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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

ハードルを高い方に持っていく新しいタイプの自傷趣味

 どうもかーびぃです。

 

 今日は冬至だって、クレーマーのじいさんが教えてくれた。「冬に至る」って書くけど、とっくの昔に冬に入っているという意味ではこの解釈は間違っているのは明らかだろう。じゃあどう読むかというのは五反田らへんにいる漢文の教師にでも聞けばよろしい。

 職場の同期に、最近箱根駅伝が強いあのチャラついた大学出身の男がいるんだけれど、かーびぃ氏と男子校出身という奇妙な共通点があるのでなんか変な部分だけ電波が通じてしまうのがどうにもおかしい。彼がジュディマリを勧めてきたわけで、けれどぼくはずいぶん前にジュディマリはいったん通ってきてしまったしなんかこう、ジュディマリ好きな男子ってあれじゃないですか。そう、あれなんですよね、あれ。そういう感じがちょっとな、って思って敬遠していたんだが、まあよくよく考えればブリグリを喜んで聞いている時点でそうそう変わらないんだよなっていうところに落ち着いて、普段大して使ってないアップルミュージックを活用してジュディマリのアルバムを聴いてるんですけど、もう予想通りの安定感なんですよ。だがね、ぼくは知っているんだ、ジュディマリを聞く男子はモテない。驚くほどモテないんだなこれが。女はともかく男からもモテない。なぜなのかは知らん。知ってたとして書くはずもない。時すでに遅し。

 あれほどまでにスタイルもよく女子になじむ彼がぼくが思うほどはモテていない理由がなんとなくわかった気がした。気がしただけ。こんど彼に新谷良子の曲を勧めてみたい。案外喜んで聞きそうな気がするんだ。

 恋人から贈られたアクセサリーのブランドがアレで別れた、みたいな話をインターネット都市伝説的な雰囲気でよく聞くわけだが、そもそも他人にアクセサリーをおいそれと贈るようなタイプの人間ではないので、なんとも感覚が理解できなくてイスラム教徒とキリスト教徒の宗教戦争の小説を読んでいるようなそんな気分になる。アクセサリーってあんまり着けようとも思わないし、ましてや他人に贈ろうとも思わない。そもそもそういうセンスに全く恵まれていないし、そういうのは本人に任せた方がいいのだ。ぼくはおそらくつけないほうがいいことは知っている。つけてもなくしてしまうからだ。そういうハイコンテクストはわかるひと同士でやってほしいしハイソサエティだけにして欲しい。こっちくんな。

 ただまあ、アクセサリーがどういう意味合いを持つのかというところを抜きにして考えれば、贈られてきたものが自分と合わないものだったので、この人と自分のセンスは合わないから別れた、というのは至極合理的な判断のように思うし、それだけでそのブランドがダサいっていうのは少し違う話で、その女性には合わなかっただろうがそれを好んで身に着ける人もいれば、きちんと着こなす(?)人もいるだろうし、つまりあれでしょ縁がなかったんでしょ、それをさも何かの業のようにツイートしただけでしょ。

 これが言いたかった。

 というかぼくの好きな人って、そういうところやたらハイセンスなので、ぼくが贈られることはあるかもしれないにせよ、恐れ多くて身に着けるものなど贈れないのである。今までお付き合いをした諸氏におかれましては「あ、自分はセンスを軽く見られたんだ……」と思われる方がいるかもしれないがそういうことである。イマージナリーな元カノはどんどん増えるぞ。しらないうちに100人くらいになる。そんな概念なんかどうでもええねん、好きに生きなはれや。

 インターネット噺家よりも炎上ラノベ作家のほうが先に誕生しそうな件について。

意識にもそのうち格差ができるはずだ

 

 どうもかーびぃです。最近全体的に文章に全力投球しすぎて本業がオワコンです。まあ本業なのか副業なのかもうわからんね。

 

 アジカンことASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンドがある。なにをいまさら、と思う人が多いのは、きっとこのブログを見てアウトプットを投げ飛ばしてくれるのがぼくらと同じ世代(具体的に言えば、80年代後半から90年代前半生まれ)ばかりだからかもしれないが、世の中においてアジカンはまだまだ(音楽バンドでは十分メジャーだろうけれど、単純な知名度という意味で)マイナーなのだ。そこらへんのおっさんを捕まえてアジカンを知っているかどうか聞いてみるといい。50代後半(ぼくらの親が多く所属している世代だろう……)を除けば知っているほうが明らかに少ないはずだ。

