ひざのうらはやおのメモ帳

サイコパスクソメガネが祈る墓標みたいなやつ

世界のどこかで誰かが死んでも自分には関係のないはなしになる、少なくともその知らせがない限りは

 どうも、ひざのうらはやおです。

 

 2019年を振り返る、というテーマが多い。去年も確かに同じような流れで2018年を振り返ったので、ぼくも同じように2019年を振り返りたいと思う。

 ただし諸事情により、同人活動のみに限らないことについても言及するので、そういうものととらえていただきたい。そもそも後述するようにぼくは今年については半年弱しか活動をしていない。よって、昨年よりもだいぶ創作に関してのことは少なくなるものと思われる。例によって何を書くのかこれを書いている時点では決めていない。そういうかたちでこのメモ帳は書かれている。

 

 思えばこうして年末にゆっくり記事を書くことが出来るのも、年末年始を比較的長めにとることのできる仕事だからなのである。これは単に勤めているところだけの差ではあるが、それでも大きいはずだ。

 

 ぼくにとって、2019年というのは厄年であったというほかにない。年初から予想だにしない困難な仕事を任され、プライベートでは決定的に近いほどの危機を迎え、それでもなお、というよりはだからこそ創作に邁進した結果、ぼくは自分が最も信頼していた存在を自ら破壊し、喪失した。そしてそのショックと創作手法の絶対性から同人活動を無期限で休止することを宣言し、令和最初の文学フリマでいったんの幕を下ろすこととなった。

 そのため、ぼくが「正規の同人活動期間で」発表した同人誌等の作品および参加したイベントは下記のように、昨年の約半分ほどしかない。並べてみる。

 

第1回文学フリマ広島(広島県立産業会館)

 ・2月20日開催 

 ・新刊として「おもちくんメソッド ~創作同人活動に行き詰ったひとのための、明日を生き抜くためのヒント~ 同人編」を頒布(初動14部を記録)

 ・総頒布数 20部

 広島という街は思っていたよりも見どころに溢れていて面白かった。ここまでの流れから自らの体験をまとめた私的な事例発表的メソッド本が流行っていたので、そのながれに乗るべくクソメソッド本という銘で上記作品を新刊として出した。当日はそのメソッド本界のパイオニアである紗那教授の隣だったこともありこの「おもちくんメソッド」はかなり驚異的な伸びを見せた。初動14部は第五短編集である「幻石」を超える歴代5位の記録で、小説ではない作品としては当然ながらトップになる。ぼくがぼくであるために続けていることを書くということは、ある意味でここから先にぼく自身に降りかかることの予言的なところもあった。もちろん当時はそんなことは全く気付かなかったわけであるが。

 

オフラインブックストア(大阪市 中崎町モンカフェ

 ・3月17日開催

 ・休止宣言後最初のイベント

 ・総頒布数 16部

 にゃんしー氏主催の、今までの同人誌即売会とはちょっと趣を異にしているイベント。にゃんしー氏といえば「尼崎文学だらけ」の主催でもあり、非商業作品というものに対してぼくとどこか共鳴するような考え方をするようなひとだったので、このイベントにも日帰りの弾丸ではあったが参加した。また、3月11日に「かれ」を失い、その後このメモ帳で休止宣言を行った際に唯一の関西遠征として関西勢のみなさんにしばしのお別れの場として参加する意味あいもあった。頒布数も相当ではあるが、結果的に多くの人と密度の濃い交流が出来た。また、後述する委託の案件についてもいろいろなお話をいただけて感謝しきりだったのと、ぼくは決してひとりではなかったのだということを思い知らされたような日だった。余談であるが、「〇(ゼロ)」の書き出しはこのイベントの行きの新幹線の中で泣きながら、文字通り必死の思いで書き上げている。このあたりのぼくが最も壊れていたのではないかと思う。

 

第8回Text-Revolutions(台東区 都立産業貿易センター

 ・3月21日開催

 ・新刊「ヨコハマ”カオス”アンソロジー ジーク・ヨコハマ」を頒布(自ブース初動11部 全ブース合計約30部)

