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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

プレミアムの乱用が世界を狭くさせたのか

 どうもかーびぃです。

 

 プレミアムフライデー。もはやプレミアムさのかけらもないほどにチープなミームを伴ったワードになり果ててしまったこの言葉。どこの役所が言い出したかも忘れたが、国家公務員の中央にいるような人間はだいたい朝から夜明けまで働き続けるサイボーグみたいな人たちなので脳の稼働率的な意味でそもそも効率的な施策を打ち出せるのかなかなか微妙なところだし、今回もかなり滑ってる感じはあるがとりあえず出来る人がものすごく少ない恵まれた人間なので、ケチケチせずに経済を回してほしいと思うことはある。貨幣それ自体が実体を持たないインフラであることはもっと多くの人に知られるべきだとつくづく思う。

 

 文フリ京都から1か月が経つが未だに半分読み切れてない。いい加減上位を発表したいのだがそれもできない手詰まりな状況だ。それについてはもう少し待ってほしい。

 そんなことより、テキレボこと「Text-Revolution」の第5回に参加が決まりました。「まんまる書房」のソロで出陣します。

 そこで、先日初稿がようやく完結したSF寄りのフューチャーファンタジー(近未来系ファンタジーの総称の造語)、「V~requiem~」を単行本として、またひざのうらはやお3作目の長編小説として出そうと思います。

 初稿版はカクヨムで読めます。

 

kakuyomu.jp

 なお、主要企画として「短編詰め放題」というものをやる予定だ。これは文フリ京都の「小説のくず量り売り」をより多くのバリエーションに整えたものだ。一説によればかーびぃ氏史上最ごうがふかいなを記録する超レアな短編もあるとか……たのしみー!

 

 そういえばたのしみー!で思い出したんだけど、けものフレンズを一気見した。登場フレンズの語彙力が特殊なことになっているのがものすごいこだわりを感じるし、圧倒的SFフォーマットに仕立てながら表面的にはこう、女性声優をとにかくいっぱい使う感じのあのわちゃわちゃした感じのアニメの体を保っていて、それが全体のバランスをとっているというか、非常に不思議なアニメだった。ちょっと昔のアニメで言うと流されて藍蘭島くらいに絶妙なバランスである。もっともあれは堀江由衣がわちゃわちゃを完璧に全力でぶん殴って平にしている感じのバランスだけど。すごーい!たーのしー!

 

 年を取ると小難しかったりめんどくさかったり暗かったりするものが段々摂取できなくなっていくっていうのはなんというか、最近とみにそんな感じになってきててすごく危機感を覚えている、

「おべんつよ」ってワードの歯切れの気持ち悪さ的なの、たぶん文章を声に出して読まないタイプのひとがつかうんだろうなあって

 どうもかーびぃです。元気してた?

 

 ここ2週間くらい家事をエコノミーモードにしていたので家の中がすごいことになりつつある。洗濯物は基本畳まない、干したものをそのまま着る、みたいなことをぼくはエコノミーモードという。精神的および時間的負荷がかからないやりかたという意味だ。

 

 そんなことはどうでもよくて。

 文フリ京都行ってきました。両隣がちょっとした強いサークル(しかも片方はめっちゃ聞いたことあるサークル名)だったので、両隣にお客(しかもなぜか若い女性が多かった……し名前聞いたことある人とか来てた)がひっきりなしに来るなか間のぼくのブースを完全スルーするというお気の毒様状態でした。新刊もないし地縁もないので頒布数はほぼゼロ。それでも楽しかった。

 楽しかったポイントとしては、まず会場の快適さ。文フリ東京とは比べ物にならないくらいブースに余裕があった。会場が比較的広かったのかもしれない。三かサークルも多くて立派だった。さらに、参加サークルの質の高さ。東京のような雑多な感じがないし、無料配布本をどかっとおいて本人はどっかにいなくなってる的な意識の低いサークルもほとんどいなかったように思えるし、刊行物も総じてレベルが高そう。少なくとも今7冊中3冊読み終わったけど全部60点超えてるからすごい。自分でいうのもなんだが同人誌評点で60を超えるというのは相当クオリティが高いかぼくのドツボにはまる必要があるので、これはすごいことなんじゃないかと思う。

