日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

冷たいコンクリートのぬくもりを知らないこどもたちを笑えない

 どうもかーびぃです。

 

 ぼくがアニメを見始めたのは高校生になってからで、そのころ活躍していた声優は今となってはかなりのキャリアになっている人たちばかりであるが、なかでも、新谷良子ほど独自の路線と地位を築いた声優はほかにいないのではないかと思っている。

 新谷良子が歌う曲は、他の声優の音楽とは一線を画しているといってよい。同じようで全然違う。歪んだアイドル性、などという言葉では形容できないくらいに、彼女の音楽は常に尖り続けている。最初から最後までロックでありつづけられているし、それでいて声優というカテゴリを逸脱しない不思議なサブカル力を秘めているわけであるが、その中でも忘れられない曲のひとつが「ルーフトップ」という曲である。まず、のっけから「飛び立てないビルの上/私はひとり/金網を揺らしながら泣いていたの」とか歌い始める。仮にもアイドル路線の範疇には入っているはずだぞこの人。このアレな感じすごくないですか。

 このルーフトップ、闇良子の中でもめちゃくちゃ素直にこじらせていて非常によい曲。ガーリーでメンヘラチックでそれでいてサウンドはどこか重苦しくない抜けが用意されている。とてつもない技巧的な曲なんじゃないかと思うし、彼女の曲は作曲者の意向が出やすいととても思う。

 

「ウソツキムスメ」著:泉由良(白昼社)

(通読性:18、宇宙感:20、残響度:20、嗜好:7、闇度:S 総合:75点)

 ということで、実はあまぶんで買いそびれたこの作品だったが、今回無事にお買い求めでき、無事文フリ大阪シーズン3位にランクインするという結果となった。しかし、3位でも75点。そう、この文フリ大阪シーズンも上位はかなりの強豪が並んでいたのである。

 珠玉の短編集は、どれもこれも言葉の武装力が恐ろしいまでに高く、リリカルな一面を持ちながらしっかりとした世界観と構成で突然剛速球が飛んできたり重力が逆転したりと目まぐるしいながらもなぜか一定の律動を感じるような不思議すぎる空間が広がっている。これが由良さんワールドなのか。知らんけど。とにかくなんというか、陰鬱とした雰囲気を醸し出しているのに、雨が降っている中の一種の清浄感というか、そういうのが全体にわたって感じられるというのがもうよくわからなくて。その不思議さと、読めば読むほど浸っていける、その中毒性。まるで深海の奥深くに連れ込まれているみたいに。黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系雪女にじっとりと抱かれてゆっくり凍死していくみたいに。ぼくにとっての女性像ってある種の童貞力がすごく高い感じになると思うんですけど、この作品に出てくる女性像がそれにすごく近いなあって思うんですよねえ。つまりぼくの目から見ると非常に非常にガーリーすぎて危険。危険日チャレンジガールズなんですよ。いやエレ片じゃねえわ。

 他の作品を読んでいないわけだが、これはなんだか強い書き手であるような気がするし、あまぶん空間にいないことによってその強さが際立っている。あまぶんだと7位とか8位くらいになってたはず。もっとも、あまぶんだったら評点は変化していたかもしれないが。それがシーズンレースの面白いところである。ってこれ何度目かだけれども。

 

 ということで。

 次は合同誌最高点をたたき出した、あの作品をご紹介します。

仁義はひとそれぞれ

 

 どうもかーびぃです。

 

 さて、ようやく、イベントから2か月が経とうとしているのだが、ようやく文フリ大阪のすべての評点化可能作品の評点化が完了し、その順位が確定したので、ここにお知らせするとともに、今回では惜しくも選外となったものをまとめていこうと思う。存外にハイレベルな戦いとなったことをここに記したい。

 

 

「少女の構造計算書」著:灰野蜜(イン・ビトロ・ガーデン)

