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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

小説のタイトルから先に死んでいく

 どうもかーびぃです。ねむい。ハムスターよろしく昼寝したい。

 

 長らく沈黙していたのは、本業が忙しいあまり同人誌を読み進められなかったからである。ようやく進捗にして半分、8冊読み終わったので、途中経過として、現時点で4位以下になっているものについてまとめて感想をのべておきたい。

 

 

「低体温漫画35.8」著:世田谷梅子(世田谷梅子)

 隣のブースにいた人。ちょっと前からツイートとアイコンが非常に特徴的で気になっていたので開始早々にこれをいただいてきた。デザインがしびれるほどにマブい。マブいとしか言いようがない。タイトルの通り漫画本なのだが、独特の世界観がすごい。あえてたとえるなら、鳥居みゆきの世界観をそのまま基底ベクトルだけずらしたみたいな感じだ。実のところ、評点層が低いシーズンであればトップになりえたかもしれないほどの評点を獲得してはいる(65点以上)のだが、史上まれにみる激戦となった本シーズンでは現時点であえなく上位脱落となった。なんだろうなあこの、もう「マブい」としか表現できないスタイリッシュさ。ほんとマブい。是非中野でお茶してほしい。なんだこのよくわかんない感想。

 

「トニックに進んで行くドミナント」著:酒井衣芙紀(無芸)

 かーびぃ氏が今推している創作者であるところの酒井氏による新作詩集。この人の製作ペースはかなり早いような気がする。だってテキレボから1か月ですよ。1か月でこのクオリティの詩集をぶちこんでくるのはなかなかである。ぼくにそんな体力はない。

 かーびぃ氏が考えるこの人のキャッチコピーは「恐ろしいほど屈託のない笑顔で概念のガドリングガンをぶち込んでくるリリカルガンナー」なんですけど、今回は緩急をつけるという不思議高等テクニックを用いていて、それが詩集全体に傾斜つきの不自然なエッジとなって妙な読後感をもたらしている。紙面全体を使った表現技法は健在で、「過剰包装」の寄せている感じがちょっと好き。

 今回はモチーフがわかりやすいというか、とらえやすいものが非常に多い。個人的な癖としてはもっと無意味な罵倒みたいなのが欲しかったりするんですけど、それはまあぼくの癖でおいといて、前作同様に丁寧に作り込まれている感じがした。

 文フリ岩手でも新作を出すとか出さないとか。なんちゅうスピードだ。

 

「Refrain」著:Refrain(Refrain)

 かーびぃ氏の学生時代の後輩たちが立ち上げた文芸サークル。全体的にまともな作り。逆に言うとそんなに面白みはないかもしれない。無難といってもいい。だが読んでみると悪い意味で偏っている。最初2作が同じネタかぶりなのは本当に何をしているんだと先輩として少し怒りたいところである。被っているのだとしたら離すとか、もっとやりようあったでしょって。

 そんなことを言ったところでどうにもならない。短編集全体からただようのは「とりあえず書いてみました」みたいなフレッシュなプロ根性みたいな心意気で、たしかにこれだけは素晴らしいと思う。なかなかここまでフレッシュさを出せるサークルもない。今後、気になる人は訪れてみてはいかがでしょうか。

 

「A30」著:インターネット高校文芸部(インターネット高校文芸部)

 このブログでもちょくちょく出てくる本田そこ氏も参加しているサークルでの合同誌。文芸部を自称するだけあって、コピー本に製本テープというすばらしい装丁がなんとも心をくすぐる。上記で述べたサークルとは別の形でフレッシュさを装っているが、読んでみればそこには各人の世界観がきちんと確立された、いわゆる玄人の世界が広がっていて、その中でもみずみずしさとさわやかさを残し続けられるという不思議な作品集になっている。バックボーンが確固としてあるライターが集まったからだろうか。この中でも小鳥遊さんの「フラグメンツ」はキャラクターの配置やスタンダードな構成がとても好みでよかった。良質なライターが集まっていると感じる。

 

 とまあ、現状の途中経過としてこんな感じです。

 今上下巻で文庫本合計900頁近いやつを必死で読んでいるんだけどなかなか進まないせいでそれがネックになっている。今日中に読み終わらないといよいよしんどいぞ。

 来週にはめどがたつかなあと思います。

手落ちの人間にホスピタリティを用意することを批判する人の「手落ち」感

 どうもかーびぃです。

 