 このバンドで最も有名な曲といえば、ファンでは諸説あるかもしれないが、ファンでも何でもないぼくからしてみれば「リライト」以外の選択肢がない。それは、当然ながら、少年ガンガンで歴史的なヒットを記録した(おそらくそのはずである)「鋼の錬金術師」のアニメ「無印版」(マスタングの声が大川さんのほう)のオープニング2曲目(だったっけ?)であるからに他ならない。おそらくカラオケの歌われているアニソンランキングではかなりの上位にあるはずだ。「メリッサ」に負ける? まあ、それはいっちゃいかん。

 この曲のサビといえば「消してーーーーーーーー!!!!!!!!!リライトしてーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」という絶叫と何言ってんだかよくわかんない概念的な歌詞との組み合わせで、真面目に正しくアクセントをつけようとするとそこそこ難しいのだがみんなそんな面倒なことは考えずに歌うことでおなじみである。

 ぼくがなぜ、この曲をマクラに選んだのか、それはわかる人にしかわからないし、どころかおそらくわかってくれる人などいないのかもしれないし、かといって説明しようとするとそれこそ1記事レベルではなく数十ページの小説が出来上がってしまうので割愛する。たぶんフェルマーの最終定理よりは簡単だろうとは思うのでみんなチャレンジしてみてほしい。おそらく理解可能な人は最大で3人だろうとも思う。それでもぼくはこの本のマクラとして熟慮に熟慮を重ね、重ねすぎてしまった結果「リライト」を選んだ、ということだけ記しておきたい。ちなみに「ループ&ループ」とものすごく迷った、とだけ意味のない蛇足を付け加えておく。どっちもアジカンじゃねえか。

 

 つーか何も語ってねえじゃねえか。

 

 というわけで、2位に10点以上の大差をつけ、ぶっちぎりでシーズン1位を獲得し、おそらく到底破られることはないであろう不倒点として君臨し続けそうな予感のある、この本についての批評を始めたいと思う。

 「ファントム・パラノイア」著:咲祈(モラトリアムシェルタ)

(評点 通読性:14、宇宙感:24、残響度:21、嗜好:9、闇度:A 合計75点)

 ぼくがここ最近でもっとも注目している書き手、咲祈さんの最新作だ。新刊には間に合わなかったが、今回ようやく手に入れることとなったので読んでみた。

 総論としては、今回75という非常な高評点をつけることになったが、本来であればおそらくもっと高くつけていただろうと思った。しかし、今後出てくる同人誌(咲祈さんの次回作等も含め)を読んだ際に、評点が寸詰まりになる可能性がある点、今回がこの評点方式で批評をする最初のシーズンであるという点を鑑み、最終的にこの点数となった。この作品は現状、ぼくが読んだ彼女の作品ではトップである。それは紛れもない事実だ。当然、ぼくのことだから、今までの作品を同様の基準で評価した場合に、60点台後半や70点超えなどの高評点をつける可能性は大いにあるが、現状この作品こそが、彼女の最高傑作であろうことは揺るがない。少なくとも、ぼくの中においては。

 さて、批評を続けよう。

 人工人間が労働力として使用されるようになった世界での出来事を描いた、連作短編形式の小説群である。人工人間といっても、アンドロイドのような無機的なものではなく、工業的に養殖が可能になった正真正銘の人間で、人工的に自我にかかわる意識を形成されないように細工がされていることを除けば生身の人間とほとんど変わらない。管理が可能になった人間、制度のもと、残虐性を極力に控えられた奴隷というと、すこし語弊があるのかもしれないが、そういう解釈もとりうるような描き方がなされている。彼らは「オルタナ」と呼ばれ、文字通り「シヴィタス」と呼ばれる市民の代用として生きる。単純な労働力だけでなく、愛玩用はおろか、人間としての「素材」としても利用されている、まさに究極の奴隷である。なお、この作品のタイトルは、究極の奴隷として精密に製造されていた「オルタナ」たちがかかる流行り病のことを指している。それ以上のことは重大なネタバレになってしまうのでここでは言及を避ける。

