日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

言葉の破壊力はその言葉自身の強さではなく、あくまで周囲の環境に依存するの法則

 どうもかーびぃです。

 体調のせいだけではなく明らかに原因があるのだがこう書くに書けない事情により今非常にやる気がない。ただ、ここで何も書かないと多分また全部の記事を書くのに長いことかかってしまいそうなので、3位のものだけでも書いていこうと思う。

 

 最近聞いた曲で、耳に残っているのが、パスピエというバンドの「ハイパーリアリスト」だ。PVが絶妙に素敵なのだがそこはどうでもいい。どうでもよくはないけど割愛する。

 このサビの「何千回だって~何万回だって~」のフレーズが非常に耳に残りやすいし、旋律線もリズムもシンプルである代わりにギター・ベース・キーボードそしてボーカルが色彩豊かな音色を丁寧に組み上げていく感じが好きなのかもしれない。

 

「Nearby Monitor」著:本田そこ(そこそこ)

(評点 通読性:17、宇宙感:15、残響度:19、嗜好:6、闇度:A 合計64点)

 ほらみたまえ、3位ですでに64点なのだ。京都文フリのレベルの高さがうかがい知れる。くどいようだが、そもそもかーびぃ氏のこの評点方式は60点以上を取ること自体が難しいような設定である。もう少し厳しくすればよかったかなあと思わなくもないが、それはそれだ。各回ごとに標準化するのはあらゆる意味で失礼なので、絶対評価という形でやらせてもらうことをご了承いただきたい。

 さて、というわけで、何度かご紹介した記憶のある本田そこ氏の単行本が第3位になった。

 とはいえ、実はこの本、本田そこ氏の既刊である(文フリ京都時点の最新刊は先回紹介した「SELECT」である)ので京都のレベルの高さとは最初から異なるわけであるが。

 この本には4編の短編が収められており、読み進めていくにつれて、全体がひとりの少女を中心に展開される物語であることに気づかされるという展開が仕組まれている。システマチックにプロットをくみ上げる本田そこ氏ならではの計算された場面展開によって、一見関係のなかった事象が徐々につながっていき、最終的に一本の線へと収斂していくさまは読んでいて爽快感があるし見事である。彼女の狂気的ともいえる冷徹な愛情が最終的に花開くとき、眼前に広がる光景は異様なまでのほのぼの感と計算しつくされた予定調和である。

 個人的には、最初のエピソードが非常に引きとして利いていると思わざるを得ない。ネタバレが致命的なところでもあるのでなかなか詳細に書けないのがもどかしいが、すべて読み終わった後にもう一度最初のエピソードを読むと、この小説がいかに辺縁を作り込んでいるかという事実に気づかされることだろうと思う。本田氏の強みはその辺縁を彩った上で本編にどの要素を見せるのかが非常に戦略的に創作されているというところであり、本作は中でもその強みが顕著に出た一冊となっている。

 まあ、とはいえ、実のところ、新刊の「SELECT」の方が読み物としては良かったし、一般的にはこちらの方がウケるだろうなあとも思う。

 にもかかわらずこちらの方が評点が高く、しかもそれなりに開きがあるのは、なんといってもこの作品から漂う「ごうがふかいな」感であり、その差がそのまま評点の差(嗜好点+闇度)になっている。

 

 つまるところぼくは客観的に評価しようとは試みるが、結局上位に並ぶのは主観的に面白いと思ったものだけであるということも、ここで示されてしまっているということなのだが、そこには目をつぶっていただきたい。

 そんなところで。次も楽しみにしていますよ、そこ兄さん。

ごうがふかいなが理解できなきゃそれでもいいんだそのほうが幸せなのだから

 どうもかーびぃです。

 後輩たちの追い出しコンパに出かけた帰り、品川駅で鬼ごっこをしてたとかなんとかで(非公式情報)東京行き最終列車が足止めをくらい、武蔵小杉駅で小一時間待たされ、当然東京駅に着いたときにはほかの列車はない時間なのでそこから歩いて帰宅するというハードプレイをかました。ゆうに20キロはあったんじゃないかと思う。気が付いたら朝になっていたし膝ががくがくで、これは1万数千円払ってでもタクシーを呼ぶか、始発が出るまでどこかで粘っていたほうがよかったような気もするが仕方がない。千葉県葛南地域某所にある自宅に着いた頃には疲労困憊だった。

 

 そんなことはともかく、ようやく、文フリ京都シーズンの同人誌の評点が出そろったので、随時批評をしていきたいと思う。

 まずは、惜しくも選外になってしまったが、一応全部読むことができたものに関して、ほぼ感想にちかい思ったことを簡潔に。

 

「姫君の匣」著:Wilhelmina(Wilhelmina)

