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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

高値の花を撃ち落とすために狙撃銃をそろえているわけじゃない

 どうもかーびぃです。

 

 批評を終えてからというもの気が抜けてしまいまともに活字を読んでいない。インターネッツのやわらかなふにゃふにゃ文章に触れていると活字を噛めなくなるぞ、って小さい頃親に言われたような気がする。知るか。

 

 昔から文章を書くのが好きだし、意味もなく誇張するのが好きな人間でそれでよく怒られていた。小学生時代の絵日記なんか嘘ばっかりだ。しかも「今日は宝くじで3億円が当たったので回転ずしでウニを食べまくりました」みたいな誰にでもわかるような荒唐無稽なやつではない。よく読むとどこかしらが嘘であることはなんとなくわかるのだが果たしてどこが嘘なのかは本人じゃないとわからない、もしかしたらこれ全部嘘なのかもしれない、といったように読み手を疑心暗鬼にさせるような嘘が得意だった。

 むしろ、逆に正直にすべてぼくの思ったことをありのまま述べるということが全くできない人間であるともいえる。まあ人間じゃなくてわしかーびぃなんですけど。とまあこういった具合である。これで何が困るか。実のところ社会生活で困るところはそんなにない。というかほぼない。なぜなら人間というのは大なり小なり嘘を上手に使って社会生活を送ることを求められているからである。ただ一つだけ困るのが、もう皆さんお分かりかもしれないが恋愛的な場面である。こういう人間、もとい球体の生物だと何を語っても真実味が薄い。したがって自分ではまあそれなりに、例えば「スケベしようやあ~~」みたいな感じで伝えられたと思ってはいても、相手にはそれが全く伝わっておらず、「今夜は月が綺麗ですね」程度にしか思われていないという逆夏目漱石現象が発生しまくっている。もう島倉千代子なのだ。今気が付いたんだけど島倉千代子がなくなってからもうだいぶ経つわけで、ナウなヤングの皆さんは島倉千代子大先生を知らない可能性があるんだよなあ。悲しくて悲しくてやりきれないですねえ。なにがフォーククルセイダーズだ。とにかくアレなのだ、ぼくが何を語ろうとも黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子は真剣に聞いてくれないのだ。一文字めづるちゃんは聞いてくれるのにね。しんけんだけに。

 最近ついのたーでよく見るような話に、おそらく発言者は「発達障害の子供に日本の教育って合ってないよね」みたいな趣旨にしたいであろうツイートで、「発達障害と思われる子供に対して担任の教師が独自の努力をした結果みるみるうちに当該児童の成績や素行がよくなった」という旨の話をしているのだけれど、なんかこう、この手の話のもやもや感って、「じゃあお前その子供にそれだけ独自の(公平性を損なうか損なわないか議論になる程度の)努力で分かってもらうようにしたところで何も変化がなかったらどうすんだよ」ってすーぐ思ってしまうというか、本当にこの手の話に多い「非定型は何かしらの特殊な能力を持っているに違いないからそこを生かすべき!」みたいなことを何の疑問も持たずに抱きに抱いてしまい脳髄の軸に引っ付いて取れなくなってしまっている錆びた思想の持ち主が日本にごまーーーーーんといるのだろうなということを考えてしまいぞっとするわけである。

 それって裏を返せば「使えない奴は死ね」っていう優生学的なやつじゃないですか、文明的な意味でも人間の存続という意味でも非常によろしくない考え方じゃなかろうかとぼくは非定型の立場で思っているわけなのだが。確かにぼくも昔は少なからずそう思っているというか、今でもそう思ってるなーっていう気分になることはありますけど、優生学的思想って人を滅ぼすやつですよね。これを早急に改めないと人間死んじゃう。まあわしかーびぃだし関係ないか!ちなみにかーびぃ氏は日教組的な組織に対し並々ならぬ私怨をもっていたりするがそんなことはこの記事に関係ないのである。ないったらない。だめだだめだいかんぞそんなことを考えては。