 ・総頒布数 48部

 テキレボでは、独特の立ち位置を獲得しつつあると思っていた。前回の打ち上げの場で決まった、まさにテキレボによって完成されたアンソロジージーク・ヨコハマ」をなんとか完成させた。1月時点で原稿はほとんど完成しており、2時間を超える座談会のページに苦慮しながら延々と編集するという作業が続いたのを今でも覚えている。この合同誌については実のところ自信しかなかった。確かにこの合同誌は偶然出来上がったものではあったものの、少なくとも今田ずんばあらず氏と転枝(ころえだ)氏に関しては、ぼくは随分前から合同誌を作ろうと画策していたので、たとえ偶然であろうともこの機を逃すはずはなかった。前年のシーズンレースの最高評点であった「心にいつも竜(ドラゴン)を」を読んでぼくはそのクオリティに圧倒されたが同時に合同誌を作り続けた人間として「悔しさ」を明確に感じたのは事実である。ぼくはぼくのいうところの「ここドラ」を作ることができなかった。作る前にその場とやる気を失ってしまったのだ。そういう意味の悔しさである。そんな中に降ってわいたのがこのヨコハマアンソロである。ぼくは仕掛け人として自分でも驚くくらいに巧妙に動いたと思う。こうしてこういう場だから書くけれども、少なくともこの合同誌に関しては偶然なんかではなく、必然的に存在するものであった。もう少し詳しいことを「〇」で述べようと思うのでこの辺にしておくが、だからほんとうのことをいえば、最後まで十全な状態で走り抜けたかった。いずれにしても、持ち込んだものの大部分が消えていったのも今回が初めてといってよく、非常にびっくりした。このイベントの帰り、浅草のサンマルクカフェで泣きながら絶対に戻ってくることを誓ったのも随分遠い記憶になってしまった。

 

おもしろ同人誌バザール7(港区 ベルサール六本木)

 ・4月6日開催

 ・セット頒布を行う

 ・総頒布数 13部

 未知のイベントに参加しようと考えていたので、情報系同人誌即売会という今までとは別ジャンルのイベントにも参加することとなった。前述の「おもちくんメソッド」がそれにあたるとして参加したが、「ジーク・ヨコハマ」を売るつもりだったのに全然動かなかったことや一番動いたのが「煤煙~浦安八景~」だったのが驚きだったし、自分の読みの甘さと未知の領域を発見したことの喜びがあった。これに関してももう少し準備を出来る状況にあればと思ってはいるが、これはこれで致し方ないだろうなとも思っている。

 

第28回文学フリマ東京(東京流通センター

 ・5月6日開催

 ・新刊「平成バッドエンド」および「ラブホテルアンソロジー 満室になる前に」を頒布(平成バッドエンド初動33部 満室になる前に初動18部)

 ・総頒布数 96部

 休止前最後のイベントである。段ボール4個口、合計300部の頒布を行った超大規模搬入は大げさではなく大変だったが、やる価値はあったと思っている。これについては休止の際に思いを語ったりした。

houhounoteiyudetaro.hatenablog.com

 ここで書いたとおり、ぼくは前述したテキレボの勢いと、今田ずんばあらず氏や転枝氏の勢いから考えるに、100部以上の頒布があるはずだと見込んだが、それはかなわなかった。これも結局のところぼく自身の力が及ばなかった結果であると書いたし、今でもそう思っている。100部という数は文芸系では非常に多いし、ひとつの区切りとなる数であるようにぼくは思う。それをひとつのイベントで達成するということはやはり何かの力を示せるということであるし、そして数が関係ないという思想とは別に、それもまたぼくの力の結果であると思っている。ここで書いた「存在しない読み手」という概念を吹っ切るのは難しい。ぼくも脱却できるとは到底思えない。しかし、しばらく創作というものを俯瞰的にいろいろ考えていった結果、ぼくはぼくにしか書けないものを探すことを最優先にするべきであると今は考えている。そうしたきっかけを作ってくれたのは、ここまでぼくと交流してくださったみなさんでもあるし、ただただ感謝するのみである。

 

 ここまでの結果を同人誌ベースに並べ替えると、

 ・参加イベント数 5回

 ・発刊数 4冊

 ・総頒布数 193部(イベント平均 38.6部)

