おもちくんのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

此岸を往く船は何で動いていても「こちら」のものではない

 どうもおもちくんです。

 作業が詰まりに詰まっているうえにどこもかしこも原稿に追われている。なのでこの記事を書いている時間もないといえばないのだが、だけれど書きたいと思ったから書くのであって、そういうことはどれだけ仕事が詰まっていようが関係ないのだ。

 

 霜月はるかという、同人世界でも商業の世界でも、シンガーとしてもソングライターとしても活躍している、知る人ぞ知る方がいるのだが、この人の同人レーベルの音楽に「落日の迷い子」という曲がある。合唱出身と聞いたことがあるが、この曲を聴くと納得する。ボーカルとそれ以外の旋律線がどれもメロディアスで、常にハーモニーを奏で続けながら変化していく進行で、それでありながらアコースティックでもないところが非常に面白い。氏が持っている創作の軸のようなものを垣間見ることが出来る。

 

「天満」著:織作雨

文体:28 空間:31 (半客観分野:59)

感覚:27 GF:33 (主観分野:60)

闇度:0.396 レート:なし

総合:119.396(文フリ金沢4シーズン 3位

 

 ということで、織作雨(おりさく あめ)氏による短編集が今回の文フリ金沢シーズンの3位となった。半年以上前なので、どうやって手に取ったのかが全く記憶にないのだが、結論から言うとこの作品を手に取ってよかったと思う。

 5篇の短編からなる短編集であるが、そのどれもが平易な文体でありながら非常に深くえぐるような幻想色を出してきているのが心に刺さった。幻想文学、ともまた違う趣ではあるが、方向性としてはファンタジーというよりはそっちに近いように思う。ぼくは幻想文学があまり得意ではないのだが、その苦手である文体の不必要な重さというものがなく、柔らかめで、とても読みやすい。しかも、そうでありながら強い幻想感を漂わせられるというのがこの書き手の文体の強みであると思った。舞台や方向性はバラエティに富む一方、その文体が通貫されていて、短編集として非常に読み応えがあり、かつ、この書き手の凄みというものを感じ取れる作品になっていた。この方の他の作品を読んだことはないのだが、他にも読んでみたいと思うし、そういう部分で、この作品集は氏のエントリーモデルになり得ると感じた。

 書き手本人は表題作を好きだとあとがきで明言しており、実際読んでみるとその力の入れようからそれを感じ取ることが出来るのだが、ぼくとしては巻頭の「消滅」の完成度の高さに舌を巻いた。主人公と妻の会話のやりとりがかなり自然で、こういった部分に非常に細かく入り込んでいくタイプの書き手であると思ったし、この衝撃でつづきを読もうと思ったくらいだった。

 全編を通して読みやすく、また、いろんなイベントに出ていくとのことなので、もし興味があれば読んでいただきたい一冊である。

 

 次回は、全国各地を飛び回るあの人気サークルの異色作について、書こうと思う。

失った血液が鮮血かどうかなんて誰も気にしない

 どうもおもちくんです。年があけたところで、みたいなところはあるので普通に始めます。

 文フリ金沢シーズンをすべて読み終わったので、さっそくではあるが惜しくも記事化から外れてしまった作品について、コメントしていきたいと思う。

 

「二十光年ロボット」著:碧

 表題作ふくめ、SF風味が強い短編集。特に表題作が顕著なのだが、どの作品も、置かれている視点がかなりユニークで、独特の世界観がにじみ出ているのが印象的だった。ただ個人的には2作目の幕引きがすごくおもしろかった。こういうのが好きなのかもしれない。

 

「シズムアンソロジー」著:うさうらら 他5名(レート:1.000)

 装丁からその世界観を漂わせる、どこか耽美なアンソロジー。共通の設定を用いて創作されており、収録内容は、まさに百花繚乱、といった趣き。著者のひとりである紺堂氏が6.000のレートを保持しているため、それを書き手数6人で割ったものがレートとなっている。非常に強いこだわりを感じる。最後の一冊だったのでちょっとした思い入れもある。