 文学フリマ東京が迫ってきたので、新しい試みとして、頒布予定の自作についてひとつひとつ解説していこうと思う。新刊もないのに今更、とは思うかもしれないが、なんか新しいこと、プラスこの1日でできること、というのでまあこれくらいだろうなあ、という感じでやってみようと。

 

 そもそもぼくは、お品書きを書くことが非常に苦手である。紙1枚で収まるような情報量で頒布物の紹介が出来たら小説など書かないし、ブログだってしなくて済むだろう。単純にぼくはそういう思考形態なのだ。まして絵や写真の配置なんかを置くのがそもそもできないタイプなので、華やかなお品書きを書いているサークルを見るとうらやましいと思う。まんまる書房ではデザイナーを募集しています。

 

 さて、さっそく。

 イ-69まんまる書房では、短編集2つ+α、長編3冊を頒布いたします。

 以下、短編集から簡単な解説。

「妄想の中でグローリーガールが宙に浮くから僕は彼女が好きすぎてたまらないんだけどいまだにそれを認められずに書きためた手紙をかき集めて作った表層をなぞるだけの指数関数、もしくは世界が滅びるまでのわずかな間に残された一縷の希望」(文庫116頁 500円)

 問題作。もとい、あらゆる意味でぼくが素のままで書いた短編が満載の作品集。というのも、この小説集は、当時一週間更新縛りというものをやっていて、一週間ほぼほぼ即興で作っていたものを新たに改稿したり、再構成したものをまとめたものだからである。このタイトルの長さは攻め、というよりもぼく自身の創作スタイルから考えるとある意味必然であり、これが最後の表題作になり、概念的ファンタジーとしてハイブリッドな世界観を醸し出しているというのは「ごうがふかいな」であるといえると思う。

 9編の短編は、読まれた感想を拝見するかぎり、ぼく自身の素の文体に対するものと酷似している。すなわちとらえどころのなさと煙に巻くうさん臭さが満載らしいのだが、当の本人はそんなことを露ほども思っていないという差異があって、それが社会を生きづらくしている(こういう煙の巻き方のことを言ってるんだろうな、とはなんとなく思う)。

 ともかく、この作品集の力点は巻頭作の「底辺列車」にあることは明白であり、巻頭作の虚実織り交ざる風景が表題作につながっているわけで、そこまでの7作は連携しているようでまったくしていない。ぼく自身の都合で紙面に追加しただけの話で、ある意味別個ともいえる。

 ということで、サンプルとしては巻頭作の「底辺列車」を載せておきます。

www.pixiv.net

 幻想的ロードストーリー、というジャンル名が付いているが正しくそのとおりで、みんな大好きサブカル系女子大生がローカル電車に乗りながらひたすら周囲に呪詛を吐きまくっているスタイルの、のちにかーびぃ氏の攻め玉のひとつになるジャンルである。

 これ以外にも、キノの旅のパロディとして書いた「工場と科学者」や、最初から最後まで鬱っていうダウナードラッグ掌編「飛べないカモメ」なんかがオススメどころ。

 ひざのうらはやおのナンセンスとマイナスに振り切れた詩的感覚を楽しみたい方におすすめです。

 

「順列からの解放」(文庫112頁 500円)

 先ほどの「妄想(略)」とはうってかわってシンプルなタイトルで、テーマ設定もシンプルだ。表題作を含め5作すべてが「順列からの解放」をモチーフにしている。スチームパンク的な世界観をもとにした「夜更けに咲く灰色の花」、そりゃたいへんだ。で構築された私立しまりすが丘学園を舞台にしたスクールファンタジー「ナイフエッジ・タンジェントセオリー(フリースタイル・エディション)」、ハイファンタジーの雰囲気で巫女と修行僧の交流を描いた「空葬の森」、概念的に進行する統一思念との闘いを描くSF「順列からの解放」、そして、職場を追い出された不良社会人と、援助交際の相手を探している不良女子高生のボーイ・ミーツ・ガールで展開される「春なのに工事中」と、いずれもばらばらなジャンルから同一のテーマについて書かれている。全体から漂うけだるげな雰囲気はいかにもひざのうらはやおという感じであるが(たぶん)、全体的に煙に巻くような無理やりな展開は避けてあるように思うので、「妄想(略)」よりはかなり読みやすいのではないかと思うし、あらゆる意味でひざのうらはやお入門という感じなので、最近では「ひざのうらはやお入門」ということで初めてブースに来た人にお勧めしている。逆に言えばコアなかーびぃファンには物足りないのかもしれない。個人的には巻頭作の「夜更けに咲く灰色の花」がそれなりにいい雰囲気だったのと、できればもう少し長めに書きたかったので改稿する機会をうかがっているのとで半々で、しかしこの短編集に関してはこれが一番わかりやすいので掲載する。

