かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

ハートって炭みたいなとこあるから実は意外と熱いし近づくと死ぬんだよなあ

 どうもかーびぃです。

 

 本来であれば尼崎文学だらけまで「読むお品書き」のページを一番上にしておきたかったのだが、いろいろ状況が変わったので、ちょこちょこと雑記を。

 

 まず、あまぶんで一押しの頒布物に登録している「V~requiem~」について、このメモ帳でもたびたび登場する転枝氏(木の葉スケッチ)が感想を書いてくださった。しかもきちんとネタバレなどを避けてこれから読む人にも配慮されているではないか!非常にありがたい。

 許可をいただいたので、下記にその記事と、このメモ帳のリンクの部分に彼のブログへのリンクを張ってみた。

 

blog.livedoor.jp

同人誌の感想を書くという同じことをやっている関係上、そのつながりはあっておいてよいだろうと思ったからだ。たとえば、ぼくの書評と転枝氏の書評を比べることも可能だし、ぼくがとりあげているものと彼が取り上げているものを比較することもできる。今後もこうしたクラスタが形成されていけると、同人誌書きの人たちにとっても面白みというものが増えてくるのではないかと思われる。もっとも感想というのはその性質上属人性が非常に強く主観的でしかないという命題を背負ってもいるので、すべてを参考にしていくのはとても難しい話だと思うが、その辺はみなさんも大人なんだし隙にやって貰えればと思う。

 ちなみに、転枝氏は、先日紹介した「イリエの情景」の1巻についても、下記のように記事で紹介している。せっかくなので張ってみた。

 

blog.livedoor.jp

 どうやら感想を書くスタイルがまだうまく決まっていないというのがなんだか(上からになってしまうが)初々しいというか、これからスタイルを確立していく感じがとてもぼくにとっては面白くて、おそらくとてもよいレビュワーになるのではないかと思っている。これからもよろしくお願いします。

 

 最近いろいろと考えさせられることが多い。そして、現状なぜか今後の人生に大きく影響を及ぼしそうな感じの出来事がなぜかすごくたくさん起きるという謎の事態が発生している。思い過ごしであればいいんだけれども。

 来週末は尼崎にいるとおもうとなかなか感慨深い。実は第1回のそうそうたるメンツをみて改めて怖気づいている。体調を万全にしていかなければならん。

 生きる。

夏の合間に見た雪景色の夢の中にいる人の姿を見て怯えるだけの日々から誰か連れ出してくれ

 どうもかーびぃです。

 

 なんだかいまひとつ体調がよくならないのだが、尼崎文学だらけはもう翌週末に近づいている。ということで、恒例(にしたい)の読むお品書きを書こうと思う。

 

 ということで、来る8月27日(日)、尼崎市中小企業センター多目的ホールで「尼崎文学だらけ」が開催されます。通称あまぶん、文芸系同人誌即売会界のスマッシュブラザーズの異名をとるこの会は、非常にハイレベルで高「ごうがふかいな」な同人誌たちが並ぶ恐ろしいステージでもあるのですが、ここにまんまる書房も出展することになりました。ハリセンしかもってないけど積極的にぶん殴っていくぞ!

 

 どんな強い本が出るかは、今までのシーズンレースでも上位に入った本たちの多くが登場するほか、それ以外にもどこかで聞いたことがあるようなサークルが有名なタイトルの本を出してきていたりする。

 なお、あまぶんには他の人(というか、正確には並んでいるすべての本)の本に対し推薦文を付することができる。そのシステムを利用して、まんまる書房も「一押しの頒布物」に指定された「V~requiem~」に公式推薦文を寄せていただいた。非常によく読み込んでいただいており恐縮であるが、他の本があまりにも強すぎるがために関心をよせられるのかちょっと心配だったりする。

 番号は先日もお伝えした通り22番。大衆小説という扱いになっているが一押しはファンタジーだしあんまり大衆感がないのだが、そんな気になるリストは下記リンクの通り。

 

http://necotoco.com/nyanc/amabun/writerview.php?writer=45

 ちなみに、あまぶんは通販もやっているので、もし尼崎に来られないという方でも試しにこちらで買ってみるということもできる。新刊「幻石」はあまぶんのみ特別頒布価格なので、それだけでも意味がある。他のひとの作品が欲しい人は検討することをお勧めします。手数料も送料と考えると全然お手頃。

