日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

文体と個性のはなし

 アマチュアの文筆家をぼくは「書き手」と一貫して呼んでいる。特に理由はないのだが、なんとなくニコニコ動画の「歌い手」「踊り手」みたいなニュアンスで、ワナビーも純粋なアマチュアセミプロも何もかもを一緒くたに呼べるような気がするから便利で使っているのだろうと思う。もっと便利な呼称があればそれを使うだろうなとも思う。

 

 とまあそんなことはどうでもよくて、最近流行ったツイッターのタグを見てふと考えたのだが、書き手の皆さんは結構自分の作品の強みを的確に分析できていて、それをセールスできる人が多い。それ自体にもびっくりなのだが、自己分析という終わりのない迷路をある程度で切り上げて、あまつさえそれを他人にもしっかりわかるように開示できているというのは、ぼくから見るとすさまじいスキルのように見える。ぼくはどちらも苦手である。いったん考え始めるといくら読み返しても足りないような気がするし、その実、これがわかったところでなんになるのか、と思ってしまう。

 でまあ、そんなわけでぼくも自分のセールスポイントを考えてみたのだが、ずばり、「文体」ではないかと思うのだ。これまでぼくは様々なジャンルを書いてきた。SF、ライトノベル、ファンタジー、純文学、現代小説、幻想小説、果てはエッセイまで、官能小説とホラー、ミステリ以外はだいたいおさえられているような気がする。もっとも取りこぼしがあるかもしれない。そして、そのすべての文章に対して、通底する概念が存在しているのではないかと考えた。そう、考えた、つまり仮説である。

 この考えに至ったのにはわけがある。かつて、文芸サークルに所属していた時に同期に、「きみは何を書いても『ひざのうらはやお』だな」と言われたのを思い出した。確かに、読んでみると、自分の文章ながら、それぞれ違ったテイストを確かに持っているにもかかわらず、どこか、ぼくが書いたものだということがわかるような雰囲気になっているのだ。これほど多様に書いているにもかかわらず、それらに通底するひとつの作風というものがあるならば、それはもう「文体」と呼んで差し支えないのではないか、とこう考えたわけである。

 しかし、このようなセールスポイントは、諸刃の剣になりうる、というより、現時点でなっている。ぼくはそもそも即売会の場でオーディエンスに訴求する行動を何ひとつ行っていない。そして、「文体」というものは実際に読んでみなければなにひとつ伝わらないし、さらに言えば読んでも伝わらない場合がある。だからこそ読み手を勝手にゾーニングしているともいえるし、ぼくは良質な読み手に恵まれていると感じるのはそこに端を発しているのだろうが、これでは新規の読み手を獲得するのがとても難しい。実際、ぼくが即売会に出ていく中で、その場が完全に(オンラインオフライン問わず)初対面であるという事象はほとんどなかった。インターネット上の交流がもとにあって、その先にオフラインの対面があるという方針にしているのは他ならぬ自分であるが、即売会の場が新規開拓の場にならないということに気づいて少しまずいな、とも思っている。もちろん、頒布数を保ったり、そもそも読まれることと良質な小説を生み出すことは、不可分ではないにせよ強い相関はないわけだから、そう神経質になることもないし、みかけの読み手の多さにかまけることはすなわち、書き手としての自分を欺瞞することにもつながりかねないわけで、つまるところ何も危惧すべきでもないわけであるが、しかしながら、ぼくの文章がすこしでも既存の空間から外に流れ出ていかなければ、その価値はたかが知れているということになってしまう。西野カナが「会いたくて会いたくて震える」とうたわなければ、彼女がファンの外であるぼくたちに名前を知られることはなかったのとたぶん同じことだ。

 何が書きたいのかよくわかんなくなってきた。えてしてぼくの文章はこういう状態に陥る。たぶん理路整然としたものが好みの方は受け入れられないのではないかと思うし、受け入れられなくても仕方がないかなとも思う。容量的にバッファがないとぼくの文章を読むのは厳しい。

