見えない檻をガラスケースのように魅せるのが力量だと何時から信じ込まされていた
どうもかーびぃです。
今回はシーズンレースにのらない作品パート2をご紹介したいと思う。
作者たっての願いということで、ふたつ返事で引き受けたものなので、非常に楽な気持ちで読めたことをここにご報告したい。
さて、早速だが。
音楽界の三位一体といえば、真っ先に思い起こすのがTHE ALFEEだろうと思う。スタイルも特色も三者三様、ソロでも十分活躍している3人がバンドを組むことによって生み出される唯一無二の音楽は常に進化を遂げているというところでも凄まじいものがある。中でもその名を多くの人々に知らしめたとされる「星空のディスタンス」はハーモニーとサウンドがこのバンドのサウンドを代表するナンバーとなっている。
「イヤサカ」著:清森夏子(イノセントフラワァ)
総合評点 138.532 (素点:138/200 闇度:0.532 レート:0.000)
※評点詳細
文体 32
空間 34 半客観分野:66/100
感覚 34
GF 38 主観分野:72/100
嗜好 7
本作品の話をするまえに、今回評点として用いた2018ステージ仕様について簡単に説明したい。先日の文フリ東京25から、シーズンレースは新ステージ(年度ととらえても差し支えない)に入った。2018ステージと呼称する、来年秋の文フリ東京までの1年間に用いる新しい評点制度が、上記仕様となっている。
なお、2017ステージにおける評点仕様については、このメモ帳のこの記事でくわしく述べられているので参照してほしい。
houhounoteiyudetaro.hatenablog.com
具体的にいえば、2017ステージでは3+1分野で100点満点+αだったのが、2018ステージでは純粋4分野で200点満点+αに変更になるというところである。
200点の配点は、半客観分野100点(文体/空間 各50点)、主観分野100点(感覚/ごうがふかいな 各50点)、そして闇度(ごうがふかいな点と嗜好点を掛け合わせた指数)を小数点以下として配置、さらに、前ステージでのシーズンレース結果を踏まえたレーティングで、高評点を多く獲得している書き手についてはハンディをつけている。複雑になったのは、前ステージでの反省点を生かした結果である。この詳細については、テキレボ6シーズン終了後に詳しく記事にするつもりなので、今回はこの程度で。
ちなみに、基準点としては、拙著「V~requiem~」を117.48点と定めているので、今回評定した138.532点というのはかなりの高評点であるだろう。想定した中でも、140点が前ステージでいうところの72点くらいだろうと予想していたので、無理やり前ステージの評点に直せば、70-71点程度であろうと思われる。
さて、くだらない話はさておくとして。
この「イヤサカ」は、オリエンタルハイファンタジーを軸として展開される、ダイナミックな長編小説である。火の力を与えられたホカゲ族の女王ナホが火山一帯を治めているのだが、そこにカンダチ族という海辺の民が侵略行為を行い、ついにはふもとの有力民族であるマオリ族の長を倒してしまうところから物語は始まる。この女王というのが実は女装させられている少年で、側近の戦士が女戦士でかつ恋人(関係性としては許嫁に近いのだが、あえてここではそう呼びたい)という、この構図だけでもヘキがあふれ出ているのがおわかりだろう。
カンダチ族は最初こそ、族長のアラクマをはじめ野蛮に描かれているが、人質として差し出された女戦士ノジカに寄り添って描かれる場面から、彼らには彼らの文化があり、複雑な事情があることが明らかになり、族長アラクマと双子の弟オグマの確執、ノジカとその妹テフ、そしてマオリ族の若大将となったシシヒコの微妙な関係性がダイナミックな視点から描かれており、清森氏がこの作品にどれだけ力を入れているかが本当によくわかって、非常に調理されたごうがふかいなを味わうことが出来た。
個人的にはノジカの描写が非常にエロティックであると感じたほか、いずれの場面にも丁寧に張り巡らされた伏線が折り重なっている構成の妙が非常に利いている作品だと思った。また、全体的な世界観としてハイファンタジー(かつ、ジャパニーズもしくはオリエンタル)ではあるものの、台詞回しはそれを意識することなくのびやかに展開されていることが多く、読みやすさと独特の奥行を与えている。特にオグマ、カンダチ族の星読みククイについては顕著で、この軽妙さはぼくにはない発想というか、とても新鮮で、それでいて引き込ませられる技術という者が確かにあるというところが本当にすごポイントである。
