ひざのうらはやおのメモ帳

サイコパスクソメガネが祈る墓標みたいなやつ

革命者なき後の革命

 どうも、ひざのうらはやおです。

 

 過日3月21日に開催された「第8回Text-Revolutions」についてのレポートを書こうと思う。書く理由に関しては、そんなに思いつめたものはない。ただ、なんとなく、こういうことは記録できるうちは記録したほうがいいのだろうなと思っただけである。実際ぼくはここまで様々なイベントに参加しているが、テキレボ以外でまともなレポートをしたことがほとんどない。あとは尼崎文学だらけくらいだろうか。どうもテキレボのレポートは複数回書いているようなので、このイベントにはそうさせる何かがあるのだろうと思う。他の書き手もなぜかテキレボのレポートは書きたがる人が多い。そういうのもイベントの特徴だ。

 

 先日発表した通り、ぼくはあと1ヶ月ちょっとで、一度書き手の世界から離れようと思っている。といっても、視点を変えたり、自分探しの旅に出るような気楽なものではない。これはおもちくんを失ったぼくが、新たな小説を書くために様々な形でリハビリを行っていく期間を設ける、というそれだけの話である。だから復帰するまでにいくつか、課題として原稿を考えている。これらすべてが脱稿したとき、ぼくはふたたびこの世界に足を踏み入れようと思っている。

 その辺の話は、最後のイベントである文フリ東京が終わってから、広報もかねて詳しく書こうと思う。

 

 今回は、自分で言うのもなんだが、急に活動を休止することになってしまったのと、それに付随する関係とプライベートがめちゃくちゃなことになってしまい、精神状態が危機的であった。さらに、「ジーク・ヨコハマ」(ヨコハマカオスアンソロ:テキレボ新刊)、「おもちくんメソッド」(文フリ広島新刊)、「満室になる前に」(ラブホテルアンソロジー:文フリ東京新刊予定)、「平成バッドエンド」(文フリ東京新刊予定)の4企画を同時進行させていたことがたたり、全身のほとんどが破壊された。正直、今まで経験したことのないほどのリソースを創作活動に割いてしまったことが、おもちくんの消滅につながり、結果活動の休止を余儀なくされるものとなってしまったのは皮肉である。

 そんなこんなでレポートを書くとは言ったが、何しろ満足に告知も行えていない、搬入を優先したので什器すらまともにない、加えて上記のように精根尽き果てた状態で参加したため、本当にぎりぎりの状態での参加となってしまったことしか記憶にない。ブースに訪れた人間はみなそのぎりぎりさ加減を見たと思う。逆に言えば電車で1時間程度で会場に行けるのであれば、あの状態でもどうにか同人誌の頒布は出来るということでもあるのだが。

 ツイートでもいろいろ言ったのだが、今回はふたを開けてみれば総頒布数48という前回の文学フリマ東京の42を上回る、弊社最大記録を塗り替えた大繁盛であったわけだが、個人的にはぼっとしている時間が割と長かったし、両隣には寄るのに自分のところに来ない人がすごく多いように感じた。もちろん、上記の通りボロボロの精神状態であったことが最も大きな要因であろうとは思う。この理由をある程度理性的に考えると、どうも下記のようなことが関連しているように思う。

・頒布部数と頒布人数がかなり乖離している可能性がある

 今回、新刊として「ジーク・ヨコハマ」を用意していたが、同時に、文フリ広島新刊で、当初テキレボ新刊の予定だった「おもちくんメソッド(同人編)」も関東地方初頒布であったことに加え、前回の文フリ東京新刊であった「煤煙~浦安八景~」は午後2時ごろに完配を喫していたため、この3部を同時に求める来訪者が多かった。実際この3種類の頒布部数は横並び(それぞれ11・13・12)で、戦利品ツイートの画像の中にもこれらが同時に存在するものが多くあった。つまり、延べ48部を頒布したが、実際に頒布した人数はおそらく20名程度だったと思われる。体感からもそんなものだろうなと思う。

