日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

誰も触れない国、そこにあるのはノーバディってか

 どうもかーびぃです。前置きはともかく、ようやく文学フリマ東京24シーズンの評点が出そろった。ということで、惜しくも選外になってしまったまとめシリーズも最終版である。なんだか結構心待ちにしてくれている人がいるようでなによりだが、それでぼくのスタンスが変わるということはない。あくまでフェアを装いつづけるスタイルだ。

 

 「スピッツ ハチミツトリビュート」著:須田英太郎ほか10名

 スピッツの名盤「ハチミツ」の中の11曲にちなんで、11人の創作者たちがそれぞれの曲にちなんだ作品をつなぎ合わせたもの。

 ちょっと心を落ち着かせるために一言。

「おま!!!!!!!!おいおま!!!!!!!!!!!!これ、同人のレベルちゃうやん!!!!!!!!!!!!!エグっ!!!!!!!!!!!!!!!!!エグすぎか!!!!!!!!!!!!!!!エグすぎ晋作か!!!!!!!!!!」

 はい。

 はい、というわけで、このアルバム、もとい合同誌、何がすごいかっていうと、同人でしかなしえないことなのに、そのクオリティも求心力も、さらには商業性すらも、もはや同人という枠組みを超えつつあるというおそろしい代物なんです。

 具体的に言うと、もう巻頭の「ハチミツ」(そにっくなーす)がすごい。三並夏の「平成マシンガンズ」がかーびぃ氏大好きなんですけど、そのマシンガンの銃弾が全部ヴェルタースオリジナルで、痛いのかかゆいのかよくわかんないような弾幕に気を取られているとハーレークィンの恰好したトミーヘヴンリーコスのJDがロリポップキャンディのバット持ってぶん殴ってくる感じの。全盛期のスピードワゴン小沢さんを彷彿とさせる薄い甘さと生殺しの殴打。もうなんぢゃこらですよ。正直これ一本でもう十分すぎるくらいなんですけど、その次の「自転する者」(須田英太郎)(原曲名「波がキラリ☆」)もすごい。原曲聞きながら読むと、その間に小説を読み切ってしまうし、原曲の切なさやきらきらとした輝きが本当にそのまま、小説という形にきっちり反映されて卸されているという。これもなんぢゃこらですよ。なんちゅう微分関数使ってんだって話ですよ。それ以降も怒涛のラインナップ、もう甲子園だったら4番のピッチャーみたいな力のある人ばっかりだし、しかもみんな打順をわきまえて大人のプレーしよるんです。これ以降はもう読んで確かめてくださいその強さを、力を、そして同人世界の広さを奥深さを。ほんともうずるい、ずるい以上の言葉が出ないです。単純なクオリティでいうならばたぶん80点超えてるようなものなんですけど、じゃあなんで今回選外だったのか。理由はたったひとつ。

「ごうがふかいな」がどこにもないんですよ。いや、あるにはあるんですけど、弱すぎる。それは前述した同人としての枠を超えつつあるというところともリンクしていて、お互いがお互いの「ごうがふかいな」を見事に打ち消しあい、まったくもってすごい本になってしまったというそれだけのことです。同人誌としては完成されすぎている。ぼくは千利休的わびさびわさび大好きおじさんなので。

 ちなみにスピッツは「空も飛べるはず」のころから聞いてるんですけど、個人的に「ロビンソン」がめっちゃ好きで、それをモチーフにした「川べりのフライデー」(オカワダアキナ)もすんばらしい話です。精緻な技術力が輝くウルトラソウルみたいな感じのやつです。

 ピロウズトリビュートか9ミリトリビュートやってみてえ。キンショートリビュートでもいいよ。ガンガン寄稿していきたいですね。

 

「神娼と聖剣士」著:鹿紙路(鹿紙路)