作中のナホの成長がこの物語の大きな軸となっているが、本作を彩るのは魅力的な脇役である。敵役ながらどこか悲哀を背負ったアラクマ、どこかあっけらかんとして食えないオグマ、筋を通すカンダチ族の母を象徴したククイ、若き王としての才覚を見せるシシヒコ、それ以外にも寄合年寄りの面々や、ふもとの他の民族の様子もさりげなく細かく描かれていて、それ自体がひとつの世界を端的に描ききっているところが素敵である。空間を34点と比較的高評点としたのはその理由が主である。
まさに、この「世界」「キャラクター」「ヘキ」というこの三位一体の要素がもうひとつの軸となって、スタンダードなストーリーを支えており、だからこそ骨太で雄大な世界観をコンパクトな字数に表現できたのだろうと思われる。
ハイファンタジー好き、異性装好き、純愛好き、主従好き、その他多くの性癖を持つ諸兄に強くお勧めしたい。個人的には女戦士好きとバブみを求める諸兄はマストな逸品であると推奨する。
といった感じで、少し固めではあるが紹介させていただいた。
テキレボ6シーズンが終了したら、新ステージについてもお知らせしていきたいと思うので、その辺もこうご期待。
コーラとメントスだけが内燃機関じゃない
どうもかーびぃです。
いきなり仕事が降ってくるとビビる。
ということで、はなけっとシーズン、栄えある1位の作品について、述べていきたい。
斉藤和義といえば今となっては押しも押されぬ大シンガーソングライターだが、ぼくが彼のことを知ったのはこどもの時、ポンキッキーズで流れていた「歩いて帰ろう」だったように思う。大人に、そして球体の生物となったぼくが今、この曲を聴くと、ゆっくりとしたビートと斉藤和義らしさが前面に出ているとてもいい曲だなあと思うわけであるが、過去のぼくがどう思ったかどうかなぞ、誰にもわからないのである。
「ペットボトルの育て方」著:小山田拓司(シープファクトリー)
(通読性:19、宇宙感:17、残響度:19、嗜好:7、闇度:A、合計:69点)
ということで、はなけっとシーズンの1位は、なんともシュールなストーリーとゆるーい絵柄の、小山田氏が手掛けた絵本である。ペットボトル農家という架空の職業を生業としているひとりの男に密着取材するというストーリーなのだが、テキストから絵から何から何までゆるい。ゆるすぎるくらいにゆるい。そして突き抜けてシュールなのだ。一人娘のフィアンセに嫌がらせをする農夫の水野さんと、その結果が非常にゆるい。誰も傷つかないし、誰も幸せになってない。というか、絵本の最初と最後で全員ほとんどなんも変わってない。しいて言えば水野さんに義理の息子ができたことくらいだろうか。
なんにしても、これほどまでにゆるさを貫き通し、それでいて、いや、だからこそシュールに徹しきっているというところが、この絵本のすさまじく面白いところである。
そして、この発行サークルのシープファクトリーのサイトhttp://www.sheepfactory.org/
も、かなりそのゆるさが極まっている造りになっている。この創作スタイルはなかなか貫徹できない。その意志の力たるや、この表面のゆるさからは想像もできないのではないだろうか。
やさしくなりたい。
という斉藤和義でしめるオチ、いかがでしょうか。
というわけで、はなけっとシーズンはまさかまさかの絵本が首位にランクインした。
さて、これからは2017ステージの最終局面であるテキレボ6シーズンへ移行、ならびに2018ステージから適用される新評点方式についても明らかにしていきたい所存である。こうご期待。
超えなくてはならない壁は自分で作り上げているものだから最終的には破壊されるか乗り越えるかのいずれか
どうもかーびぃです。
スピッツが世代、なんていうと少し上の人に怒られてしまいそうであるが、ぼくが音楽を音楽として聴いた最初の曲はスピッツの「空も飛べるはず」で、サビの結びにある「ずっとそばで笑っていてほしい」というとても素朴で柔らかい告白がやっぱり好きなのだなあ、と思う今日この頃である。
「並木春子のファースト万年筆」著:仮名堂アレ
(通読性:19、宇宙感:18、残響度:19、嗜好:7、闇度:B 合計:68点)
まさに万年筆小説のシングルカット、というそのものズバリな作品なわけであるが、何を隠そうぼくもまた、万年筆の愛用者である。職場においてあるものやメンテ中のものも含めるともうすぐ2ケタに達するくらい持っている。もちろん沼に嵌っている人はこんな数じゃすまないだろう。それこそすべて桁が違っているに違いない。