 

「ごう散歩」著:繰り沼

 タイトルだけで買ってしまった。結論から言うとめちゃくちゃ面白かった。江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」の登場人物(郷田)からとられているらしく、「業」ではなかったか、と思ったが、そのスポット紹介と郷田のノリがなぜかツボにはまった。たのしい。

 

「移ろい」著:桜鬼(波の寄る辺)

 破格の大型新人。この方にはなんとなくこういうイメージを持っているし、今もそこから変わることはないのだが、その処女作らしい。らしい、というのは、どうしてもそうであるように見えないからで、もっとも小説を書いて初めての作品ではないにしろ、この精度の小説を集めたものが初めての個人誌だというのか……ということに尽きる。個人的には「此岸花」が好きかな。今後の作品が少し楽しみ。

 

「サボテンの子どもたち」著:永坂暖日(夢想叙事)

 隣の隣だったか、テキレボなどでよく見るお名前だなあと思っていつかは読んでみようと思い手にとったのがこれだった。短編集なのだが、登場人物が全て関連付けられていて、同じ世界線の中での話だとわかる。各話の語り、に相当する、書き手の目線のやわらかさがすごく印象的だなと思った。どれもこれも非常に地に足のついたはなしであるなか、「銀杏夜話」だけがややファンタジックな世界観で、ちょっと意表を突かれたのと、それでいてなおオチまでしっかり優しい味、というのがとても心に残って、これが文体というものか、と気づいた。そういう意味でものすごく完成されているのではないかと思う。

 

「Black Sheep in the Cage ~その末裔は悲劇と踊る~」著:神谷アユム(青猫のすみか)(レート:B)(ごうがふかいな賞

 感情の銃撃戦を得意とする神谷アユム氏の長編BLダークファンタジーもこれで4巻になるが、これは氏の作風を極振りしたものだった。特に終盤の展開がすさまじい。ミステリやダークファンタジーの流れでいえば完全に王道に近いパターンで、その上でこの感情の応酬が繰り広げられているのは、凄まじい臨場感がある。こういう文章はぼくには一切書けないので本当にうらやましい(本音)。

 氏のシリーズ作品は徐々に相対的な評点が上がり続けているのが本当に面白いところで、逆のパターンはよく見るのだが、順調に右肩上がりをつづけているのはこのBSCシリーズのみである。今回、すわ記事化か、と思われるような評点だったのだが、惜しくもラインを外れてしまった。次巻はどうなるのか、楽しみである。

 ということでこれがごうがふかいな賞。

 

 いやはや、こうして並べてみると個人的に壮観だなあと思う。というのも、今回は後半の作品で順位が逆転することが多く、記事化間違いないと思っていたようなものでもラインを外れてここでコメントしているものが異常に多かったからで、予想通りの混迷した結果になったな、というのが正直な感想である。

 さて、次は3位の作品の記事である。今しばらく時間をいただきたい。

 

天上の歌姫を救うために旅立った彼らはまだ戻ってきていない

 どうもおもちくんです。

 

