日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

出会い、別れ、出会いで1セット

 

 どうもかーびぃです。

 

 連チャンで記事を書き続けるというエクストリームスポーツをやろうとしている。控えめに言ってアホなのだが、自分で決めたのだから仕方がない。

 

 さわやかさの裏で鳴っている寂寥感といえば、ぼくが思い起こすのは、イトーヨーカドーのテーマでおなじみの、タイマーズ版「デイ・ドリーム・ビリーヴァー」である。原曲はザ・モンキーズというグループのものだ。この原曲に、忌野清志郎は自身の想いを重ね合わせて、日本語カバーしたといわれている。ってさっき調べた。

 

「フリンジラ・モンテ・フリンジラ」著:佐々木海月(エウロパの海)

(通読性:22、宇宙感:20、残響度:20、嗜好:9、闇度:A 合計78点)

 ということで、佐々木海月氏、史上初の3度目の記事化となった。ここまでで3作品が記事化された例はないばかりか、さらに言えば、3作品以上のシーズンレース登録作品がある書き手で、かつそれらがすべて記事化される例は今までなかった。ここで、佐々木海月氏は2017ステージシーズンレースにおいてのMVW(モストヴァリアブルライター)の座を名実ともに達成したといっても過言ではないと思う。2018ステージから導入する書き手レート制度においても、レート7を超えているのは咲祈氏と佐々木氏のみである。それほどまでに、氏の作風はぼくの嗜好とマッチしているのだ。

 さて、この作品は、めちゃくちゃ簡潔に述べるのだとするなら「一期一会」といった趣のもので、過重労働に音を上げた主人公と一風変わった中学生コウの出会いと別れまでを描いた作品である。佐々木氏の作品の中では、どうだろう、ニュートラルというべきなのだろうか、その静寂性は保たれてはいるものの、ここまで紹介した2作品のような、空間全体の澄み切った部分というものはあえて描かれていない。登場人物の会話はどこかさっぱりしていて読みやすい。ぼくはこのような会話の方がすっぱりと中身に入っていけるのかもしれない。その点はもう少し研究する必要があるように思う。舞台となる地方都市の郊外の、四季を織り交ぜた情景が美しく彩られながら、やはり登場人物そのものの普遍性というか、そういったものにはしっかりと碇がおろされていて、そのコントラストが美しさを対比的に描き出しており、さらに言えば寂寥感のようなものを出しているのではないかなと思う。特に、最終部はぼくがここまで読んできた130冊の同人誌の中で、1、2を争うくらいの美しさだと思うくらい。

 あと、鳥を軸にしている作品でもあるのだけれど、ぼくはそんなに鳥に詳しいわけでもないしあまり好きでもないので、そういう部分もあるよという紹介だけにしておこう。鳥散歩に参加するようなタイプの人は必読だろうし、別の部分でこの作品の美しさを知っているのだろうなと。

 そういうわけでしまりがないんですけどそんな感じです。

 

 2位に輝いたのは、完全なるダークホース、でもその素晴らしさは知る人ぞ知るあの作品です。

それはたとえば何かに似ているけれどもそれに形容はできなくて

 

 どうもかーびぃです。

 

 ということで、ようやくテキレボ6シーズン参加作品すべてを読み終わったので、ここに最後の選外まとめを書いておきたい。

 

「暁天の双星」著:泡野 瑤子(Our York Bar)

 オリエンタルファンタジー。時代物の流れを取り入れている。序文はテキレボ6の公式アンソロジーに掲載されていたが、圧倒的な掴みの強さがあったのでそのまま新刊となって出たこの作品を買ってしまった。語られている歴史と真の歴史は異なるのだ、という歴史学の教授ターミ・ポアットの言葉から始まるあたりが、なんというか「ファイナルファンタジータクティクス」を彷彿とさせる感じがしていて個人的にはわくわくしていた。骨太な物語を比較的コンパクトに収めてきているというところが個人的つよいポイント。

 

「Cis1 冒険は授業のあとで」著:新島みのる(ひとひら、さらり)

 ジュブナイルファンタジーとしてはかなり完成されている作品じゃないかなあと思う。ひとりの少女がほぼ異世界と同じくらい非常に遠くに飛ばされ、「スーパーチャレンジャー」という勇者的な役割を与えられ、同じ役割を与えられた少年少女と奮闘する物語、そのステージ1、といった感じ。序章の日常が非常にコントラストが強く出ている。どことなく宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」を思わせるような構成。この物語はCis2、さらにその先へと続いているようで、そのCis2は「みんなのごうがふかいな展」参加作品であるのでこれから読む。楽しみだ。