 

http://necotoco.com/nyanc/amabun/amaorder.html

 期日が迫っている(19日まで)ので、ご利用される場合はお早めに。

 

 さて、本編、お品書きに移ろう。

 まず、一押しの頒布物として登録した長編「V~requiem~」(文庫版250頁 1000円)について。

 

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=132

 SFの雰囲気を帯びたフューチャーファンタジー。宇宙線が強くなり地上の文明が破壊された地球上に現れた新たな空の覇者は、かつて存在が予言されていた生物「ドラゴン」であった。人類はそれに対抗するために「V」と呼ばれる遺伝子操作を施した強化人間を作り出し、ドラゴンを討伐しようとする。東京地区で活躍するエース級の「V」であるサエグサ・ハルカが追いかけているのは、白銀の鱗を持つ美しくも凶悪なドラゴン「零式」であった。多くの人間を葬ってきた「零式」にこだわるハルカには、理由があった――

 みたいな感じの話である。ひざのうらはやお史上最も美しい物語に仕上がっていると自負している。「V」たちは、それぞれの信義と戦う理由を抱えながら、ドラゴンに対峙し、かれらを葬り、もしくは彼らに葬られていく。その繰り返しの中、「零式」とハルカの攻防が最後まで続く。その結末は、ぜひ読んで確かめてほしい。

 寂寥感を限界まで込めた物語。ひとがひとであることの意味を問う。

 

 つづいて、今回の新刊である「幻石」(文庫版98頁 700円)について

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=131

 鉱石トリビュート企画「ゲンセキ」の最初の一冊。実在しない鉱石4種についてそれぞれ4篇の短編を収録している。

 「空石(スカイストーン)」:空を閉じ込めたような薄い青をたたえた石。重力に逆らう性質があり、人工的に生成できるため、地上が汚れて住めなくなった後に空中文明が生まれた。

 「血石(ヘマダイト)」:人間の血液を主成分とした人造魔石。尋常ではない魔力を秘めており、摂取すると魔獣へと変化してしまう。ギルハンス帝国政府は完全管理体制を敷き、いかなる魔術士であっても血石を無許可で精製することを禁じている。また、軍事的にも重要な魔石で、機巧魔術捜査課にとっても濫用者を見つけ出すのが急務となっている。

 「虎翳石(トラコナイト)」:くすんだ黄色と、薄っぺらい黒がまだらに混ざった、誰かが作った安っぽい石。不安定で今にも爆発しそうで、婚姻には最も向かない。

 「霊石(イオピリアス)」:どんな物質よりも黒い石。宇宙の底にあるといわれ、尋常ではない力を秘めており、死者をもよみがえるとされている。

 この4種類の鉱石をモチーフとした短編。

 まだ誰も見たことがないその石を感じてみよう。

 

 つづいて、ベスト短編集「まんまるくろにくる」(文庫版230頁 1000円)について

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=130

 ひざのうらはやおの創作活動十周年を記念して製作されたベスト短編集。大学時代からそりゃたいへんだ。時代をはじめ、往年の名作をこの1冊で網羅が可能。幻想的ロードストーリー「底辺列車」や、不良少女と不良社会人のボーイ・ミーツ・ガール「春なのに工事中」など、過去の短編集に収録されたものも再録。ひざのうらはやおのこれまでの名作をいちどに読みたいという方にお勧め。

 

 次は、コンセプト短編集「順列からの解放」(文庫版112頁 500円)について

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=133

 表題通りのテーマを内包した5作を収録。SFや現代もの、ハイファンタジーなど多岐にわたる分野からそれぞれの「順列からの解放」を描いていく、ひとりアンソロジー。ひざのうらはやお入門として定評あり。その作風や文体を様々なジャンルから楽しみたい人向け。

 

 「妄想の中でグローリーガールが宙に浮くから僕は彼女が好きすぎてたまらないんだけどいまだにそれを認められずに書きためた手紙をかき集めて作った表層をなぞるだけの指数関数、もしくは世界が滅びるまでのわずかな間に残された一縷の希望」(文庫版116頁 500円)について