そんなことはともかくとして、この作品に描かれているのは、ひとりの少女が、万年筆を手にするまでの物語である。構成は非常にシンプルでわかりやすく、それでいてキャラクターのキレもはっきりしていて、さすがはプロの手によるものだなあと思う。
そう、この作品の書き手である仮名堂氏は、プロデビューしているれっきとした職業作家なのだ。こういった人々も即売会で普通に同人誌を売っていたり買っていたりするのだからやっぱり出会いというのは大事なのだ。なんのはなしだ。
登場する万年筆は、大人の事情だろうかモジってあるのだが、万年筆マニアで学年トップの秀才である稲垣君が使用しているのは、みんなの憧れ、ペリカンのスーベレーンをモデルにしたものと思われる。ちなみにぼくの上司はこれを常用しているのだがお値段がすごい。イベントに出なければもろもろが浮くので買えないことはないくらいの価格帯だが、なかなか大の大人でもパッと出せない金額であることは確かだ。伊東屋で触らせてもらったのだが、かーびぃ氏もめちゃくちゃ欲しい。お値段以上に実用性も高く、そういった部分でも非常に人気で、ペリカンといえばスーベレーン、というくらいには有名なモデルである。稲垣君、高校生の分際でスーベレーン(っぽいもの)使いとは恐れ入る。モノの価値がわかるタイプのお坊ちゃまに違いない。
対する、主人公並木春子が選んだものは、こちらも微妙にモジってあるが明らかにドイツのメーカー、ラミーのサファリをモデルとしている。かーびぃ氏は2016限定のダークライラックと2017限定のぺトロールを所持している。ことからもわかるようにお値段は手ごろで、先ほどのスーベレーンより桁がいっこ少ないくらいで買えてしまう。しかしながらその書き味は圧倒的で、かなりすらすらとした書き味が楽しめる。国産の万年筆よりもやや太めの線が出ることを除けば、これだけ軽くていいのかというくらい軽い書き味で、主人公もその書き味にびっくりしている描写がある。ラミーサファリは、低価格帯(1万円以下)の万年筆ではトップクラスの使い勝手だと勝手に思っている。
話をもどすと、シナリオは前述したようにいたってシンプル。ただすぐオチにいくのかな、と思いきやひと悶着、というところがさすがだなあと思わざるを得ない。
だめだ、何を書いても万年筆の話にしかならない。
とにかく、しゃっきりとした小噺のような爽快感があるのだが、この話の6割は万年筆で出来ているので、気になるという人にはオススメ。
さて、1位はどこまでもシュールなあの作品。これは明日加工。
潔くかっこよく生きてきたい常日頃から
どうもかーびぃです。
これは随分前のような気がしているのだが、「戦う司書」というアニメがあった。内容はよく覚えていないのだが、コンセプトや主義主張が非常にくるものがあったことだけは覚えている。そのOPを飾っていたのが、宝野アリカ氏がボーカルを務めるALI PROJECTの「堕天國宣戦」で、のっけからの激しい三連進行、独特の勇ましさが特徴的なビート、ロマンティックなサビ、矜持に包まれた歌詞、女王の風格と戦姫の強かさを併せ持つボーカルによって、鉄血のオルフェンズの「止まるんじゃねえぞ……」的な任侠感が随所に感じられる、ぼくはアリプロ屈指の名曲だと思っている。強いて言えば赤アリかなと思うが。ちなみにぼくのカラオケの十八番は「鬼帝の剣」である。どちらもかなり難しい曲だなあと思う。
「青の記録(上・下巻構成)」著:月ノ音姫瑠(メンタルティック→ワルツ★)
(通読性:17、宇宙感:16、残響度:17、嗜好:7、闇度:S、合計:67点)
文フリ岩手での話になるが、会場にロリィタ衣装でばっちりと着飾った人がいて、ひときわ目立っていたのが印象的で、その時も別の詩集を手に取らせていただき、非常に細部にまで構成にこだわる方だなあと思った。それはご本人の立ち居振る舞いとリンクするところがあって、そこに「ひととしての矜持」を見たのだ。
昔、ぼくの同級生が、どこかしらの同人誌で掲載した評論に、ロリィタについて(衣装そのものではなく、ロリィタと呼ばれるスタイルそのものについて)書かれていたものがあって、その最終段落に非常に近いところで「ロリィタとはすなわち矜持である」という一文が、高校生時代に読んだということもあってか10年以上経った今になってもどこか納得をしたまま心にすとんと入り込んでしまっていて、それが大きなバイアスとなっているのかもしれないが、ぼくがこれまで出会ってきたロリィタスタイルの方は、その性別や出自を問わず、生きる上での矜持のようなもの――それは宿命と言い換えるにはあまりにも可塑性が高すぎて儚い――を背負っているような気がしていたのだが、月ノ音氏は中でも、最大級のものを背負っているといっても過言ではない。