・近隣サークルが見知った人間ばかりだったのでどうしても来訪者が気になってしまう

 左隣は「ジーク・ヨコハマ」寄稿者であり、「イリエの情景」などで知られる、このメモ帳でもおなじみの今田ずんばあらず氏の「ドジョウ街道宿場町」、右隣りはテキレボの運営に非常に寄与しており、無人ブースとして開業していた姫神雛稀氏の「PreBivi」であった。どちらも同年代でテキレボの中では名の知られているひとである。当然来訪者はかなり多い。こうなると「うちをとばしてそっち行くのか」っていう考えに陥りやすい(実際は両隣を無視してうちに来た人もそれなりにいるのではないかと思われるのに、である)。だからより自陣にひとが来ないと思ってしまうのだろう。隣の芝生は青いとやらである。

 

 総じていうと、いつも通りのツイッター上での告知や什器の搬入など、きちんと準備をしきっていれば、これ以上の頒布が望めたであろうという単純すぎる反省点以外には特にいうべきことはない。ぼくが活動を休止すると聞いて駆けつけてきてくださるひとも当然ながらそれなりにいたのだが、それだって「葬式鉄現象」のような急に来訪するタイプは予想よりも少なく、代わりにいつもお世話になっている方々の来訪がとくに多かったように思う。そういった部分でも、テキレボというのは単純に同人誌を頒布する場ではなく、同じ創作界隈の方々と交流する場という側面も非常に大きいと感じた。そして、それは賛否両論あれど、テキレボというイベントの特色でもあるように感じる。だからこそ、本当は全力を賭して取り組みたかったし、全力で駆け抜けたかったのだが、前日までの準備も、当日の対応も、アフターも、すべて不十分で残念だった。

 当日、ぼくはどこか夢の中のように感じていた。自分が全く自分でなく、何か別のものに操られているような、そんなイメージである。参加者から話しかけられればある程度の対応は行えたし、実際50部近い頒布を行っている(しかもそれは過去最大規模だ)のだが、そんな印象は全くなく、ただ平積みしていた在庫が最後の方はやたら低くなったな、という感想しか抱かなかった。だから実のところ、誰が来て何を頒布したのか、今までだったらだいたい覚えていたのだが、今回ばかりはほとんどといっていいくらい覚えていない。戦利品ツイートの画像に自分の頒布物が入っているのを見て「あれ、来てたんだ」と思ったのがほとんどである。非常に申し訳ない。今から思い返してもほとんどなにも思い出せない。へにゃらぽっちぽー氏が買い物に行くところを横目で見て今田ずんばあらず氏と話をしたりだとか、シワ氏に「これが最後かもしれないので」と握手を求められたりとか、伊織大先生がまじないを上下巻でお求めになられたりとか、それくらいインパクトがあることくらいしか記憶になく、おそらく来られただろうな、という方はおぼろげには覚えているものの、頒布したものが何かすら判然としない。ただ、フリーペーパーは50部刷って残部が3だったので、そこそこ多くの方にお渡しできたものと思う。そして、おそらくであるが上記のことを鑑みるに、もう少し頒布部数を伸ばすことが出来たのではないかと考えられる(来訪者に比べて頒布者数の率が前回までと比較するとよくないように感じる)し、参加者と話した内容で得たものもかなりあったはずだと考えると、まことに残念であるという思いが強い。

 アフターも、本来であれば非公式打ち上げか、もしくはヨコハマメンバーで打ち上げに行きたかったし、(おそらく活動を休止することなどを鑑みたのだろう)個人的なお誘いもいくつかいただいていたのだが、上記のように精根尽き果てた状態で、同人誌の頒布以外のことはとうてい行えそうになかったためすべて参加を断念し、会場も閉会すぐに退出した。(※テキレボでは閉会後も、撤収作業や公式懇親会を行う慣例があるので、閉会すぐに出ていくことはこれまでなかった)