 

「四季彩 ボリューム2 菓子」著:春夏冬(春夏冬)

 春夏冬の2作目となる合同誌。見本誌だった最後の1冊を貰ってきており、ふせんがついている。そして合同誌なわけだけれどふせんがついていてよかったというか、よく言えば色彩豊かな小説群が収録されているなあ、と思うわけで。分量も個性も本当に様々なメンバーを抱えて活動するのは非常に大変だろうとなんとなく思う。個人的に好きなのはなんべんも述べている通りこのサークルの代表を務めている姫神雛稀氏の「イヴァンフォーレ理の七柱」シリーズである。今考えたんだけど最低でも合同誌が7冊出ることになっているというのはなかなかにすごい。そりゃたいへんだ。は4で止まっている。ぼくの周りで7冊も同じサークルが定期合同誌を出せているところはない*1(あるかもしれないけれど今思いつかない、という程度の意味)ので、7冊と言わず行けるところまで行って欲しいというのが正直なところである。

 

「踊る阿呆」著:オカワダアキナ(ザネリ)

 おかさんの新刊、ということで手に入れた作品。そういえばアンソロの作品まだ読んでいなかったような気がする。おかさんの文体は本当になんというか引き込まれるような語り口がすごい。落語の様にフリがあって、オチがあって、みたいな感じで、文章そのものというよりは、もはや文体としてしっかりと個性を固めているというところが非常に面白いし、立体的な作品になっているのだなあと思う。冷静でエロティックで、それでいてパンク。なんかに似てるな、と思って気づいた。忌野清志郎だ。ということはおかさんはキング・オブ・文学なのか。なるほど。

 

「旅人は地圖を持たない」著:小町紗良(少女こなごなと愉快な道連れ)

 少女こなごなといえばクイーンオブごうがふかいなでおなじみなわけなんですけれど、この作品は隅々まで最高にキマっているところがヤバイなあって思います。同人誌ってこう、装丁とか小説の文字フォントとかってどこかファッションセンスめいた美的感覚が出ちゃうじゃないですか。そういうものを全力で固めていった、小町氏が考える「この文章に合わせるのはこれだろ」っていうコーディネートをバリッバリのガッチガチにキメた感じのやつです。そこに一切の妥協の余地がないところがまたすごい。これもひとつのごうがふかいなではあるような気はするんですけど、まずはこの作品の同人誌としての完成度、これを皆さん読むことで感じていただきたい。個人誌、小説主体作品ということでいえば、2017ステージ最高クラスの完成度を誇る同人誌といっても過言ではないです。とにかく読め、そして感じろ。現場からは以上です。

 

「Last odyssey」著:孤伏澤つたゐ(ヨモツヘグイニナ)

 テキレボ6シーズンの最後を飾ったわけで、これはあまぶんシーズン3位の「魚たちのH2O」の後日譚にあたるとのこと。共通の世界観で、前作のラスト特有の寂寥感を残したまま物語が続いていくスタイルになっている。その文体は、限りなく詩的で日本語の持つ冗長性を極限まで排した造りになっている。だけに、言葉を尽くされている前作とは対照的な部分があり、一文一文をかなり深く読み込んでいかなくてはならないと思った。しかしながらつたゐ先生がもつ滑らかな語り口はそのまま、というのがなんだかものすごいなと思う。これがいわゆるごうがふかいなのひとつの完成形なのかもしれない。

 

 てなわけで、ギリギリで駆け抜けました。

 上位3作品についての記事も今日中にアップしていければと思います。こうごきたい。

*1:あるじゃん、ペンシルビバップ

のぼりきった山の高さがわかるのは、最初に立っていたふもとの標高がわかる人間だけだ

 どうもかーびぃです。

 

 週1ペースで記事を出していて、アドベントカレンダーまであと1週間と2日。これがおわかりだろうか。つまり、ぼくにはさほど余裕が残されていない。

 

 というわけで、駆け足だがテキレボ6選外まとめ、その2に入りたいとおもう。この時点で、上位ラインが75点を超えている超高度な激戦シーズンであったことを報告したい。しかも、まだまだ高評点を記録しそうな作品は残っている。2017ステージ最後を飾る大混戦だが、それはともかく、惜しくもこの時点で選外になってしまったものたちについて述べていきたい。