 ふと文フリのカタログを読んでいるときに、お姫様アンソロジーということで気になったので手に取った品物である。4編の「お姫様」を主題とする小説からなるアンソロジー形式。どの作品もすべて非常に個性的であり、「お姫様」がどのようなものであるのかという概念から、そのイメージまで事細やかに記されており煌びやかなで繊細な描写から物語を緻密に組みあげていくようなものばかりで、非常にクオリティの高いものであった。中でも装丁が素敵であるし、中東・現代・中世前半の日本・古代朝鮮という4種の舞台分けというのがなかなかに見事で、その中で描かれる「お姫様」とその位置づけもすべて均等に異なっているところが作品集として非常にバランスの取れている部分で、合同誌はかくあるべきなのだろう、という理想形のひとつのように感じられた。

 高評点ではあるが、今回の上位争いは苛烈を極めていたため惜しくも選外となってしまった。また機会があれば別のものも読んでみたいと思った。

 

大好きなxxxxx(上)著:霧野綾月(Fake’)

 こちらも文フリのカタログを読んでいるときに「竜と少女の話」みたいなワードが飛び込んできたので寄ってみたら、なんとそれだけが置かれており、また装丁も素朴な印象があったので思わず衝動買いしたものである。カタログの文面って意外と大事なのだと思った次第だ。

 物語は上部分で、まだまだ山場にも差し掛かっていないようなものだったのだが、要はボーイミーツガールならぬガールミーツドラゴンである。学校からも家族からも孤立してしまった少女は、ふとひょんなことから謎の存在と会話できるようになり、それが竜だったというような内容。そこからどう進展していくのかが下巻、あるいは中巻に続いているのだろう。

 舞台は中世ヨーロッパ的な雰囲気を纏うある種の異世界、といったところだろう。主人公の少女が目にするものに関する描写が非常に柔らかく、かつ自然なので読みやすく、イメージがしやすい。特に本では終盤部分になるのだが、都会の学校に通い食堂で朝食を食べる主人公の場面の進行と描写が非常に自然で、これはとても真似をしたいというか、こういう流れをやってみたいと思わせるような見事な文体になっている。

 実は前述の「姫君の匣」と同点の高評点だったが、やはり苛烈な上位争いに耐えられず惜しくも選外となった。続編を読みたい。あと食事のシーンもっと読みたい。

 

「SELECT」著:本田そこ(そこそこ)

 本ブログでもなんどか取り上げている本田そこ氏の新刊。タイトル通り「選択」についての青春小説とでも言うべき中編が収録されている。3人の男女の交錯する思考と感情が、徐々に過去から未来へと向けられていくさまはとてもすがすがしく、そこ氏自身が持つ素朴な文体も相まって後半に爆発的なカタルシスを生み出している。シンプルであるがゆえに美しい。この本もその部類に入ると思われる。

 前述同様、前シーズンでは各個批評の域に達していてもおかしくない評点であったが、今回のレベルが非常に高く上位からは外れてしまった。

 

 全部は読めなかった(1本断念したのがあった)のだが、改めて文フリ京都の質の高さを思い知った。実は、読み終わったものに関して言えば、今シーズンはすべて60点を超えている高評点グループで(前回は3位が60点以下だった)、非常に完成度と力のある本ばかりが並んでいたのだろうと容易に推察できる。

 

 以降、3位から順にご紹介していこうと思う。

 

 

プレミアムの乱用が世界を狭くさせたのか

 どうもかーびぃです。

 

 プレミアムフライデー。もはやプレミアムさのかけらもないほどにチープなミームを伴ったワードになり果ててしまったこの言葉。どこの役所が言い出したかも忘れたが、国家公務員の中央にいるような人間はだいたい朝から夜明けまで働き続けるサイボーグみたいな人たちなので脳の稼働率的な意味でそもそも効率的な施策を打ち出せるのかなかなか微妙なところだし、今回もかなり滑ってる感じはあるがとりあえず出来る人がものすごく少ない恵まれた人間なので、ケチケチせずに経済を回してほしいと思うことはある。貨幣それ自体が実体を持たないインフラであることはもっと多くの人に知られるべきだとつくづく思う。

 

 文フリ京都から1か月が経つが未だに半分読み切れてない。いい加減上位を発表したいのだがそれもできない手詰まりな状況だ。それについてはもう少し待ってほしい。

 そんなことより、テキレボこと「Text-Revolution」の第5回に参加が決まりました。「まんまる書房」のソロで出陣します。

 そこで、先日初稿がようやく完結したSF寄りのフューチャーファンタジー(近未来系ファンタジーの総称の造語)、「V~requiem~」を単行本として、またひざのうらはやお3作目の長編小説として出そうと思います。

 初稿版はカクヨムで読めます。

 

kakuyomu.jp

 なお、主要企画として「短編詰め放題」というものをやる予定だ。これは文フリ京都の「小説のくず量り売り」をより多くのバリエーションに整えたものだ。一説によればかーびぃ氏史上最ごうがふかいなを記録する超レアな短編もあるとか……たのしみー!