 一息つくためにサンマルクカフェによって、そこでツイートをしながらひたすら泣いた。泣き続けた。一日中ポメラをいじっていてもまともな文章がでてこないばかりか、自分の文章ですら他人のそれに思え、しかも異常に完成度が高いように思えたことや、残っているイベントへの不安、ボロボロの状態で準備もろくにしないまま、テキレボ当日を迎えたことについての無念さがあとからあとから押し寄せて、ひたすら泣いた。両隣はどちらもカップルだったと思う。よく覚えていない。しかしまあ年甲斐もなく泣いた。さぞ不気味だったことだろう。そんなことはわかっている。ぼくだって泣きたくて泣いていたわけじゃない。断じて。

 そして、必ず、書き手として再び浅草の地に足を踏み入れることを誓ったのだった。

 

 というのがレポートなわけだが、こんなのレポートでも何でもない。しいて言えばエッセイだし、まあふつうに日記っていったほうがいいんじゃないかな。

 以下は、蛇足というか、今後のはなし。

 

 おもちくんという、小説作成に特化した、感情の塊のような人格概念を失ってからもう1週間近くになるが、やはりまともな小説は書けなかった。ただ、もとから組みあがっているものを修正する能力はある程度取り戻してきたように感じるので、昨日あたりから「平成バッドエンド」の最終調整とあとがきの執筆を行っている。ようやく「猫にコンドーム」の改稿も落ち着き、あとはページ数調整とカバーイラストの調整と発注作業くらいである。こちらはぼくの休止前最後のイベント、文学フリマ東京(5月6日)の新刊である。当日は完配を防ぐため全数搬入したいと思う。

 また、ラブホテルアンソロジー「満室になる前に」であるが、現状では同日に頒布を開始する予定である。各参加者のブースで委託頒布を行うかどうかについてはまだ調整中で、今後の予定と共に折り合いがつき次第別の記事で報告させていただきたい。

 

 また、直近のイベントは上記文フリ東京ではなく、2週間後、4月6日(土)の「おもしろ同人誌バザール(@ベルサール六本木)」である。こちらは初参加となり、また情報系同人誌を中心とした即売会ということで、点数を絞ろうと考えている。続報をツイッターで行いたいと考えているので、必要な方はチェックいただけるとありがたい。

 

 また私事で恐縮だが、転職にほぼ近いレベルの部署異動があり、4月1日付で全然違う部署に配属されることになった。活動を休止することがまるで誰かに伝わっているかのようで少し不気味だが、まあ会社を移る気はそんなにないし、少なくとも向こう数年は経済状況的に難しいので、どうにかやっていくしかない。そんなわけで、もしかすると予想以上に復帰が遅くなってしまうかもしれないが、ぼくは必ず復帰するつもりでいる、ということをここであえて記しておきたかった。

 

 休止後の案内については、すべてが終了してから、また記したい。

 今はまだ、確定していないことが多すぎる。

 

 

 

おもちくん、さようなら

 こんばんは、ひざのうらはやおです。

 

 突然で申し訳ないのですが、ここで重要なご報告をさせていただきます。

 

 私ひざのうらはやおは、2019年5月6日の文学フリマ東京をもちまして、文芸創作同人活動を無期限休止いたします。

 

 おとといごろから、文章を書くのに強烈な違和感がありました。何を書いてもしっくりこない、書くたびに猛烈な吐き気に襲われる、何を書いていいのか全く分からなくなる、などなど、その症状は多岐にわたり、いずれにおいても原稿の製作時に多大な弊害をもたらしていました。そのため、原稿の製作が絶望的に困難な状況となっており、これ以上の製作ができかねておりました。

 私はこれを「おもちくんが死んだ」と表現しています。おもちくんは、弊サークルのマスコットキャラクター的存在であり、また同時に私の半身でもありました。さらに、私の創作活動のほとんどを占めているかけがえのない概念でした。しかし、おととい以降、私の脳内ではおもちくんの声がしないことに気づきました。これも今朝の話です。