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=176

 略称「妄想」。概念と苦悩と供養の短編集。そこに収められた短編は、もはや散文詩に近い。ひざのうらはやおの中でも「くせ」が詰まった作品集。煙に巻くような文体とえぐり込むような銃弾をあなたに。

 

「こんにゃくの角で戦う大統領」(A5?頁 200円+1かーびぃポイント)について

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=162

 ひざのうらはやお屍玉の裏ベスト。精神を浄化するために書き綴ったクソ短編や詩歌集が並ぶ。シュール芸ですらない、ごうがふかいなの塊。いちげんさんお断りの意味を込めて、この作品だけ「かーびぃポイント券」が必要です。お求めにはご注意を。

 

長編シリーズ

「The magic nightmare ~reunion~」(文庫版542頁 1300円)

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=210

「The magic nightmare ~GENOCIDE~」(文庫版224頁 1200円)

http://necotoco.com/nyanc/amabun/bookview.php?bookid=211

(両方セット 2000円)

 ひざのうらはやお史上最ごうがふかいなを誇る、総字数20万字を誇るキャンパスライフ・ファンタジー。真中浮人を襲う様々な怪異と、次元のかなたに飛ばされた志島咲子の運命やいかに。縦波大学という作者が通っていた大学をそのまま写し取ったような大学とか、作者の先輩後輩をモデルにしたキャラクターがいっぱいでてくるよ!そういう意味のごうがふかいなだよ!!

 ちなみに、このシリーズ、まだどうにかして書く隙がないかどうか狙っているところある。両方合わせて700頁なので軽い鈍器になります。

 

 以上、あまぶんのおしながきでした。

 気になるものがありましたらどうぞ当日「まんまる書房」へ、もしくは通販でお取り寄せください。

 

災厄があったときからそこは「被災地」となるが、それを忘れられることによって被災地はそれすらも失う

 どうもかーびぃです。

 

 3ピースバンド、ACIDMANの代表曲に「赤橙(セキトウ)」という曲がある。緩やかなベースとギター、淡々としたドラムに乗せて、だらだらと韻を踏みながら展開されていくイントロからAメロにかけての日常感と、「赤い煉瓦をそっと積み上げて/遠き日の魔法をかけてみる/丸い地球の裏側ならこれで行ける」という積み上げられた希望の実体化にすがるような展開をサビで見せ、連綿と続いていく世界に確かな希望をつなげていく。少しずつ明るくなっていくという努力を放棄してはいけないのだ。健常で社会に勤労する人間であれば、それはほとんど義務に近いくらい重い制約である。それを軽やかに歌いこなす彼らは、この曲以外にも様々な名曲を残している。

 

 そこで、今回ぼくが書くのは、予告通りひとつのシリーズ作品をすべて読み終わったのでその同人誌についての記事である。それは、極限までに我々が居住する日常と、震災という非日常を経験した人々との日常の差異・偏差を切り取りながら、それを壮大なバックグラウンドにしてふたりの登場人物の青春物語へと昇華させているというなかなか見られない小説である。

 

「イリエの情景~被災地散歩めぐり~(全3巻)」

(1巻評点 通読性:18、宇宙感:15、残響度:18、嗜好:5、闇度:B 合計61点)

(2巻評点 通読性:17、宇宙感:17、残響度:19、嗜好:5、闇度:C 合計61点)

(3巻評点 通読性:20、宇宙感:18、残響度:19、嗜好:5、闇度:C 合計65点)

(全巻平均 通読性:18、宇宙感:17、残響度:19、嗜好:5、闇度:C 合計64点)

 

 テキレボ5で隣になって以降、ぼくが行くイベントにはすべて顔を出し、このイリエシリーズを持ち前の営業力で1人でも多くの人に手に取ってもらうように努力し続けていた今田ずんばあらず氏。彼がぼくよりも年下だと知って驚いた。この行動力、とても見習えるようなものですらないのだが、ただあこがれるしかない。

 とまあ、上の評点でわかるように、実はかなり惜しいところで選外になるということを繰り返しているこの作品なのだが、それで済ませるには本当にあまりにも惜しいということで、今回この記事にて紹介させていただく次第である。

