かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

一周まわってまとも

 どうもかーびぃです。

 以前書き手仲間に言われた、ぼくの小説に関する評価である。一周しなくてもぼくはきわめてまともな物を書いているつもりだ。ひねくれた側面などさほどないし、純粋なところを培養して原稿に打ち込んでいるので、そのような評価がくることはほんの少し想定外であった。まず「一周まわって」ってなんだろう。言いたいことはわからなくもないが、非常にひっかかる部分でもある。

 そんなことを考えていたらとにかく際限がなくなったので、そもそも邪道をいくことをなぜ良しとしないか、ぼくはそこから考えている。

 ぼくは邪道が嫌いだ。どういうものを邪道とするかというと、大きなところで言えばそれは二次創作と言うべきだろうか。別に否定したいわけではない。強いて言うなら、そしてあえて二次創作に携わる人間的な言い方をするのであれば、ぼくは「他人が作った二次創作」は非常に地雷の確率が高い、という点につきる。他人の解釈なのだから自分の解釈とは異なるのは当たり前である。だからこそ、その解釈のかい離を見たくないというわがままな信念である。一から全て制作すれば、すべてが自分の解釈で、それ以上の結果は生まれるはずがない。自分の世界の延長を描けるのは自分だけであってほしいのだ。

 さっきも言ったが、別に否定したいわけではない。二次創作自体は、ある意味では成功しやすい土壌があるし、それに「ある部分までは完全に同じ設定」であることが担保しやすいので、それによって創作者の個性がにじみやすいし、強いて言うならぼくはその部分においてはとても好きである。だから自分が深く触れていない創作物の二次創作は結構見たり読んだりしている。だからこそ、自分としては、二次創作はそばの薬味に具入りラー油をぶちこむようなものだなあという風に考えている。不味いわけではないけれど、そばというものは元来そういう食い方を想定して作られたものではないだろう、的な。

 もっとも、これは単なる自己に内在する規律のようなものであって、条例や法律などで規定されているわけではないので、まあみなさん訴えられない限りは好きにしていいんじゃないですかね、っていうのが結論的なスタンスではある。だが、「それが正しい創作の在り方だ」という顔をされると「それは違くね?」とツッコミたくなるというだけの話だ。

 

 もっと過激な事を言ってもいいんだがぼくにも体面というものがあるのだなあ かびを

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