 

 テキレボ、いい感じで準備が進んでいます。短編詰め放題が好評かどうかわからないので、とりあえず種類を増やしたら数を持っていけなくなってしまったのでその辺を考えた結果若干でいいかってなってます。なのでもし予想外に大盛況だとお目当ての短編がなくなるかもしれないですよと。まあそうはいっても大半の文章はぼくのページのどこかにおいてあるんですけどね。

 

 月収2億くらいほしい。そして税免除とかになりたい。

高圧下で発生する化け物はたいてい人知を超えている

 どうもかーびぃです。

 非常に眠いし精神の調子がよろしくない。今朝なんか起きるのに1時間近くかかって会社に遅れかけた。原稿やるはずだった未来はどこへ。

 

 とかなんとか言ってないで、文フリ京都シーズン最後の批評を始めようと思う。

 

 ミスチルことMr.Childrenのアルバム「深海」に収録されている最初の曲といえば「Dive」そして「シーラカンス」である。激しく打ち付けるようなロックでありながらスローテンポであるこの曲は歌詞もかなりハードで、闇のアルバムとファンの間でささやかれている「深海」のメインボーンをなしているといっても過言ではないと思う。このアルバムはアタッカでつなぐタイプの曲が多く、気が付くと全体が聴き終わっているような、非常に一体感のあるアルバムである。

 

「無何有の淵より」著:ヨモツヘグイニナ(ヨモツヘグイニナ)

(評点 通読性:13、宇宙感:20、残響度:20、嗜好:7、闇度:A 合計67点)

 自分でもびっくりするくらい直球のマクラを配置しているわけであるが、この本を読んだとき、ぼくはまさにこのアルバムを思い浮かべた。各短編はそれぞれ濃密な個性と引きずるような闇を浮かび上がらせている。息をしようものならからだのあらゆる穴から海水が逆流してしまいそうな息苦しさを感じられるくらいに、全ての短編および歌集がストロングだった。

 ちなみに、サークル名の「ヨモツヘグイニナ」は深海に棲む貝類の一種で、熱水噴出域という高温の水が噴き出す場所に生息して、無機物の化学合成を行うバクテリアの力を借りて生息している。すなわち、生物の捕食等を行わない。だから黄泉戸喫なのである。古代日本神話に由来する、深海生物の名を冠するサークルにはぼく自身聞き覚えがあった。ひょんなことから出会ったフォロワーがその名をつぶやいていたのと、かなり前からサークルカタログ上にオススメとして出されていたことに後で気が付いた。隣のサークル名を見た時にどきりとしたのは秘密である。

 さて、話を戻すと、どの短編も圧倒的な群青色を漂わせ、それぞれに非現実という名の深海を見せてくれた。この本のコンセプトは「深海×神話合同誌」ということであるが、まさに全体を覆う神々しさと禍々しさが混然一体となった非人間性、ないしは非文明性に圧倒される。出そろった7名のライターはいずれも粒ぞろいで、同人界隈でもかなり高水準の創作力を持っているのではないかと推察される。ひとつひとつにいろいろ書いてしまうとぼくのぼろが出てしまうので書かないが(書かないのかよ)、特に最初を飾った彩村菊乃さんの「零本・人魚語水漬白玉」の隙のいっさいない語り口には呆然とするほかなく、また、磯村愛さんの「マリーへの手記、或いは沈める寺の一考察」も高度な教養を用いたプレイングで圧倒してくる。この巻頭2作品が合同誌全体の密度と方向性をはっきりと示唆するものとなっており、続くエヌさんの「乙姫の腹」、そしてこのサークルの主宰である狐伏澤つたゐさんの「華胥ノアナタ」はかなり標準的な線を持つ幻想小説で非常に強固な骨格を与えている。個人的にはこの2つの線がぼくは好きである。かーびぃ氏頭が悪いので難しいことはわからないんぢゃ。