 去年で懲りた、とか言っておきながら、今年も創作の集大成の記事を書こうとしている。なんだかんだ、今年を総括する必要はあると思って、ここに書き残そうと思う。

 ということで、ここでは、今年を振り返って思ったことや、来年やってみたいことについて書いていきたい。

 ぼくがどういう人間で、普段なにを書いているのか気になった人は、このメモ帳の「シーズンレース関係」や「宣伝等」にカテゴライズされているものを読んでもらえれば、だいたいわかると思う。後述するが、そもそもぼくは自分の書いているものを明瞭に簡潔に説明できない。「ごうがふかいな」という概念はぼくが確かに発見したものだけれど、ぼくが書いているもので「ごうがふかいな」を含むものはそんなに多くないから、「ごうがふかいな」のひと、というのも不完全である。おそらくまともな活動としては、各即売会ごとに戦利品を評点化し、上位3作品について記事として紹介、それ以外でもひとことふたことブログでコメントする、という形式の「シーズンレース」であろうと思われる。このメモ帳を読んでいるほとんどのひとは、「シーズンレース」もしくは「ごうがふかいな」というキーワードから読んでいるのではないだろうか。というかそれ以外から読んでくださっている人は貴重だ。貴重であるとともに、おそらくそこまで有益なものが並んでいるとは思えないので、向いていないと思ったらすぐに読むのをやめてほしい。 

 

 ということで、本題に入ろう。

 

 2018年を、まず数字で振り返ってみたい。

 だが、弊社は秋の文フリ東京を境に年度を変えているのと、今年の秋の文フリ東京の前日に開催された「HUB a nice D」については2019ステージ(年度)の扱いなので、下記の統計には含めない。ご了承されたし。

 参加イベント数:11

※文フリ東京25、文フリ京都2、文フリ前橋2、文フリ東京26、文フリ金沢4、静岡文学マルシェ2、文フリ札幌3、テキレボ7、文フリ大阪6、あまぶん3、文フリ福岡4

 総頒布数:161(イベント限定頒布も含む有料頒布物の頒布総数)

 1イベントあたり:14.64部(小数点以下3桁めを四捨五入)

 ぼくの予想以上に1イベント当たりの平均頒布数が高くてびっくりしている。特に、6月の「静岡文学マルシェ」以降で平均を突破したイベントがテキレボしかないのがその理由だろう。文フリ東京25,26と文フリ京都2がかなり好調で、とくに文フリ京都2は限定頒布でおみくじを頒布(有料)したのでそれが数にカウントされているということもあった。おみくじだろうが有料頒布だから部数に含めるんだよ!!!!!

 まあそういうわけで微妙に数字をかさ上げしていなくもないわけであるが、それにしたって1イベントにつき15部近く頒布しているという結果はかなり衝撃的だ。ぼく個人の感覚でいえば、15はかなり多い。地方イベントなどに行くと、特に去年は0や1があたりまえで、多くても2ケタになるなんてことは大阪などの大規模なイベントでもない限りなかったし、実際今年もそれを大きく逸脱はしていないのだが、ずいぶん健闘したなと思う。少なくとも、数字だけでいえば、去年よりもずっと多くの方々に手に取られているという事実がある。これは、今後の活動を続けていくうえで大きなモチベーションの獲得につながる。ありがたいことだ。

 頒布数の分布は特に激しく、前半に集中している。文フリ金沢までの5イベントの合計が104なのに対し、静岡文学マルシェ以降の6イベントの合計が57と、ほぼほぼダブルスコアになっている。これの原因はよくわからない。特に後半が思った以上に伸び悩んでるなあと思っているので、多分後半落ち込んだ理由がわかれば、もっと頒布数を伸ばせるような気がする。

 もっとも、来年以降は出るイベントの数を減らしていく方針なので、必然的に総頒布数は減っていくと思われるし、そもそも頒布数を伸ばしたからといってぼくのモチベーションにそこまで影響するかというと、まあ微妙である。というのも、ぼくは他人の反応がどうであれ小説を書くだろうし、書いたものは本にしてイベントに出たいという気持ちも多分他の人からの反応如何で変わるようなものではないからだ。この辺は「おもちくんメソッド(後述)」で掘り下げていきたい。

 

 今年出した本

 「Ophiuchus Ep.0 発端」A5サイズ 300円(文フリ京都2新刊)

 「まんまるびより 第1集」新書サイズ 850円(文フリ金沢4新刊)

 「Ophiuchus Ep.1 断罪者の矜持」A5サイズ 1000円(テキレボ7新刊)

 「まんまるびより 第2集」新書サイズ 850円(あまぶん3新刊)