 鹿さんの2冊目。帯もよく読まず表紙だけ見て面白そう(=高ごうがふかいなを感じた)と思ったから手に取ったわけだが、鹿紙さんが「それほぼほぼ致してるやつなんですけど大丈夫ですか?」って聞いてきたので、「あっBLかな」と思って「(別にファンタジーだと思ってるんで)大丈夫です」って言ってもらってきたやつ。

 あの、BLだと思ったら帯に(異性・同性同士・三人以上の性描写を多く含みます)ってちゃんと注意書きしてあったんですけど、ぼくはそんなことに気づきもせず、カバーをかけていつもの喫茶店でですね、読んでたんですよ。

 結論から言うとスーパーサイヤ人ってこういう感覚なのかなみたいな。そういう感じでしたね。

 何が言いたいかというと、BLかと思ったら残念、お手製フランス書院文庫(しかも盛り合わせ系のどエロのやつ)でしたーーーー!!!!!みたいなトリックをまともに食らったということで。皆さんもお求めの際はお気を付けください。表紙の5億倍くらい描写が妖しいです。ド直球だし絵面が快楽天にたまに載ってそうなファンタジー系統のやつみたいな感じです。あ、触手ものはかろうじてなかった。かろうじて。逆に言うとそれ以外は全部あります。ラーメン二郎で全マシしてる感じです。

 いやーーーーーーーかーびぃ氏も黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子と初めて致した時の感覚が忘れられず悶々とする人生を送りたかったーーーーーーーーーー。

 なんだこの締め。

 

「Sketch」著:木の葉スケッチ(木の葉スケッチ)

 毎度おなじみ木の葉スケッチの最新作。A5サイズにパワーアップし、並々ならぬ分量で攻めの姿勢を見せる。表紙の絵柄といい、このサークルにはあまりとげとげしい攻めというものは似合わないように感じているのだが、おそらく代表の転枝(ころえだ)さんの意図が強いのかもしれない、などと思う。

 合同誌というものは、みんなでページを埋められるので分量を稼げるし、みんなで作業や負担を分担すれば製作のハードルはかなり下がる、という利点がある。だが、その反面、個人誌以上に繊細な部分というものが多々あり、中でも読者に最も見えやすいのが、段組みと掲載順であろうと思われる。今回の合同誌は前回までとほぼ同様の掲載順(作家が)であり、それはある種の攻め、ではあるものの、合同誌としてすべての作品を読者に読んでもらうという目的から考えると必ずしもベターといえる順序ではないのではないか、という風に少し考えた。というのも、巻頭を飾る「灯色の風景」(転枝)とそれ以外とで、明らかに纏う雰囲気が異なってしまっており、作品同士のゆるやかなつながりが完全に断たれているように感じたからだ。次の「蛇の欠落」(鎌形霧彦)への切り替えがものすごく難しい。もうひとつ飛ばして「報復制度」(七氏野)へと行こうとするとさらに切り替えが難しくなる――というように泥沼にはまり、かーびぃ氏も途中で放り出してしまおうかと思ったくらい。どの作品も結成当時やその後の作品と比べると一線を画すような新たな境地へと踏み出すものが多かっただけに、残念に思えた。特に、「灯色の風景」は本人が傑作と豪語するだけのことはあるくらいに丁寧に構築され、登場人物の感情の動きが前作に比して格段に滑らかに、わかりやすく、それでいて理由のあるものになっているところが転枝氏の本来の持ち味を最大限に生かしているし、その哲学性も垣間見えるようなものにもなっていた。今後、合同誌を出したり、また出された合同誌を読んでいく中でも、この合同誌に巡り合えたことは、非常に意義があったように思った。

 

「イリエの情景2 ~被災地さんぽめぐり~」著:今田ずんばあらず(ドジョウ街道宿場町)

 ずんばニキこと今田ずんばあらず氏のイリエシリーズ2巻。本来、シリーズものはすべて読み切って初めて評点をつける方式なのだが、このシリーズに関してはそれが確定する前に1巻の評点を行ってしまったので、暫定的に評点をつけることとし、さらにここで感想も述べることにした。今決めた。