 が2019年の公式な数字上の実績ということになる。もちろん、公式なと書くところからおわかりのように、実はここにはカウントされていないイベントや小説、同人誌がある。諸事情により、ぼくは下記を同人活動とは別のかたちとして行った。

 ・「HUB a nice D」に「浦安おすしパラダイス」名義で参加

 ・同イベントに新刊として「おもちくんメソッド 創作編」を出す(同時に今田ずんばあらず氏への委託も発表)

 ・中編小説「飛んで火に入る(〇版)」のカクヨム上での公開

 それぞれリンク先に詳細を書いてあるのでそれをもって説明と代えさせていただく。

 そういうわけで、現在はかつてとは全く異なるスタイルにはよるのだが、どうにか小説を書いている。事実として、書いてはいる。

 そして、復帰についてのめども立ったので、先日「第29回文学フリマ東京」に付随する場でお知らせしたとおり、令和3年夏の復帰を目指して本格的に準備を行っているところである。最初のイベントは復帰宣言の記事でお伝えする。もっとも、そんな時期に参加募集を行っているようなイベントはこの時点では存在しない。なぜこの時期なのかというのも、その復帰宣言の記事でお伝えする予定だ。

 また、復帰にあたり、以下の原稿を初稿完成させられることを条件としているが、ここでその進捗をお伝えしよう。

 

 「〇(ゼロ)」 進捗率 85%

 ぼくが活動を休止するきっかけになった「かれ」についてと、ぼくがここまで活動をしていく中で感じてきたことを作品とともに回顧していく。これは回顧録でもあり実質的なベストアルバムとなる予定である。現在カクヨムで初稿版を順次公開中である。

kakuyomu.jp

 おかげさまでカクヨムに載せてあるぼくの作品のなかで最もPVがあるものになっている。現時点で20万字を突破しており、最終的には30万字に到達するおそれもあることから、これは上下巻に分けての発行となる予定である。一部欠番となっている部分は、諸事情によりカクヨムでの掲載を停止している部分である。完成したものには収録する予定であることを申し添える。

 

「現石(ゲンセキ)」 進捗率 35%

 過去と対峙すべく作り替えられた、現存する鉱石をモチーフにした4つの短編と、オルタナティブとして追加される「琥珀」についての中編、つまり「飛んで火に入る」が追加されるものを予定している。「飛んで火に入る」とアクワマリンを冠した作品以外はほとんど書けていないので、主な原稿は来年になるのだろうと思う。過去作と対峙するというのはぼくにとって最もきついことのひとつなのかもしれない。思っていた以上に時間をかける必要があると感じている。

 

「令和イクリプス」改め「(仮)S/A」 進捗率 15%

 創作スタイルの変更により「令和イクリプス」を執筆することが不可能と判断できたので、その代替として中編小説集「S/A」を出すことを考えている。これはある法則に従って書かれた小説をすべて収録するという画期的かつ実験的な試みである。これのつらいところはとにかく量を書く必要があるというところだ。現在、収録予定作は「(タイトル非公開)」(6稿完成済)「震える真珠」(初稿進捗20%)「くちびるに指を」(プロット進捗25%)「(仮)浦安ラプソディ」(プロット進捗5%)「(仮)S/A」(構想のみ)を予定している。いずれも法則の都合上少なくとも原稿用紙100枚程度を超える量になるので、最低でも600枚ほどのものをひとつにまとめる必要が生じている。これについては、とあるバンドのアルバムに着想を得たある手法を遣おうと考えている。すべてが仮であるため、これについては大幅なプロジェクト変更が予想されるが、まあそれはそれとして見守っていただければ幸いである。

 