www.pixiv.net

 

 つづいて、長編の紹介。

 

「The magic nightmare ~reunion~」(文庫542頁 800円)

 これもまた非常に説明するのが面倒な小説だ。ファンタジーかと言われればまあそうだろうと答えるしかないし、私小説と聞かれると確かにそういう側面もあるっちゃあるし、なんだこれ、なんなんだろうなこれ、みたいな感じ。

 とはいっても主人公の真中浮人(まなか ふひと)くんはべつにぼくの分身でもなんでもない。どちらかというとぼくを理想化したようなキャラクターとも言える。どんな困難にも立ち向かい、文句を言いながらも仕事をやりつづけ、言い寄ってきた女性はむげにしないし、背が低いことと口が悪いことを除けばかなりのイケメンなのだが、それを武器にするどころか逆にいけてない部分でバランスを取ろうとする不思議な謙虚さを持っている。彼はそんな男だ。そしていつもパーカーとジーンズというラフな恰好をし、喫煙所で平然と煙草をふかす。しかし、さしたる特殊能力は、この時点ではとくに目覚めていない。そんな彼の大学生時代の話である。

 自身の失態で最愛の幼馴染が姿を消してしまうことに気づいた彼は、大学周辺に発生する怪異を解決していくことで、再び彼女をこの世界に取り戻そうとしていたのだが……という話である。このあらすじからもわかるように、本来は前編となる小説が存在する「てい」で、この話は始まっている。書くか書かないかはかーびぃ氏の気分次第だ。たぶん書かないと思う。文章にするのが異常にめんどくさいシナリオだし、だからこそこの部分から書き始めたのだから。

 6つの中編を合わせた小説となっているので、上巻にして14万字を超える分量となったこの作品だが、一応は完結している。つづきが気になったら下巻をてにとるでもいいし、セットでお買い上げいただくと頒布価格を値下げするサービスがあるので両方とってしまうのも手。

 

「The magic nightmare~GENOCIDE~」(文庫224頁 700円)

 上記の作品の後半部分。とはいっても、字数はせいぜい6万字弱で、あわせて20万字程度だと思われる。前編とはうってかわってシリアスな展開が目白押しなので、実質異なる小説ととることもできる。眞鍋陽子がどんどんヒロイン的な立場になっているのだけれどこの小説はそもそもヒロインが不在なのだ。不在のヒロインを一生懸命サブヒロイン3名が埋めている、というのが正しい見方である。

 そんなことはどうでもよくて、最終的には世界が滅びます。そしてだいたいの登場人物が死にます。という感じの話です。

 ちなみに、この上下編に関してはカクヨムでほぼほぼ全編掲載されている。都合によりカクヨム版は一部が改稿されているが、おそらく紙面版と読んだ印象はほとんど変わらないものと思われる。存分に読んでほしい。

kakuyomu.jp

kakuyomu.jp

 ぼくとしては、あの本の形に落とし込んでどこでも読めることそのものに価値があると思っているので、小説の無料掲載化に関してはある程度はやるべきかなと思っている。それで面白ければ新作でもその作品の収録作でも買ってみればいいわけで。

 

「V ~requiem~」(文庫250頁 700円)

 これがひざのうらはやおの最新作であり久々の長編でもある。このメモ帳でも何度か話をしたことがあると思う。自分の中の好きなモチーフを全部投げつつ、それなりに読者に読ませられるような工夫をほどこした自信作のつもりなのだが、印刷に手違いが出たり、新刊時にはほぼほぼはけなかったりとなかなかくせのある本でもある。