 少し違う話をしたい。

 ぼくが前職の新人研修で、社長の講話を傾聴する時間があった。社長は「ニセモノのホンモノを作る。それが我々の究極の仕事だ」と語った。ぼくはそれが何を示しているのか、当時は判らなかった。

 さて、この小説は、イリエとミツバの二人が、被災地をめぐってそこで暮らす様々な人に会っていく中で、お互いの関係や心情の変化や成長などを描いていくという被災地青春ロードムービーという体であるが、ぼくからすれば、ルポルタージュでもなければエンターテイメントでもない、いわば被災地における実情、その情緒や景観をすべてまるごと、ずんば氏の五感で記憶されたものが、この二人の女子大生という変則的な語り部、ないしは架空の体験者をおいて「ニセモノのホンモノ」という、ホンモノ(史実)以上に我々に語り掛けることのできるニセモノ(創作)を構築しようとしている、つまるところ被災地啓発小説、とでも銘打つべきものではないかと思う。おそらく、その哲学は氏自身も描いており、というかまさに、この本の中に出てくる「ヘドロまみれの炊飯器」のエピソードにそれが直球で示されている。

 この小説をひっさげて、全国各地のイベントに出場し、かなり多くの数を頒布している氏は、被災地啓発という分野においては、無視できる存在では、すくなくともないと思う。それは多くの人間がライフワークにしようとしてあきらめたことでもある。ぼく自身、震災の当事者でもなんでもないのであるが、氏の活動には敬意を表したい。

 とにかく、その真に迫る創作を、一度読んでいただくことを強くお勧めする。

 

「愚かな紫陽花」著:新宿ちりがみ百貨店(新宿ちりがみ百貨店)

 先ほど記載した転枝氏の合同誌を手に入れるにあたって、ブースを同じくしており、かつ、転枝氏も参加しているという合同誌があったので、それを手に取った次第である。転枝氏、ゲストライターなのにほかのライターよりはるかに多いページ数を取っていてあらゆる意味でびっくらこいた。で、個人的にはこっちの作品の方が好きかなと。主人公の心情と氏のモチベーションをリンクさせているのだとしたら、僕が彼に抱いた印象そのままといった感じだし、そういう意味でぼく個人としては歪んだ私小説のような印象があってとても「ごうがふかいな」を感じた。正直、氏の印象があまりにも強すぎてしまい、残りの文章の印象がなんとなく薄くて感想を書くのにも困る。印象が薄いということは、少なくともミスターあらさがしマンのぼくがあらを簡単に見つけられないくらいにはしっかりした物書きなのであろうが、いまひとつインパクトに欠けるというか、それでいてイデオロギーを感じないというか、あ、そう、そうだよこの時のためにあるんじゃないこのワード。そうそう、「ごうがふかいな」を全然感じなかったんですよ。なんかよそ行きの服を着ちゃって、というか着られちゃってるようなそんな印象がどことなく。それはそれで素敵だしおしゃれなんだけど、ぼくはあんまり好きじゃないなって。そう思いました。

 

 

 というわけで、今回、とくに今シーズンはわりかし忌憚のない感想というのを心がけた。今まではある程度お茶を濁していた部分があったのだが、この評点形式が「ぼく自身の」評点を示しているという歴然とした事実が存在するのであれば、ぼく自身の考えというものをきちんと示さなくてはならないと、そう考えるようになったためだ。そのため、今までのシーズンよりも若干口が悪い。押し付けでアレだがご理解願いたいところである。異論があるのであればなんかそこらへんでこっそり言っといて。調子が良ければ拾いに行くから。うん。

 

 というわけで、次回から上位3冊について、順に紹介していきたいと思います。

 みんなのごうがふかいな展については、たぶん文フリ岩手の後になるかと思われますので、乞うご期待。