ひざのうらはやおのメモ帳

サイコパスクソメガネが祈る墓標みたいなやつ

眼前の世界は自分にしか見えていないし、それがほかのひとに見えることはない

 どうもひざのうらはやおです。

 

 同人活動をしていたときにたまに聞かれてそのたびになんだかなあと思うことがある。「あなたが低評価をつけたものを書いた人の気持ちを考えたことがありますか?」みたいな質問が、まあ年に1,2回くらいの頻度で聞かれるので、おそらくそこそこ多くの人がそんなことを考えているのだろうと思う。

 はっきり書くが、そもそもぼくに向かってそんなことを質問する人間とはそもそも思想からして全く合わないと思うので、ブロックするなりミュートするなりして関わらないことをお勧めする。もっとも、そういう人間はこのメモ帳を読みはしない。ツイッターでいけすかないツイートをしているぼくがたまたま目に入ったとかおおかたそんなところだろうとは思う。つまり何が言いたいかというと以下の通りめちゃくちゃ考えているので非常に不愉快であるということが言いたい。

 次質問したらアイスピックだからな。

 で、質問に答えると、「死ぬほど考えているつもり」である。そもそも上位しか紹介しないのは、手間と時間がかかり有効に同人誌を読み進められなくなるからだし、まとめの評点を公開しないのも下位に相当する作品を明言しないためである。いかにこれがぼくの主観的な評価であるとはいえ、目に見える形で低評価を残すのはいかがなものか、ということは常々考えている。しかし、高評価だったものに関してはぼくはもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているわけだ。ここに待遇の差別化が生まれる。

 そもそもぼくが下した評価について、それが高評価だろうが、そうでなかろうが、受け止めるか受け止めないかまで含めて誰だって自由なのである。ぼくが自由に読んだものを比較するのも自由だし、あなたはそれを読んでも、読まなくてもいい。ただ、あなたが読んで思った感想についてぼくは求めていないし、あまつさえそれに対するいかなる対応についても応じる義務も義理もない。これはそういう話だ。

 そもそも、自分の評価軸すら持てないひとがなぜ多くの人間に自分の創作物を見てもらいたいと思うのかがぼくには理解しがたいところではあるが、それについては実際にそういうひともそれなりの数見てきているし、かれらを安易に否定すべきでもないとは思っている。もっと軽い気持ちでものを創ればいい、とポジショントークとしてはぼくも言うことがある。これもそういう話だ。

 

 くだらない話に1000字近く使ってしまった。

 本来はこの後に静マルシーズン3位となる作品の紹介をしようと思ったが、さすがに失礼すぎるのでまたの機会にする。