 気づいたときには呆然とし、わけもわからないのに涙で前が見えなくなりました。彼がなぜ死んでしまったのか、その原因は不明ですが、原因が不明であり、したがって対処法や彼を復活させる方法が不明である以上、これ以上の継続的な創作同人活動が不可能であると判断し、上記の結論に至りました。

 ここまで様々なご意見やご声援をいただきました。そのすべてがどこか、遠い国の想いでのように感じています。本当にありがとうございました。まして、自分で「おもちくんメソッド」などと題した同人活動継続法の妙を頒布するような人間が、こんな形で活動を休止するとは自分でも思っておらず、また志半ばという思いが強く、やりきれない気持ちです。しかし、現に原稿を新しく書くことができず、この記事ですら書くのがやっとであるという状況からも、やむを得ないものと判断しました。

 本来このような、ある種個人的な発表をブログで行うことにはいささか疑義も生じましょうが、上記のとおり突然であったこと、またキャンセル等により実害が発生しうる行動であることから急遽決断させていただきました。

 ここまでご声援いただいた皆様と、また、様々なことにご協力をいただいた皆様には勝手ながら多大なる迷惑をおかけしますことをお許しください。

 

 上記に鑑みまして、今後の予定を整理させていただきます。

 まず、下記の参加予定をキャンセルしました。

 ・文学フリマ岩手(6月9日開催予定)

 ・静岡文学マルシェ(6月16日開催予定)

 また、参加を表明していた下記のイベントにも参加しないことにしました。

 ・文学フリマ大阪

 その他、案段階の新刊および続巻の構想をすべて白紙に戻させていただきます。

 

 私が参加するイベント、および新刊として発表するものは下記限りとなります。

 ・オフラインブックストア(3月15日開催 大阪・中崎町モンカフェ

 新刊先行頒布:「しん・まんまるびより(さい)」(エッセイ集)

 ・第8回Text-Revolutions(3月21日開催 東京・都立産業貿易センター台東館)

 新刊:「ジーク・ヨコハマ」(ヨコハマアンソロジー

 ・おもしろ同人誌バザール(4月6日開催 ベルサール六本木)

 ・第28回文学フリマ東京(5月6日開催 東京流通センター

 新刊:「平成バッドエンド」(純文学中編小説集)

 新刊:「満室になる前に」(ラブホテルアンソロジー

 

 また、現在行われている「シーズンレース」については、ここまで参加しているイベント分については継続して行う予定で、まんまるリーディングサービスのモニターを担当していただいた方の原稿のフィードバックについても順次行う予定です。ご心配をおかけして申し訳ありません。

 余力があれば、まんまるリーディングサービスについては本稼働させられるかもしれません。やや望みは薄いですが。

 なお、広報活動およびおもちくんのぼやきシステムとしてあった「ひざのうらはやおのおもちくんラジオ」ですが、当のおもちくんがいなくなってしまったので打ち切りで終了となります。ご愛顧ありがとうございました。

 

 私としては志半ばであり、大変遺憾です。どうにかしておもちくんを復活させるのか、それとも何の芸もない私自身がひざのうらはやおとして再び書き手になるのかはわかりません。この休止期間も半年程度かもしれませんし、数年にわたるかもしれません。もしかしたらこのまま廃業になってしまうことも十分あり得ます。私自身が「おもちくんメソッド」で書いたように、活動というのはいったん止めてしまうとなかなか再開することが難しく、それなりのリスクを伴います。しかし、おもちくんが死んでしまった以上、私ひとりの力ではどうすることもできません。すべてはおもちくんをここまで酷使してしまった私自身の責任でもあります。

 現実世界では考えられないほどの応援をいただきまして、感謝しております。

 同人活動としては残り僅かとなりますが、同人誌を読むものとしてはまだまだ活動できると考えておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ゴミ箱の中に無限のタネが眠っている可能性だってある

 どうもおもちくんです。

 