 3篇の美しい少女達の物語が織りなすハーモニーは非常に灰野氏らしさが出ていて、とてもよかった。この人の持ち味は細密な描写にあるとぼくは思っているのだが、今回はきらきらとした少女達の日常(青春と呼べるほど生きた匂いのしない、もっともっと無機質な塵のように乱反射しているようなもの)を綴るのにこの持ち味が非常に強く出ている。何度も何度も読んでいたくなるような美しさと素朴さをたたえている。シーズン終盤まで上位を保っていたが、終盤の強豪たちの前にあえなく選外となった。70点以上。

 

「Black Sheep in the Cage ~贄が唄うは滅びの調べ~」著:神谷アユム(青猫のすみか)

 文フリ金沢で紹介した、当時唯一闇度Sを記録した作品の続編。前編よりもスタンダードで滾るストーリーラインは骨太で、それでいて愛憎のやりとりがすさまじい。このシーズンの中でもトップクラスに直線的な感情が飛び交っている作品。感情の銃撃戦ともいえるかもしれないが、それを本当に忠実に表した神谷氏のエモーショナルな文体がとてもよい。中身がよくわかっていなかった前編と比較すると大幅に評点が上昇しているのもそういった理由と思われる。熱さでは文フリ大阪シーズン1位にもなれるのだが、惜しくも上位に届かず。

 

「ホクスポクス」著:凪野基(灰青)

 浪速のおはなし職人こと凪野氏の短編集。きらきらと輝くような9つの短編/掌編がどれもこれも魅力的で、それでいて細部の細部まできめ細やかにギミックが打ち込まれている。この人の無駄のない文体は職人芸といってもいいくらいに緻密でかつ合理的で、こちらの隙が入り込む間がない。また、技術というものにどこか明るい展望を抱いており、出てくる人物があたたかいのも特徴的だ。72の壁にたどり着いた作品。

 

「赤ちゃんのいないお腹からは夏の匂いがする」著:にゃんしー(おとそ大学パブリッシング)

 ごうがふかいな度でいえば、今シーズンダントツではなかろうかというにゃんしー氏の代表作のひとつ。ツイートでも述べたが、ぼくはこれを究極の童貞小説だと思っている。おそらくこの作品を読んだ人間はそう思わないというひとがほとんどだと思う。けれど、読みおわったとき、球体の生物がこんなとち狂ったことを言っていたのは、もしかしてこういう意味だったのではなかろうか、と思いを巡らせてほしい。おそらく、そこに浮かんできた言葉が「ごうがふかいな」の入り口であるかもしれないからだ。同じく72の壁にたどりついた数少ない作品のうちのひとつだ。そして内容を全く出していないのは、とにかく読んでほしいというぼくの身勝手で強い要望によるものである。

 

 といった感じで、次からが上位作品の感想に入る。

 今回は、合同誌最高評点をたたき出した作品がランクインしているほか、前シーズンで2位、81点の超評点をたたき出した佐々木海月氏の新刊もランクインしているので、乞うご期待。

境目のない世界に形のない人形がはまりこむ

 どうもかーびぃです。気味の悪いタイトル。

 

 ということで、なんだかよくわからないレポートを出してしまったので、気を取り直して文フリ大阪シーズン(もう1か月も前じゃん)の最初の選外まとめをしていきたいと思う。残りの本数的にはもう1本かけば収まると思うが、果たして。

 

 

「踊る電柱」著:らし(おとといあさって)

 電柱の形をした、摩訶不思議な小説。このシリーズがいくつもあるというのだから驚きだ。そして収められている掌編も体裁を象徴した電柱の話。小気味のいい落語のような書き味に、どこかあたたかみのあるらし氏の文体が光る。委託では絶対無理だよなこれ……と思ったら、なんとzine展(別府で行われる委託販売イベント)ではケースに入って頒布されるらしいよ!すごいな!