 総括の総括になるが、特に今年は多くの書き手やイベント主催などの同人界隈のひとたちに助けられ、その絆を感じさせられた1年だった。ぼくはずっとひとりで活動をしているのだと思っていた。もちろんそれは間違ってはいない。小説を書くのも、クソメソッド本を書くのも、編集するのも結局はぼくひとりだ。けれど、たとえばぼくがこのように休止することを知って真っ先に声をかけてくれたのが普段ライバル視していた今田ずんばあらず氏で、結局それがきっかけでかれにはぼくの代表作でもある「煤煙~浦安八景」と「おもちくんメソッド」を委託することになったり、同じくライバル視していた転枝氏にもツイキャスなどで紹介してもらったり、本になっていないものの感想をもらったりもしたわけで、そういったところで、ぼくは随分と身近な書き手たちに助けられてきた。そして、それらがきっかけでプライベートで遊びに行くようなひとたちが増えた。それは、ぼくが同人を今までは「仕事」のように思っていたのを解放した結果であるように思う。ぼくにとっては本業のみが「仕事」であって、同人創作は完全なプライベートであるということを決めた、そういう1年であったという印象が強い。ぼくはこの世界を仕事として考え、生き残ろうとしていくことをやめた。だから「かれ」が生き返ってくることはもうないだろう。ぼくはぼくとして、ひざのうらはやおとして、そして本業を正業とする人間としてこの世界を見つめ、あらたな小説を書いていくだろうと思う。けれどおそらく相対するみなさんのまえに映っているのは、きっとそれまでのぼくとなにひとつ変わらないように思えるのだろうし、そういう風に思っていただいて構わない。これはあくまでもぼく自身にしか影響しないことであり、ぼくの強迫観念にも似た無数の縛りのうちのいくつかが変化しただけに過ぎない。民法の改正より小さなはなしである。来年以降も売り子としてどこかのサークルを手伝ったり一般参加したりネット上に小説を発表したりぼくそっくりの文章を書く謎の書き手「まん・まるお」が登場するかもしれないが、そのときはよろしくお願いします。

 

 それではよい2020年を。

 おばいちゃ。

 

そしてみんな、いずれはどこかへかえっていく

 どうも、ひざのうらはやおです。

 何度もこの記事を書きかけて、いつも何かに邪魔されたせいで1年くらい温めてしまった。この作品の書き手にはこの場で謝らせてください。すみませんでした。

 

 最近、とある縁で(どういう縁かはいくつか記事をさかのぼっていただければおおむね想像がつくと思う)インディーズバンドの音源を探すことが増えた。なかでも、ぼくにすこし縁のあるノクターンというバンドがすごいと思うというはなしはしたが、そのイベントに来ていたボールプールというバンドの世界観の表現が非常に卓越していておどろいた。聞いてほしいのでその代表作である「Ghost」のMVをここにはっておく。

www.youtube.com

 独特のリリックとリズム隊を中心とした統制のとれきった演奏が見事で、そこから演出される寂寥感と清涼感がなんとなく夏を思い起こさせる。ぼくはひそかにかれらを「令和のTUBE」とよぶことにしている。ファーストアルバムと出演していたライブの曲はいずれも夏を彷彿とさせる爽やかさと独特の熱気が特徴的で、そして地に足のついたサウンドとどこか耳に残るリリックがなんというか、これからの青春の夏、みたいなイメージがすごくずっとしている。懐かしいようなそれでいてあまり聞きなれないようなそういった音像を浮かび上がらせることのできる、かなり技巧的なバンドではないかと思っている。

 この記事で紹介する作品も、どこかそういった寂寥感と清涼感を共に内包しながら、よりエモーショナルな展開を見せていたように思う。

 

「還る ―伊豆小説作品集1―」著:清森夏子(イノセントフラワァ)

文体:32 空間:34 (半客観分野:68)

感覚:33 GF:39 (主観分野:72)

闇度:0.702 レートなし 総合点:138.702(静岡文学マルシェ1位)

 