 物語は、ひとりの歪んだ意思を持つ科学者を軸に、それを取り巻く「オルタナ」たちを主な視点として進行していく。この世界を快く思っていなく、また自らの家族に常軌を逸した干渉を試みている、知識人が物語の中心となるところは、先日批評した「空人の國」との大きな共通点であり、強い意志ーー心を持たない「オルタナ」も「空人」の転換的な比喩である。この2作の間の共通点はかなり多いが、主に前述した点によるところが最も作中に影響していると思われる。逆に、この2作を比較して最も異なる部分は、主人公ともいえる、この中心人物の意志が、既存の世界において破滅に向かっているか、創生に向かっているかという部分と、それに起因する彼らの末路の大きな差である。ひとことに末路といっても解釈のしようによっていくらでも主観的な見方が可能なので、なんともいえないが、ぼくにとっては今作と「空人の國」でたどった彼らの軌跡を描くこと自体が、咲祈さん本人が持つ、信念に近い何かを確実に体現しつつあること自体が素晴らしいと思うのと、その何かに徐々に近づいていく彼女をみて、どこか切ないような、恐ろしいような寒気を感じるのである。

 ちなみに、彼女の詩的でありつつも切れ味の鋭い刀のような文体は今回も健在で、今作においては耽美さにさらに磨きがかかっており、実用品としてよりも美術品としての価値が強くなった飾りの多い日本刀のような、煌びやかでありながらどこか空虚な雰囲気を帯びた鮮やかさがそこにあった。知的でありながら高度に感情的であるこの文体は、極めて微細な調整まで施された緻密さを持ち、繊細にして大胆な筆致で、己の置かれた世界で、その1ピースとして正確に等身大に生きていく人間たちと、それを支える、人間ではない何かについて描いていく。その性とすら呼べうる独特の文体は、もはやひとつの様式にすらなりえるほどに確立されているように感じる。(それゆえに、人を分けうると考えたため、通読性の評点を控えめにした)

 ぼくはこの人を勝手に創作活動上の師と仰いでいるところがあるのだが、その主な理由は、描き出す世界観と文体とを一致させるセンスのようなものと、1ページ1ページに埋め込まれた情報量の多さによるもの、そして最終的に描き出したい概念にどこか似たようなものを感じる点である。これからも、勝手ながら師として仰がせていただき、ぼくの創作に得られるものは得ていきたいと考えている次第だ。

 なので今後も新刊があれば絶対にもらいに行きたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

 熱量が前回の比じゃない。それもう一番言われてるから。

 とはいっても先回の茶柱エクストリームさんのやつだって相当すごかったですからね。この作品がなければシーズン優勝はほぼ確くらいの点数とってたんだから。

 

 とまあ、そんな感じで。

 

修業したところでエクストリームになれやしない

 

 どうもかーびぃです。1日に3つ記事を書くというスーパーハイペースなことやってます。原稿をやれよ。なにしてんだ。

 

 THE BACK HORNの割と昔の曲に「惑星メランコリー」という曲がある。歌詞はもう圧倒的中二、いや高二な感じでオケも好きだしなにしろぼくはこのボーカルラインがすごい好きなのだ。もうごうがふかいなとしか言いようがないその感じ。伝えようと思いつつ伝えきれない、何とも言えない、初期のバンプにあるような荒削り感とそれを圧倒的に上回るパワー、そして何よりこの曲をコピーした軽音部の先輩(ぼくの小説に出てきそうなくらい、見てわかるくらいごうがふかい感じの人だ)がその時だけは、死ぬほどかっこよくて、ああぼくが女子だったらきっと惚れるんだろうなあ、とかどうでもいいことを考えていたのを思い出すのである。バクホンのあのがっつり感とどこか後ろ暗い青春感よくないですか? え? ベボベのほうがいい? あそう。幸せ者め。夜道には気を付けるんぢゃぞ。

 

 マクラはいいから本題に入れ。

 

 ってなわけで、ぼくのなかではもう「ごうがふかいな2016」ノミネート確定のこのすばらしい合同誌をご紹介しないわけにはいかないのである。

 

 「こんな友達はいらない」著:茶柱エクストリーム(茶柱エクストリーム)

 (評点 通読性:15、宇宙感:19、残響度:15、嗜好:6、闇度:A 合計62点)