 

「ウーパールーパーに関する考察」(上下巻)著:伴 美砂都(つばめ綺譚社)

 非常にスタンダードな線を持ちながら、丁寧に作られている純文学調の作品。タイトルの通り、ウーパールーパーを小脇に抱えながら、ひとりの女子高生の成長をみごとに描ききるという、ど直球一本槍なストーリーラインを抱えている。ひとりの少女が、他人との距離感や社会の感覚、その底冷えした空気にあてられ傷つきボロボロになりながらも、手を差し伸べてくれた人々によって徐々に徐々に自分の道を見出していく。そのさまもなかなかに痛みを伴うもので人によっては目をそむけたくなるような冷たさが内包されてはいるが、しかし、伴氏のゆるやかな(少女目線の)語りによって、すっと頭の中に文章が入ってくる。そして小説も終盤に近付いていくにつれ、傷ついていたのは少女だけではなかったことに、彼女自身が気づき始めるという描写が入れ込まれていて、その絶妙さには驚いた。つばめ綺譚社はもうひとり、紺堂カヤ氏という書き手がいるのだが、このふたりは本当に好対照の書き手で、それゆえにこのサークルは様々なものに挑戦できるのだなあと思った。突き刺さるようなとげとげしさよりも、ウーパールーパーの肌のようななめらかさが、何よりも生かされた作品。青春小説としてはかなり完成度の高い作品だろうと思う。実際、超高評点を記録してはいるものの、惜しくも選外になってしまっていて、本当に惜しい。

 

「きこりのむすこでゆうしゃのササク」著:まりたつきほ(漣編集室)

 語呂がいいタイトル。だがその中身はかなりエキセントリック。同タイトルのお芝居を劇場で見ているような形でこのお話は語られていく。当然、芝居自体の流れがメインではあるのだが、そこに演じている役者のサブ情報(プライベートなものが多い)が流れ込んだり、前回までの演技の内容が入り込んで来たりと非常に畳みかけるようなエトセトラの連鎖がしっちゃかめっちゃかではちゃめちゃで、シュールでシニカルに仕立てられている。劇自体はまったくドタバタしていない(むしろちょっとシュールでアンニュイな感じが出ている)のに、この思考というか、文体というか、とにかく字面のドタバタ感が激しくて、そのギャップで笑ってしまう。そのせいか構造が非常に複雑になっている。じわじわくる、が漣のように押し寄せてくる新感覚シュールコメディ。

 

「人魚のはなし」著:南風野さきは(片足靴屋/Sheagh sidhe)

 たおやかな装丁の、幻想的な短編が編み込まれた作品集。全編を通して、そのセンテンスやワードががちがちに組まれていて、たった4篇、字数にしてもさほどではないはずなのに、非常に重厚に感じられる不思議さがある。しかし、幻想文学的な様相を呈している文体とは裏腹に、ストーリーラインはどちらかというと伝奇・怪異小説に傾いており、そのギャップが非常に面白いなと思った。ストーリーラインとしては(軸がやや複雑さを重視しているがために)むしろ読みやすさなどを鑑みてフランクに書き換えがちな者が多い中、あくまでこのスタイルを貫き通すその矜持こそ「ごうがふかいな」がにじみ出ている。こういう美しさも同人世界の中にしかないものだろうと強く思わされた。

 

「贄と邪竜」著:藤ともみ

 えー、これはかなり生、というかごうがふかいなそのもの、というようなスタイルの作品です。公式アンソロに投稿されていた作品につづきを付け足したものなんですけど、もうそのアンソロ投稿部分ですら「この人ごうがふかいなで言えばランカーだわ」となるほどだったのですが、全編通して読んでもそれが変わらないどころか強くなっていく一方で困った。ごうがふかいなが魚だとすると、この作品は刺身です、刺身。

 とかなんとかどうでもいい話はおいておくとして、ストーリー自体はシンプル。双子の片方がいけにえに捧げられるのを気に病んだもう片方が入れ替わってしまい、残された方がいけにえになった方の仇を取ろうとする、っていう話。もうこの筋の時点でごうがふかいな一直線感がバリバリバリクソンなんですけど、この筋通り、本当に、こちらの期待を裏切らないという点においては圧倒的ともいえるくらいの完成されたストーリーとキャラクターが、もうなんというか本当にすごい。人はすごい時にはすごいとしか言えないって何度も言ってる。今回も言った。