 最後を締めくくる佐々木海月さんの「生命未満」は、この合同誌唯一のSFだが、その静謐さと透明さは高濃度ばかりが目に付くこの合同誌の中で異質に光る。ただただ、美しい。この小説が最後にくるのは非常にその通りというか、そうせざるを得ない。まさにミスチルの「深海」の「深海」に相当するものと言える。文章も非常にこまやかで丁寧に、それでいて高度さを必要としない素朴な言葉で綴られており、ぜひとも多くのSF好きに読んでいただきたい代物である。

 評点としては、収録されている短編があまりにも高度な教養と知識と読解力を必要とするものばかりであるため通読性が非常に低くなっている(ここまで評価したもののうちで最低)。逆に言えば、読む人を非常に選ぶ、同人誌らしい同人誌ともいえるだろう。

 こういうものを作ってみたいと最近とみに思う。

 

 以上、文フリ京都シーズンの批評でした。いくつかはテキレボ5でも出すとのことなので、覗いてみてはいかがでしょうか。そしてあわよくばわしのブースもきてくり~~D-05ですぞ~~

墓標に建てられるものは無機物と決まっているわけではないが、無機物にせざるを得ないことはわりかしある

 どうもかーびぃです。ぼくもたまにはガンガンいこうぜで戦うこともある。

 

 ということで、第2位について、書いていこうと思う。

 好きなバンドだから何度も取り上げてしまって恐縮なのだが、9mm Parabellum Bulletに「黒い森の旅人」という曲がある。個人的には9ミリの中でも名曲中の名曲で、普段の曲とは別ベクトルで幻想的な雰囲気を醸し出している不思議な曲なのだが、それは歌詞によるところと9ミリ特有の強く長い泣きメロがなく構成がシンプルなのも影響していると思う。

 

「ハカモリ」著:七歩(酔庫堂)

(評点 通読性:17、宇宙感:17、残響度:19、嗜好:7、闇度:B 合計65点)

 たまたまブースが隣になった方の新刊がこちらである。短編にほど近い分量の中編が文庫本に収められている。ブースには本だけでなく硝子のアクセサリーのようなものやこの本のようながっつりとしたファンタジー以外にもライトファンタジーやツイノベなども手掛けられているようで、創作物の幅がかなり手広いながらも、ひとつひとつに強いこだわりを感じられるところが美しいと思った。ぼくがマクラの曲を選んだのはそういった部分からである。

 小説はハイファンタジー気味の世界観で語られる少女とその祖母、そしてシディーと呼ばれるいわゆる亜人種の少女との物語である。ある日、「墓森」で少女ステラはシディーの少女と出会う。ステラは彼女を祖母マーラと暮らしている家に連れ帰る。マーラはシディーを見て驚嘆し、思わず「レイミー」と口走る。この序盤のストーリー展開の背景描写が非常に精彩で、「墓森」の匂い立つような腐葉土の香りや、鬱蒼とした異世界感、そしてそれに伴う幻想小説としての臨場感を際立たせることに成功しているといえる。この人のすごさは、情景描写と心理描写をシームレスにつなぎ合わせ、読み手にストレスにも似た心理的負荷をかけることなく自然に場面を展開し、かつ、登場人物の心情を克明に浮かび上がらせているところにある。このような芸当は一朝一夕でできるものではないことは、ワナビライターのみなさんならよくわかっているはずである。短くはないであろうキャリアとそれに伴う技術力、細部まで文字表現で塗りこめられた完成度の高い世界観、そして、それらを文庫60頁という決して多くはない分量の中で余すところなく、まんべんなくちりばめることのできるセンス。ぼくが知っている同人創作者の中で、これほどまでにバランスよく様々な要素を持っている人はいなかった。

 隣のブースは予想通りの「強者」だったのだ。

 

 そんな感じです。

 ちなみに、第1位は反対側の隣のブースの本だったりするのでお楽しみに。

言葉の破壊力はその言葉自身の強さではなく、あくまで周囲の環境に依存するの法則

 どうもかーびぃです。

 体調のせいだけではなく明らかに原因があるのだがこう書くに書けない事情により今非常にやる気がない。ただ、ここで何も書かないと多分また全部の記事を書くのに長いことかかってしまいそうなので、3位のものだけでも書いていこうと思う。

