日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

潔くかっこよく生きてきたい常日頃から

 どうもかーびぃです。

 

 これは随分前のような気がしているのだが、「戦う司書」というアニメがあった。内容はよく覚えていないのだが、コンセプトや主義主張が非常にくるものがあったことだけは覚えている。そのOPを飾っていたのが、宝野アリカ氏がボーカルを務めるALI PROJECTの「堕天國宣戦」で、のっけからの激しい三連進行、独特の勇ましさが特徴的なビート、ロマンティックなサビ、矜持に包まれた歌詞、女王の風格と戦姫の強かさを併せ持つボーカルによって、鉄血のオルフェンズの「止まるんじゃねえぞ……」的な任侠感が随所に感じられる、ぼくはアリプロ屈指の名曲だと思っている。強いて言えば赤アリかなと思うが。ちなみにぼくのカラオケの十八番は「鬼帝の剣」である。どちらもかなり難しい曲だなあと思う。

 

「青の記録(上・下巻構成)」著:月ノ音姫瑠(メンタルティック→ワルツ★)

(通読性:17、宇宙感:16、残響度:17、嗜好:7、闇度:S、合計:67点)

 文フリ岩手での話になるが、会場にロリィタ衣装でばっちりと着飾った人がいて、ひときわ目立っていたのが印象的で、その時も別の詩集を手に取らせていただき、非常に細部にまで構成にこだわる方だなあと思った。それはご本人の立ち居振る舞いとリンクするところがあって、そこに「ひととしての矜持」を見たのだ。

 昔、ぼくの同級生が、どこかしらの同人誌で掲載した評論に、ロリィタについて(衣装そのものではなく、ロリィタと呼ばれるスタイルそのものについて)書かれていたものがあって、その最終段落に非常に近いところで「ロリィタとはすなわち矜持である」という一文が、高校生時代に読んだということもあってか10年以上経った今になってもどこか納得をしたまま心にすとんと入り込んでしまっていて、それが大きなバイアスとなっているのかもしれないが、ぼくがこれまで出会ってきたロリィタスタイルの方は、その性別や出自を問わず、生きる上での矜持のようなもの――それは宿命と言い換えるにはあまりにも可塑性が高すぎて儚い――を背負っているような気がしていたのだが、月ノ音氏は中でも、最大級のものを背負っているといっても過言ではない。

 ロリィタと特攻服は、全く違うようでどこか似ている。

 さて、作品のはなし。

 ぼくが発見した概念(ということになっている)であるところのごうがふかいなの一般的な基準に照らし合わせて言えば、ここに綴られた詩集はかなりごうがふかいなであると言い切ることが出来る。日記帳を覗き見ているような、そんな生々しい傷跡が見え隠れしているのだ。これは先日、文フリ岩手でお会いした時、そしてその詩集を手に取った時と比較すると少し意外な横顔である。

 もっとも、それすらも彼女の描く演出のひとつで、この高すぎる完成度の前に平伏するしかない、というシナリオが本来の筋であるような気もする。どこまでが彫像で、どこからが演出なのか。それが考えれば考えるほどわからなくなっていく。生のように見せかけて、着飾ったナチュラルメイクのごうがふかいなだとしたら、それはそれでその高すぎる完成度な喝采もので、それほどまでに圧倒的で矜持に満ち溢れ、それであるがゆえに素朴なリリックが読者を制圧する、そんな詩集なのである。

 ロリィタ詩人の矜持と生き様(半生的な意味で)を象徴するクロニクル、とでもキャッチコピーをつけたい。

 

 ここから上位2作については、おそらくプロないしはセミプロの手による、かなり商業的な作品であるため、比較的さらっと紹介するものとおもわれる。

 と、先に予告をしておきたい。

しょんぼりぼりぼりボリビア

 どうもかーびぃです。

 文学フリマ東京を終え、2018ステージ(ごうがふかいなHDグループでは会計年度を「ステージ」と呼称する)に入ったわけであるが、まだまだ2017ステージのシーズンレースは続いている。

 ここで、はなけっとシーズンが完了したので、選外まとめをのせていきたい。

 

「NAMELESS」著:砂原藍(暁を往く鳥)

 やわらかさともどかしさ、そういったものに包まれた5篇の短編集。掌編、といったほうがいいかもしれない。この世界のどこかに存在するありふれた人々の生活の機微、青春の片隅、といったものが非常に鮮明に、的確に描写されているところがおもしろポイント。まさに、タイトルの通り「名もない」時間を切り取っているような雰囲気がほんわりとしていて、それでいてどこか、あるはずもなかった青春時代への回顧みたいな感情がどこかに湧き上がる。