 だがしかし、書けないのならばせめてまともに読みたいとも思うわけである。このブログで普段やっているシーズンレースは、そうやって真面目に読もうとした結果生まれたもので、真面目に読むということを突き詰めてはいるものの、それ以上のことをやっているわけではない。例えば批評したり、分析したりというのは、ぼくにはできないのだ。体系化した学問を脳内に収めることが出来なかった人間はこういう場面で弱い。おそらくぼくの脳構造的にそういったものを収めるのが苦手のようで、それは最近理解したところだ。だから、というわけではないだろうが、ぼくは文系に進んだし、それでいて歴史科目が全くできなかった。横にはつなげていけるが、縦につなげることがどうしてもできなかったのだ。もちろん、これは今になってわかったことである。

 おそらくであるが、ここまで書かれた文章を読んで、いらだちを憶えないひとは僕の小説を読むのに向いていると思う。今月は24日に文学フリマ広島が広島県立産業会館で、来月は21日にText-Revolutionsが浅草の都立産業貿易センター台東館で開催される。どちらも文芸系同人誌即売会イベントの中ではそこそこの規模を誇るので、ぜひのぞいてみるといいと思う。

最後に残るのが何であったとしても誰かがそれを見届ける必要がある

 どうもおもちくんです。

 文フリ金沢シーズンの記事を書くのにだいぶ日数がかかってしまった。今回が最後の記事である。

 

 坂本真綾といえば、何を想いうかべるだろうか。ガンダムSEEDのルナマリア、FF7のエアリス、空の境界両儀式、などなど声優としての姿か、歌手としての姿か、はたまたラジオパーソナリティとしての姿か、舞台俳優として、もしくは鈴村健一の奥さんというイメージの人もいるかもしれない。つまりそれだけ彼女は多彩に仕事をしていて、なんとなくぼくの中で、その多彩さと芯にある表現力というのが一体となっているなと感じるのが、第3シングルの「奇跡の海」である。ロードス島戦記シリーズ作品のアニメOP曲となった、どこか異国情緒の強い曲で、アマチュア合唱団に合唱曲化されたり、歌ってみたで検索すればかなりの数の動画が出てきたりと非常に人気で、とかく表現者にとってひきつけるものがあるのだろう、その動画の質も軒並み高いように思う。まあ、単に節回しが歌いやすいというのもあるかもしれないが。

 

「パンドラの子守唄」著:赫玉辛子(赫玉書房)

文体:32 空間:31 (半客観分野:63)

感覚:30 GF:30 (主観分野:60)

闇度:0.42 レート:なし

総合:123.42 (文フリ金沢4シーズン1位

 

 ということで、文フリ金沢シーズンを制したのは、赫玉辛子(あかだま・からし)氏の短編集であった。この方、別名義でプロとして活躍されている方で、そういったところも含めて安定だなと思って読んでみたのだが、表題作含め非常にダークな世界観と十分な熱量を帯びたままの社会に対する憎悪がストレートに表現されていて、この表現力と主張の力強さを正直に欲しいと思った。それでいて、どこか異世界のような雰囲気を帯びているのも不思議だ。特に、巻頭作の「ブラック・ゴシック・リバイバル」はどことなくスティーブン・キングのような趣で、引き込まれた。この引き込みがなければこの独特の、胸がすくようでどこかもやもやとしたものが残るような不思議な読後感を出すことは出来ないように思う。すべての作品が短編集を作り上げるために重要な役割を果たしており、その点で非常に完成度が高いなと思った。

 

 文フリ金沢全体で思ったのが、やはり文体そのものの味を引き出しているような作品が多くて、もちろんぼくがそういったものを好んで買っているということは否めないのだが、そこがほかのシーズンと大きく異なっているところだと思った。そして、その最たるものが今回1位となったこの作品である。様々なジャンルを忍ばせながら、そこに入る強烈な憎悪と批評性からくる描写、普遍性の高い物語にのせられる、クセの少ない文体。これらがしっかりと組み合わさって、ひとつの作品群、短編集として現れることの妙である。この作品に限らず、同人誌としての完成度が高い作品が多かったのが総じての印象だ。

