ひざのうらはやおのメモ帳

サイコパスクソメガネが祈る墓標みたいなやつ

戻るつもりがないのにパンくずなんか置けるわけがない

 どうも、ひざのうらはやおです。

 

 例によって例のごとく、これも何らかのリハビリ。

 

 今回は細切れに、思ったことを淡々とまとめていく形式にしたい。今まで以上にまとまりがないが、オムニバスみたいなものだと思ってほしい。

 

 ぼくは継続的に記録をとるということを極端に嫌う。おそらくADHDとして生理的に受け付けないところがあるのと、ぼくの記憶そのものがかなり恣意的に形成されているという自覚がはっきりとあるせいなところがある。

 つまり、下手に記録を取ってしまうと、ぼくの「記憶」と整合性がとれなくなってしまうのだ。ぼくはぼくに対しはっきりと嘘をつくし、それをぼく自身の手によって暴かれるのを最も嫌う。ということに最近気づいた。なかなかに業を背負っているような気がしなくもない。ぼくが他人につく嘘に対して全く心が痛まないのは、そもそもぼくはぼく自身に対してあまりにも多すぎる嘘をつき続けているからなのだろう。

 本当のことを言わない技術に関しては、少なくとも同世代の人間のなかでは抜きんでているように思うし、それが少なからず創作に出ているように思う。

 

 首都圏(関東地方+山梨県)のサンマルクカフェの店舗をひとつずつしらみつぶしに訪れるというサンマルクチャレンジを自分に課してからもうすぐ10か月になる。客観的に表現すれば趣味以外のなにものでもないし、だからぼくは他人には趣味という形で(上述した通り)平然と嘘をつく。ただぼくはこれを趣味とはあまり考えていない。だいいち全然面白くない。サンマルクカフェはコーヒーチェーンだ。当然どの店舗もほぼ同じラインナップだし、内装だし、なんなら立地だってほとんど同じだ。一種のお遍路のようなものである。それはまさしく巡礼だ。サンマルクカフェの神があの夏の日、突然「かれ」に囁いたのだ。「とりあえず、サンマルクカフェを巡るのなんか面白そうだからやってよ」と。「かれ」も面白そうだと思ったのだろう、気が付いたらぼくは青春18きっぷを手にして中央線に乗っていた。中央線沿線はサンマルクカフェの店舗がかなり多い。

 ただ、この時ぼく、というか「かれ」は深く考えていなかったのだろう。サンマルクカフェの立地方針は非常に徹底していて、それは「かれ」の想定外だったのだろうと思う。つまるところ、郊外、もっと言ってしまうと片田舎のイオンモールにかなりの数分布しているということに、初めて数日で気づいた。イオンモールである。大貧民負けてマジ切れ、パスタ作ったお前に一目ぼれみたいな方々が家族の絆を密にして休日になると足しげく通うであろう、片田舎の総合歓楽施設であるところの、あのイオンモールである。最大の欠点が、駅から遠い。そしてぼくは自動車の運転が決してうまくないうえに、ぼくどころか家族誰も自動車を所持していない。浦安で車を持っていても金がかかるだけなのである。

 それでようやく、昨日の話になるのだが、群馬県の、それでも入り口に近い都市に行くのだって、電車を何回も乗り継いでいく必要があった。具体的に言うと太田と伊勢崎で、どちらも東武鉄道がカバーしているし、なんと太田までは特急が通っているといので、東武特急は特急料金がそれほど高くないから興味があってついでに乗ってみることにした。JR東海道線のグリーン車と比較してしまうのは車両的にあまりにもかわいそうなのでしないでおくが、まあ料金としては妥当だし、レトロな車両にしてはかなりスピードも出るしとてもよかった。ただ例えばデートに使うかというとなかなか微妙である。もっともぼくはかなりの見栄っ張りなのであるが。お察し。

 しかし、延々と東武伊勢崎線を、北千住から先を乗りとおしたわけであるが、やっぱり景色の移り変わりを見るのが楽しい。北越谷から複々線が複線に変わり、舘林から単線に変わり、それでも太田につくころにはいつのまにか高架になっているし、伊勢崎にはちゃんと車止めがあるのもなんだか少し感慨深かった。