 若き日の追体験をしたいひとにおすすめ。

 

「六花 ~ローカル食アンソロジー東北編~」著:砂原藍ほか5名(暁を往く鳥)

 文フリ岩手で買い損ねた作品。東北の郷土食について、各県1人ずつ寄稿されているテーマ合同。お題となっている郷土食を絡める技術や、その裏にあるその土地ならではの文化や歴史などが垣間見えるような短編ばかりでとてもよかった。ぼくも千葉県食アンソロジーをやってみたいと思うが市町村ごとの担当なんてやりだしたらキリがないし空アンソロもびっくりの分厚さになってしまいそうだ(集まればの話だが)。

 ただ、少しばかり装丁、組版が気になった。各作者間で行間と字間が調節されておらず、文字のスペースがまちまちで少し読みにくい。合同誌にはこういった難しさもある。コンテンツにも気をかけながら、そのコンテンツを見せるためのフォーマットやパッケージについても気を配っていかなければよい合同誌にならない。納期の関係も相まって、それは非常にシビアな戦いでもある。だからこそ、本当に良質な合同誌を連続して出し続けられているサークルは本当に尊敬の念を抱かざるを得ないのだ。

 続編を出すとのことなので期待。

 

「短編小説(あと、ミリタリー)が好きな奴は吹奏楽コンクール課題曲を聴こう!」著:ジンボー・キンジ(一人の会)

 熱量ははなけっとシーズンはおろかここまでの2017ステージ全体でも上位に位置することになるであろう、ジンポー・キンジ氏(文フリ岩手シーズン1位の覇者)の吹奏楽コンクール課題曲についての解説本。コピー中綴じ本であるが、内容は恐ろしく濃い。しかも恐ろしいことに、ジンポー氏のもつ軽妙・軽快な文体が凶悪なまでにするりと読ませてしまうというのがなかなかに憎い。氏の代表作ともいえる短編集「初期微動継続時間」の風貌を見せず、ここまで饒舌に、わかりやすく吹奏楽コンクール課題曲についての解説がまとめられているとは思わず、読むなりびっくりしてしまった。

 吹奏楽、ぼくには縁がなかった世界だけれど、なるほど面白いなあと思わされた。

 

 ということで、はなけっとシーズンで手に入れたもののうち、惜しくも選外になった3作品についての感想でした。

 次から1つずつ記事にしていくのだが、はたして。

 

無人の地球で遥かなる蒼を見つめる存在がいるのかどうかを永遠に問い続けていく

 どうもかーびぃです。

 文フリ大阪シーズンも、ついに最後の記事となった。ここまであまぶんと同じくらいに時間がかかったのは、冊数以上にぼく自身が疲弊しかけていたからだと思う。けれど、この最後の、シーズン1位の作品は、ふたたびぼくの創作意欲、ならびに批評意欲に火をつけてくれた。作者にはこの場をもって心から感謝したいところだ。

 

 さて、さっそく。

 

 梶浦由紀氏がメインコンポーザーとなり、プロデュースも行っているボーカルユニット、「Kalafina」。ぼくは少し遅めで、「魔法少女まどか☆マギカ」を知った際にその音楽性に初めて触れることとなった。そのどことなく呪術性のこもったハーモニーが非常に強い癖となっているが、氏の作風は比較的自由だなあとぼくは思っている。中でも「おっ」と思ったのはアルドノア・ゼロのエンディングだったかに使用されていた「Heavenly Blue」で、緩急のついた構成と、サビへ向かう急激な転調が、なんとなく宇宙が見えてくるような雰囲気があって、それでいて氏の特徴となっている呪術的なボーカルハーモニーが意識を急激に大地に縛り付けてくるし、なんというかSFってこうだよなあ、みたいな漠然としたイメージが常にぼくの中に存在しているのはこの曲のせいだといっても過言ではない。

 

「弓と空」著:佐々木海月(エウロパの海)

(通読性:20、宇宙感:23、残響度:24、嗜好:9、闇度:A、合計:83点)

 

 ということで、あまぶんシーズンによって塗り替えられた新記録は、文フリ大阪シーズンでより1点高く、佐々木海月氏によってふたたび塗り替えられた。これに関してはぼくの脳内では満場一致の結果であり、この先どうなるかは誰も予想がつかない。

 B6という少し変わったサイズで、かなりのページ数があり、同人誌の中でも非常に分厚い、骨太な物語だが、森博嗣の百年シリーズを彷彿とさせる静寂さ、ひとの温かみを極力排したことによる、逆説的な人間とはという問いが非常に強いSF力を示し、物語全体から漂う、行き着くところまで行き着いたロハス主義、みたいなのが突き抜けきっていて、文体自体も森博嗣のそれに近い、硬質な硝子の板を彷彿とさせるような物質的なもので、そのすべてがぼくのツボを打ち抜いているという奇跡の作品でもある。比べまくってしまって恐縮だが、森博嗣の好きなところを3倍に煮詰めたみたいな作品なのだ。

