日本ごうがふかいな協会広報

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人生の地図など役に立たない

 どうもおもちくんです。

 

 文フリ京都シーズンも残り2冊だ。このシーズンは読み切るためにかなりの時間を要した。というのは、単純に冊数が多かったのもあるが、その密度もかなり高く、また読ませられるかどうかはともかくとして、質の高い書き手が多く、思わず未読了処理をしかけたものも多かった。非常に体力を使った強シーズンであったと思う。

 さて、中でもぼくのシーズンレース観とも言うべきか、そういったパッケージ上の概念を破壊されたのが、この2位の作品である。

 

 もはやマクラとして常連になっている、というか先回でも取り上げたばかりで申し訳ないのだが、抒情的ロックバンド9mm Parabellum Bulletの曲に、「コスモス」という曲がある。個人的には超名盤だと思っている「Dawning」に収録されている作品だが、静かながら叙景的でありかつ抒情的な歌詞が淡々と(9ミリ基準で)歌われており、それが余計に聴き手のエモーションを刺激していく曲である。9ミリの曲は、サウンドももちろんなのだが、歌詞が非常にエモーショナルなところがとても好きである。

 

「恋とはどんなものかしら」著:madelene(モノカキヤ)

文体:29 空間:33 (半客観分野:62)

感覚:32 GF:40 (主観分野:72)

闇度:0.64 レートなし

総合点:134.64(文フリ京都シーズン2位 ごうがふかいな賞)

 

 弊社企画のラブホアンソロの書き手のひとりである、ごうがふかいなの名手であるところのmadelene氏(以下、まど氏)による、連作掌編集。八郎というひとりの男にまつわる拾遺のような小説群なのだが、ひとつひとつが砲弾のように重たく、強く心をえぐっていく。八郎が特異な存在であることが徐々に明らかになりつつ、それらが八郎を取り巻く人間たちによって与えられたものであったことが、最後の文章で明らかになるという構造は、スタンダードながらフリとオチが非常にはっきりしているだけに鮮烈。実は、この作品は新装版がすでに頒布されているのだが、ぼくが手に取っているのは旧装版。これはいわゆる中綴じコピー本とよばれる簡素な装丁で、その表紙の絵も、本人が描いたのだろうと思われるようなファンシーで様々なモチーフがちりばめられているのだが、この理由も本文を読んでいくと次第にあきらかになる。構成という点で、意表を突かせるところと予定調和を完成させるところのメリハリが効いていて、読み手の呼吸に寄り添った作品であると感じた。

 まど氏は、ぼくが普段取り上げている書き手とは一線を画したスタイルをとっていると常々思っているのだが、それが最も出ているのが、この読み手の呼吸を完全にほど近いレベルまでに意識した文章づくりなのではないかと思う。多くの書き手、ぼくもまさにその「多く」に入るわけであるが、たいていは書き手の呼吸というものが前提としてあって、そこから読み手の呼吸を意識したり、時には自らが読み手となって仮想の読み手を想起する、というのがオーソドックスな文章づくりの手法なのだろうと思うのだが、まど氏は、徹底的に読み手サイドに立ちながら、書き手としての技量を発揮できるという点がなかなかない才であるなあと思う。ぼくはまど氏の作品を、多くの書き手、特に自らの書くものに対していまひとつ満足を得られなかったり、思っていたほどの評価がなかったりすることに悩む書き手には読んでいただきたいと思っている。きっと新しい世界が見えるのではないかと思う。

 もっとも、見えたところでたいていは、自分のスタイルを貫き通すか、変奏するかのいずれかでしか対応できないのが、天才でもなんでもない人間に唯一与えられた行為ではあるのだけれど。

 

 さて、次で文フリ京都シーズンは最後である。最後に登場する書き手も、実はラブホアンソロに寄稿してくださる方だ。ノンレートであることに異論があるくらい強い書き手であるが、その関係については文フリ前橋シーズン終了後にちょっとしたアナウンスをしようと思う。