 尼崎文学だらけでも1巻を一押しの頒布物として登録しているので、ぼくはこのような推薦文を寄せた。このページの上から3番目の文章である。

http://necotoco.com/nyanc/amabun/recolist.php?name=%E3%81%B2%E3%81%96%E3%81%AE%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%8A

 ここでぼくは、この小説を「震災啓発小説」と題した。これはある意味では間違っていない。だが、すべてを読み終わっとき、ぼくはこの表現が間違っているということに気づかされた。

 これは、確かに震災をバックボーンとして醸成された物語ではあるし、震災を踏まえて変化した東北各地の人々の息遣いを記録するという氏の目的にかなうよう意図的にその体験を再構成したものであることは疑いようがない。しかし、この作品それ自体は「イリエとミツバのふたり旅」についての物語であり、それ以上でも以下でもないのだということに、最終巻にいたってようやく気づかされたのだった。

 ふたりの女子大生が、互いの感性を通して見た経験、その題材として被災地という部隊が選ばれているだけであり、物語の主とされるものはそれではなく、「旅を経てふたりが得られたもの」にあるのだ。第1巻ではあくまで作者の意図をなぞるだけであったふたりが、第2巻から徐々に自我と肉体を持ち始め、最終巻になってようやく作者との第二の邂逅を果たすといったようなギミックがこの物語には取り込まれている。また、最終巻の最後の最後で、これまで前に出てきこそすれ何も語ることなく、終始淡々とふたりを追いかけていただけの「作者」が読者にそのギミックでもって猛烈なカウンターパンチを繰り出す。それは予定調和を期待している依存性の高い読者の意思を粉砕する行為に等しいとぼくは考えているが、これこそが今田ずんばあらずの「本来の作家性」なのではないか、とも考えている。

 そして氏は、あとがきでこうも語っている。「最初からこのような形になるとは思っていなかった」と。書き始めた時から綿密なプロットを立てたならば、おそらくこのようなある種の奇妙な小説にはならず、もっと変わったお役所的な、被災地紹介小説みたいになっていたのではないかなとぼくは思う。しかしながら、本人も語っていた通り、この作品を読んだ感想からまた着想を得て、新たな展開、新たな要素を書き加え、ふたりの物語を強固にしていったとするならば、今田ずんばあらず、どんだけ柔軟で器用な作家なんだ、としか思えないし、この物語を作るその過程こそが、作者性が垣間見えるという意味で非常に「ごうがふかいな」であるといえるだろう。

 

 ちなみに、イリエ完結編はコミティア、そして尼崎文学だらけでも頒布予定とのことだが、コミケでの頒布数が想定外に多かったこともあり、どうやら早くお求めに行かないとゲットできない可能性があるそう。イリエタワーに急げ!

 

 ということで、熱い例外枠の記事でした。

 そろそろ読むお品書きを書くころだな。(全然かけない)

根も葉もない噂を銃弾にしてお局の脳内をぶちぬいていけ

 どうもかーびぃです。

 

 ここ数日、死ぬほど精神の調子が悪くて3時間に5分くらいは発狂していた。昨日あたりからストラテラを80mgに変えたら落ち着いた。ヤク中かよ。

 

 告知します。

 8月27日に開催される「尼崎文学だらけ」に参加します。ぼくはこのイベントを「文芸同人誌即売会界のスマッシュブラザーズ」とかってに呼んでいるのだが、それくらい互いが互いのクオリティの高さでぶつかりあってお互いがお互いをリスペクトしている感じがすごく伝わってくるのがすごいなと思う。パワーが強い。ブース番号22番、少し前から同人誌を読んだりしている本田そこ氏と隣になった。創作界隈で知り合いが増えるとそういうことも出てくる。

 当日は鉱石トリビュート短編集の最初を飾る「幻石(ゲンセキ)」を新刊とするほか、文フリ岩手に頒布したベスト短編集「まんまるくろにくる」、一押しの頒布物に指定した長編フューチャーファンタジー「V~requiem~」などを頒布するつもりです。また、先回の裏メニューであった「こんにゃくの角で戦う大統領」は表メニューに昇格しましたが、依然として1かーびぃポイント券を必要とするのでご注意ください。