 これも、実はいろいろ縁があって偶然手にしたものであるのだが、手にした時のオーラからしてすでに「ごうがふかいな」感が漂っているのがしびれポイントである。そして、そこそこの厚さの文庫本の中身を開くと、2人で4作、つまり2作ずつの競作体制というなかなかに攻めた構成。どうやら大学に通う男女4人のどうかしているように見えて案外そうでもないけどまあ、つまりその、業が深いってこういうことよ、みたいな日常を各登場人物の視点でエピソードをつなげる仕組みなんだなと判明。そして、最初の話の主人公がまた非常に「ごうがふかいな」感あふれるスーパー留年生で、ちょっとだけフラグが見え隠れしている幼馴染(というか親戚)が出てくるわ、ひょんなことから出会った巨乳ヒロインが実はとんでもないメンヘラだったとか、「どんぐりころころ」並みの波乱万丈さがあり、またそれがそれぞれ個性豊か(?)な4人の大学生から別の時間軸で語られるものだからもうなんか控えめに言っても精緻なるカオスだしカオス、途中で小田和正大先生が何度出てきたかもう数えてられないくらい言葉にできない。かーびぃ失格やぞ。かーびぃ失格ってなんだよ。

 で、実のところ、それぞれ4人の人物の視点で物語が語られるのだが、このストーリーの中心人物にして唯一本人のストーリーがない、しかもおっそろしく濃いキャラクターがまたすべての中心を握っている気満々で素晴らしい。ぐうの音も出ない。せめてこのキャラクター視点のものもあれば「ぐう」くらいは言えたはずだ。ぐう。

 普段批評にさほどハイテンションにならないかーびぃ氏であるが、むしろこの作品だけは、ハイテンションにならざるをえないので、そこはお許しください。

 とにもかくにも、素晴らしく攻撃的な構成で、中身もそれに負けじと「ごうがふかいな」力を積みに積みまくっているので、このブログを常に読んでいる皆様方にはぜひとも、必読の書とさせていただきたい。テストに出しますよ、ほんと。

 リピートアフターミー、「ごうがふかいな」

 

 以上。

 

 最後、このシーズンでぶっちぎりで首位を獲得した、あの同人誌について、それこそ全力で言葉を紡ぎたいので、今日はこのあたりで打ち止めにします。

 しーゆー。

偏見の塊が常識になっていく

 

 どうもかーびぃです。というわけで、連続して記事を書くのは久しぶりですが。

 

 ブリグリことthe brilliant greenの曲に「Stand by me」という曲がある。もちろん映画のタイトルにもなったあの曲のカバーではない、オリジナル曲だ。

 もう10年以上前だろうか、大人気漫画「探偵学園Q」の実写ドラマが放映されていたのは。主人公は押しも押されもしないマルチ俳優となった神木隆之介、ヒロインが志田未来、そして山田涼介も出ているという、今から考えると素晴らしく豪華なメンツで飾られていたこの実写ドラマのエンディングテーマとなったのがこの曲である。誰かに恋い焦がれる女性の歌、と一言にいってしまえば陳腐ですらあるこの歌は、しかしながら川瀬智子のたぐいまれなるボーカル力と、程よく明るく展開するバンド、そして少女性を閉じ込めた、大人の女性が過去を振り返るような視点の歌詞の組み合わせが、とても印象的で物寂しさを際立たせるのだ。シンプルかつスタンダードに写実的であることは、つまるところ文学的であるということと同じになるのだろう。

 

 つまりは、僕にとってこれは、そういう本だったわけである。

 

 「ひなげしのまどろみ」著:とく(皮膚と草木堂)

 (評点 通読性:18、宇宙感:16、残響度:17、嗜好:5、闇度:C 合計59点)

 今回の戦利品は50点台後半が多く、55点から59点までの間に8冊中3冊が集中する接戦であった。その接戦から見事シーズン3位になったのは、なんとあろうことか、ぼくが組織する「そりゃたいへんだ。」のメンバーとしても活躍していたとく氏(そりゃたいへんだ。においては「かなた」名義)の単行本であった。

 彼女が大学院を修了するにあたって書いた小説ということもあり、かなり気合が入っているのか、本の装丁にも相当のこだわりが見受けられる。たしか、ぼくの記憶では彼女の専攻は日本文学であったはずで、この作品もまごうことなき純文学だろうと思われる。高校時代の親友から結婚の知らせを受けるところから物語は始まる。このとっかかりの引き込みに、多くの人間はとても苦労するはずなのだが、彼女の文体は、少なくとも迷うことなくすらすらと導入を、物語への引き込み部分を構築していて、改めて地力の高さを感じた。主人公を取り巻く人間関係が、よどみなく、しかしながら完璧な陰影をつけられて浮かび上がっていくさまはリアルで、美術部に所属する主人公が絵を前にした時の心情、そして自らの絵を作成する過程までもが、その知識を全く持たないぼくにすらありありと浮かんでくるのだ。これを緻密な描写力と言わずしてなんといえばいいのか。そしてそれでいて、最後まで一貫して主人公視点の物語であるにも関わらず、どこか冷めたような、冷静な文体で読者を導いている。それゆえに人間関係の暗部のような、曖昧模糊とした言葉の塊のようなイメージを持たせながら、非常に読みやすい。