 

nana-Sea vol.1「星・海」」著:Up-trim07°(Up-trim07°)

 非常に豪華な装丁だ、と思って手に取ってみて、モチーフが気に入ったのでいただいてきたもの。合同誌として非常に気合が入っている造り。小説の分量や文体、その力から作者たちの強い意気込みと熱い想いが図らずも伝わってくる。これもひとつのごうがふかいなだろう。今後の展開が見逃せないサークルになりそう。

 

「スーパーはなえ」著:ホタテ・Nicola(海鮮丼)

 隣のサークルだったのでお隣枠でもらってきた。道行くひとたちと朗らかな会話をしていたのが非常に印象的だったのだが、作品もまさにそんな感じで、全体を通してドタバタギャグを軸とした連作短編集。あとがきにはリレー小説だと書かれていて本当にびっくりした。おそらく綿密に設定を調整したとしかおもえないくらい、作者の切り替わりが不明で、作者2名の息がぴったりなのが非常にうらやましい。どこにいたらそんなにぴったりな書き手が現れるんだ。

 ドタバタが好きな人におすすめ。

 

「海の夢」著:伴 美砂都(つばめ綺譚社)

 左手にメリケンサック、右手にアイスピックでおなじみ紺堂カヤ氏が主宰を務めるこのサークルのもうひとりのメインライターが伴美砂都氏である。紺堂氏がそんな物騒な装備かどうかはさておくとして、伴氏の文章はこの作品を読む限りでは紺堂氏とはだいぶ距離がある。じわじわと、しみこむような文体が印象的。読んでいくうちに、徐々に物語の世界が身体に浸透していくという感覚は、そういえばあまり見ない書き手ではないかと思う。紺堂氏が比較的インパクトと構成のテクで攻めていく印象だが、こちらはメリケンサックの逆であるところの毒の鞭である。掠めた瞬間から痺れるみたいな、そんな作品だ。

 

「四季彩 Vol3」著:春夏冬(春夏冬)

 テキレボでもおなじみ春夏冬(あきなし)だが、今回実は隣であった。前回の合同誌も合同誌としてはかなりのクオリティであったので、迷わず最新であるところのこちらを手に入れた。手に入れたのち間に2があることに気づいて、実はテキレボ6で手に入れたのでそれについてはまた今度。

 テーマが「魔法」であったのだが、ただ単にファンタジーをぶちこんでくるわけではなかったというか、おそらくみなさん自分の土俵でちゃんと魔法を使ってきているなあというのがなんとも玄人っぽい印象。テクニックの妙が光る作品が目立った。

 あと、個人的な好みで言うと前回同様、このサークルの代表である姫神雛稀氏の「イヴァンフォーレ理の七柱シリーズ」が一番面白かったというか、形成されている世界観の要素要素が非常にこちらのツボをついてくるし、前回よりも構成にわざとらしさが出ていて、ファンタジーとしての(ぼくが思うところの)王道を掴んでいる感じがして非常にぐっときた。いやあほんとねこういう世界観めっちゃ好きなんですよねえ、なんかこう緻密に人工的というか、明らかに人為的な振り分けがなされているにもかかわらずその仮想空間に住まわっている人々が確かに息づいている感じとか、あと多分ヘキが似ている気がするのはこう、人間の振り分けの仕方なんですよ。階級とか学塔とかの描写がなんかすごく、こう、よい(語彙力)。読んでみればわかるとしか言いようがない(記事上の敗北)のだが、これを読んで「よい」と思う人はぼくの書くファンタジーも多分「よい」と思うのではないか、と思うのである。

 

「WORLD ENDS」著:凬花ほか3名(サークル名不明)

 文字通り「世界の終わり」を題材にした掌編集。ほんとこれすごい、ごうがふかいなの塊ですよ。合同誌なのに70点を記録したものってほとんどないんですけど、これは文句なしで70点ジャストなんです。なのに奥付がなくてサークル情報がどこにもない!

 ただ検索してわかったことは、どうもこの人たち、某大学の文芸サークルのOBらしいんですよ。その文芸サークルは出展していたんだけどブースの雰囲気的にこれを出していそうな感じじゃないんですよねえ。なんというか、これ、誤解を恐れずに言うと、ぼくの古巣とすごく似た雰囲気が出ているんです。

 さらに言えばなんですけど、同じサークルのOBにとある人が軒を連ねているのを偶然見つけてしまって、なるほどなあ、と思ったわけです。

 せっかく見つけたのになあ。もう一回大阪行くしかないね、こりゃ。

 

「壬生キヨムトリビュートアンソロジー「権謀術数-おとしまえ-」」著:壬生キヨムほか15名(cieliste)