 「煤煙~浦安八景~」文庫サイズ 500円(文フリ東京27新刊)(※2019ステージ)

 

 5冊出した。イベントに多く出ているせいで感覚がマヒしているが、去年の3冊からさらに2冊も出しているし、しかも前半は完全に原稿が止まってしまっていたことを考えると、後半のエンジンのかかりかたが尋常じゃなかったのがうかがえる。しかし後半は執筆こそすさまじい(当社比)量だったが上記の通り活動実績としてはふるわなかったので、なかなかままならないなあとも思う。

 あと、今年はコンテストにも応募した。もう終わったことなので明らかにするが、文學界の新人賞と、群像の新人賞に向けて原稿を書き、うちひとつを文學界に送り込んで、もう片方は断念した。その両方を来年に同人誌として発表したいところだが、結果の如何によってはそれも難しいかもしれないと考えている。そして、新たな試みとして、小説投稿サイト「カクヨム」のコンテストである「第4回カクヨムWeb小説コンテスト」と「カクヨムWeb小説短編賞」にも応募してみた。どちらも読者人気で第一選考を行うという投稿サイトらしいやりかたをしているが、これはこれで面白いと思いつつ、読者人気でやられちゃうと絶対残らないなあとも思ってしまう。

 ちなみに、参加した作品は下記2つ。

kakuyomu.jp

 ひょんなことから最愛の幼馴染を失った男子大学生真中浮人が、周囲の怪異を解決していく物語。現代ファンタジーでありながら最後は鮮やかに世界が崩壊していくという弊社最ごうがふかいなを誇る作品で、21万字は完結している作品の中では最も長いものになる。10万字以上という規定があったためこの作品しか参加できなかったため出したので、正直選考に進めるとは露ほども思っていない(なにしろ5年以上前に書いたものだ)が、それでもなんか祭りみたいになってるし応募要項は満たしているしで出すことに決めた。

kakuyomu.jp

 こちらは短編小説賞に応募した。1万字以内でそこそこ書けている中で、エンタメ要素を多分に含むというところではこれが適切ではないかと思う。ぼくはエンタメを書くのが得意ではないし、この小説もエンタメのつもりで書いたわけではないのだが、エンタメの要素は満たしているものと思われる。球体の生物が経営する酒場で繰り広げられる悲喜劇、といった感じだろうか。

 

 この1年で気づいたこと

 2018年で気づいたことはいくつかある。

 まず、ぼくは小説を書くのが少なくとも好きではないということ。これはもう認めざるを得ないだろうと思う。小説を書くよりも何十倍もゲームをしていたい。でも小説を書かないでいると死んでしまうかもしれない。だから書いているし、書いたものはせっかくだから人に見せたいし、見せることによって何か、風が吹いて桶屋が儲かるみたいな妙な相乗効果みたいなのが生まれればいいと思っている。それ自体が、ぼくがこの世界に生きた証みたいな、そんな感じだ。

 あと、意外と小説を書くことそのものが好きで同人活動をしている人が多い。多い、というのは、ぼくの考えではせいぜい7割くらいだろうと思っていたのが、9割くらいなんじゃないかと感じた、という意味である。少ないと思っていたわけではないが、予想以上に多かったので少し戦略を変えていこうと思った。これに関しては、むしろぼくの考え方が武器になるところがあるので、特に悲観はしていない。

 また、ぼくの小説は非常に広報が難しい部類のもので、多くの人の心に残るようなものではない、ということにも気づいた。これはいい悪いとかそういう問題ではなく、性質としてそうなるというはなし。ぼくの出す文体そのものが、多くの人の心に印象として残りにくいという、同人運営上としては極めて致命的な欠点が明らかになった。