 また、利用客が思っていた以上に多いことにも驚いた。あと、ぼくと同じような経路でイオンモールに行くのは、小中学生かもしくは後期高齢者のようなひとばっかりで、車中がすごく極端な年齢層になっている中、アラサーと呼ばれる年齢層のぼくは非常に浮いていた。おそらく、ぼくと同年代の人間はみんな家族を引き連れて自動車で乗り付けるというのがスタンダードなのだろう。そりゃそうだ。買い物にいくわけだし、駅からは遠すぎる。スマーク伊勢崎なんかちょうどバスがない空白時間に着地してしまい、やむなくタクシーを使ったのだが、2000円近くかかった。距離にしておそらく4キロ前後といったところだろう。歩けば1時間かかる。

 たかだかスマーク伊勢崎のサンマルクカフェに行くためだけにタクシーに2000円使うのはもうなんというか独身男性の極みみたいな行動だが、ぼくの時間外の時給はおおよそ2000円程度であることを考えると、歩いて1時間かけるのとまあどっこいどっこいで、体力を消耗しないだけマシだなと思ったし、事実ここで1時間かけると北千住のサンマルクカフェをつぶすことが不可能になってしまっていたので、必要経費となるのは明白だ。ただいくら必要経費だからといってぼくの財布が痛まないはずがない。というか、実際めちゃくちゃ痛い。めちゃくちゃ痛いのだが、しかしすでにサンマルクカフェの飲食代だけで4万円にとどくであろう金額を使っている人間としてはもうなんというか、何をいまさらである。それに、おそらく今後タクシーを使うことはまずない……と思いたい。ぼくにとってサンマルクチャレンジは、修行であり、創作としての何かを取り戻すために必要な、「かれ」の遺したふたつの業のうちのひとつなのだから。

 

 もうひとつは、もちろんシーズンレースである。先日、というかまさにこの特急りょうもうの車中でぼくは静マル2シーズンに登録された最後の作品を読み終えた。静マル2シーズン、すなわち、昨年開催された「第2回静岡文学マルシェ」で得た作品群の評点化である。その最後に配置された作品に、ぼくは全身を殴られたような気分になった。その作品は、「ある規則に基づいて、短編を綴ったものをまとめた」短編集だった。書き手にその意図があったかどうかは不明であるが、ぼくが読む限りでは、それは極めて写実的な創作的記録であるかのように思えた。そこに並んでいた作品群のひとつひとつが、ぼくにとっては極めて強い殴打であるかのように感じた。

 上述したとおり、ぼくは記録をとることが不得手であり、そもそもするモチベーションがない。けれどそれは自らにとって都合の良い記憶を創り出すためにあえてやっていることであった。実際、ぼくは5年以上の長期的な関係を、血縁関係を除いた特定の個人と結んだ記憶はない。今知り合っている人は5年前には知り合っていなかったし、逆に5年前に知り合った人間で今も継続的にコミュニケーションをし、密接なかかわりを築いている者はだれひとりいない。

 だから、これほどまでに精緻に、記憶と記録をすり合わせるかのように丁寧に、何かを祈るように描かれていたそれらを見て、ぼくは本当に声が詰まった。かれの作品は、とかく文体、特に風景描写に関して極めて精度が高い。それだけに、場としての重みがありありと伝わってきて、読み終わった後も太田につくまで何もできなかった。

 その作品は、シーズン2位となっているので、後々記事としてしっかり書かせていただくつもりである。乞うご期待。

 

 上述した中で、じつはひとつだけ例外があることに気づいた。ただ説明するのが面倒なのと、プライバシーにかかわることなので割愛する。お察し。

 

 最近性的な夢をよく見る。いわゆる淫夢みたいな、自分の欲望がストレートに表現されているものであれば、まだあきらめもつくというか、納得もできるのだが、なんだか女性からセクハラされるみたいな、とにかくぼく自身にとって極めて不快なものばかりで、すくなくともぼくの願望では決してない、と断言したいような内容のものばかりだ。これもプライバシーにかかわること、またこのブログの読み手に当事者がいないとも限らないので割愛する。

 