 これ、問題作。なぜかというと、ぼくは壬生キヨム作品をほとんど知らないわけです。でも名だたる皆さんがこの合同誌に参加しているというのと、店番をしていた(高梨)來さん(何を隠そうこの人も書いている)にお勧めされた衝動だったわけなんだけれども、熱意がすごい。熱意が。でもなんというか、この作品集についてあんまり語れないなあと思うのは、当該の壬生キヨム作品を読んでいないからだと思うんです。作品それそのもののクオリティとかは当然高いはずなんでしょうけど、肝心のコアをぼくが知らないせいでよくわからないことになっちゃってる。だから、この作品集を目いっぱい楽しむためにはまず壬生キヨムというひとりの(?)書き手を見据えることから始めなくちゃいけないんですけど、前回読んだときにものすげー難解すぎてホークスもびっくりな感じだったので未だに敷居が高くて。常々思うがぼくは読解力が低い。いや、低くないとは思うが高いはずはない。読解力が高ければもうちょっと難解で難しくていくらでも立体化できるような文章を書いているはずだ。かけていない。なぜなら構造を見据えられないからだ。

 ここに軒を連ねている人たちは、他の作家の著作に対するコメントも含めて非常に読解力の高いひとたちばかりであると思う。かれらは高い読解力を要する作品にも難なく飛び込むことが出来、その構造をはたと感じて表現することにたけている。そんな人たちの作品であるので、壬生キヨム作品を読む手助けになるかもしれない、などと今思った。どちらにしても壬生キヨム作品に再度アタックすべきだ、ということをこの本から学んだ。それから、この作品を再評価したいと思います。

 

 以上、選外7作品。

 残りは4+1(シリーズもの1巻のため評点化せず全体で評点)作品。暫定上位の作品も含めると7作品について書くことになるため、ちょうど折り返し地点だったようだ。

 おふろはいろ。

弾丸を使うなら常に打ち抜けるように準備しておくべきなのだ

 どうもかーびぃです。

 

 というわけで、第6回Text-Revolutionことテキレボ6に参加してきました、というレポなんですけれども。

 

 結果から言えば、前回(テキレボ5)からは考えられない頒布数(総頒布数で前回の10倍)を記録し、自己記録2位タイという結果も残ったし、主催企画であった「みんなのごうがふかいな展」もおおむね盛況、かつ大きなトラブルも観測せずに終わり非常にいいイベントだったと思う。

 で、ここからはあくまで昔の話。

 

 正直な話、テキレボ5に参加するまではあまりテキレボというイベントにいいイメージはなかった。「そりゃたいへんだ。」というユニットを組んでいた時に、テキレボ2に参加したことがあるのだが、そのときは現場に行くことができず悔しい想いをして(1回目が面白そうな試みをたくさんやっていただけに)、それが強く残っていたためにテキレボ2では(今となってはもうできない)3編のアンソロを送り込んだりとそれなりに宣伝を打って出たが結果は文フリの水準をはるかに下回るものとなり、売り子に出ていた人間からもあまりいい意見を聞けなかった。中でも出てきた意見が、今でも散見される「内輪ノリについていけなかった」というもので、確かにそうであるならば、このユニットでテキレボに参戦するのはやめよう、ということになったのだった。

 

 それ以降、なんとなく遠巻きに眺めながら、ぼくは彼らが、今までぼくが触れてきた文芸創作畑の人間たちとは根本から大きく違っているということに気づかされた。この創作集団群は一体どういった行動によって創作活動を行っているのか、彼らは一体、テキレボという舞台を軸にどういった経済圏(もっと他にも言い表しようはいくらでもあると思うが、ぼく自身のフォーマットに落とし込むために、あえてこう表現することにする)を形成しているのかが非常に気になった。前回、テキレボ5に参加しようと思ったのはそれ以前の軽い気持ち(テキレボに参加するのを止める人間が誰もいなくなったという、本当にただそれだけ)であったのだが、それでも参加しようという強い気持ちを保ちつつ、今回も出ようと思ったのは前述の気持ちが非常に強かった。また、この空間であれば独自の軸を打ち立てて、他のどこにもない自分だけのマーケットを作ることが出来るのではないか、という気がしたのも事実である。