 次回の「みんなのごうがふかいな展DX」に参加をお待ちしております。

 

銀河鉄道の夜の夜の夜の夜」著:遠藤ヒツジ(羊目社)

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を元にした、なんだろうあえて言えば1.5次創作みたいな作品。元の作品に4回、微分積分を重ねている関係で「の夜」が増えてしまったらしい。らしい、というのはぼくが微分積分をよくわかっていないからで、多分微分積分を知っている人はそんなわけねえだろとツッコミを入れてくることだろうが、そんな人はこの記事を読まないと思います(決めつけ)。

 と、もっともらしいことを書いたが、銀河鉄道の夜を読み込んでからこの作品を読んだときの印象はまんまその感覚で、だから銀河鉄道の夜そのものに寄り添いながらも、それを俯瞰し、その俯瞰を俯瞰し、その俯瞰をさらに俯瞰しているみたいな、不思議な多層性がこの作品の大きな軸になっている。全体がどことなくエロティックな動きをしているのだけれど、それでいてかつ宮沢賢治のオマージュであることを忘れさせない「イーハトーヴ」みの溢れるポエティカルにしてファンタジック、それでいてノスタルジックな小説。遠藤氏の技術力と「銀河鉄道の夜」という、ひとつの未完作品に対しての敬意と熱情がこれでもかというほどに込められた作品。

 気がつけばみんなも銀河鉄道に乗っちゃう感じの。

 ギャラクシーエクスプレス(ry

 

 というわけで、残るは6作品。ここで読みブーストをかけて、どうにかアドベントカレンダーに間に合わせたい。本当に間に合うかどうか非常に微妙なところなので、間に合わなかったらごめんなさい。

 ちなみに今もうすでにちょこちょこ書き始めてはいるんだけど、自己紹介の時点で伊集院光深夜の馬鹿力並みに脱線しまくっていて字数がひどいのでつらい。

消えていくはずの未来をつかみ取っていけ

 どうもかーびぃです。

 

 アドベントカレンダーに間に合うように、かなりの数をかなりのスピードで読んでいる。その中でも高評点(70以上)のものが続出しており、既に選外にもかなりの高評点作品が紛れ込んでいる状況となっている。しかも、まだまだ高評点が期待される作品を多く残した状態で、予想外の混戦となっていることをお伝えしたい。

 

 ということで、今回もここまで読んだもののうち、惜しくも選外となってしまったものに関して、まとめてコメントしていきたい。なお、選外まとめ記事は3件になろうかと予想している。とにかく、最初から強力なメンツが飛び出しているので要チェックだ。

 

「しろたえの島、いつくしの嶺」著:鹿紙路

 いきなり。いきなりステーキですよこれは。ここまでで9作品を読んだのだが、7作品目までは圧倒的トップに躍り出ていた作品であった。が、ここで4位となり選外へ。

 ハードファンタジー、かつ、百合と呼ばれる女性の同性愛(?)を描いた作品。といっても何ら特殊なものではなく、出会ったふたりが恋をして、大陸の南端から北端までのその距離を埋めていくというスタンダードな基本軸と、それを彩る壮大な世界観とうずめられたキャラクター達の「業」が折り重なり重厚な物語へと、文字通り「織りあげ」られている。

 舞台となるのは、布を染める技術の高い、常春の島である「しろたえの島」と、精霊に守られた雪獅子と、かれの世話と記録を中心とした祈り子たちのいる「いつくしの嶺」、この行き来を中心として物語が構成されている。手製本が映える、布文化の美しい風景がそこにひろがっている。

 

「斃れぬ電柱」著:らし(おとといあさって)

 毎度おなじみになりつつある、おとといあさっての変則的な物語だが、今回も電柱型の小説であった。もはや、この電柱型の小説というのがスタンダードではないのか、と思うほど、らし氏のトレードマークとなっているこの形態であるが、今回もどこかあたたかみのある素敵な掌編であった。完成度および電柱型作品の中では現時点で最高評点となっている。物質と魂のファンタジー。

 

「結婚相談員の桐島です」著:ヒビキケイ(シュガーリィ珈琲)

 飲み会で席が近かったことからいただいた作品。体裁が商業の文庫本とほぼ変わらないカバー付きであったところから非常に骨太な物語が予想されたが、中身はゆるやかな現代ファンタジーでブロマンス系作品であった。不思議というか、とても印象に残ったのが、自然なセリフ回しと高い「場」の表現力が非常に高度なリアリティを生んでいるのに対し、地の文は淡々とした説明に終始し、そのピントの差が作品全体の奥行き、主観的に言えば立体感が非常に強い作品であるように感じた。