 あとはやっぱり京都ってなんだかんだこう、東京の近所にすむおじさんとしては非日常と日常がうまいこと交錯してて、東京でも見たことがあるようでない、少しあるみたいな風景を見ることができたのがよかったなあと。繁華街のアーケードがすごいよかった。めっちゃくちゃ都市、されど東京にあらず感があったし、名古屋とも金沢ともまた異なる雰囲気が出ていた。かーびぃ氏別にいかにも京都っぽいやつにはあんまり興味なかったんだけどこういう普通の都市にはない特色的なやつはすごい感動する。別の方向で金沢も大好きだし函館も好きになりつつある。大阪も新世界もいいし天王寺もいいけどキタがわりと好きかなあ。近未来やで!的な感じの。

 

 でまあぼく自身も意識が高い感じになったので、うまいこと買い物して7冊仕入れました。やるつもりがなかった文フリ京都シーズン開幕中である。そしてテキレボ5に出ようと思います。新刊が極めて微妙なので、腹をくくって「短編詰め放題」という企画で一世を風靡しようと思います。ゲッツアンドターンアンドリライト。

 

 会社のレクリエーションってその後の飲み会が本番とか言い出すおじさんとっとと滅んでほしい党を結党しような。

全力で戦ってもダメだったら逃げるしかない

 どうもかーびぃです。さむくて指が凍る時期がやってまいりました。

 

 今年、いろいろとわけあって会社員なのに確定申告をするハメになった。これをしないと数十万単位で余計にお金をふんだくられてしまうのでやらない手がない。というかやらないと破産する。まだ30にもなってないのに破産者になるのは避けたい。

 で、いろいろ調べてみると、確定申告のみならず、税金関係の申請書類は軒並み超絶めんどくさい仕組みになっており、確実にやる気を奪うように設計されている。まあ考えてみれば当たり前の話だ、申請を受ける側に立てば、申請してくれないほうが得なんだから。役所ってそういうとこあるよなあ。

 

 そういえば今日は成人の日で、ぼくの地元でも成人式をやっていた。晴れ着姿の新成人の女の子を見るとあらゆる意味で黒歴史的な何かが脳裏を駆け巡るので、振袖姿の女の子は軽くトラウマである。権威が開く式典というものはたいていがろくでもないものであるのだが、それでも開いてこそ意味のあるものであることが多いのは認めなくてはならない。けれど、それを自己目的化する行為に関しては、ぼくは非常に疑問を覚える。そんなことを成人式関連で出てくる議論に思う。さあ、ピロウズの「エネルギヤ」を聴こう。

 そういえば、大学を卒業する年はこの時期がとんでもなく活動的であっただけでなく、大変な時期だったのを思い出した。経済学部、それも計量経済学系のゼミだったぼくは、論文を執筆する段階になってまさかの元データの処理を間違えていたことに気づき、朝から晩までパソコンをはじいてエクセルを整理して数式を書き換えてちょっと高かったデータ分析ソフトにコマンドを打ち込んで、みたいなことをやりながら卒業演奏と卒業制作、そして某ラノベ賞に出すための長編を書いていた。よくよく考えるとだいぶ頭がおかしい。この1月だけでたぶん10万字くらいは書いていたと思う。そう考えると人間は退化するときは退化するものである。今や月に5000字書ければいい方だ。

 もっとも、1月でそれだけパソコンに向かいすぎたために持病の椎間板ヘルニアを悪化させ、2月はほとんど寝たきりになってしまったのであるが。

 

 いろいろと宣伝とかそっち系の話をするのをすっかり忘れていた。

 1月22日の文学フリマ京都に出ます。かーびぃ史上初の遠征という形になる。東京近郊に住んでいるというメリットを存分に生かして今までは活動してきたのだが、ここらでちょいと地方に出ていくのも新しい出会いがあるような気がするので、というよりもぼく自身京都に行ったことがなかったので今回観光も兼ねて応募した。

 新刊は出そうと頑張りましたが結局出ません。この時点で何も用意できてないので無理です。なんとか京都限定のフリーペーパーを作れるかどうかだと思う。それも結構難しい。既刊で勝負をかけたいと思います。当日は「き-52 まんまる書房」にてお待ちしております。かーびぃ氏をどこかで知っておられる方はぜひ。

