輩、とその代の人たちはとにかく音楽の追求に熱心で、ぼくたち当時の新入生にもそれを強く求める傾向があった。いうなれば真面目な合唱団だし、当時はそれが普通であった。だがぼくの代は最初入団届を提出したのが14人いたのに対し、最後に残ったのはたった7人だった。生存率50%。高いのか低いのかわからないが、女子メンバーだけやたらに減っていった理由を追求し、再発を防ぐように努めたことはおそらくあまり知られていないし、ぼく自身としても知ってほしくないし、知ったところでどうにかなるようなものではない。

 その、「寺山修司の6つのうた」の終曲に当たるのが「種子(たね)」という曲で、幻想的なイントロと情感豊かな掛け合い、ドラマチックなサビ(とは言わないだろうけど)、そして終曲にふさわしいアウトロというまさに曲集でいうところの「ラスボス」感がそこはかとなくひしめいている曲でありながら、寺山修司感をばりばりと出している雰囲気がとても印象的である。

 

 そんな、寺山修司を彷彿とさせつつ、ファンタジーをふんだんに盛り込んだ同人誌を読み直した(唐突)。

 この流れどこかで読んだことあるな、と思った読者のみんな、そういうことだよ。

houhounoteiyudetaro.hatenablog.com

 何か批評をしないと自分が(無意識に)磨いてきた批評力が下がると思って休んでいる間にぱらっと読み直した。一回読んだものはそんなに忘れないので、何度も読む必要は実はなかったわけだが、ある程度批評をするとなるとまた読み直す、くらいのことをしておかないと失礼だと思った。

 

 つーわけで、リンク先と同じく、咲折先生の「パペット・チルドレン」について批評を試みたい。

 この作品は、タイトル通りで「人形」と「こども」をモチーフとし、物語の核心へとすえている。作品中に登場する他のモチーフ、例えば「兵器」「繭」「天使」などはすべて上記2つのワードから派生した、いわば隠喩にすぎない。そういった部分では、「空人の國」や「匣ノ街」と比べるとかなり直球、趣味一直線といった趣きがあり、ぼくとしては一番最初に「パペット・チルドレン」を読めば咲折さんとの相性はだいたいわかるのではないかと思う。もっともそれは危険な賭けともいえる。彼女の武器は直刃の日本刀のような鋭さと冷たさとしなやかさを併せ持つ豪胆な文体である。本作品ではそれがあらゆる意味で如何なく発揮されているといえる。そのため、どちらかというと読む人を分けうる作品になるからだ。この人の出す本にはすべて手加減というものがないところが、非常に好きなところなのだが、こと「パペット・チルドレン」においては、手加減のなさが段違いというか、誤解を恐れない表現をするのであれば、「刀を抜く前から圧倒的な殺気を放っており、こちらが何かをする前に抜刀し両断されるほどの居合」のようなレベルであり、遊びが全くない。

 逆に、そのインパクトが強すぎて持っている技術を感じにくい作品ともいえる。単純に物語としてであれば、「匣ノ街」が最も読みやすいと思う。

 さすがに同じ書き手に対して2作目の批評ともなると、書くことが増えない。のでこの辺で終わりにしようと思う。

 

 ぼくも長編が書きたいなあ。