 どういうことかというと、自分の作品の推薦文を書けないどころか、読み手にもなかなか書いてもらえないということである。ほかの、例えばそういったものが得意な書き手の手にかかれば、「この作品は眼鏡男子とメンヘラ女子のめちゃくちゃ危険でエッチな恋愛小説です」とかそういう紹介文を書けてしまうところを、ぼくはそういった風に書ける小説をそもそも書いていない、書けていないという事実が判明したのである。これはぼくの告知の方法を見ていればわかると思う。ぼくは主に、作品の説明としてジャンル名か「ごうがふかいな」しか言ってない場合がほとんどである。つまり、説明していないのだ。これではなかなか初見のひとが読もうという気持ちにならない。それはわかっているのだが、しかし具体的な説明力をもたないのだから仕方がないのである。

 ぼくが普段、「シーズンレース」という評点形式の同人誌紹介企画を行っているのは、そもそもが自分のプレゼン力を高めるためという完全な私利私欲のもとにやっているのであるが、継続してそんな訓練を行っているぼくをもってしても自作を効果的に紹介するのは難しい。難しいし、正味のところ、そんな簡潔に説明できてしまうような小説ならば書かない方がマシだと思っている節もある(だがしかし、簡潔に説明をしていても書くのに値する小説も実際問題として存在する)ので、それはそれとして仕方がないのかなと諦めてもいる。同人活動を継続するにあたって、諦めというのは非常に重要なウェイトをしめるといってよく、ぼくはこの諦めのバランスにおいてのみ、同人活動に極めて向いているように思う。

 今年気づいたこととしてはおおむね上記のことだろうか。それ以外にも細かい部分はあるが、諸事情によりここでは割愛する。

 

 来年やりたいこと

 さて、2019年でやりたいことについても書いておきたい。どうせ次この記事を見返すのは2019年もほぼ終わりにさしかかった頃、と思うので、あくまで予定というか、備忘録にすらならない、ただのインスピレーションのマイルストーンとして。

 現時点で、アンソロジーをふたつ企画している。いずれも来年前半には刊行できるようにスケジュールを組んでいて、どちらも比較的シンプルなものにしたいと思っている。参加者の文体をそのまま楽しんでもらうような味付けにできればなあと思う。

 純文学系の公募、特に五大、あるいは六大文芸誌と言われる文学賞にはすべて応募してみたいと考えている。ただこれは来年に限った話ではなく、いずれは、というところ。前述のとおり文學界には応募してみたので、次は断念した群像や春に締め切りのある文藝、すばるなどにもアタックしてみたい。ただ来年はちょっと無理かもしれない。

 また、コンテストに出したものが平成の終わりを意識させるようなものだったので、できれば元号が変わったあたりで本にしたいと考えている。これはコンテストの結果にもよるので断言はできないが、おそらく一次落ちすると思うのでその点は問題ないと思われる。

 ここまで書いたものの続編で、まだまだ詰まっているものがあるので、それを解消していきたいとも考えている。もともと続編を書くことは得意ではないのだが、読み手にある程度の需要があるとわかったので、なんとなく考えてからようやく形になってきたものが、いくつかある。当該作品の在庫がなくなる前に作りたいとは考えている。

 最後、もっともやりたいことは、「おもちくんメソッド」と題した、独自のメソッド本、というていの哲学本を出すことである。というのも、前述したように、この界隈は書くことが好きで好きでたまらないひとが大多数を占めているので、そうでない人はぼくのように非常に肩身の狭い思いをすることになる。大多数の方々には想像ができないかもしれないが、そうなのである。そういったひとたちは、そうでない人よりずっとずっと、同人活動を継続していくことが困難な状況にある。やめたいならやめればいい、というのは正論だが、それではあまりにも、「もったいない」ひとが多いのもこの世界の残酷すぎる真実で、ぼくはそういった才能に溢れている書き手にできるかぎり生き残ってほしいと考えている。だからこそ、ぼくがふだんやっていること、意識していること、その奥にあるもの、というのを赤裸々に開示することで、ひとつの参考として欲しいし、参考としたいという需要が少なからずあるように感じたので、なんとか出したいと考えている。