 これは技術力に定評のある彼女ならではの作品であると思う。もし気になる方がいたら、「皮膚と草木堂」を訪ねてみるとよいだろう。独特のフェティシズムも上品にまとまっていて、一見攻撃性がないように見えるから不思議である。

 ただ、かなり目立つところに誤字脱字があり、もう少し校正に時間を割ければよかったんだろうなあ、という気もする。画竜点睛を欠くとまではいかないけれど。

 

 次回は2位の同人誌についての批評です。個人的には一番書きたいので、こうご期待って感じだ。

夢のかけらなんてそこらへんに転がっているんだから拾っていけば人間ひとりぶんにはなるんじゃねえの

 どうもかーびぃです。なんとか戦利品を読み終わったよ。

 惜しくも選外になってしまった、残りの2冊について、それぞれコメントしていきます。ちなみに、残りについては前の記事にまとめてあるよ。そしてこの次の記事から今回の上位へのコメントですよ。よろしくお願いします。

 

 ちなみに、方向転換しまして、上位に入ったものについては、その評点と詳細も公開することにしました。特に理由はないです。

 

 「15才」著:ペンシルビバップ(ペンシルビバップ

 先回でも紹介した、ペンシルビバップの今回における新刊である。記念すべき15冊目の合同誌ということで、テーマもそれに即した内容になったというわけだ。15才、日本でいえば中学三年生ということで、予想通りそこに絡めて青春物語を何らかの形で展開させつつも、根幹となるストーリーはほかの部分に置かれているタイプのものが多かったように感じる。つまり、さては、皆さん真正面から青春してなかったな?と勘ぐってしまいたくなるが、そもそも文芸誌即売会で真正面から青春している人間がいたら見てみたいものであるし、彼こそが「ごうがふかいな2016大賞」に他ならないだろう。

 全体的な印象としては、先日の「終末」同様、比較的雑味の少ない、それゆえに濃いめの合同誌になったように思われるが、その中でもとりわけ面白いと思ったのが、アオイヤツさんの「青空の元で服を脱ぎ捨て僕らは歌う声高らかに」で、他にはないリアルな15才のコミカル感をすごく出し切っているのが好きだった。リアル感では、ゲストライターの青山さんやぼくの推しである綿貫さんも引けを取らないのだが、どちらも長回し的な、遠距離の視点から15才というものをとらえているのに対し、まさに15才の瞬間、といった瞬発力が非常に躍動感と臨場感のある画を可能にしているという点で、「青空(攻略)」は素晴らしいと思う。

 15才という微妙な年齢のみずみずしさって、ともすれば劇的に描かれがちだけれど、案外地味だったりするんだよなあ。

 

 「ISM」著:木の葉スケッチ(木の葉スケッチ)

 こちらも、先回紹介した木の葉スケッチの、今回における合同誌での新刊である。転枝さんを含む5名によって綴られた短編が収められている。巻頭は転枝さんによる新宿OL同棲恋物語的なもうなんかかーびぃを一撃で殺す気満々のすごいやつだったのだが、これがまたいつもながら丁寧な描写で読むのにとんでもなく精神を費やした。これのせいで1日がつぶれた。

 また、その次の七氏野さんは、やはり世にも奇妙な物語を彷彿とさせる語り口と展開で、不気味さと寓話性が面白かった。ただオチとしてはちょっと弱いような気もしなくもないけれど。それ以外の方の作だと、カランさんの「千秋楽とスピンオフ」がとても美しかった。虚構の上に虚構を塗り固めていくような、ある種曼荼羅のような不思議な世界観で、その中でヒロインがただひとり激情(おそらく、劇場とかけているのか?とくだらないことを考えた)を発散させ、文字通り生きていくという構図。不気味な人工的な世界にある、地続きの何か。ぼくには到底言語化できないよくわからない何かが、埋め込まれている作品である。

 

 とまあ、こんな感じだろうか。

 というわけで、次からは1本ずつ、3位から紹介していきたいと思います。