 その割に評点がひかえめなのは、ぼく自身がやはりジャンクな味を好んでいるということを暗に示しているのかもしれない。逆説的、というか自己批評的でもあるが、シーズンレースでの評点は、同人誌としての完成度とイコールではない。完成度が低い作品が、高い作品のそれを凌駕していくなんてことはこの2年やってきても枚挙にいとまがないほどであるし、それは読者のみなさんも感じていることだろうと思う。だからぼくはこういった場ではその完成度についても正直に言及していきたい。

 

 ということで、文フリ金沢4シーズンについてはこれで終了である。次回はようやく、静マルシーズンへ突入だ。昨年のMVWに輝いた佐々木海月氏が満を持して登場したり、総合点1位を堅持する丹羽夏子氏の作品が入っていたりと、今から読むのが楽しみである。

どこにもない世界線を探して積み上げるだけの職業

 どうもおもちくんです。

 予想外に作業時間をとられていて、ろくにシーズンレースを進められなかった。が、ようやく書く気分になったので、つづきを書いていこうと思う。

 

 今や平成を代表する大人気バンドの一角となってしまったBUMP OF CHICKENの曲に「かさぶたぶたぶ」という曲がある。少年(?)のひざこぞうにできたかさぶたの視点から語られるユーモラスな描写と、だからこそのノスタルジックな雰囲気が小気味のよいサウンドに重ねられていく妙がきいていて、どうにも忘れられない曲である。

 

「いきとしいけるもの」著:今田ずんばあらず(ドジョウ街道宿場町)

文体:29 空間:31 (半客観分野:60)

感覚:30 GF:37 (主観分野:67)

闇度:0.444 レート:5.703(B)

総合:121.741(文フリ金沢4シーズン2位

 

 ということで、このメモ帳でもちょくちょく出てくるずんばニキこと今田ずんばあらず氏の作品が、特集記事ではなく純粋なシーズンレース上位として初めて記事化された。

 この作品集は、「モノ」が主人公となっている小説を集めたものである。それは宇宙ゴミだったり、石ころだったり、お道具箱のはさみだったりするわけであるが、どれもこれも、「モノ」に感情移入するような人間の視点ではなく、「モノ」そのものから語られているというのがキモであり、一貫しているポイントでもある。氏の作品集をはじめとした同人誌は、すべてが強固に一貫したコンセプトを貫いているところが非常に信頼できる。本当に「本」というものを深く考え、読まれるひとのことを第一に考えていると思う。彼の別の著作を読んでいても、そのエッセンスを強く感じる。

 また、この作品集は「過去からの脱却」ではわずかにのみ感じられた、氏の反骨精神というものを強く感じることが出来る。「イリエ」でも「過去からの脱却」でも見せることのなかった、ハードコアな存在感と自己主張が、この作品集では溢れんばかりに飛び出している。そういう意味でごうがふかいなであり、GF点は今シーズン2位の37点を記録している。

 ぼくは、同年代ということもあるが、テキレボ5で隣のブースの人間として出会ったときから、彼のことを同人活動上のライバルと考えて活動している。流麗に、器用に文体を変えながら、それでいて高いメッセージ性を保つ小説。頑ななまでに読み手のことを追求した装丁。イベント遠征の道すがらでは行商の旅と称して、フォロワーの方に自作を手売りしていくほどの営業力。全国各地の大小さまざまなイベントに出かけて、その告知を欠かさないまめさ。こんな同人屋の鑑みたいな人間をライバルとするのはいかがなものか、という意見はあるかもしれないが、これほどまでに全力である彼をライバルとすることで、ぼくは逆説的にこの世界にとどまり続け、踏ん張ることができるのではと考えた。そしてそれは今のところ成功している。彼がやれていることを、ぼくがやれないはずはない。やらないのならば何かしらの理由があって、そこがスタイルの差なのか経済力の差なのかそれ以外の要因によるものなのかを突き詰めていくことで、ぼく自身の問題に素早くフォーカスできる。そういった極めて合理的かつ利己的な理由で、ぼくはこれからも彼をライバルとして活動を続けるだろう。たとえその知名度や名声に天と地ほどの差ができたとしても、簡単にはライバルをやめないと思う。