 新刊の原稿に、おそらくぎりぎりまで詰められたような跡が多く残されており、同じ創作をしている人間としてその汗と涙を推し量ることができてしまうのは、はてさて読者にとってはいかように映るのかはちょっとわからないが、書き手のこだわりが非常に強い作品であるところは言うまでもないのだろうなと思う。

 

「ずんクロRevolutions」著:今田ずんばあらず(ドジョウ街道宿場町)

 「イリエの情景」でおなじみ、ずんばニキこと今田ずんばあらず氏の新刊にして、「みんなのごうがふかいな展」を目当てにする参加者に向けて放たれた、ある種の異色作。ごうがふかいなかどうかはともかくとして、「業が深い」に通ずる何かを感じた。目をそむけたくなるようなおぞましさは、さすがの描写力であるともいえる。氏としてはむしろ旧来のスタイルをとったのだろうと思われるが、今年に入って氏を知った人間からすれば、これはむしろ新境地にちかいアピールである。

 強く強く、その身を知らしめていきたいと思う作品であった。

 

「海に降る雪」著:海崎たま(チャボ文庫)

 海辺のさびれた街にまつわる掌編を集めた短編集。潮風が吹きすさぶ、名も知らされぬその街は、しかし感じられる湿度は意外にも低く、さらに言えば非常に寒々とした風景を感じた。文体と世界観が非常に強く結びついており、前時代感にも通ずるノスタルジックでかつアンニュイな雰囲気が非常に強烈な雰囲気を残している。伝奇にほど近い小説群は、最後の「群青」でしめやかに結びを迎えており、その終わりを含めて美しい作品群となって読者に投げられるさまは、とてもよい読後感をもたらしてくれるだろう。

 

「調律師」著:小高まあな(人生は緑色)

 えー、問題作です。これに関しては思いのたけを正直に文章化すると6億字くらいになるのであえて端的に語りますがこれは非常に、非常に非常に多くの「ごうがふかいな」を含んでいるように思われます。物語の構造、世界観の設定、キャラクターの配置がスタンダードなライトノベルでありながら、特にサブキャラクターの個性が強いところが非常に空間を分厚く表現しており、センテンスとパラグラフの構成、その逐一に感じられる矜持に「作り手とはこうでなくてはならないな」と強く思わされた。作品自体は非常に古い(2011年発刊)し、非常に分量のある作品、そして怪異を取り扱うというところから勝手に拙著の最ごうがふかいな作品群であるところの「The magic nightmare」シリーズを想起させてしまったところはある。しかしそれを差し引いても、この作品が強い「ごうがふかいな」を含んでいるという事実は疑いようがないのではないかと考えられる。

 これだけの分量を持ちながら、すべて集中的に読ませられる工夫が随所に施されているのみならず、かなり構成に趣向が凝らされているのがおすすめポイント。

 これ以上語ると6億字コースになるので終わりでーす!終わり!!

 

 というところで。残りが間に合うかどうかかなり微妙ではあるが、諦めずにやっていきたい。ちなみに残りは14作品。この調子だと25日当日に記事すべてを書ききらなくてはならなくなるので、余裕を持たせたいためにもペースを上げていきたいのが本音。

 

 カンパネルラ~~~~

新たなステージへの祝福を受ける気力はとうの昔にどこかに消えていた

 

 どうもかーびぃです。

 先日も少し触れたところだが、ぼくが運営している同人サークル「ごうがふかいなグループ」は、11月23日を境として新会計年度(グループ内では「ステージ」と呼称する)に移行する。それは、ぼくが昨年の文フリ東京からシーズンレースと呼称する同人誌評定制度を開始したこと、そしてこの秋の文フリ東京がほぼ間違いなくこの勤労感謝の日に行われているということから来ている。つまり、あくまでも文フリ東京が起点であり、ホームでもあるという表明である。また、毎年同じ日にイベントを開催するのは運営上難しく、それをはねのけて11月23日に開かれることの多い文フリ東京に暦を合わせるといろいろと都合がいいのだ。

 