 久々の何もない記事です。

 てなわけで、というのもアレだが、文學界新人賞の結果が発表され、拙作「猫にコンドーム」は二次予選敗退以下であることが確定したわけだが。

 応募作2100超から45作が二次予選通過であり、それが誌面発表されるわけで、この時点で自分が通過していること自体絶望的であったのだが、それ以上に知っているペンネームがなにひとつなく、しかもみんな硬そうな名前ばっかりなのに驚いた。「ひざのうらはやお」などというひらがな8文字をぜいたくに使ったペンネームなどない。これでは逆立ちしても入らんだろうな、と思った。

 正直、100作くらいだったら運がよければなんとかいけそうな自信はあった。それくらいには手を入れた作品だったし、純文学としては初めての中編サイズであったこともあって、この「猫にコンドーム」はひざのうらはやお史上最も大切にされている作品であるといってよい。しかし、45作ともなるとさすがに希望はない。なぜなら提出した後でもかなり推敲することが出来たからだった。現在の「猫コン」は提出時の原版からさらに手を加えているし、より力のあるものになっていると自負している。

 ただ、あえて敗戦の弁をもっともらしく述べるならば、この作品はひざのうらはやおとしての持ち味を最も生かした作品ではあるにせよ、いかんせんインパクトが圧倒的に不足しているという致命的な欠点がある。尖ってはいるがぼく自身の文体によってそれは摩耗し、強烈な読後感を与えない。読んだ人間の印象に非常に残りづらい作品である。

 これは何もこの作品に限ったことではなく、ひざのうらはやおの小説全般に言えることではないかと思う。読み手に、ぼくの作品で印象に残るものは、と聞いてもそれほど芳しい答えを得られないのではないだろうか。小説そのものはそれなりの評価をいただいている中で、この、印象にのこる小説というものを書いていかないと、選考はもとより、読み手にも響かないのだろうなと思った。

 逆に言えば、それがない状態でここまで評価を得ているということは、少なくともいろんな書き手がいる中で、上位層に残れるだけの地力はあるのではないかと考えている。だけれど、たとえばある読み手の中で、上位3作品にぼくの作品が入っていたとしても、その人の最上位は別の作品であるように、だれかの最上位に君臨するということを、もっと意識すべきなのではないかと非常に思うのである。

 とはいえ、結論を先に述べてしまうようでアレなのだが、ぼく自身、だれかの最上位に君臨することのできるような書き手にはなれないと考えている。そこまでだれか、個人になにかをコミットするということそのものを禁忌として生きてきている以上、そんなことは不可能であるように思う。おそらくだが、商業の小説家として、いっぱしの文学屋として戦っていくにはその辺の極めて高い精度と、あえて踏み込みに行く胆力が必要不可欠であり、ぼくにはどちらもそれを持ちえないものであると考えている。だからぼくは出来るだけ、持続可能な範囲で同人を続けていくよりほかにないのである。

 

 でまあ、そこまで考えたうえで、なんとなく元号が変わるというこの空気に乗っかってもう一作純文学中編を書いたわけである。それが「さらば、目に映るすべてたち」という作品で、平成が終わる、というただそれだけのワードを限界まで赤方遷移させて平成!宗教!サブカル!極限修行!みたいなのが跋扈するかなり頭の悪い小説になった。これは群像新人賞に出そうと思ったが明らかに完成度不足だった上にいろいろと考えてやめた。その辞めた理由というのが、上記の「猫にコンドーム」と合わせると面白そうだと考えたためである。この「さらば」は加筆修正の過程で前後編2編に分かれて、それぞれ「平成デッドエンド」「平成アポカリプス」という2つの小説に分離した。前編となる「平成デッドエンド」も、後編となる「平成アポカリプス」も、ぼくが今まで使ってこなかった手法や構成がふんだんに用いられているという点で、極めて攻めた作品であり、逆に言えば今までの読み手にはあまり受け入れられることがないのではないかと考えている代物である。それでも、平成という時代に捧げるひとつのレクイエムにはなりえたのではないかと思うし、持てる力をすべて注ぎ込んだという自負はある。