 ということで、激闘の静マルシーズンを制したのは静岡の書き手である清森夏子氏(当時の名義)であった。以前「イヤサカ」という作品を読ませていただいて、非常に読み手を巻き込んでいくタイプの書き手であり、その力がすさまじいと思っていたが、こちらの作品集も静かでありながらやはりその力が強く、非常にエモーショナルな文章が続く。文フリ福岡の途上、ぼくはこの作品を読みながら号泣していた。伊豆という風光明媚であり、海と山に恵まれ、どこか爽やかな印象のある地で繰り広げられる、春の嵐のような目まぐるしくも感情豊かな小説群。改めて清森夏子氏の実力というものを思い知った。しかもこの作品群は2015年、つまり4年前に刊行されているというのだから驚きである。地に足をつけながら、それでもなお生きていくひとびとの業をたしかにとらえながら、それでいてすべてにその人生それ自体の見せ場をしっかりと踏み込んで描くというこの、シャッターチャンスをつかみ取れる才能のようなものには本当に脱帽としか言いようがない。とくに「紫陽花の君を恋ふる話」はたとえばぼくがおなじプロットを書いたらきっと陳腐でおもしろみのないものになってしまうなと思うのだが、氏の手にかかればすさまじく起伏の飛んだ、エモーショナルなドラマへと早変わりするのである。現在は諸事情によりなかなか活動が難しい状況のようであるが、ぜひまた素敵な小説を書いていただきたいものだ。

 

 さて、ここで静マルシーズンを1年越しに終わらせたわけだが、実はここで大事なお知らせをしなくてはならない。結論から書く。

 

 本シーズンをもって、シーズンレース企画を終了させていただきます。ご愛顧のほどありがとうございました。

 

 その理由であるが、お恥ずかしいはなしであるのだが、どの作品をいつ買ったのかというリストを作っていたのだが、それが機能しなくなってしまい、どれをどのシーズンに買ったのかを把握することが不可能になってしまったことによる。すなわち、シーズンを開催しようにも、その作品がどのシーズンに属するのかがてんでわからないので、レースのしようがないということである。そのため、以後は評点化を含めて序列化をとりやめ、読み終わり次第ひとつひとつ感想を書いていこうと思う。

 以後の感想については、こちらのメモ帳か、もしくはNoteでアップする予定なので、見かけたらぜひ読んで欲しい。評点をつけないぶん、より踏み込んだうえで主観的な感想を書いていくつもりだ。

 志半ばであるが、このような形でさまざまな同人誌を読んで、自分なりに順序をつけられたことはぼくの中で大きく役に立った。ひとによっては、だれかの作品に点数をつけて順列化するなんて、と眉を顰められたこともあったが、これはぼくが勝手に並べたものであって、だからこそぼくがぼく自身を知るために非常に役に立った。他の方には到底勧められないが、そういう形で作品をたくさん読んでみるのも、案外悪くはないだろうと思う。

 今後も、復帰に向けて様々な試みを行っていく予定であるので、ぜひそちらも応援していただければありがたい限りである。

悪人のいないドラマの居心地の悪さはつまり自分自身の悪意が突き付けてきた銃口である

 どうもひざのうらはやおです。

 

 長いこと放置してしまった。なんとなく、書くのが難しい作品を放置しがちである。決して感じないものがなかったわけではない、むしろその逆で、まとめることに非常に労力を使うものにこの傾向がある。ぼくもそんな文章が書きたいと思うそんな今日この頃である。

 中島みゆきのヒット曲に「空と君とのあいだに」という曲がある。中島みゆきはその作家性が本当にどの曲をとっても全面的に主張しているのが特徴であるが、その最たるもののうちのひとつがこの曲である。子役であった安達祐実が印象的であった「家なき子」の主題歌として抜擢されているが、その壮大でだけれどミクロな心情の濃淡というのが聞いていて心を揺さぶられるし、実際多くの歌手によってカバーされているのが、少し探すだけでも出てくる。それほどまでに時代を、中島みゆきを代表する曲のひとつなのだろうと思うし、中島みゆきはこれ以外にも自らを代表する曲を多く作っているし、多くの名曲を他の歌手に提供している。凄まじい作家力を持っているひとりであることは、だれも疑いようがないと思う。

 

「こおれぬひび」著:佐々木海月(エウロパの海)

文体:32 空間:35 (半客観分野:67)

感覚:31 GF:38 (主観分野:69)

闇度:0.608 レート:7.333

総合:129.275(静岡文学マルシェ2シーズン 2位

 