 あと打ち上げもあるそうなのでおすしを食べまくりたいと思います。引くほど食べます。これは予告だ。予告だぞ。

 尼崎文学だらけの各ブースの紹介はこちら。

 

尼崎文学だらけ

 また、このイベントには出展される作品についての推薦文を書くことが出来る。当然、ここまでの各シーズンで取り上げた作品もかなり入っているので、ぼくも頑張って推薦文を書いてみた。で、推薦文の書き手ごとにそれもまとめられているらしい。

 ぼくのページが以下のとおり。

http://necotoco.com/nyanc/amabun/recolist.php?name=%E3%81%B2%E3%81%96%E3%81%AE%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%8A

 

 といったところで。

 

 あと、友人の結婚式とあまぶんがもろ被りだということが発覚したので、その代わりに小説を上梓して、中綴じで印刷会社にきちんと刷って貰ったものを贈呈したいなとか考えている。頑張って書き上げた暁には、あまぶんにそれを無料配布として持っていこうと考えている。がんばるぞ。

ぼくらはたまたま、死なないように変化しているだけだったことに今気づいた

 どうもかーびぃです。

 

 申し訳ないが、今回はそんなにふざけた記事は書けない。お察しいただきたい。

 代わりに、先日出した裏ベスト短編集「こんにゃくの角で戦う大統領」の巻末に載せた短編「松崎しげるとアイスピックと無能と」と対になるエッセイを以下に書いたので、これで喪に服すことの代わりとさせていただきたい。このエッセイのタイトルはこの記事のタイトルと同名であるので省略する。

 

 

 4月の末だったように思う。ぼくはいつものように近所のショッピングセンターでぶらぶらしていて、その中でペットショップに寄るのが日課だった。猫とハムスターを見るのが好きだったからだ。ハムスターはそれほど高くはないし、いつか飼ってみようと思っていて、その生態を調べたりもしていた。

 そういうわけで、いつものペットショップで珍しくゴールデンハムスターが入荷したとでかでかと、安いポップが掲げられた時にはすこし驚いた。確かにいつも入荷しているのはジャンガリアンばっかりで、ゴールデンがいたら飼おうと思っていたのだけれど、急すぎだし、しかも隣のジャンガリアンは1900円で売られているのにこのゴールデンハムスターは「大特価 1000円」とひどい大安売りっぷりだった。ケージ(今考えると臨時でこさえた水槽に入れてたなそういや)を覗くと、真っ黒などぶねずみみたいなハムスターがちょこちょこと動き回ってえさをかじっていた。なるほどこの色のせいか、と思ってしばらく観察していたのだが、夕方ということもあって(ハムスターは夕方あたりから動きが活発になる)せかせかと動き回っている。

 店員にハムスターをどうやって買うか尋ねたら、いろいろな道具やえさを説明してもらいながら、特に手続きは必要がないと言われた。たぶん飼いたそうな顔をしていたのだろう。それから1時間くらい迷って、全然引き取られそうな気配もないので、その黒いハムスターを飼うことにした。名前は黒いから松崎しげるから名前を取って「しげる」と名付けた。

 GWが終わってからぼくの部署は最繁忙期で、帰宅も深夜0時をまわるなんてことがざらにあった。それでも土日はだいたい休みだったから、しげるの世話をしたり飼育方法を調べたりしていた。いろいろ試して床材をウッドチップにしたりケージの塩素消毒をやったら本気で嚙まれたり、無添加のミックスナッツを買ってあげたり煮干しを食べさせたりしていた。しげるは動物性たんぱく質があまり得意ではないのか、煮干しや卵の白身はほとんど食べなかった。ネットの記事にはあんまりそんなことは書いていなかったので、おそらく個体差なんだろうと思う。朝5時に起きてしげるにペレットと水を与え、支度をして出かけて仕事して、帰ったら回し車を回しているしげるをケージから出して散歩させたりミックスナッツをあげたりしていた。黒大豆(炒ったものだから毒性はないと思って買ってきた)が特にお気に入りで、あげるとすぐに皮をむいて頬袋に詰めていた。買ってきたときはさほど大きいと感じなかったが、しげるは一か月で結構成長したのか、仕事に余裕ができるころになったときにやたら重くなったなと気づいたのだった。