 

 あと、文フリ京都までになんとか完成させようと思っていたが、プロットを完成させようとした時点で無理なことに気づき、とりあえず5月の文フリ東京までにはなんとか完成させようと思っている長編小説の紹介もしよう。

kakuyomu.jp

 すごくストーリーを説明しづらい感じなのだが、舞台となっているのは近未来、かーびぃ的には今から150年くらい進んだ未来の話で、地球に降り注ぐ放射線のせいでそれを防ぐように都市を発展させた人類に対して突然変異で生まれた爬虫類のすごいやつ(ドラゴン)が人類を滅ぼしにかかり始めている中で、人類も人類でドラゴンの遺伝子を組み込んだ特殊な人間を作り上げて対抗しているが、ほとんどの都市はすでにドラゴンによって滅ぼされている、という世界の土台があって、そのうえで、東京でまだ戦い続けている彼らの話である。

 現状、プロットは8割くらい完成している(結末へつなげる前段階のところだけできてない)感じで、書いている部分で主要の登場人物は出そろった感じだ。

 読み手ウケ、というものを完全に排した、ぼくによるぼくのための物語、という最高に「ごうがふかいな」感たっぷりなものに仕上げていきたいし、そうするつもりなので、滅びゆく世界の美しさや、荒唐無稽なSFでも許せるような人に向いているといえる。そしてこれを改稿して本にするつもりなので、奇特にも読んでくださる人がいたら感想をこっそり伝えてくださるとありがたい。こういうこともぼくはあまり書かないんだけど、こいつに関してはちょっと事情が違うので。「ぼくのかんがえたさいきょうのもうそう」を、まだ力が残っているうちに作りたいという思いである。何しろぼくにもうまい書き方がわかっていない部分がめちゃくちゃあるので、これをこうしたら読みやすいとか違う人の目線で指摘してほしいみたいなところがすごくある。

 という結構な嘘を盛り込んだストーリーを組み込んでみましたがいかがでしょうか。まあ嘘ではないんですけど、というか本当に今まで考えていた邪念を全部とっぱらうというのはマジな話で、しかもコンセプト的に「読んでくれ」って推奨するのはおかしな話なんだが、書き手としてもある種のエンジニア的側面をもつ者からしても「読んでくれ、できれば感想をくれ」としか言えないというこのアレさ加減ですよ。おそ松くんだよもう。

 

 そういえばおそ松くんって何人兄弟なんだっけ?

 

そして今日も誰かが世の中にたたきつけられる

 どうもかーびぃです。

 

 あけましておめでとうございます。この記事を読んでいるということは、少なくともすでに2016年が過去に存在したものになってしまっているということで、つまりぼくらはすでに2016年を生き残れたということになる。

 

 とまあ屁理屈はさておくとして、今年もよろしくお願いしますなどという何の役にも立たない常套句を述べることにいささか不満があるのでそういうことは意地でも書かない。書いてるじゃん。

 

 ぼくは昔から、感情が高ぶると手に持っているものを投げつけたくなる衝動にかられる。それと戦うことに結構な精神力を要するのだが、かなりの確率で負ける。これによって犠牲になったものはいろいろあるが、中でもポピュラーなのが、楽譜である。小学校時代から高校までピアノを習っていたのと、大学時代は合唱団に所属していたのが大きい。特に、合唱団時代の楽譜はすべて例外なく完膚なきまでにボロボロになっていたのがそれを物語っている。なぜ顕著にボロボロなのかは聞くべきではない、ご想像にお任せしたいところだ。

 本状のものは手に持っていることが多いのと、非常にたたきつけやすいことから、衝動が襲ってきても大して抵抗しないのだが、これがスマートホン略してスマホとなると話は別である。モバイルバッテリーにつないでいないと5分と持たないようなクソみたいなスマホでも、やっぱり投げるのはもったいないし、投げつけるのにおおよそ向いているような物体ではない。投げるのにはものすごく向いてしまっているのだから理不尽につらい。つらいのだが誰もこれを理解してくれない。本当にきついんだこの衝動を我慢するのは。

 

 っていうまとまらないはなし

果てしない未来も切なかった夜も人によっては全く気にする必要のない夢の中の出来事なのだ

 どうもかーびぃです。

 