 この作品についての記事を書こうと思ってから、実際にこうして今書き出すまでに実はかなりの時間が経ってしまっている。実際に読んだのは、夏前、東武特急に乗っているときのことであった。ぼくはだいたい、シーズンレースとしてはもっとも期待しているものと、その対抗馬となるものを最後の2つにする傾向があり、この作品はまさにもっとも期待していたオオトリであった。(ちなみに対抗馬は惜しくも選外となった凪野基さんの「凱歌」である)

 ぼくは佐々木海月氏の絶妙な距離感を持った精緻な文章がとても好きである。そこに横たわるのは圧倒的な知性であり、それゆえの制御された情熱だ。この両方を表現するには相当な技量が必要である。佐々木海月という書き手は間違いなく、そのちからを持ちうる人間である。ぼくがここまで読んできた書き手の中で、最も強い書き手であるということは、ハンディキャップとしてのレートが7.333と有レート書き手のトップとなっていることからも明らかだ。

 さて、それはともかくとして、この「こおれぬひび」はなかなかに特殊な短編集であったと言わざるを得ない。まず、装丁。横長なのである。これはおそらく様々な理由によるものであるが、しかしその横長の変則的な装丁が最もマッチしつつ、氏の冷徹とも解されかねないくらいの強直な文体がまっすぐと並んでいく様には感銘を受けた。

 また、その内容も特殊である。前書きには平成24年3月11日、すなわち、東日本大震災から1年が経過した日から、毎年、氏が3月11日に公開してきた小説を7編、すなわち平成30年3月31日のものまでまとめたものである。氏の主要ジャンルであるSFや幻想文学に寄せているもの(氏の小説の世界を写し取ったものなども存在していた)、またやや純文学に近い趣をもつもの、というように雑多であるのだが、それがそのまま、氏の本棚を見ているようで、カレンダーに重ねて何かを書いているような、そんな独自の祈りのようなものを感じた。

 そういったところも含めて、この作品はどこか墓標のようにも、道しるべのようにも思える。そしてこの作品は今シーズンの新刊であった。そのためオオトリにしていたし、事実、評点としては2位に圧倒的大差をつけてのトップでもおかしくはない。

 

 しかし、この2位ともかなりの差をつけて首位になった作品が実はあって、ぼくはそれをまだまだ記事化することが出来ないでいる。

 それについてはまたこんど。

散っていった遺骨に黙とうを

 どうも、ひざのうらはやおです。

 ずいぶん時間が空いてしまった。この作品にたいして、ぼくは評をすることが難しい状況にあったからである。何も、この作品だけのはなしではなく、すべてのコンテンツに対してまともに何かをコメントできる状況になかった。

 さて、言い訳はともかく、こうして戻ってきたからには、ふたたび始めなくてはならない。

 

 THE BACK HORNの曲に「レクイエム」というものがある。大げさに退廃的な歌詞が好きで、よく聞いている。このバンドの方向性をがっつりと足固めしたような曲だ。

 

「input selector ISSUE:Late2007」編:言葉の工房

文体:30 空間:30 (半客観分野:60)

感覚:34 GF:31 (主観分野:65)

闇度:0.496 レート:0.386

総合:125.110(静岡文学マルシェ2シーズン3位

 

 静岡文学マルシェを主催している、添嶋譲氏のサークル「言葉の工房」の編集した合同誌である。一般的な文芸誌のような手に取りやすい装丁で、主催の作品ということもあり手に取った。

 寄稿者はぼくの知っているひとから名前も知らないひとまで様々。読んでいても、その文体に様々な表情があったり、書き手が同じであっても演出によってここまで色が異なってくるのだ、と思い知らされたり、装丁からはむしろ想像がつかないくらいの濃い同人誌であった。

 それだけに、面白いもの、そうでもないもの、なにかひっかかりを感じさせるものなどいろいろあるわけだが、最も印象的だったのは雲鳴遊乃実氏の「破壊神へのラブ・ソング」であった。マクラ曲に選定したものは、この作品の雰囲気に引きずられている。「破壊神へのラブ・ソング」は、主人公が死に、(主観における)世界が滅びていくまでの情景を、主人公自身の心情や過去の記憶などを巧く織り交ぜながら非常に生々しく、赤裸々に、美しく描いている短編だ。極めて雑にいってしまえば、「セカイ系」の亜種のような舞台設定なのであるが、その独白の心地よさが端的に言って非常にすっと入っていけるようになっていて、おそらくぼくと氏はどこか通ずるものがあるのだろうな、と思った。