 迷っているし、どうするかはまだまだ案の段階なのだが、「おもちくんメソッド」は「同人編」と「創作編」に分けようと思っている。片方だけ必要な人のほうが多そうだというのと、「創作編」のほうに実践的でないある種の哲学を書きたいという欲がある。ただ量が稼げないこともあるし、あくまで希望である。

 

 そんなところで、今年の総括の記事を書いてみたのだった。

 各イベントのレポートなどは、多分ぼく以上に詳細にうまく書いている人がそれこそ山ほどいるだろうから、ここで書くことはやめた。書くにもそれなりに人を分ける内容になりそうだったというのもある。

 というわけで、来年もよろしくお願いします。

 

 

フィードバック入力されたおすしロボットのにぎるおすしはうまいか

 どうもおもちくんです。

 

 久々に何も狙っていない雑記を書こうかと思う。本当に気まぐれ。

 フリーテーマなので話が首都高よろしく複雑にぐるぐる回るがそれは仕様である。ご了承されたし。

 

 ぼくがかーびぃ氏と名乗っていたころから、このメモ帳は連綿と、本当にしょうもないことばかり書かれていた。それを変えたのがシーズンレースだった。シーズンレースは2年前、2016年の秋の文フリから開始された。当時の新刊が「順列からの解放」であり、それより前の既刊はそこからさらに2年以上前のものということになるので、ひざのうらはやおとしての近年の実績としては、「順列からの解放」以降ということになると思う。創作同人関係については、別の記事で詳しく書きたいと思っている。そんな時間があるかどうかはわからないが。

 だから、そういった、同人誌に対する評だったりとか、創作に対する評だったりとか、そういうまとまった、書き味を調節したようなものを読んで楽しむ方は、ここで引き返したほうがいいかもしれない。

 たぶん、面白いはなしはなにひとつない。

 

 

 受験シーズンが近づいている。センター試験まであと1か月程度だろうか。

 ぼくは中学受験と大学受験しか経験しなかったから、高校受験の苛烈さもよくわからないし、なんなら大学受験もまともに勉強しなかったから全然レベルがわからないので、受験についてどうたらこうたら言えるような身分ではないわけだが、大学に行く、学歴を高めることの意味を、かつてのぼくはこんなふうに説明していた。

houhounoteiyudetaro.hatenablog.com

 たぶんこのメモ帳をつぶさに読んでいる方なら薄々感づいてはいるだろうが、ぼくは学力で困ったことがほとんどない。中学受験は親の助力がフルで効いていたので難なく「偏差値3の学校」に入ることが出来たし、その「偏差値3の学校」の中では平均的で目立たない成績ではあったものの、1年それなりの勉強さえすれば横浜国立大学の前期試験くらいは瞬殺できてしまう。それでも東京大学の試験には箸にも棒にもかからないから東大はすごいのである。東大生をなめてはいけない。少なくとも、入学試験の時点で、最高学府たるこの大学を卒業しうるほどの知的レベルと作業能力を具備しているのだから。これは恐るべき才能である。たぶん「書くことが大好きでたまらない小説家」くらい非凡ではないかと思う。

 まあ、つまるところ勉強しておくに越したことはないのだが、世の中勉強に向いていない人間というのがごまんといるどころではない。こちらが多数派だとぼくは信じて疑わない。むしろぼくのような勉強で苦労したことがほとんどない人間なんてかなりの少数派だろう。だから別に勉強が出来なくたってそこまで悲観することはないのだ。みたいなことを受験生に言いたいわけであるが、ここまで読んでくれた皆さんにはわかるようにぼくが何をどう書こうが受験生へのエールにはならない。そういうホシのもとに生まれてしまったのだからしょうがない。