 

 そういえばたのしみー!で思い出したんだけど、けものフレンズを一気見した。登場フレンズの語彙力が特殊なことになっているのがものすごいこだわりを感じるし、圧倒的SFフォーマットに仕立てながら表面的にはこう、女性声優をとにかくいっぱい使う感じのあのわちゃわちゃした感じのアニメの体を保っていて、それが全体のバランスをとっているというか、非常に不思議なアニメだった。ちょっと昔のアニメで言うと流されて藍蘭島くらいに絶妙なバランスである。もっともあれは堀江由衣がわちゃわちゃを完璧に全力でぶん殴って平にしている感じのバランスだけど。すごーい!たーのしー!

 

 年を取ると小難しかったりめんどくさかったり暗かったりするものが段々摂取できなくなっていくっていうのはなんというか、最近とみにそんな感じになってきててすごく危機感を覚えている、

「おべんつよ」ってワードの歯切れの気持ち悪さ的なの、たぶん文章を声に出して読まないタイプのひとがつかうんだろうなあって

 どうもかーびぃです。元気してた?

 

 ここ2週間くらい家事をエコノミーモードにしていたので家の中がすごいことになりつつある。洗濯物は基本畳まない、干したものをそのまま着る、みたいなことをぼくはエコノミーモードという。精神的および時間的負荷がかからないやりかたという意味だ。

 

 そんなことはどうでもよくて。

 文フリ京都行ってきました。両隣がちょっとした強いサークル(しかも片方はめっちゃ聞いたことあるサークル名)だったので、両隣にお客(しかもなぜか若い女性が多かった……し名前聞いたことある人とか来てた)がひっきりなしに来るなか間のぼくのブースを完全スルーするというお気の毒様状態でした。新刊もないし地縁もないので頒布数はほぼゼロ。それでも楽しかった。

 楽しかったポイントとしては、まず会場の快適さ。文フリ東京とは比べ物にならないくらいブースに余裕があった。会場が比較的広かったのかもしれない。三かサークルも多くて立派だった。さらに、参加サークルの質の高さ。東京のような雑多な感じがないし、無料配布本をどかっとおいて本人はどっかにいなくなってる的な意識の低いサークルもほとんどいなかったように思えるし、刊行物も総じてレベルが高そう。少なくとも今7冊中3冊読み終わったけど全部60点超えてるからすごい。自分でいうのもなんだが同人誌評点で60を超えるというのは相当クオリティが高いかぼくのドツボにはまる必要があるので、これはすごいことなんじゃないかと思う。

 あとはやっぱり京都ってなんだかんだこう、東京の近所にすむおじさんとしては非日常と日常がうまいこと交錯してて、東京でも見たことがあるようでない、少しあるみたいな風景を見ることができたのがよかったなあと。繁華街のアーケードがすごいよかった。めっちゃくちゃ都市、されど東京にあらず感があったし、名古屋とも金沢ともまた異なる雰囲気が出ていた。かーびぃ氏別にいかにも京都っぽいやつにはあんまり興味なかったんだけどこういう普通の都市にはない特色的なやつはすごい感動する。別の方向で金沢も大好きだし函館も好きになりつつある。大阪も新世界もいいし天王寺もいいけどキタがわりと好きかなあ。近未来やで!的な感じの。

 

 でまあぼく自身も意識が高い感じになったので、うまいこと買い物して7冊仕入れました。やるつもりがなかった文フリ京都シーズン開幕中である。そしてテキレボ5に出ようと思います。新刊が極めて微妙なので、腹をくくって「短編詰め放題」という企画で一世を風靡しようと思います。ゲッツアンドターンアンドリライト。

 

 会社のレクリエーションってその後の飲み会が本番とか言い出すおじさんとっとと滅んでほしい党を結党しような。

全力で戦ってもダメだったら逃げるしかない

 どうもかーびぃです。さむくて指が凍る時期がやってまいりました。

 

 今年、いろいろとわけあって会社員なのに確定申告をするハメになった。これをしないと数十万単位で余計にお金をふんだくられてしまうのでやらない手がない。というかやらないと破産する。まだ30にもなってないのに破産者になるのは避けたい。

 で、いろいろ調べてみると、確定申告のみならず、税金関係の申請書類は軒並み超絶めんどくさい仕組みになっており、確実にやる気を奪うように設計されている。まあ考えてみれば当たり前の話だ、申請を受ける側に立てば、申請してくれないほうが得なんだから。役所ってそういうとこあるよなあ。

