日本ごうがふかいな協会広報

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夢は夢のままで

 どうもかーびぃです。ゴールデンウィークもある種、夢の中みたいなものなのかもしれないと思う今日この頃である。

 

 家が洪水になって流される夢を見た。それくらい昨日は雨風が吹き付けていた。流されながら、巨大な岩に頭をぶつけて死んだと思った瞬間に目が覚めて、午前2時。ふと見まわすとみんな寝静まっていて、いつもの夜で、それはそれで少し怖かった。

 社会人になって世界が広がるかと思いきや、むしろ収束していく一方で、学生時代の貴重さというものを思い知っている。そりゃ長い間社会で暮らしていれば、はんこで押されたような、量産された価値観しかない人間ばかりにもなる。大した生命力もなく生き残るにはそうならないといけないからだ。

 

 the pillowsに「インスタントミュージック」という曲がある。都市化された生活基盤の上に成り立った即席的な文化を極めてロックな口調で歌っており、文明社会の病理を端的に描き出している名曲だ。単刀直入といったメッセージ性の強い曲であるが、それは逆説的に文明化された世界が日本という国に浸透しきっていることを象徴している。きっとこの国で画期的な技術とか、世界を変えるイノベーションというものが仮に発明されたとしても、それによって人々の暮らしが劇的に変貌するということは、実のところない。なぜならば、こんにちの文明がすでに行き着くところまでいったん、行き着いてしまっているからであり、それ以上のステージに進むには人間のハードそのものが向上する必要があるからではなかろうか。

 

 そんな小説を今回は取り上げたい。

 今回は導入がわりと雑だったからか、あとツイッターでさんざん「次は批評」とアナウンスしていたからか、わかりやすかったのではないかと思う。

 今回は、先日の文学フリマ東京でふらっと手にいれた同人誌の批評を行いたい。

 本田そこさんの、「零号駅第三層にて」を読んだ。

 実はこの本は既刊で、同じく「零号駅シリーズ」の新刊があるのだが、先に読み終わったのでこちらをご紹介したい。

 鉄道が流通の根幹をなしている(と読み取れる)世界で、肥大化し都市化した「零号駅」で繰り広げられる人間模様の話である。この駅は駅自体のシステムで自動修復・自動拡大が行われる構造になっており、そのため周辺の人々は徐々に都市化した駅で暮らすようになり始める、という設定らしい。そして、その駅はいくつものフロアに分けられており、それを「第○層」と表記するようだ。フロアごとに役割が異なっており、低層では鉄道を介した流通の管理や公的機関などの管理部門、高層になると人々の居住する住宅街へとなっていく。これがぼく自身がこの小説から読み取れた本小説の背景である。この特殊な、どこか「FF7」のミッドガルのようなスチームパンク要素の強い世界観は、そういった設定を好むものに対して非常に魅力的だ。だが、はっきり言ってしまえば、その設定ありきのストーリーというわけではないのがこの小説の魅力であり少々ボケたところでもあるのだ。この手の世界観に対しひきつけられる人間というのは、かーびぃの観測上においては「ストーリーもその世界観ありきのものであり、世界観自体と深くリンクしていく精巧な展開を好む」タイプが多い。そういった人間にとってこの小説は単なるフレーバーエピソードでしかなく、「本編は?」というような気持ちにさせられるのではないかという危惧がある。逆に、本編を各自で妄想できるような余地を残しているというのが本作の狙いであるとするのであれば、非常に有効な手法であるといえる。ぼくがこの作品のストーリーに全く触れていないのは、つまり触れる必要がないと考えているからである。

 文章としては、やはり世界観から物語を考えているせいか、状況描写と設定描写が入り乱れ、それが無駄なボリュームを生み出している。すなわち、物量が多いわりに説明していることが少ない。かといって無駄な情報が少ないというわけでもない。たぶん、設定を説明するのに、作者はどこまで説明したらいいのかという線引きが不明瞭なまま書き上げてしまったことに起因するのではないかと思う。その結果、設定を説明していないわりに描写過多で推進力が低い印象を受けたのだろうと思われる。また、キャラクター名が非常に覚えにくいし読みにくい。これはすべてのキャラクターに共通しているので、もしかすると世界観の根底にかかわっているものなのだろうと推察できるが、その材料もないので読んでいて非常にもやもやしてしまった。もっともこれはぼく個人がなにかしら読みにくいポイントで引っかかってしまった可能性もあるけれど。

 しかし、それ以外の部分では非常に素敵な小説であった。マクロな視点では確かにぼやけている部分が多々あったのだが、人々の生活模様というのは克明に描き出されていたし、何よりそこに不自然な部分が何一つなかったのは純粋によかったし、書き手として非常に尊敬できた。おそらく、この続編(?)である新刊も同様の世界観で同様の雰囲気であるならば読んでみたいと思わせられる引きがあるし、実際ぼくは読んでみたいと思った。まだまだわからない(が、知りたい)部分がたくさんあるというのも魅力である。ぜひとも作者の本田そこさんには続きと「本編」を書いてほしいと願うのであった。

 

 とまあ、こんな感じの文体で淡々と文フリの戦利品にケチをつけ感想を書いていきたいと思います。そんな感じでぼくの書いたものも批評してもらえばいいかなあと思った次第である。

 以上。