 何を書きたかったのかてんで思い出せなくなってきた。特に何も書きたくなかったような気もする。

 このメモ帳をちびりちびりとさかのぼって読んでいると、シーズンレースをやる前はこんな感じの毒にも薬にもならない、真の意味で概念のマイルストーンになるようなものしか書いていなかったことに気づく。同じようにさかのぼったみなさんは、ぼくが浦安という千葉県の西部にある小さなまちの出身で、(おそらくは)そこそこ有名な中高一貫校で青春を過ごし、横浜国立大学で文芸サークルと混声合唱団に入り、そこで黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子に呪いをかけられ、エントリーシートを100枚以上書きながら苦労して内定をもらった会社からはドブのように扱われ、ADHDであることに気づくという、ひとりの人間の四半生のようなものが浮かび上がってくることだろうと思う。ぼくは基本的に大ウソつきだが、このダイジェストについては7割がた本当である。もちろんこの文が本当のことを述べている可能性もまた7割くらいだ。シュレディンガーの嘘、みたいな話は世の中に腐るほど置いてあるし、それが本当であっても嘘であってもさほどあなたの人生に影響はない。ただ、シーズンレースをやる前のぼくと、やってからのぼくとでは、明らかに記事の書き方が異なっているなと感じた次第だ。つまるところ、シーズンレースばかり読んでいるひとたちはこのようなメモ帳の文章などついぞ読んだことがないひとたちなわけで、どう思うのか謎であるとともに、別にどう思おうがどうってことはないだろうなとも思っている。

 今更、学生時代にもっと勉強しておけばよかったな、特に浪人して東大にアタックしてみてもよかったかもしれないな、という思いがよぎる。よぎってしまったくらいには学生時代が遠くなってしまったことの確固たる証拠なわけで、今まで自分がフルに使ってきた若さというジャックナイフがなまくらになって使えなくなってきていることをひしひしと感じている。研ぐべきかどうかはまだわからない。そこまでは年を重ねていないのかもしれない。人生のターニングポイントのその場でできることなんていうのはものすごく限られていて、実はそこまでの積み重ねで選べる選択肢が変わってくるから、そのポイントだけに執着しても仕方がないのだが、それでも人間というものは、あの時ああしていれば、という思いだけが蓄積されていくのだ。だから人生という概念が生まれ、芸術という概念が存在し、それはときとして文学を生むのだろうと思う。そこで生み出されてこなかったもの、けれど自分の中に積もったもの、そういったものをつなぎ合わせて、ひとつの糸のように、ことばとして紡ぎ出していくのが、ぼくにとっての創作であって、だからこれは過去を顧みたり、自分の内面と正対することになって非常につらい。本当にやりたくない。やりたくないと言っても誰も信じてくれない。そういうところが本当につらいのだ。

 小説を書くということは自傷行為なのかもしれないとぼくは恋人に言ったことがある。彼女は笑った。「気づいてなかったの?」

 小説を書くことが楽しくて仕方がないひとをぼくは嫉妬してしまう。醜い感情だと思う。だからそれを表明することはあまりない。小説を書くことが癒しになると胸を張って言える、これは本当にすごいことだ。だからかれらにはぜひ、書き続けてほしいと思っている。これは本当のことだ。

 だけれど、小説を書くことが楽しくない人間にも、そういった場が開かれ続けていることを、このインディーズの場でぼくは願い続けたいし、そういうひとこそ輝くような場を、ぼくは人生をかけて作っていけたらいいな、と最近思うようになった。

 こればかりは若さを失って得たものではないかと思う。

夢から目覚めないような世界があったっていい

 どうもおもちくんです。

 文フリ東京26シーズンも、この記事を残して最後になった。書くにあたって、いろいろと考えてしまい、それなりに時間がかかってしまった。

 

 ぼくは9mm Parabellum Bulletが好きだ。それも、多分比較的最近好きになったから、昔からのファンにはついていけてないところもあるし、ライブに行ったことがあるわけでもないし、彼らのパーソナリティが好きなわけではないから、そのファンの性格的にどうしても公言するのをためらってしまうのだが、しかし彼らの生み出すサウンドは好きである。「クサさ」と「エモさ」の直線上をひたすらにまっすぐ突き進む彼らの、ダンディズムにはあこがれる。