 実際、現場はぼくが考えた仮説に概ね合致していた。その仮説とは、ぼくの観測上では頒布数の(相対的)分布が二分されること、そしてその要因は企画参加の有無であること、非常におおざっぱに言えばそうなる。テキレボ終了後のぼくのタイムライン上では、まさにその格差が慄然と存在していた。それは前回の時点では見ることが出来なかった景色であり、そのぶんぼくがテキレボ村の住人をはじめとした文芸系創作同人界隈に入り込むことができ、その景色を良く見渡せるようになったことの証だと思う。

 また、テキレボの運営においては、頒布数を上げるような、商業的なノリのサポートが非常に多いように思う。イベント企画の多さと、そのバックアップの姿勢、そして情報網の広さときめ細やかさ、対応の早さ。これらは他の即売会運営が追い付けそうでまったく追いつくことが出来ないテキレボ運営の最強の強みであるといえる。

 イベント企画「みんなのごうがふかいな展」をやってみて、運営のその姿勢というものが非常によくわかったし、とても細かいところにまで目が行き届いているというところが印象的だった。他のイベント企画者が口にするように、本企画もとどのつまり俺得企画というやつである。他の企画のようなキャッチーさやわかりやすさは皆無、システムもやや複雑、宣伝は明らかに少ない。それでも相乗効果で前述の通り頒布数だけでも前回比にして10倍近い成果を得られた。このやったもん勝ちという雰囲気が、次々と企画が出ていく独特の風土を生み出しているのだろう。そして、何より頒布数以上に重要なのが、他の創作者との交流である。これが他の同人誌即売会にはないテキレボの最も特異な側面である。無料配布という概念がこれほどまでに多くのサークルに浸透しているのは、テキレボという場がたんなる同人誌即売会の場を超え、創作者同士の交流、いわば見本市、文芸同人界隈における豊洲市場のような力を得ているのではないだろうかとぼくは考える。もちろん築地市場は文フリだ。

 テキレボというのは、村の祭りであると同時に、政(まつりごと)でもあるのだなあと感じたのは、この企画同士の引力と、参加者の創作文化の違いが参加企画によって可視化されるというところから感じたものである。それについては別段伝えようとも思わない。単なる主観的な思い込みだ。

 願わくばぼくは、名誉村人のような立場になりたい。村の一員としてではなく、あくまで世界をさすらう旅人として、村の祭りを手伝っていきたいし、初めてこの祭りに参加する旅人をサポートできるような、いわば屈強な傭兵になりたい。参加してみて、なんとなくそう思った。先日ツイートした「テキレボが政治なら最大野党を目指したい」というのはかみ砕くとこういう意味になる。内部の人間としてできることよりも、少し外に軸を置いていたほうができることが多くなるというだけの話であり、そこにぼく自身の私情は皆さんが思っている以上に少ない。

 というのが一応のレポートではないレポートである。

 

 いすれにしても、ぼくはぼくの道を行くしかないし、創作世界で軸にしていることって、しいて言えばそれくらいしかないんじゃないかと思う。意外と根性なしだから。「ごうがふかいな」だって最近考えだしたものだしまだ何かぼくですらよくわかっていないのだから。

サーモンの!!!!!!!!!!お寿司!!!!!!!!!

 

 どうもかーびぃです。

 

 ということで、今週末(10月28日)に開催される「第6回Text-Revolutions(以下テキレボ6)」に出展するので、そのお品書きをここでまとめてみる所存。

 そもそも、テキレボとは、東京で行われる中規模の文芸オールジャンルイベントである。オールジャンル、つまり二次創作も存在するという意味でなかなか面白い、どちらかといえばコミティア系のイベントではないかと思う。文字中心であることは間違いがないのであるが。

 いくつか特徴があって、まずツイッター上の発信力が圧倒的であるところと、カタログのほかに、ひとつのお題についてサークル参加者有志による短編を寄稿している公式アンソロジーが「読めるカタログ」としてウェブ上に掲載および会場で頒布を行っているところだろうか。ちなみにぼくも下記のような作品を上梓させていただいた。