 物語の構造としては、複雑であるかのように組まれているが実際はシンプルで、時系列の異なる2つのノートからなっており、それが「世界最古の記録」であること、またそれが「物理的なもの」であるということ、このふたつの事実と、ノートに収められている内容が記されている、ただそれだけで、しかしながらただそれだけだというのに、描かれている世界観の説明は行間を含めて過不足がなく、氏の織りなす絶妙な距離感がここでも存分に活かされている。論理的に想像を巡らせば、語られている世界がどのような中に存在しているのか、そして2つのノートはどのように関係しているのか、どうしてノートは世界最古の記録となってしまったのか、というのがわずかずつではあるが次々と描き出されていくという点で、非常にハイコンテクスト、かつ、システマチックな作品でもある。これがSFなのだろうとぼくは思うわけだが、そう思わない人だっていていいはずだ。だけれどぼくはこれこそがSFだと間違いなく思う。というわけで、SFが好きな人はマストバイなのだ。それくらいのレベルである。

 息づいているキャラクターもなかなかに癖のある個性が光り、また、それぞれの関係性も美しい。後半は本当に美しさしかない。無駄なものが一切なく、それゆえに人間同士の会話や人でないものとの意思疎通のひとつひとつがたちどころに様々な輝きを見せ、物語の骨格を際立たせていくさまは本当に見事で、もはや見事すぎてなにも言葉にできないのが本当に悔しい。悔しいんだぞぼくは。

 この本を読み終わったとき、これで終わりなのか、という思いと、ようやく終わったという思いが混在した。それがとても不思議で、残響度24(歴代1位タイ)はその感覚に由来する。

 これはみんな読んでほしい。ぜひとも。

 

 という正直な感想が出たところで、文フリ大阪シーズンは終了である。

 ここから、はなけっとシーズン、テキレボ6シーズン、最後にみんなのごうがふかいな展特別シーズンとなる。

 また、みんなのごうがふかいな展特別シーズンにおいては、2018ステージの評点方法の試験運用をしていくつもりだ。こうご期待。

遠い昔、遥か蒲田の銀河系で

 どうもかーびぃです。

 文フリ大阪シーズンも大詰めに差し掛かってきた。ということでさっそくだが。

 

 

 スキマスイッチを一時期聞いていたころがあって、でもそんなにはまることがなかったのだけれど、ひとつだけなんだか引き込まれる曲があって、「ゴールデンタイムラバー」というおそらく有名な曲のひとつなのだろうが、このクールなサウンドとリリック、そして長回しのフレーズを簡単に歌いこなすボーカル、そして徐々に徐々にボルテージを増していく曲構成が本当に本当に無駄なところひとつない、不思議な曲であるにもかかわらず派手さが感じられないというシングル(だと思う、アニソンだし一応)曲としてはかなり華がない方だと思われるこの曲だが、暗闇に満たされた洞窟の底から徐々に加速していくマグマのような熱を当時のぼくは感じたものだった。

 

「Poetry Sky Walker」著:そにっくなーす ほか4名(白昼社)

(通読性:19、宇宙感:21、残響度:20、嗜好:8、闇度:S 合計:78点)

 

 同サークルの作品が同シーズンで2回以上記事化される例は、今回が初めてとなる。前回紹介した泉由良さんが主体となっている白昼社のこの合同誌は、現状で合同誌最高評点をマークする結果となった。歴代を鑑みても5位タイと恐ろしく高評点であることがわかる。詩歌を中心として構成されたこの作品集は、ポエトリーリーディングと呼ばれる朗読の一形態のテキストとして詠まれることを前提に作られたものらしく、脳内で声が反響するタイプの読み手であるぼくとしては非常に読みやすかったし、どの作品でもリズム感が追い求められていて、なるほどぼくの評価基準においてもかなりの割合でこのリズム感を重視しているのだなあと再確認させられるほどであった。とくに詩歌は、曲をつけられるのでは、というものが多かった。ぼくが作るならハードロックかスピッツみたいなちょっとしたポップ路線かのいずれかだろうが、そんなことはどうでもいい。