 

 最近聞いた曲で、耳に残っているのが、パスピエというバンドの「ハイパーリアリスト」だ。PVが絶妙に素敵なのだがそこはどうでもいい。どうでもよくはないけど割愛する。

 このサビの「何千回だって~何万回だって~」のフレーズが非常に耳に残りやすいし、旋律線もリズムもシンプルである代わりにギター・ベース・キーボードそしてボーカルが色彩豊かな音色を丁寧に組み上げていく感じが好きなのかもしれない。

 

「Nearby Monitor」著:本田そこ(そこそこ)

(評点 通読性:17、宇宙感:15、残響度:19、嗜好:6、闇度:A 合計64点)

 ほらみたまえ、3位ですでに64点なのだ。京都文フリのレベルの高さがうかがい知れる。くどいようだが、そもそもかーびぃ氏のこの評点方式は60点以上を取ること自体が難しいような設定である。もう少し厳しくすればよかったかなあと思わなくもないが、それはそれだ。各回ごとに標準化するのはあらゆる意味で失礼なので、絶対評価という形でやらせてもらうことをご了承いただきたい。

 さて、というわけで、何度かご紹介した記憶のある本田そこ氏の単行本が第3位になった。

 とはいえ、実はこの本、本田そこ氏の既刊である(文フリ京都時点の最新刊は先回紹介した「SELECT」である)ので京都のレベルの高さとは最初から異なるわけであるが。

 この本には4編の短編が収められており、読み進めていくにつれて、全体がひとりの少女を中心に展開される物語であることに気づかされるという展開が仕組まれている。システマチックにプロットをくみ上げる本田そこ氏ならではの計算された場面展開によって、一見関係のなかった事象が徐々につながっていき、最終的に一本の線へと収斂していくさまは読んでいて爽快感があるし見事である。彼女の狂気的ともいえる冷徹な愛情が最終的に花開くとき、眼前に広がる光景は異様なまでのほのぼの感と計算しつくされた予定調和である。

 個人的には、最初のエピソードが非常に引きとして利いていると思わざるを得ない。ネタバレが致命的なところでもあるのでなかなか詳細に書けないのがもどかしいが、すべて読み終わった後にもう一度最初のエピソードを読むと、この小説がいかに辺縁を作り込んでいるかという事実に気づかされることだろうと思う。本田氏の強みはその辺縁を彩った上で本編にどの要素を見せるのかが非常に戦略的に創作されているというところであり、本作は中でもその強みが顕著に出た一冊となっている。

 まあ、とはいえ、実のところ、新刊の「SELECT」の方が読み物としては良かったし、一般的にはこちらの方がウケるだろうなあとも思う。

 にもかかわらずこちらの方が評点が高く、しかもそれなりに開きがあるのは、なんといってもこの作品から漂う「ごうがふかいな」感であり、その差がそのまま評点の差(嗜好点+闇度)になっている。

 

 つまるところぼくは客観的に評価しようとは試みるが、結局上位に並ぶのは主観的に面白いと思ったものだけであるということも、ここで示されてしまっているということなのだが、そこには目をつぶっていただきたい。

 そんなところで。次も楽しみにしていますよ、そこ兄さん。

ごうがふかいなが理解できなきゃそれでもいいんだそのほうが幸せなのだから

 どうもかーびぃです。

 後輩たちの追い出しコンパに出かけた帰り、品川駅で鬼ごっこをしてたとかなんとかで(非公式情報)東京行き最終列車が足止めをくらい、武蔵小杉駅で小一時間待たされ、当然東京駅に着いたときにはほかの列車はない時間なのでそこから歩いて帰宅するというハードプレイをかました。ゆうに20キロはあったんじゃないかと思う。気が付いたら朝になっていたし膝ががくがくで、これは1万数千円払ってでもタクシーを呼ぶか、始発が出るまでどこかで粘っていたほうがよかったような気もするが仕方がない。千葉県葛南地域某所にある自宅に着いた頃には疲労困憊だった。