 ということで、この2編(正確には3編であるが)を合わせた両A面純文学中編小説集「平成バッドエンド」を鋭意製作中である。新元号最初の文学フリマである文学フリマ東京の新刊として用意しているので、ご期待いただければと思う。

 また、これに懲りず、五大文芸誌の新人賞を制覇していきたい構えである。

まんまるリーディングサービス(プレ)について

 どうもこんばんは、ひざのうらはやおです。

 おもちくんがお世話になっています。

 

 さて、今回は弊社(社ではない)ごうがふかいなホールディングスの新たなサービスを、お試しモードでやってみたいので、それにご協力してくださる方を募集するという記事です。

 

 かねてからツイッターでぼやいていたように、一次創作書き手による下読み問題から、できれば自分も下読みをして、原稿に困っている人に何かしらのヒントをあげたいと思いまして、そのサービスを試しにやってみようという試みです。

 本来はサービスごとに基本料金やオプションなどを設定して、それなりのコミッションとしたいのですが、支払い関係がまだまだ確立できていないことと、今回はあくまで自分にその力量があるかどうかのお試しというところで、すべて無料で引き受けさせていただきます。その要項や条件については下記のとおりです。

 

募集要項

 募集数:先着3名、ひとりにつき1作まで

(満了しました。応募ありがとうございました)

 原稿の分量:400字詰め原稿用紙300枚以内、かつ10万字以内

(※1作品の最大の分量です。これ以上は現状お引き受けするのが難しいです)

 応募条件

 ・ひざのうらはやおのツイッターアカウント(@hizanourahayao)と相互フォローであるアカウントの管理者であること

 ・このメモ帳にある「シーズンレース関係」の記事を読んでおり、2018ステージの評点方法について一定の理解があること

 ・いただいた原稿を上記基準によって評点化をすることを承諾してくれること

 ・いただいた原稿についてのフィードバック文面の一部をフィードバック例としてこのメモ帳に掲載することを承諾してくださること(当該記事を掲載する前にご連絡はいたします。また、原稿の文面そのものを引用して言及する部分などに関しては省略するなどの対処をとります)

 ・フィードバックまでの時間をある程度(2週間以上)とれること

 応募方法

 ・上記アカウントにリプライもしくはDMで

 原稿送付方法

 ・サービス決定後、相談させていただきます。

 オプション等

 ・決定後、該当者にお知らせしますので、ご希望等があればおもうしつけください。

 

 という感じで、正直めちゃくちゃ作業に追われてる今日この頃なんですがやってみたいと思います。もし気になった方はお声がけください。

文体と個性のはなし

 アマチュアの文筆家をぼくは「書き手」と一貫して呼んでいる。特に理由はないのだが、なんとなくニコニコ動画の「歌い手」「踊り手」みたいなニュアンスで、ワナビーも純粋なアマチュアセミプロも何もかもを一緒くたに呼べるような気がするから便利で使っているのだろうと思う。もっと便利な呼称があればそれを使うだろうなとも思う。

 

 とまあそんなことはどうでもよくて、最近流行ったツイッターのタグを見てふと考えたのだが、書き手の皆さんは結構自分の作品の強みを的確に分析できていて、それをセールスできる人が多い。それ自体にもびっくりなのだが、自己分析という終わりのない迷路をある程度で切り上げて、あまつさえそれを他人にもしっかりわかるように開示できているというのは、ぼくから見るとすさまじいスキルのように見える。ぼくはどちらも苦手である。いったん考え始めるといくら読み返しても足りないような気がするし、その実、これがわかったところでなんになるのか、と思ってしまう。

