ひざのうらはやおのメモ帳

サイコパスクソメガネが祈る墓標みたいなやつ

誰かの影響で変わるような自我ははたして自我といえるか

 どうもおもちくんです。

 毎日記事を書いていくのは定型的な作業を得意としないぼくにはかなり骨の折れる作業である。まあ、できなくはない。それはそういう特殊な訓練を積んだからであって、多くのADHDのみなさんやそのボーダーになっているひとたちにとってはとても難しいことなのだろうと思う。そういう意味ではぼくはこの特殊な訓練を積んだことには意味があるように思う。

 閑話休題。いきなり。

 

 筋肉少女帯の曲に「君よ!俺で変われ!」という曲がある。様々なサブカル的作品のもとになったりもとにされたり、そんな噂が立ったり立たなかったり、つまりはサブカル的な王道を行くような歌詞とサウンドだなあと思っている。もっとも、筋肉少女帯自体が日本サブカル界の重鎮になっていることは言うまでもないように思う。

 この作品は、読み切ったときにすでにこの曲をマクラにしようと思っていた。理由はここでは割愛するが、歌詞を読んでもらえればだいたいわかるのではないかと思う。感覚的なところなので説明しづらい。

 

「田中建築士の家」著:にゃんしー(デスポリンキー食堂)

文体:31 空間:30 (半客観分野:61)

感覚:30 GF:40 (主観分野:70)

闇度:0.56 レート:6.280(A)

総合:125.280(文フリ東京26シーズン3位

 

 ということで、実は長いこと高評点を得ていたものの、ここまで記事化作品がなかった、尼崎文学だらけの主催であり、路上パフォーマーでもある文学愛好家のにゃんしー氏の作品がここで記事化されることとなった。個人的にはごうがふかいな賞もこの作品にしたいところだったが、とんでもない伏兵(前回の記事参照)が現れたため今シーズン2位のGF点になってしまっている。

 氏はこの作品について、このような記事を書いている。

note.mu

 この作品は、氏の強みであるストーリーテリング力と、もうひとつの強みである独特の文体が絶妙なバランスをとりながら最後まで進んでいるという点で、にゃんしー作品の中でも非常に完成度の高い小説であると思う。氏自身は純文学ではなくエンタメとして書いた、という風にこの記事で述べており、確かにフォーマットとしてはエンタメ小説ともいえるのだが、ぼくはどちらかというとこの作品がにゃんしー的純文学のような気がしてならない。もっとも、その辺の線引きというのははっきりしているようにみせかけて、言葉で区切られているがゆえに曖昧なところがあるし、ぼくは主観しか語らないのでその辺はほっぽりだしてしまうのだが、あえて言えば、これは純文学を普段読むようなひとにこそ読んで欲しいと思う。独特の描写、ひとくせもふたくせもある登場人物、舞台となる汐音という集落の特殊性。これらが徐々に混迷を極めながら、最後の最後で圧倒的なコーダにつながっていく。そのポリフォニカルな作風は、これらの構成要素をひとつの小説に落とし込める、にゃんしー氏の高密度で複雑な文体でないと作りえないとぼくは思う。そういう意味で、氏の作品のひとつの到達点であるといえる。

 

 というわけでみんなもっと読んで欲しいぞ。

 

 さて、次回は、90年代を疾走したあのバンドのトリビュートアンソロジーが2位にランクイン。こうご期待。