 実は、雲鳴氏はぼくの作品をいくつか読んでいただいていて、その感想を記していただいている。特に、最近著「平成バッドエンド」に対する評において、

どの小説、エッセイも、僕は素直に受け止めることができた。

年代や居住地などは意識する必要もなく、ごく率直な感想として、氏にはちかしい印象を抱いていた。

byebyecloud.hatenablog.com

 と語っている。氏の「破壊神へのラブ・ソング」を読んで、ぼくも似たような感触を得たので、今後氏の作品をいくつか読むことになるのだが、おそらくはどこか似ていて、それでいて全く違う景色が広がっているのではないかと期待している。

 

 この合同誌は小説以外にも、短歌やイラストとの融合など、文芸という枠の中でも多様な作品集となっていて、非常に読みごたえがあった。125点というのは、合同誌としては非常に高い評点で、本ステージのシーズンレースとしては、現在「N.G.T ナンバーガールトリビュート」「常世辺に帰す」に次いで評点の高い合同誌となっている。静岡文学マルシェは第3回も盛況のうちに幕を閉じたとのことだが、その後でもこの作品集のような、シンプルでかつ同人誌と呼べるような意欲的なものが出ていくような世界であってほしいと、ぼくは切に願う。

 

 2位となったものも、様々な感情が入り混じっているので、しばらく時間がかかるものと思われる。

 できれば、期待をしないで、待っていてほしい。

眼前の世界は自分にしか見えていないし、それがほかのひとに見えることはない

 どうもひざのうらはやおです。

 

 同人活動をしていたときにたまに聞かれてそのたびになんだかなあと思うことがある。「あなたが低評価をつけたものを書いた人の気持ちを考えたことがありますか?」みたいな質問が、まあ年に1,2回くらいの頻度で聞かれるので、おそらくそこそこ多くの人がそんなことを考えているのだろうと思う。

 はっきり書くが、そもそもぼくに向かってそんなことを質問する人間とはそもそも思想からして全く合わないと思うので、ブロックするなりミュートするなりして関わらないことをお勧めする。もっとも、そういう人間はこのメモ帳を読みはしない。ツイッターでいけすかないツイートをしているぼくがたまたま目に入ったとかおおかたそんなところだろうとは思う。つまり何が言いたいかというと以下の通りめちゃくちゃ考えているので非常に不愉快であるということが言いたい。

 次質問したらアイスピックだからな。

 で、質問に答えると、「死ぬほど考えているつもり」である。そもそも上位しか紹介しないのは、手間と時間がかかり有効に同人誌を読み進められなくなるからだし、まとめの評点を公開しないのも下位に相当する作品を明言しないためである。いかにこれがぼくの主観的な評価であるとはいえ、目に見える形で低評価を残すのはいかがなものか、ということは常々考えている。しかし、高評価だったものに関してはぼくはもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているわけだ。ここに待遇の差別化が生まれる。

 そもそもぼくが下した評価について、それが高評価だろうが、そうでなかろうが、受け止めるか受け止めないかまで含めて誰だって自由なのである。ぼくが自由に読んだものを比較するのも自由だし、あなたはそれを読んでも、読まなくてもいい。ただ、あなたが読んで思った感想についてぼくは求めていないし、あまつさえそれに対するいかなる対応についても応じる義務も義理もない。これはそういう話だ。

 そもそも、自分の評価軸すら持てないひとがなぜ多くの人間に自分の創作物を見てもらいたいと思うのかがぼくには理解しがたいところではあるが、それについては実際にそういうひともそれなりの数見てきているし、かれらを安易に否定すべきでもないとは思っている。もっと軽い気持ちでものを創ればいい、とポジショントークとしてはぼくも言うことがある。これもそういう話だ。

 

 くだらない話に1000字近く使ってしまった。

 本来はこの後に静マルシーズン3位となる作品の紹介をしようと思ったが、さすがに失礼すぎるのでまたの機会にする。