 中でも、今回取り上げるのは「眠り姫」という曲である。9ミリを9ミリたらしめるサウンドとリリックがこれでもかというくらいにちりばめられているのに、カロリー過多で胸やけを起こさない作りになっている。サビの「君と罰を分かちあわせて」というフレーズがすごくハマった。それでいて「長い夢から目覚めないで」なんていうわけである。耽美的でありながら感傷的で、それでいてクール。それが9ミリだとぼくは勝手に思っている。

 

「ゼロ線上のバラッド」著:咲祈(モラトリアムシェルタ)

文体:34 空間:34 (半客観分野:68)

感覚:38 GF:36 (主観分野:74)

闇度:0.648 レート:7.069(E)

総合:135.579(文フリ東京26シーズン1位

 

 ということで、素点(レートでの減点を抜いた点数)で142点という全シーズン1位の記録を塗り替え、今回も咲祈氏の作品がシーズン1位となった。ちなみに、これまで素点で全シーズン1位を保持していたのは同氏の「ヘヴンリーブル―」(文フリ京都2シーズン3位)で、つまるところ自身の記録を塗り替えたことになる。氏はこの作品から、しばらく作品の製本を休止する旨を発表しており、現状、氏の作品の中で製本されているもののうち、最も新しい作品がこの「ゼロ線上のバラッド」である。

 しかしながら、この作品は、「ヘヴンリーブルー」以上の衝撃をぼくに残すことになった。「ヘヴンリーブルー」がオルタナティヴな咲祈イズムだとするならば、この作品に漂う雰囲気や観念は、「シン・咲祈イズム」とでも表現すべきだろうか。咲祈イズムを超えているが、しかしド直球でその延長線上にあることは間違いない苛烈さ。ぼくは今まで、氏の織りなす世界観がその文体によって圧倒的な完成度を誇ることを何度も述べてきたが、文体以外にも独特の展開リズムによって氏の作品は構築されてきていた。これは多分述べていなかったと思う。一種の弱点に受け取られかねないからだ。

 だが、この作品ではそのある種の「お約束」を打ち砕き、なお、咲祈イズムを保持しているどころか、むしろより苛烈に表現されているというところが、他の作品と一線を画しているとぼくは思う。かなり早い段階で物語はクライマックスを迎えるのだが、それが本当は全然クライマックスではなく、さらに高い次元のカタルシスを生み出し、最後の最後でどんでん返しが起きる、という複雑かつ強烈な展開は、氏のような強い文体を持つ書き手だからこそすさまじい威力を発揮する。作品そのものが持つ破壊力が、氏のこれまでの作品を大幅に上回ると言っていい。よくたとえている刀でいうならば、ひと薙ぎですべてのものを両断してしまう大太刀である。そのパワーを、みなさんも感じてほしいと書きたいところではあるが、肝心の氏がすでに頒布を終了してしまっているので、これ以上読者が増えないことが本当に残念である。

 もっとも、もしかすると、ウェブで掲載される可能性もあるかもしれないが。

 

 ちなみに、ぼくは、咲祈作品でもっとも好きなのは、「空人ノ國」だ。カクヨムで全文が掲載されているとのことなので、もし気になるようであればぜひ読んでみてほしい。

kakuyomu.jp

 氏は、ぼくがこのような形でシーズンレースという評点形式の同人誌紹介をすることになったきっかけをくださった方である。そんな方が一歩引いてしまうのは本当に寂しいし悲しい。もしいつか、また出会えることがあればいいなと、それだけ述べて、今回は結びとしたい。

 

 さて、次は文フリ金沢シーズンである。シーズンレースおなじみの面々もいる中、どのような展開になるのか楽しみだ。