 そのしげるが変化してきたのはほんの2,3週間前くらいからだと思う。体毛の色が少し薄くなり、茶色いぶちが混ざるようになった。しげるじゃないじゃん、とか思った。そして明らかに行動量が減ったのだ。以前は毎朝空になっていた餌の皿が半分くらいしか減っていない。そして巣穴に決めた部屋からあんまり出てこなくなった。動きが鈍くなった。

 おそらく熱中症だろうと思った。ハムスターは高温多湿に非常に弱い生き物だ。身体が小さいから、20度台後半でも熱中症の危険性がある。ぼくはここでエアコンをタイマーで動かすということをしてみた。電気代は思っていた以上に安く、これなら毎日動かしても大丈夫そうだろうと思っていた。痩せていくしげるは、散歩をさせれば軽快に走った。ナッツはそれなりに食べた。一時期抜けていた体毛もだんだん回復していた。

 今朝、明らかに調子が悪いと思った。普段はほとんど巣穴から動かないのにやたら動き回るし、その動きが妙にゆっくりだった。ケージから取り出してみると尻に糞がくっついているし、抵抗もほとんどしない。明らかに体調に異常をきたしている。しかし、外はすでに炎天下で、下手に外に連れ出すのも危険だ。一瞬で死んでしまうだろう。ぼくはそう思って、とにかく身体を拭いてやったり、餌と水を取り替えたり大理石の石の上に寝かせたりして様子を見ていた。

 少し目を離していた間に、巣穴に変な体制で入ったまま動いていない状態になっていた。叩いたり、ゆすったりしても反応はない。ケージを開けて取り出すのも抵抗がない。身体はまだ暖かかったが、呼吸も鼓動もすでに止まっていた。

 時すでに遅しなのか、来るべき時が来たのかは、彼が死んでから4時間以上経った今でもわからない。生きているものの死を身近で見たのはこれが最初だった。だからだろう、ぼくはすごく取り乱している。客観的に見たらおそらく大変な取り乱しようだったのではないかと思う。震災の時ですら極めて冷静に対応したくらいだから。

 

 実は、昨日はサバイバルゲームを一日中やっていた。いつものようにエアコンをかけっぱなしで、水と餌をやってから出かけたのだが、昨日と今日は同じくらい暑かった。昨日ぼくは熱中症になりかけ、倒れこそしなかったが持参した塩飴をほぼ1袋使い切ったし水は4L消費した。それでも頭痛がしたので帰りにしょっぱいラーメンを食べて大量に水を飲んだらなんとかなった。しかし熱中症についての知識がそれほどなければ、頭痛が起きたら頭痛薬で済ましてしまうし、そのまま寝てしまうだろうと思うし、下手をすればぼくはそれがもとで死んでしまうかもしれない。さほど優れた身体を持っているわけではないし、褒められたような生活習慣ではない。ひとたび熱中症にかかれば致命傷を負いかねないことを今日になって思い知らされた挙句、しげるの死に直面した。かれの直接的な死因はどうやら熱中症とは別の原因のようであるが(調べた限りでは)、いずれにしてもぼくらは、死んでいない状態のほうが一般的だと考えているがそれは大きな間違いなのである。生物としては死んでいるほうが一般的で、たまたま何らかの状態がうまくいっているから生きているに過ぎない。卵はゆでればゆで卵になるが、これをいくら温めようが腐るばかりでひなが孵るわけではない。脳髄にアイスピックを突き立てれば簡単に人は死ぬ。そして二度と生きた状態には戻らない。命とは奇跡的な状態の上に成り立つ非日常だ。それを日常と表現することそれ自体が奇跡の上の前提条件のもとに成り立っている。それを考えろというわけではない。ただ、たったひとつの選択――それは、選択しないという選択も含めて――が、様々な生物の状態変化にかかわっているということ、それがひいては自分に回ってくることを改めて考えさせられたというそれだけの話である。

 そうしてぼくは業を背負って、おそらく明日も生き続ける。死ぬ直前になって、おそらくかれの名を思い出すのかもしれない。

 

 弔辞に代えて。