 そして、この作品集において闇度がSとなっている理由であるが、全体として浮遊しているものがなく、地の果ての空井戸の底でひっそりと埋まっているような、あたたかな闇の息吹を感じる雰囲気がそろっている。そして、この人間社会にありふれている薄っぺらで地獄みたいな針の筵に武装された闇を取り払うために、ほんとうの、世界の底に横たわる闇を立ち昇らせているのだ。光でかき消すのではなく、さらなる純度の高い、ほんとうの闇によって包み込む、という何か、矜持にも似た方向性が非常に強く、これが白昼社なのか、これがあまぶんオールスターズの実力だったのか、という、どこかでわかったと思い込んでいたぼく自身の驕り高ぶりをまさに陰影のようにして見せつけられていて、これはぼく自身の反省材料にもなった。

 最初考えていた、突き刺すような強さはむしろないのだが、その突き刺す強さを出さずにじわじわと空間を広げていく感じが非常に手練れを感じるし、この人たちの本気の一撃(一点突破的な意味での)はいったいどこにあるのだ、どこがほんとうの力なのか、というかほんとうっていったいなんだ、みたいなことをものすごく考えさせられ、脳内の循環参照がひどいことになった作品集であった。

 

 ということで、次は栄えある文フリ大阪シーズン1位なんですけど、まあツイートを見ている方はだいたい何がくるかお分かりだと思うんです。

 ちなみになんですけど、ここまでの歴代トップはあまぶんシーズントップにしてぼくの師匠でもある咲祈氏の「None But Rain」(82点)です。

 以上、乞うご期待。

冷たいコンクリートのぬくもりを知らないこどもたちを笑えない

 どうもかーびぃです。

 

 ぼくがアニメを見始めたのは高校生になってからで、そのころ活躍していた声優は今となってはかなりのキャリアになっている人たちばかりであるが、なかでも、新谷良子ほど独自の路線と地位を築いた声優はほかにいないのではないかと思っている。

 新谷良子が歌う曲は、他の声優の音楽とは一線を画しているといってよい。同じようで全然違う。歪んだアイドル性、などという言葉では形容できないくらいに、彼女の音楽は常に尖り続けている。最初から最後までロックでありつづけられているし、それでいて声優というカテゴリを逸脱しない不思議なサブカル力を秘めているわけであるが、その中でも忘れられない曲のひとつが「ルーフトップ」という曲である。まず、のっけから「飛び立てないビルの上/私はひとり/金網を揺らしながら泣いていたの」とか歌い始める。仮にもアイドル路線の範疇には入っているはずだぞこの人。このアレな感じすごくないですか。

 このルーフトップ、闇良子の中でもめちゃくちゃ素直にこじらせていて非常によい曲。ガーリーでメンヘラチックでそれでいてサウンドはどこか重苦しくない抜けが用意されている。とてつもない技巧的な曲なんじゃないかと思うし、彼女の曲は作曲者の意向が出やすいととても思う。

 

「ウソツキムスメ」著:泉由良(白昼社)

(通読性:18、宇宙感:20、残響度:20、嗜好:7、闇度:S 総合:75点)

 ということで、実はあまぶんで買いそびれたこの作品だったが、今回無事にお買い求めでき、無事文フリ大阪シーズン3位にランクインするという結果となった。しかし、3位でも75点。そう、この文フリ大阪シーズンも上位はかなりの強豪が並んでいたのである。

 珠玉の短編集は、どれもこれも言葉の武装力が恐ろしいまでに高く、リリカルな一面を持ちながらしっかりとした世界観と構成で突然剛速球が飛んできたり重力が逆転したりと目まぐるしいながらもなぜか一定の律動を感じるような不思議すぎる空間が広がっている。これが由良さんワールドなのか。知らんけど。とにかくなんというか、陰鬱とした雰囲気を醸し出しているのに、雨が降っている中の一種の清浄感というか、そういうのが全体にわたって感じられるというのがもうよくわからなくて。その不思議さと、読めば読むほど浸っていける、その中毒性。まるで深海の奥深くに連れ込まれているみたいに。黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系雪女にじっとりと抱かれてゆっくり凍死していくみたいに。ぼくにとっての女性像ってある種の童貞力がすごく高い感じになると思うんですけど、この作品に出てくる女性像がそれにすごく近いなあって思うんですよねえ。つまりぼくの目から見ると非常に非常にガーリーすぎて危険。危険日チャレンジガールズなんですよ。いやエレ片じゃねえわ。

 他の作品を読んでいないわけだが、これはなんだか強い書き手であるような気がするし、あまぶん空間にいないことによってその強さが際立っている。あまぶんだと7位とか8位くらいになってたはず。もっとも、あまぶんだったら評点は変化していたかもしれないが。それがシーズンレースの面白いところである。ってこれ何度目かだけれども。

 

 ということで。

 次は合同誌最高点をたたき出した、あの作品をご紹介します。