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かーびぃのメモ帳

球体の生物が日々感じたことをつぶやくよ!

コラージュしていく世界

 どうもかーびぃです。久々だ。ネット回線が通ってるっていいですね。

 

 いつのまにか実家を飛び出して一人暮らしをしていたわけであるが、安定した回線がつながるようになったのはつい最近のことである。そのため、様々なことが滞ってしまい、いろいろな人に迷惑をかけてしまっている。申し訳ないです。正直ぼくもここまでのスピードで新居が決まるとは思わなかったもので(言い訳になってない)

 

 随分前にどこかのCMか何か、いや、もしかするとブログだったか、はたまたぼくの妄想なのか、もはやわからなくなってしまったが、「私は私の元彼たちと分身を交換し合って生きている」みたいなワードを見て、ふと、「人間ってコラージュだよなあ」などというスーパー身もふたもないことを思ってしまったわけなのだが、最近そんなことをふと思う。話し方や動き、文章の手癖に至るまで、生まれつき受容する性質は当然あるであろうが、大半は出会った人間のそれで決定されるのだ。自力で料理を作れなかった時期、誰の作ったものを食べていたかで本人の味の嗜好から調理方法までそれが反映されているのと同じこと、もとい同根にある。

 

 この年齢になっても自分の嗜好の核というものがあるのかないのかすら曖昧なくらい定まっていないというのはどこか不気味で、それゆえに不安なのだ。例えば何かに熱中する。けれどそれは自分の核になるまでにはすごく時間がかかるわけで、そこまで身についたものというのは実はほとんどなく、逆に考えると身についているのは常に文章を書き続けるということだけで、それほどまでに大きな枠組みしかないのだから嗜好の核なんてなくて当然なのかもしれない。

 かーびぃ氏いまねえ原稿書いてるモードでこれ書いてるからね、いつものやつ的な文体じゃなくて何言ってんのかわからない感じの文体になってるんですよ。つってものうみその スイッチってそんなに簡単に変えられないじゃないですか。というか簡単に変えられたらさあ、世の中もうちょっとマシって話。

 おそらくぼく自身が能動的な思考ではないので、結果ありきでそこから先の計画を立てることしかできないのではないかと思う。例えば文章の手癖や好きになる人にしたってそうである。最終的に今まで歩んできた実績から、なるほどぼくはこういう女の子が好きなんだなあっていうことだったりとか、こういう文章を読んでいるんだなあということがわかるわけで。それは人がコラージュで形成されているということにも少し似ている。ぼくはコラージュのもとがどういう成分でできているのか、ある程度見極めることはできるが。先が読めないというのはそういう意味では正しい。だって過去と同系列上に未来があるとは限らないのである。例えば観測の範囲外から突然小惑星が落ちて来たら今まで描いていた軌道とは全く関係なくなってしまう。ぼくはそういうことが苦手だ。常に一寸先は闇で生きている。一寸先が見えた瞬間に持ち前の反射神経でどうにかして生きているだけなので、そのスケールを超えたものに関しては誰かに頼んでどうにかする以外にどうにかできないのである。というか、どうすれば先が読めるのか教えてほしいくらいで、もっとも教えてもらったところでできそうになさそうというかそういう感じだ。

 

 てなわけで、短編集が出ます。いや、出します。無理にでも出します。5作のうち3つまで完成しましたぞ。もうちょいやんけ。頑張るぞ。