祭りの終わり | Text-Revolutions

 こんな感じで参加者は4000字程度の短編で作風をアピールできる。これ以外にも、イベント内企画が多くあり、ぼくもそのひとつ「みんなのごうがふかいな展」を主催しているくらいにハードルが低い。「みんなのごうがふかいな展」については、このメモ帳に該当カテゴリがあるのでそちらを参考にしていただきたい。とにかく、ぼくは常々述べているが、村のお祭りなのだ。名主がいて、粉屋がいて、魚屋がいて、みたいなそんな感じ。ぼくはそこにやってきた旅人で、さしずめ地方の学校で教鞭をとっている冴えない教授といったところだろうか。

 

 とまあ、そんな有象無象な説明はともかく、今週土曜日に迫ったその祭典は、午前11時から5時間、都立産業貿易センター台東館(最寄り:浅草駅)の6階で開催される。そこそこ大きな会場で、150弱のブースがひしめいているので、中規模イベントと言っていいし、東京地方のイベントとしては比較的大きく、また成長中のイベントともいえる。アクセスも観光地でかなりいいところであるので、みなさんぜひ立ち寄ってみてください。

 

 さて、読むお品書きとはいっても、尼崎文学だらけから新刊を全く作っていないので、すべて既刊、かつ、どこかで紹介済みというものであるのだが、ここまでにいただいた感想なども含めてご紹介していきたい。

 

 「鉱石トリビュート短編集 幻石」 800円

 存在しない架空の鉱石4種について、それぞれ1つずつ短編を書いている作品集。存在しない鉱石とはいえ、ファンタジーでそろっているかというとそういうわけではなく、SF、ラノベ、純文学風とそこそこ広いレンジを持っている。

 一か月後のコミティアで出展される予定の「アンソロジー空」に寄稿した作品と共通したモチーフを持つディストピアSFが巻頭を飾るほか、ひざのうらはやおが最も書きたいように書いていると噂のライトノベルファンタジー「ペナルティ・メイカー」から短編を書き出したり、かと思えばお笑い芸人が頑張っている姿を描いていたりと幅広くまたどれもそれなりに定評のある芸風で固めた、ある種の安牌で、実質最も売れやすい作品と言っても過言ではなく、実際尼崎文学だらけで刊行されてから、ここまでのぼくの作品からは考えられない速度で頒布されていっている。

 感想の中でも代表的なのは、先日も取り上げた灰野蜜氏によるこの記事であるが、中でも空アンソロとの接続作品である「At The SEVENTH Heaven」と上記のアンソロジーに寄稿した作品と接続している「まだらな二人」が人気であるが、個人的な攻め玉はそのどちらでもなく、のこりの2つであるということをここで述べさせていただく。

 それをどうとるかはあなた次第。

 

 「V ~requiem~」 1000円

 遠い未来、人類は宇宙線の発達と、突如として現れた未知の生物「ドラゴン」によって、地中に生きることを余儀なくされていた。彼らは、自らの存在を守るために、「ドラゴン」と人間の遺伝子を掛け合わせた混合人間「V」を生み出し、「ドラゴン」と戦い続けている。その中でも、人間の存在を脅かしている「零式」というドラゴンを倒すことのみを考え、日々敵を葬るひとりの「V」がいた。

 「ひざのうらはやお史上最も美しい長編小説」というフレーズは、おそらくここ数年この作品に使用されることとなるだろう。それくらい、ぼくとしては図らずも全力を出してしまった物語になる。実はテキレボ5の新刊として、ややエンタメを意識して堂々刊行されたものだが前回は全く数が出ず、微妙な気持ちにさせられていたのだが、尼崎文学だらけ、および文フリ大阪でじわじわを頒布数を伸ばしてきているだけでなく、好意的な感想も増えてきていることから、この作品に前述のフレーズを付与することとなった。エンタメを意識した作品であるので、いわゆる作者性という意味では「ごうがふかいな」は低めであるのだが、そのぶん読みやすく、またメッセージも明確である自信はある。弊社一押しの作品であるので、まだお求めでない方はぜひ。

 