 いや、だってよくないですか、黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子がめっちゃ長い剣をぶんぶん振り回してドラゴンをぶった斬ってくんですよ。しかも彼女は最強でもなんでもなくて、ただほかのひとより無理をしているだけで、本当はそんなに殺してない人たちのほうが強いとかめっちゃよくないですかこういうの。でなんか健闘空しくみんな死んでいく中での最後の動乱とか希望とかよくないですか。

 っていう感じでもう好きなものを詰め込みすぎて文章がどうにかなってしまっているのがこの小説です。フューチャーファンタジーかなあ。個人的にはなんとなく師匠(とかってに呼んでる)の小説に感化された部分が微妙に入ってて自分がいかに影響されやすい揺らぎの存在なのかというので反省しているんですけど、そこ含めてすごくきれいです。ひざのうらはやお史上もっとも綺麗な物語なんじゃねえのかなこれ。そう思います。

 ちなみに初稿版をカクヨムに掲載していますが、同人誌版はこれを大幅に改稿していますのでご注意ください。結構変な部分が加筆されています。

 さんざんリンク張ってるしもはや別物となってしまったのであえてリンクは張らない。

 

 ということで、我ながらガチな感じで書いてしまったが、いかがでしょうか。

 あんまり感想を言われた経験がないんですけど、そりゃそうだよなあってちょっと思った。だってこれ説明しづらいもん。これに感想そえるのめっちゃ大変だわ。

 ということで、おそらく次の記事から文フリ東京シーズンだと思いますので、そちらもなにとぞよろしくお願いします。

 

 

ゆでられ始めた卵はその瞬間からすでに別の生物への変成を始めているのではないかという仮説

 

 どうもかーびぃです。

 

 4月が終わる。実はかーびぃ氏、この4月から新しい職場で働いている。異動だなんだと適当にツイートをしたがそのレベルではない。全く異なる職場で働くことになった。ので、前職の話を少ししようと思う。

 前職は、はっきりとは明かせないが半官半民の、いわゆる団体職員というやつで、正直それが理由で勤めていた。くいっぱぐれる可能性が極端に低いから、まあどうにかなるだろうと高をくくったわけである。ちなみに給料は明らかに今のほうが高い。当時は十分だと思っていたけれど、深夜勤務がかなりあるのに割り増しがなかったり休日なのに割り増しが(略)なのでまあブラックかといえばそうでもないのだけれど決して給料はよくなかった。確定申告の話もしたが実はこの辺の事情にかかわってくることである。

 業務、主に言えば、お役所などの公共施設の警備とかその辺である。いわゆる公務員の下請け。一般に言われる公務員は居丈高でなんも仕事をしない、なんてことがよく言われるが、それは本当に一部の、奥に座って黙ってこちらをにらんでくるようなあと数年で退職みたいな感じのじいさん以外は本当に少なく、むしろこんな夜遅くまでよく働いていられるなあ、税金泥棒とかさんざん言われてんのに、しかも残業代出てないんだぜ、って思うくらいにはすげー働かされていてかわいそうだった。権利を主張しないとこうなってしまうのだなあと思い知らされた。

 それと同じで(強引)、どんな文章もプロットを作らないことにはいきあたりばったりになるというクソ当たり前のことをぼくはここ最近思い知っている。というか、それまでは若さと持ち前のADHD特有の意味不明な思考拡散力の高さを生かしてそれなりに雰囲気をぼやかしながらどうにか小説の形を保てていた程度のものを作ることが出来ていたのだが、最近薬を飲み始め妙に年をとったせいもあるのかそういう勢いだけで文章を書き連ねていくということが、詩的な意味で難しくなってきてしまっているという事実が目の前に立ちはだかっており、仕方なくプロットを作ったらまあそれなりにうまくいくようになってきている。でもプロットつくるのすげーめんどくさいしなんかいい方法ないんですかねこれ。

 ちなみに、今どんな方法でプロットを作っているかというと、「場面A(1500字程度」みたいな感じで何を文章化したいかというのを非常に端的に書き、それにどれだけの字数をかけるか、みたいな小学生でも今時やらないくらいの簡素な設計図法なのだが、これが思った以上にうまくいく。おおよその規模をはかれるし、ぼくの小説にありがちな冗長化をある程度抑えられることが出来る(無理な時は無理だが)。

 