 でまあ、そんなわけでぼくも自分のセールスポイントを考えてみたのだが、ずばり、「文体」ではないかと思うのだ。これまでぼくは様々なジャンルを書いてきた。SF、ライトノベル、ファンタジー、純文学、現代小説、幻想小説、果てはエッセイまで、官能小説とホラー、ミステリ以外はだいたいおさえられているような気がする。もっとも取りこぼしがあるかもしれない。そして、そのすべての文章に対して、通底する概念が存在しているのではないかと考えた。そう、考えた、つまり仮説である。

 この考えに至ったのにはわけがある。かつて、文芸サークルに所属していた時に同期に、「きみは何を書いても『ひざのうらはやお』だな」と言われたのを思い出した。確かに、読んでみると、自分の文章ながら、それぞれ違ったテイストを確かに持っているにもかかわらず、どこか、ぼくが書いたものだということがわかるような雰囲気になっているのだ。これほど多様に書いているにもかかわらず、それらに通底するひとつの作風というものがあるならば、それはもう「文体」と呼んで差し支えないのではないか、とこう考えたわけである。

 しかし、このようなセールスポイントは、諸刃の剣になりうる、というより、現時点でなっている。ぼくはそもそも即売会の場でオーディエンスに訴求する行動を何ひとつ行っていない。そして、「文体」というものは実際に読んでみなければなにひとつ伝わらないし、さらに言えば読んでも伝わらない場合がある。だからこそ読み手を勝手にゾーニングしているともいえるし、ぼくは良質な読み手に恵まれていると感じるのはそこに端を発しているのだろうが、これでは新規の読み手を獲得するのがとても難しい。実際、ぼくが即売会に出ていく中で、その場が完全に(オンラインオフライン問わず)初対面であるという事象はほとんどなかった。インターネット上の交流がもとにあって、その先にオフラインの対面があるという方針にしているのは他ならぬ自分であるが、即売会の場が新規開拓の場にならないということに気づいて少しまずいな、とも思っている。もちろん、頒布数を保ったり、そもそも読まれることと良質な小説を生み出すことは、不可分ではないにせよ強い相関はないわけだから、そう神経質になることもないし、みかけの読み手の多さにかまけることはすなわち、書き手としての自分を欺瞞することにもつながりかねないわけで、つまるところ何も危惧すべきでもないわけであるが、しかしながら、ぼくの文章がすこしでも既存の空間から外に流れ出ていかなければ、その価値はたかが知れているということになってしまう。西野カナが「会いたくて会いたくて震える」とうたわなければ、彼女がファンの外であるぼくたちに名前を知られることはなかったのとたぶん同じことだ。

 何が書きたいのかよくわかんなくなってきた。えてしてぼくの文章はこういう状態に陥る。たぶん理路整然としたものが好みの方は受け入れられないのではないかと思うし、受け入れられなくても仕方がないかなとも思う。容量的にバッファがないとぼくの文章を読むのは厳しい。

 だがしかし、書けないのならばせめてまともに読みたいとも思うわけである。このブログで普段やっているシーズンレースは、そうやって真面目に読もうとした結果生まれたもので、真面目に読むということを突き詰めてはいるものの、それ以上のことをやっているわけではない。例えば批評したり、分析したりというのは、ぼくにはできないのだ。体系化した学問を脳内に収めることが出来なかった人間はこういう場面で弱い。おそらくぼくの脳構造的にそういったものを収めるのが苦手のようで、それは最近理解したところだ。だから、というわけではないだろうが、ぼくは文系に進んだし、それでいて歴史科目が全くできなかった。横にはつなげていけるが、縦につなげることがどうしてもできなかったのだ。もちろん、これは今になってわかったことである。

 おそらくであるが、ここまで書かれた文章を読んで、いらだちを憶えないひとは僕の小説を読むのに向いていると思う。今月は24日に文学フリマ広島が広島県立産業会館で、来月は21日にText-Revolutionsが浅草の都立産業貿易センター台東館で開催される。どちらも文芸系同人誌即売会イベントの中ではそこそこの規模を誇るので、ぜひのぞいてみるといいと思う。