 もっともそれはぼくにとって、というだけであって、彼にとってどうなのかは知らない。知りたいともさほど思わない。それは彼の勝手だし、彼をライバルとするのもぼくの勝手だからだ。

 

 なんだか半分くらいずんば論みたいになってしまったが、そんな感じである。

 次回は、このシーズン1位を記録した、プロの小説家としても活躍している方の短編集である。

此岸を往く船は何で動いていても「こちら」のものではない

 どうもおもちくんです。

 作業が詰まりに詰まっているうえにどこもかしこも原稿に追われている。なのでこの記事を書いている時間もないといえばないのだが、だけれど書きたいと思ったから書くのであって、そういうことはどれだけ仕事が詰まっていようが関係ないのだ。

 

 霜月はるかという、同人世界でも商業の世界でも、シンガーとしてもソングライターとしても活躍している、知る人ぞ知る方がいるのだが、この人の同人レーベルの音楽に「落日の迷い子」という曲がある。合唱出身と聞いたことがあるが、この曲を聴くと納得する。ボーカルとそれ以外の旋律線がどれもメロディアスで、常にハーモニーを奏で続けながら変化していく進行で、それでありながらアコースティックでもないところが非常に面白い。氏が持っている創作の軸のようなものを垣間見ることが出来る。

 

「天満」著:織作雨

文体:28 空間:31 (半客観分野:59)

感覚:27 GF:33 (主観分野:60)

闇度:0.396 レート:なし

総合:119.396(文フリ金沢4シーズン 3位

 

 ということで、織作雨(おりさく あめ)氏による短編集が今回の文フリ金沢シーズンの3位となった。半年以上前なので、どうやって手に取ったのかが全く記憶にないのだが、結論から言うとこの作品を手に取ってよかったと思う。

 5篇の短編からなる短編集であるが、そのどれもが平易な文体でありながら非常に深くえぐるような幻想色を出してきているのが心に刺さった。幻想文学、ともまた違う趣ではあるが、方向性としてはファンタジーというよりはそっちに近いように思う。ぼくは幻想文学があまり得意ではないのだが、その苦手である文体の不必要な重さというものがなく、柔らかめで、とても読みやすい。しかも、そうでありながら強い幻想感を漂わせられるというのがこの書き手の文体の強みであると思った。舞台や方向性はバラエティに富む一方、その文体が通貫されていて、短編集として非常に読み応えがあり、かつ、この書き手の凄みというものを感じ取れる作品になっていた。この方の他の作品を読んだことはないのだが、他にも読んでみたいと思うし、そういう部分で、この作品集は氏のエントリーモデルになり得ると感じた。

 書き手本人は表題作を好きだとあとがきで明言しており、実際読んでみるとその力の入れようからそれを感じ取ることが出来るのだが、ぼくとしては巻頭の「消滅」の完成度の高さに舌を巻いた。主人公と妻の会話のやりとりがかなり自然で、こういった部分に非常に細かく入り込んでいくタイプの書き手であると思ったし、この衝撃でつづきを読もうと思ったくらいだった。

 全編を通して読みやすく、また、いろんなイベントに出ていくとのことなので、もし興味があれば読んでいただきたい一冊である。

 