ロリィタと特攻服は、全く違うようでどこか似ている。
さて、作品のはなし。
ぼくが発見した概念(ということになっている)であるところのごうがふかいなの一般的な基準に照らし合わせて言えば、ここに綴られた詩集はかなりごうがふかいなであると言い切ることが出来る。日記帳を覗き見ているような、そんな生々しい傷跡が見え隠れしているのだ。これは先日、文フリ岩手でお会いした時、そしてその詩集を手に取った時と比較すると少し意外な横顔である。
もっとも、それすらも彼女の描く演出のひとつで、この高すぎる完成度の前に平伏するしかない、というシナリオが本来の筋であるような気もする。どこまでが彫像で、どこからが演出なのか。それが考えれば考えるほどわからなくなっていく。生のように見せかけて、着飾ったナチュラルメイクのごうがふかいなだとしたら、それはそれでその高すぎる完成度な喝采もので、それほどまでに圧倒的で矜持に満ち溢れ、それであるがゆえに素朴なリリックが読者を制圧する、そんな詩集なのである。
ロリィタ詩人の矜持と生き様(半生的な意味で)を象徴するクロニクル、とでもキャッチコピーをつけたい。
ここから上位2作については、おそらくプロないしはセミプロの手による、かなり商業的な作品であるため、比較的さらっと紹介するものとおもわれる。
と、先に予告をしておきたい。
しょんぼりぼりぼりボリビア
どうもかーびぃです。
文学フリマ東京を終え、2018ステージ(ごうがふかいなHDグループでは会計年度を「ステージ」と呼称する)に入ったわけであるが、まだまだ2017ステージのシーズンレースは続いている。
ここで、はなけっとシーズンが完了したので、選外まとめをのせていきたい。
「NAMELESS」著:砂原藍(暁を往く鳥)
やわらかさともどかしさ、そういったものに包まれた5篇の短編集。掌編、といったほうがいいかもしれない。この世界のどこかに存在するありふれた人々の生活の機微、青春の片隅、といったものが非常に鮮明に、的確に描写されているところがおもしろポイント。まさに、タイトルの通り「名もない」時間を切り取っているような雰囲気がほんわりとしていて、それでいてどこか、あるはずもなかった青春時代への回顧みたいな感情がどこかに湧き上がる。
若き日の追体験をしたいひとにおすすめ。
「六花 ~ローカル食アンソロジー東北編~」著:砂原藍ほか5名(暁を往く鳥)
文フリ岩手で買い損ねた作品。東北の郷土食について、各県1人ずつ寄稿されているテーマ合同。お題となっている郷土食を絡める技術や、その裏にあるその土地ならではの文化や歴史などが垣間見えるような短編ばかりでとてもよかった。ぼくも千葉県食アンソロジーをやってみたいと思うが市町村ごとの担当なんてやりだしたらキリがないし空アンソロもびっくりの分厚さになってしまいそうだ(集まればの話だが)。
ただ、少しばかり装丁、組版が気になった。各作者間で行間と字間が調節されておらず、文字のスペースがまちまちで少し読みにくい。合同誌にはこういった難しさもある。コンテンツにも気をかけながら、そのコンテンツを見せるためのフォーマットやパッケージについても気を配っていかなければよい合同誌にならない。納期の関係も相まって、それは非常にシビアな戦いでもある。だからこそ、本当に良質な合同誌を連続して出し続けられているサークルは本当に尊敬の念を抱かざるを得ないのだ。
続編を出すとのことなので期待。
「短編小説(あと、ミリタリー)が好きな奴は吹奏楽コンクール課題曲を聴こう!」著:ジンボー・キンジ(一人の会)
熱量ははなけっとシーズンはおろかここまでの2017ステージ全体でも上位に位置することになるであろう、ジンポー・キンジ氏(文フリ岩手シーズン1位の覇者)の吹奏楽コンクール課題曲についての解説本。コピー中綴じ本であるが、内容は恐ろしく濃い。しかも恐ろしいことに、ジンポー氏のもつ軽妙・軽快な文体が凶悪なまでにするりと読ませてしまうというのがなかなかに憎い。氏の代表作ともいえる短編集「初期微動継続時間」の風貌を見せず、ここまで饒舌に、わかりやすく吹奏楽コンクール課題曲についての解説がまとめられているとは思わず、読むなりびっくりしてしまった。
吹奏楽、ぼくには縁がなかった世界だけれど、なるほど面白いなあと思わされた。
ということで、はなけっとシーズンで手に入れたもののうち、惜しくも選外になった3作品についての感想でした。
次から1つずつ記事にしていくのだが、はたして。