 何が言いたいのか本題を語れ。

 ゴールデンウィークの最後に文学フリマ東京に出ます。5がつ7にち。東京流通センターですよ。ブースはイ-69です。広大な場所にまんまるのおとこがいたらぼくだと思う。もしくはサイコパスクソメガネかのどちらか。

 当日は新刊がありませんが余裕があればフリーペーパーの1兆や2兆くらい用意しているものと思われます。タンペンツメホウダイのあまりもたぶん持っていきます。文フリ東京シーズンもやるぞ。

 そして文フリ岩手にはなにかコピー本でもいいから持っていきたいと考えています。いまのところここまでの短編の総集編みたいなのがいいかなと。でも表紙デザインに困っててアレですアレ。だれか表紙を描いてくれる奇特な人はいないものでしょうか。

 

 とにもかくにも、今年は出陣するイベント数がそれなりにあるので、もう1本くらい本を出したいと思っています。

 ブログはそれなりに読まれているらしいということが発覚したので適当に宣伝してみる。即売会のたびに読んだ同人誌の感想を記事にしていくというのはやっぱりそれなりに需要があるということなのだろうか。しかしかーびぃ氏は根がパンクなので突然嫌になってやめそうな気配があるのがなんともである。

 

 どうでもいいけど黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子はまだ降ってこない。

鏡の向こうにはおぞましい世界が広がっているっていうのはローカリストの戯言

 

 どうもかーびぃです。さすがに疲れてきたぞ。

 

 凛として時雨というバンドがある。金属が打ち鳴らされるかのようなきんきんとささやくように響くボーカル、撃ちだされるギター、うねりをあげるベース、正確無比な緩急で降り注ぐドラム、そのすべてが混然一体となって聴くものの感覚を攻撃するサウンドを作るグループだ。ぼくは彼らの曲で一番最初に聞いたのは「Beautiful Circus」なのだが、今でもこの曲が一番聞きやすくそれでいて他の曲と遜色のない破壊力を備えていると思う。

 歌詞はあるようでない。ないようである。少なくともほかの要素よりは重要ではないとぼくは考えている。むしろ、その極度に攻撃力を高めた音像の中からメッセージ性をつかみ取ることのほうが意味がありそうな気がしてくる。

 

 戯言。

 

「遊園地とクレイン 第五号 鏡」著:梅に鶯(梅に鶯)

(通読性:17、宇宙感:19、残響度:18、嗜好:5、闇度:B 合計:63点)

 隣のサークルが、非常に人数も多く、また売れ行きもよくて、研究してみようと思ってブースを見ていたらこの「鏡」にとても「ごうがふかいな」を感じたので思わず買った次第である。

 結果、この4篇の短編がどれもかなりクオリティの高い代物で非常に驚愕しただけだったという非常に簡単なオチ。

 4篇であってもすべて高クオリティで、かつ、ワンテーマでここまで統一性が出るということはまずない。それが文芸サークルであればなおさらである。出てくる小説はいずれも高い攻撃性を内に秘めながらも、それを巧く加工して物語に引き込んだり、推進力にしたりして、いたずらに読者を刺したり、物語を破たんさせる方向に向かわせないという、なんというかプロでも難しいことを平然とやってのけていて、その上彼ら「全員」がそれっていうそのすごさが目立った。4人もいれば、たいていはひとりくらいはお情けというか、個性もしくは技術力のどちらかが期待水準を下回っているようなものなのだが、この4人のある種の結束が非常に強いのか、そのほころびがなく、結果、どこか人間臭さも失っていたイメージ。

 各短編について。

 「悪意のうつし身(松井駒子)」は、4篇のなかでもとりわけ高い構成力と強い引き込み、フレーバーを伏線に持ち込む妙技が光る、巻頭作として絶好の引きを持つ作品。共通テーマの「鏡」も、双子を主要な登場人物とすることで、実物と概念の両方を軸に据えるという、まさに作者の力を感じさせる小説。

 「魔術の学徒と鏡の瓶詰(唯月海理)」は、どがつく異世界ファンタジーなのだが、その世界観を違和感なく説明するギミックを仕掛けているのがとても印象的であった。長編の世界から切り取ったような構図ではあるものの、ストーリーとして完結されているし、周囲の情景を違和感なく浮かび上がらせる描写力が目立つ。