 次回は、全国各地を飛び回るあの人気サークルの異色作について、書こうと思う。

失った血液が鮮血かどうかなんて誰も気にしない

 どうもおもちくんです。年があけたところで、みたいなところはあるので普通に始めます。

 文フリ金沢シーズンをすべて読み終わったので、さっそくではあるが惜しくも記事化から外れてしまった作品について、コメントしていきたいと思う。

 

「二十光年ロボット」著:碧

 表題作ふくめ、SF風味が強い短編集。特に表題作が顕著なのだが、どの作品も、置かれている視点がかなりユニークで、独特の世界観がにじみ出ているのが印象的だった。ただ個人的には2作目の幕引きがすごくおもしろかった。こういうのが好きなのかもしれない。

 

「シズムアンソロジー」著:うさうらら 他5名(レート:1.000)

 装丁からその世界観を漂わせる、どこか耽美なアンソロジー。共通の設定を用いて創作されており、収録内容は、まさに百花繚乱、といった趣き。著者のひとりである紺堂氏が6.000のレートを保持しているため、それを書き手数6人で割ったものがレートとなっている。非常に強いこだわりを感じる。最後の一冊だったのでちょっとした思い入れもある。

 

「ごう散歩」著:繰り沼

 タイトルだけで買ってしまった。結論から言うとめちゃくちゃ面白かった。江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」の登場人物(郷田)からとられているらしく、「業」ではなかったか、と思ったが、そのスポット紹介と郷田のノリがなぜかツボにはまった。たのしい。

 

「移ろい」著:桜鬼(波の寄る辺)

 破格の大型新人。この方にはなんとなくこういうイメージを持っているし、今もそこから変わることはないのだが、その処女作らしい。らしい、というのは、どうしてもそうであるように見えないからで、もっとも小説を書いて初めての作品ではないにしろ、この精度の小説を集めたものが初めての個人誌だというのか……ということに尽きる。個人的には「此岸花」が好きかな。今後の作品が少し楽しみ。

 

「サボテンの子どもたち」著:永坂暖日(夢想叙事)

 隣の隣だったか、テキレボなどでよく見るお名前だなあと思っていつかは読んでみようと思い手にとったのがこれだった。短編集なのだが、登場人物が全て関連付けられていて、同じ世界線の中での話だとわかる。各話の語り、に相当する、書き手の目線のやわらかさがすごく印象的だなと思った。どれもこれも非常に地に足のついたはなしであるなか、「銀杏夜話」だけがややファンタジックな世界観で、ちょっと意表を突かれたのと、それでいてなおオチまでしっかり優しい味、というのがとても心に残って、これが文体というものか、と気づいた。そういう意味でものすごく完成されているのではないかと思う。

 

「Black Sheep in the Cage ~その末裔は悲劇と踊る~」著:神谷アユム(青猫のすみか)(レート:B)(ごうがふかいな賞

 感情の銃撃戦を得意とする神谷アユム氏の長編BLダークファンタジーもこれで4巻になるが、これは氏の作風を極振りしたものだった。特に終盤の展開がすさまじい。ミステリやダークファンタジーの流れでいえば完全に王道に近いパターンで、その上でこの感情の応酬が繰り広げられているのは、凄まじい臨場感がある。こういう文章はぼくには一切書けないので本当にうらやましい(本音)。

 氏のシリーズ作品は徐々に相対的な評点が上がり続けているのが本当に面白いところで、逆のパターンはよく見るのだが、順調に右肩上がりをつづけているのはこのBSCシリーズのみである。今回、すわ記事化か、と思われるような評点だったのだが、惜しくもラインを外れてしまった。次巻はどうなるのか、楽しみである。

 ということでこれがごうがふかいな賞。

 

 いやはや、こうして並べてみると個人的に壮観だなあと思う。というのも、今回は後半の作品で順位が逆転することが多く、記事化間違いないと思っていたようなものでもラインを外れてここでコメントしているものが異常に多かったからで、予想通りの混迷した結果になったな、というのが正直な感想である。

 さて、次は3位の作品の記事である。今しばらく時間をいただきたい。