 で、ここでお知らせがある。

 

adventar.org

 この創作アドベントカレンダーというものに参加することとなった。しかも、12月25日、クリスマスの大トリという重役である。

 載せる記事は二通り考えている。ひとつは、2017ステージの総決算として、上位作品を一気に紹介するパターン。ただし、こちらは現在絶賛評点中のテキレボ6シーズンが確定しないと書けない。正直な話、残り3週間でシーズンを完走できる自信はなく、完走できたら、という条件付きである。

 つまり、もう1パターンは保険というやつだ。このもうひとつのパターンが2017シーズン決算報告と題して、ぼくが2017シーズンに何をやってきたかと大まかに纏めるというものである。これなら3週間以内にどうにかできる可能性が高い。途中でシフトする可能性もあるが、どちらかといえばこちらが本命だ。というのも、テキレボ6シーズンの同人誌はどれもなかなかに分厚く、またほかのシーズン作品と比べるとやや読みにくいものが多い。すらすらと読むタイプのものが非常に少ないのだ。それだけ文章に質量を乗せている、ととることもできるが、ぼくはもともと読むスピードそのものが遅い。ではどうやってこのスピードを稼いでいるかというと、いろいろな時間を犠牲にしたりしているわけで……そういうことなのである。

 

 さて、上記の関係で、はじめてぼくの記事を見に来るひとや、そもそもお前のいうシーズンレースとは何ぞや?という方もいるかもしれない。いるものとして、ここではある程度、その概要を押さえておきたい。

 シーズンレースとは、先ほども書いたようにぼくが自分の買ってきた戦利品について、どれくらい自分の中に刺さったのかを中心に、独自の評定をし、上位の作品については記事にして紹介するといったものである。

 その点数の付け方については、こちらの記事を参照していただきたい。

houhounoteiyudetaro.hatenablog.com

 具体的にいえば、3+1分野、100+α点満点であるというところで、ここまでの傾向としては、どの分野においても25点が実質の満点であること(理論上は30点満点だが、25以上はぼくの中で満点基準をオーバーキルした場合のみに使用する)、60点以上がすぐれた作品、70点以上は無条件にひとにお勧めしたくなる作品、80点以上になると言葉が出なくなるレベルの作品であるということがわかった。

 なお、ここまでの上位については、気になる人は「批評等」タグなどをつかってさかのぼってもらいたい。ここで述べてしまうと、アドベントカレンダーでのネタバレになってしまう。

 ぼくが参加する即売会単位を「シーズン」と呼び、そのシーズン単位で同人誌の評定と序列化を行い、上位3作品を記事で紹介するというスタイルをとっている。現状では115冊の評定が確定しており、またテキレボ6シーズンはあと18冊存在するのでこの1年で130冊以上買い、そのほとんどについて多少なりとも感想を述べている/述べる予定ということになる。

 ちなみに、現在はなけっとシーズン終了時点で、

 60~69点:47作品

 70~79点:35作品

 80点以上:5作品

 となっている。特に後半からは良質な作品が相次いででてきたことから、前半の上位作品については評点の引き上げ改定を行ったところだ。各シーズン上位のボーダーは、大まかに言えば60点台後半だが、場合によっては高評点の作品が続出することもあり、中には3位と4位のボーダーが80点になることもあった(あまぶんシーズン)。そのためにほかのシーズンではトップになれるものも、選外に漏れてしまうこともあるし、逆に、例えば新刊が出た時には手に取れなかったものが、のちに気になって手に取った結果上位になって紹介できることもある。特に、文フリ東京や文フリ大阪などは非常に多くの作品があるうえ、かなりの割合で新刊をぶつけてくるため、高い評点を出しても埋もれやすいのだ。とはいえ、このあたりはぼくが適当に調節しているので、この記事を読んでいるみなさんが「よし、参考にするぞ」というものにはならない。そんな書き手がもし仮にいれば、諦めてほしい。多分そんなに評点が高いものにはならないだろう。ぼくの嗜好を甘く見ないでいただきたい。

 また、先の記事で明らかにした通り、文フリ東京25シーズンから評点方法を大幅に変更する。これについては、テキレボ6シーズンが終了次第また記事にしたい。さらに、基準となる作品には毎度自作を用いるのだが、2017ステージでは「順列からの解放」(59点)であったのに対し、2018ステージの基準は「V~requiem~」(117.48点=前ステージでは59点)であることから、今後は従来よりもやや評点が厳しくなる傾向にあるだろうと思われる。今後も良作との出会いを期待したい。

 

 ということで、今回は予告に関する記事でした。