 

 そんなことはともかく、ようやく、文フリ京都シーズンの同人誌の評点が出そろったので、随時批評をしていきたいと思う。

 まずは、惜しくも選外になってしまったが、一応全部読むことができたものに関して、ほぼ感想にちかい思ったことを簡潔に。

 

「姫君の匣」著:Wilhelmina(Wilhelmina)

 ふと文フリのカタログを読んでいるときに、お姫様アンソロジーということで気になったので手に取った品物である。4編の「お姫様」を主題とする小説からなるアンソロジー形式。どの作品もすべて非常に個性的であり、「お姫様」がどのようなものであるのかという概念から、そのイメージまで事細やかに記されており煌びやかなで繊細な描写から物語を緻密に組みあげていくようなものばかりで、非常にクオリティの高いものであった。中でも装丁が素敵であるし、中東・現代・中世前半の日本・古代朝鮮という4種の舞台分けというのがなかなかに見事で、その中で描かれる「お姫様」とその位置づけもすべて均等に異なっているところが作品集として非常にバランスの取れている部分で、合同誌はかくあるべきなのだろう、という理想形のひとつのように感じられた。

 高評点ではあるが、今回の上位争いは苛烈を極めていたため惜しくも選外となってしまった。また機会があれば別のものも読んでみたいと思った。

 

大好きなxxxxx(上)著:霧野綾月(Fake’)

 こちらも文フリのカタログを読んでいるときに「竜と少女の話」みたいなワードが飛び込んできたので寄ってみたら、なんとそれだけが置かれており、また装丁も素朴な印象があったので思わず衝動買いしたものである。カタログの文面って意外と大事なのだと思った次第だ。

 物語は上部分で、まだまだ山場にも差し掛かっていないようなものだったのだが、要はボーイミーツガールならぬガールミーツドラゴンである。学校からも家族からも孤立してしまった少女は、ふとひょんなことから謎の存在と会話できるようになり、それが竜だったというような内容。そこからどう進展していくのかが下巻、あるいは中巻に続いているのだろう。

 舞台は中世ヨーロッパ的な雰囲気を纏うある種の異世界、といったところだろう。主人公の少女が目にするものに関する描写が非常に柔らかく、かつ自然なので読みやすく、イメージがしやすい。特に本では終盤部分になるのだが、都会の学校に通い食堂で朝食を食べる主人公の場面の進行と描写が非常に自然で、これはとても真似をしたいというか、こういう流れをやってみたいと思わせるような見事な文体になっている。

 実は前述の「姫君の匣」と同点の高評点だったが、やはり苛烈な上位争いに耐えられず惜しくも選外となった。続編を読みたい。あと食事のシーンもっと読みたい。

 

「SELECT」著:本田そこ(そこそこ)

 本ブログでもなんどか取り上げている本田そこ氏の新刊。タイトル通り「選択」についての青春小説とでも言うべき中編が収録されている。3人の男女の交錯する思考と感情が、徐々に過去から未来へと向けられていくさまはとてもすがすがしく、そこ氏自身が持つ素朴な文体も相まって後半に爆発的なカタルシスを生み出している。シンプルであるがゆえに美しい。この本もその部類に入ると思われる。

 前述同様、前シーズンでは各個批評の域に達していてもおかしくない評点であったが、今回のレベルが非常に高く上位からは外れてしまった。

 

 全部は読めなかった(1本断念したのがあった)のだが、改めて文フリ京都の質の高さを思い知った。実は、読み終わったものに関して言えば、今シーズンはすべて60点を超えている高評点グループで(前回は3位が60点以下だった)、非常に完成度と力のある本ばかりが並んでいたのだろうと容易に推察できる。

 

 以降、3位から順にご紹介していこうと思う。