 エッセイを出した時に、2つの文体をぼくは使い分けた。ひとつは、あからさまに虚構を押し出したような、いわばラジオパーソナリティ的な語り口を非常に意識したもの、これは「まんまるびより」の主要構成となっている。もうひとつは、それを極端に排した、このブログのような文体で、実のところこちらの方が脚色が多いのだが、そう思わせないために技巧のほぼすべてをこらしたようなもので、こちらが「しん・まんまるびより」にあたる。エッセイを書くことによって、人となりが漏れ伝わってしまうのではないか、とぼくのツイッターのあるフォロワーがつぶやいていた。もちろん、伝わるだろう。けれどそれは表現を行えば当然伝わるであろうことが伝わるだけの話で、かれがどういうエッセイを書くのかぼくにはわからないが、極端に状況や人物を限定しなければ誰かしらからそしりを受ける筋合いにないのではないかと思っている。ぼくはかつて、ある女性に、その女性について書かれた小説だけを集めた作品集を贈呈したことがある。もちろん、ここまでやってしまえばそれは何かしらの非難を受けるに違いない(実際今から思うと非常に気持ち悪い行為であったし、本当にどうしようもない人間だったなと後悔も反省もしている)けれど、そうでないのであれば、むしろ虚構でしっかりと構成されたエッセイに、さしたる同人的な魅力はないのではないかとぼくは思う。ありのままを書こうと思ってたぶんちょうどいいくらいなのだ。

 エッセイというところでいうと、伴美砂都氏のNoteの、本当に日記のような文章は非常に日常的で、それでいて心情表現が豊かで、さすがだなあと思っている。ぼくも「しん・まんまるびより」でそれを目指した。ありのままを、ありのままに書くには、当然であるがありのままではいけないわけである。その妙がするりと通り抜けているというか、全く意識せず書き手の視点と、それを取り巻いている環境が想像できてしまうというところ、そしてそれらが(書き手を知っているいないにかかわらず)ある程度人物像がぼんやりとおぼろげに浮かぶというところが本当に見事だし、伴氏の豊かで確かな文才がいかんなく表現されているので、機会があれば読んでみてほしいとぼくは思う。

 

 回線関係を整理して、ゲームする環境を整えた。実家からテレビがおさがりされたことが主な理由である。諸事情でネット回線のプロバイダを変更し、その解約手続きと、諸事情で必要になった中継器、HDMIのマルチタップなどなどもろもろ合わせると2万円くらいの出費であるが、うち1万円はキャンペーンのキャッシュバックで充当されるので、実質1万円の出費とみなせる。これで昨日と今日だけで2万円くらいの地味に痛い出費があったことになる。倹約できないタイプの人間なのは自覚しているので、できるだけ浪費しないようには心がけているのだが、なかなか難しいと思った。それでも去年は銀座に寄るごとに万年筆を買っていたから、まだそれよりはマシ。

 

 などと書き並べているが、来週には簿記の試験がある。それでいて、テキストを1回読んだくらいのことしかしていない。なにしろ覚えることが多すぎるのである。しかし職場には国立大学の経済学部を出ていることがバレているが、ぼくがADHDであることはバレていないので、簿記くらい簡単でしょ、むしろなんで今まで取らなかったんだよ、っていう空気が流れていて、到底実は一回受けて落ちているなんてことは言えないし、実際今回も合格する気がしない。ちなみに2級ではない、3級である。だから余計に厄介なのだ。理屈は簡単だけど、「え、なんでそんなめんどくさいことわざわざやるの?」と思ってしまってその先に進めないのである。学校の教科ではこんなことはありえなかったし、逆に資格試験となるとこうなってそこから先全く手につかないことがよくある。生まれて30年近く、ぼくは勉強がどちらかというと得意だと思っていたのだが、多分極めて苦手なのだろうと察した。言っちゃ悪いが3級は高校生が受けるようなものだ。そしてぼくは大学をすでに卒業している。しかもそこそこ名前が知られている国立大学の、経済学部。普通は不合格だったら相当手を抜いていたと思うに違いない。でも、はっきり言ってこれだけの、全然興味がわかない事柄を憶えられたためしがないのだ。室町時代鎌倉時代の歴代将軍の名前を憶えさせられているみたいで、全然頭に入ってこない。実はわりと焦っている。

 ま、落ちても減給とかじゃないから、別にいいんだけど。

 

 テキレボのことで物申そうかなとか思っていたけど、全然テンションがちがうだろうし、今これを書くのもなんだかなあと思うし、まず静マル2シーズンをどうにかしなくちゃなあと思うので、この辺でやめておきます。