 「順列からの解放」 500円

 表題通りのコンセプト短編集。ひざのうらはやお入門として名高いこの作品には、スチームパンク風、ボーイミーツガール風、といったようにかなり幅の広い作風がおしこめられている。どれもそれなりに楽しめるはずだ。そして、どの文章もぼくは今後書いていくであろうという意思表明でもある。

 

 「妄想の中でグローリーガールが宙に浮くから僕は彼女が好きすぎてたまらないんだけどいまだにそれを認められずに書きためた手紙をかき集めて作った表層をなぞるだけの指数関数、もしくは世界が滅びるまでのわずかな間に残された一縷の希望」 500円

 「みんなのごうがふかいな展」における出展物、いわゆる「GF頒布物」というやつである。110文字という信じられないタイトルの長さであるが、これは表題作がこのタイトルである必要があったのである種仕方のないタイトルなのだ。一応、濃度としては最大のごうがふかいなを誇る。9編の短編はいずれも、時間的制約が非常に強い中で生み出されたものであるからこそ、「ごうがふかいな」に頼らざるを得なかった。そういう側面でも、比較的生に近い「ごうがふかいな」が展開されている貴重な作品集ともいえるだろう。この説明しがたい感情を説明させるために「ごうがふかいな」という概念は生み出された。多めに搬入しているので今がチャンス!

 

 「まんまるくろにくる」 1000円

 これも実は関東初頒布であることに今気づいた。創作活動10周年を記念したベスト短編集であるが、個人的にはさほど興味がない。というのも、まさに記念碑、記録的な意味しかなく、作品集としてのぼく自身の情熱はほぼないといってもいいくらいなのだから。

 しかし、だからこそぼく自身が読者からどのように見られているのか、というのを徹底的に自分なりに考え抜いて選んだもの、という意味では今までにない作品集であるともいえる。ある意味、実は「ごうがふかいな」が強いのかもしれない。

 

 「The magic nightmare」シリーズ (上下巻セット 2000円)

 reunion 1300円

 GENOCIDE 1200円

 弊社最大のごうがふかいなを誇る長編小説。上下巻セットだと500円引き。

 キャンパスライフ・ファンタジーと銘打たれたこの作品については、とにかくごうがふかいなの塊としか言いようがないのだが、あまりにもごうがふかいなが強すぎるがゆえに、そのごうがふかいなっぷりを理解できる人間がそもそもほとんどいないということに気が付いてしまったがためにあまり宣伝をしていない代物である。それくらいにごうがふかいなの塊であり、かつ、これ以上のごうがふかいなを出すものというのは、ぼくの自然体を超えた自然体に他ならず、それは今後書かれる大長編や長編では稀有になってくるとは思うのだが、一応これ以上のごうがふかいなを出す用意はある、ということだけは伝えていきたい。

 ひざのうらはやおの渾身にして自然体、そして多分なる内輪ネタを含んだ史上最大級のごうがふかいなに溺れたい方(えてしてそれはコアなかーびぃファンとも言う)のみが手にできる希少な代物。何しろ鈍器なので搬入数が少ないため、お求めの方は要注意だ。ちなみにここまで並べたもので最も刊行が古いものでもある。

 

 以上、読むお品書きであった。思った以上に読み応えのある記事になってしまったが、ぼくの小説を読みたい人間に対しては、かなり親切にしたつもりであるし、こういったお品書きの需要があるものと思われる。どこから目線だ。

 ということなので、「これ読んでもようわからん、というか読む気になれないんですけど」という方は、まずD-01(お目付け席!)に寄ってもらい、無料配布の冊子を手に取っていただければ「ごうがふかいな」というものが何か、感じることはできるはずだろうと思うので、そこから探してもらえるとありがたい。

 また、「みんなのごうがふかいな展」にも10サークルの参加があるので、気になる人はサークルリストを貰って、探してみよう。素敵な「みんなの」「ごうがふかいな」が見つかることを祈りたい。

 

 ということで、当日はサイコパスクソメガネがいたりいなかったりするので、探してください。大当たりの鐘をもっていくのでいなかったら振ってみましょう。飛んできます。

 では。