 

 そういえば今日は成人の日で、ぼくの地元でも成人式をやっていた。晴れ着姿の新成人の女の子を見るとあらゆる意味で黒歴史的な何かが脳裏を駆け巡るので、振袖姿の女の子は軽くトラウマである。権威が開く式典というものはたいていがろくでもないものであるのだが、それでも開いてこそ意味のあるものであることが多いのは認めなくてはならない。けれど、それを自己目的化する行為に関しては、ぼくは非常に疑問を覚える。そんなことを成人式関連で出てくる議論に思う。さあ、ピロウズの「エネルギヤ」を聴こう。

 そういえば、大学を卒業する年はこの時期がとんでもなく活動的であっただけでなく、大変な時期だったのを思い出した。経済学部、それも計量経済学系のゼミだったぼくは、論文を執筆する段階になってまさかの元データの処理を間違えていたことに気づき、朝から晩までパソコンをはじいてエクセルを整理して数式を書き換えてちょっと高かったデータ分析ソフトにコマンドを打ち込んで、みたいなことをやりながら卒業演奏と卒業制作、そして某ラノベ賞に出すための長編を書いていた。よくよく考えるとだいぶ頭がおかしい。この1月だけでたぶん10万字くらいは書いていたと思う。そう考えると人間は退化するときは退化するものである。今や月に5000字書ければいい方だ。

 もっとも、1月でそれだけパソコンに向かいすぎたために持病の椎間板ヘルニアを悪化させ、2月はほとんど寝たきりになってしまったのであるが。

 

 いろいろと宣伝とかそっち系の話をするのをすっかり忘れていた。

 1月22日の文学フリマ京都に出ます。かーびぃ史上初の遠征という形になる。東京近郊に住んでいるというメリットを存分に生かして今までは活動してきたのだが、ここらでちょいと地方に出ていくのも新しい出会いがあるような気がするので、というよりもぼく自身京都に行ったことがなかったので今回観光も兼ねて応募した。

 新刊は出そうと頑張りましたが結局出ません。この時点で何も用意できてないので無理です。なんとか京都限定のフリーペーパーを作れるかどうかだと思う。それも結構難しい。既刊で勝負をかけたいと思います。当日は「き-52 まんまる書房」にてお待ちしております。かーびぃ氏をどこかで知っておられる方はぜひ。

 

 あと、文フリ京都までになんとか完成させようと思っていたが、プロットを完成させようとした時点で無理なことに気づき、とりあえず5月の文フリ東京までにはなんとか完成させようと思っている長編小説の紹介もしよう。

kakuyomu.jp

 すごくストーリーを説明しづらい感じなのだが、舞台となっているのは近未来、かーびぃ的には今から150年くらい進んだ未来の話で、地球に降り注ぐ放射線のせいでそれを防ぐように都市を発展させた人類に対して突然変異で生まれた爬虫類のすごいやつ(ドラゴン)が人類を滅ぼしにかかり始めている中で、人類も人類でドラゴンの遺伝子を組み込んだ特殊な人間を作り上げて対抗しているが、ほとんどの都市はすでにドラゴンによって滅ぼされている、という世界の土台があって、そのうえで、東京でまだ戦い続けている彼らの話である。

 現状、プロットは8割くらい完成している(結末へつなげる前段階のところだけできてない)感じで、書いている部分で主要の登場人物は出そろった感じだ。

 読み手ウケ、というものを完全に排した、ぼくによるぼくのための物語、という最高に「ごうがふかいな」感たっぷりなものに仕上げていきたいし、そうするつもりなので、滅びゆく世界の美しさや、荒唐無稽なSFでも許せるような人に向いているといえる。そしてこれを改稿して本にするつもりなので、奇特にも読んでくださる人がいたら感想をこっそり伝えてくださるとありがたい。こういうこともぼくはあまり書かないんだけど、こいつに関してはちょっと事情が違うので。「ぼくのかんがえたさいきょうのもうそう」を、まだ力が残っているうちに作りたいという思いである。何しろぼくにもうまい書き方がわかっていない部分がめちゃくちゃあるので、これをこうしたら読みやすいとか違う人の目線で指摘してほしいみたいなところがすごくある。

 という結構な嘘を盛り込んだストーリーを組み込んでみましたがいかがでしょうか。まあ嘘ではないんですけど、というか本当に今まで考えていた邪念を全部とっぱらうというのはマジな話で、しかもコンセプト的に「読んでくれ」って推奨するのはおかしな話なんだが、書き手としてもある種のエンジニア的側面をもつ者からしても「読んでくれ、できれば感想をくれ」としか言えないというこのアレさ加減ですよ。おそ松くんだよもう。

 

 そういえばおそ松くんって何人兄弟なんだっけ?