 「小さな魔法使いと使い魔たち――おしゃべりな鏡(上矢竜喗)」は、これも別ベクトルの、どがつく異世界ファンタジー。使い魔たちのキャラクターが彩り豊かで非常に楽しい。シリアスな要素をかなり裏に抑えつつ、鏡をめぐる使い魔たちの面白おかしいやりとりが繰り広げられるところが面白いと思った。

 「あなたになりたい(倉田希一)」これがトリとして秀逸。サカエとアズサというふたりの小学生の間に繰り広げられる感情の機微を描きつつ、物語をドラマチックに展開させて読者をひきつけ、最後にネタばらしを仕掛けエンディングへ、という起承転結のはっきりした話でありながら、サカエとアズサ、それぞれの孤独と、それぞれの感情の歪みの象徴として出てくる手鏡の使い方が妙。読み終わったときの印象深さ(評点上でいうところの「残響度」にあたる)ではダントツ。

 

 というように、どれも各人の色を出しながら、強い個性を小出しにしていく技術力の高さが光る作品集で、くしくもこの文フリ金沢シーズンを象徴する一冊になったと個人的には思っている。

 

 以上、文フリ金沢シーズンでした。

 ということで、文フリ東京もがんばるぞい!!

花言葉を知らなければ想いが伝わらない世界から脱出していまここにいる

 どうもかーびぃです。

 

 ぼくが最近注目している声優、中恵光城さんは歌手としても順調にキャリアを積み上げている逸材なのであるが、その曲の中に「レイル・ロマネスク」という曲がある。悠然と星空が広がりそうなオケに乗せて、中恵さんの安定感のある、甘みを帯びた凛とした声が歌詞と世界観を広げていく、とても彼女に似合う曲だ。どことなくノスタルジックな雰囲気が漂う中、芯の強い歌詞が推進力となっていくこの曲は、僕の中では同人時代の曲以上に彼女の代表作と言える代物ではないかと考えている。

 まあ、いうて「恋歌宣誓」の色気とかわいらしさのダブルパンチにはかなわないところあるんですけど。

 

「ウィンダーメアの座標」著:灰野蜜(イン・ビトロ・ガーデン)

(通読性:18、宇宙感:17、残響度:18、嗜好:6、闇度:C 合計:62点)

 手製本で丁寧に作られ、小説自体も非常に丁寧であると感じられた作品。主人公と野枝美という幼馴染の少女が、離れ離れになる前に星を見に行く、という話なのだが、このストーリーラインもシンプルでいてとても綺麗だし、そもそもこの主人公と野枝美の関係性や、野枝美という中学生の少女が持っている特有の美しさというものを本当に、丁寧に丁寧に、それこそ途方もない思考と作業の果てに描出している。そうでなければこれほどまでの密度をもって彼らが見た景色をこちら側に想起させることは不可能である。ともすれば陳腐な青春の入り口のような、ただの甘酸っぱさだけを残して終わってしまうような薄っぺらい物語になりがちな構図と進行でありながら、ぼくがこの作品にシーズン3位の高評点をつけたのは、極限までに洗練に洗練を重ね、説明臭さを排除しつつふたりのキャラクターの陰影を浮かび上がらせ、関係性を浮かび上がらせ、生活を浮かび上がらせ、心理を浮かび上がらせている途方もない描写力にある。題して「超高画質小説」とでもいうべきだろうか。例え4Kのテレビが8Kになったところで、この小説のみずみずしさ、鮮やかさ、そしてたちのぼる臨場感にはかなわないのではないか。そして、それがなしえるのはテキストのみで構成されている小説だからこそではないか。そういった可能性をぼくに感じさせてくれた。

 どうも文フリ金沢はこの手の、一見地味なようでいて途方もない力を秘めたライターが、これまた地味なこだわりを秘めた本に潜んでいて、尖った個性や奥底に沈む闇ではなく、確かな、それこそ技術力ともいうべき力を、誇示することなく、淡々とそこにある、みたいなタイプが多いなと感じた。もちろん、既刊もかなりあったので、ぼくが偶然そういう本ばかり選んだというのもあるだろうが、それを含めても、強い個性へのアンチテーゼ的な、やはり金沢としての矜持というか、そういったものをまざまざと見せつけられたような気がする。

 

 次の首位となった本についても、同じような形で、派手さはないものの力がすごい、というタイプだ。