 ぼくはあまり人のブログを読まない。読むのがめんどくさいからだ。人の生活をわざわざ覗きに行くほど暇ではないのだ。じゃあなんで記事を書いているかって?あとで自分で読むためなのがほとんどで、それもそのころあった自分の出来事に関する話題を集めるというような実用的な類ではない。重要なのは、このあたりの時期のぼくがどのような文章をこの場で書き綴っていたか、ということなので、だからぼくは割と何も考えずにてきとーな文章を書いている。この記事自体がマイルストーンと化しているのだ。

 他人のことなど本当に何も考えていないままこのような場所に記事を書くのは、本当はあほのすることなのかもしれないのだが、それ自体がきっとぼくの性癖なのかもしれない。まあそれはどうでもいい。

 

 で、個人的に付き合いがあったり、読んでおいて損はないというぼくの中の損益分岐点計測器が判断したものはできるだけ更新されたらすぐ読むようにしているのだけれど、読んでいる中で一番思うのは、案外自分語りをしている人が少なくて、多くの場合は「どこそこのなんとかがうまい」だの「推しのイベントが尊い」だの、つまり自分にかかわっている、付随するなにかについて語っている場合がほとんどである。

 つまるところ本来ブログというのはそういう場であって、ぼくのような意識のクラウドサーバ的な使い方をする人間は極めてまれなのだ。きっと他人から覗かれるというのが、一番の理由だろうとぼくは思う。そういう点でも、ぼくは他人という存在に対して著しく関心が薄い。というのも、インターネット上においては、セキュリティの高さと可用性はおおむね逆比例するのであって、つまりぼくは自分にとって都合がいい形態を選択した結果、他人からこの記事を読まれるリスク以上にアクセス性を重視してここに記事を書いているということになる。これはおおむね正しいといえる。もちろん、完全に間違っているともいえるけれど。

 

 とかなんとか、どうでもいい理屈はさておくとして、ぼくも普通のひとのブログ的な記事を書くとしてみようではないかと。

 ぼくの最近の趣味というのはいくつかあるのだが、そのひとつに「青春時代わけあって手に入らなかったけれど遊びたかったゲームをやる」というものがあって、まあこれは言ってしまえばだいたい10年くらい前のゲームをやるということなのだが、とりあえずPS2のRPGを中心にちょこちょこやっているのである。

 で、ここ最近あるゲームをクリアしたので、それについて思ったことをつらつらと書いていく。

 「ラジアータストーリーズ」(PS2)

 これいつのゲームだろう。とりあえず当時の販促規模とタイアップの強さ、関連商品の多さから考えると、スクエニが一番元気だった頃なので、FF12が出る少し前くらいのものだとは思う。製作はトライエーススターオーシャンで有名な会社である。

 物語としては、国の英雄の息子である主人公の息子が、王国の騎士になるべく城下町を訪れることで、時代の波に流されながら、世界を左右する大きな流れに飲み込まれるというなんてことのないハイファンタジーなのだが、途中の選択肢でエンディングが変化し、全く別のゲームに変貌するという仕掛けがほどこされており、しかもどちらを選んでも微妙に納得のいかないエンディングとなる(おそらくは、どちらを選んだとしても、満足させないことでもう片方のエンディングもプレイさせるため)という非常に精神衛生上よろしくない脚本で、しかもそれがところどころ雑だったりするしそこに味があるなあと思った。バトルシステムはテイルズやスターオーシャンのように、バトルフィールド内で敵味方が入り乱れて戦う方式を用いている。この作品の一番の特徴として、一緒に戦う仲間の自由度がかなり高い(たいていのキャラクターは仲間にできる)ところで、ここが画期的というか、面白いなと思った。システム自体はかなり好きなのだが、いかんせんストーリーがどっちに転んでも微妙だし、おまけにストーリー筋の脚本がかなりてきとーな部分があって、やってるこっちがツッコミをいれたくなる部分すらある。それでも声優の驚異的な演技力でなんだか説得力をつけられてしまうのだからやっぱり声優はすごい。こういうところに力の差が出てくるんじゃないかと思う。

 ぼくも丁寧な脚本を書いて楽な仕事をしたいなあ。