日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

灰になってその欠片が誰かの肺に突き刺さるまで生き続ける必要がある

 どうもかーびぃです。

 文フリ東京25シーズンも佳境に差し掛かってきた。しかし、整理をした結果実はリストアップされていなかったが文フリ東京25シーズンに入る予定だったものが発見されたので、思っていたよりも増えてしまった。

 ということで、選外まとめはこの記事を含めてあと2つある。

 次の選外まとめで最後になる予定だ。

 

 

「もちもちまんじゅう村」著:ひのはらみめい

 「もちもちまんじゅう」を生み出す村での悲喜劇。完全にロアルド・ダールチャーリーとチョコレート工場というかあのでかい桃のやつ。名前忘れたけど。いやハイブリッドか。とにかくブラックユーモアが凄まじくとがっていてすごい。めちゃくちゃ好きだしとてもよいです。もちもちまんじゅうの正体もそうだけど、オチもオチで秀逸。イギリス料理だってうめえじゃん!マクドナルドとか!って感じの!そういうやつです。

 

「ネコと少女とジプレキサ」著:鈴籐サキ(ブックシェルフ病棟)

 サークル名がちょっと印象的。今回隣だったのと、宝石アンソロジー「きらきら」でご一緒させていただいたこともあったしいろいろ親切にしていただいた。まあそれはともかくとしてオススメを聞いたらこの作品をすすめられた。表紙詐欺ですよ、とニコニコしながらおっしゃっていたのだが、たしかに、という感じ。これはすごい。パッケージはこう「いつでもいっしょ」的な、あの猫のキャラのやつがでてくるアレっぽいんだけど、中身は「いつでもいっしょ」ではあるけどこれどっちかというとJUONでは!?!?!?!?!ってなる感じです。ジプレキサ、という単語がキーです。とてもよかった。

 

「ユキノハテ」著:鈴籐サキ(ブックシェルフ病棟)

 世界を創造した存在と、中心に据えられた世界樹的な存在と、ある少女が交わった物語。個人的な印象では閉じた童話調の物語でありながらフォーマットはセカイ系っていう、ゼロ年代ジュブナイルってこんな感じだよなあっていう、なつかしさとおなじみが同居して、最後の最後までエモーショナルに読むことが出来た。表紙とのマッチングでいえばこちらをオススメしたいです。個人的にはジプレキサのほうが好き。

 

「三大香木―金木犀―カミサマはそこにいた」著:梔子花(謂はぬ色)

 短い中にクリアな心理描写が鋭く顕現する短編。作中のビールよろしく爽やかなのど越しだなあと思った。マリッジブルー未満の、女性の心理というか、そういった部分に入ることは(あまりにもぼくと境遇が離れすぎていて)できなかったが、それがどういった感情か、その関係性をクリアに描き出し、そこでいてカミサマの人間らしい存在感が緩急を生み出している。求めている人には強く刺さる作品だろう。

 

「エンプティ・チェア」著:梔子花(謂はぬ色)

 梔子花氏の作品2つめ。こちらは精神科医と訳ありの女性、という舞台設定。やはりクリアな文体だな、と思った。氏の作風で最も特徴的なところはこのクリアさにある。後腐れがないし、それでいて極めて正確に心理描写をしているのだ。ともすればどちらかというと「誠実」な方向に流れがちである中、この文体はなかなかに特異であり、埋もれるべきではないとぼくは思っている。ゆるぎない精神と確かな描写力を求める方におすすめ。

 

 ということで、5作品の選外まとめである。あと1本、5作分の選外まとめがあるのだが、その残りの5作がかなりの高評点が期待されるので、乱戦になるだろうなと思う。それ以降にも文フリ京都シーズン、前橋シーズンと続いていくが、まだまだ50冊くらいあるので、暇を見つけては読んでいきたい。

 

焼き肉やきにく食べ放題~~~~~~

 どうもかーびぃです。

 タイトルと中身は関係ないよ。そういうタイトルをつけるひとですよろしくおねがいします。

 

 さて、文フリ東京(25回)シーズンも半分ほど読み終わったので、この時点で惜しくも記事化対象を逃してしまった作品について、書いていきたいと思う。

 

「単語日記など」著:cauchym(鴨川デルタでつかまえて)

 こう、なんというか、生のごうがふかいなが詰まった作品。単語日記、というのはとにかく日記を書くのに文章を書こうとすると続かないので、その日心に残った単語だけを刻んでいこうという著者のスタイルのことなのだが、この単語の並びのくせがすごい。こういう仕事をしていて、この辺に勤務しているんだな、みたいなそういう想像をかきたてられるし、そういう意味で非常にごうがふかいなであった。しかし残念ながらごうがふかいなで言うと今回のシーズンは非常に高度な戦争が繰り広げられており、あえなく選外、かつごうがふかいな賞からも脱線してしまった。3か月ぶんくらいあったらもっとすごい気がしてきたが、しかしそれはそれでセンシティブすぎないかなとも思うし、この手のジャンルって加減が難しいよなあと思った。

 

「世界線」著:西山保長

 これも「ジャンル:ごうがふかいな」だったなあ。今シーズン本当にごうがふかいな戦争が激しすぎて、他の科目とGF点の平均の格差がすさまじいことになっている。以前、テキレボ5シーズンだったかでやはりごうがふかいな賞的な作品を記事にしたことがあったが(これだ)、それを読んだ感覚と割と近い。偏り(クセ、とはまた違うと思う)の強い人間のあるがままのような、そうであるように加工されたあるがままというか、まさにそんな空気感が続く、息苦しさが主体のワナビ小説という感じ。サブタイトルやタグが多く、またそのすべてが外連味あるものなのだが、芯となるストーリーラインは恐ろしく純情で青春、それでいて閉塞的なのがすごい。救いが救いになってるようでなってない感じがよいです。作者の意図とは違う読みかもしれんが。

 

「朔月夜話」著:飛松莉菜

 非常に強固な、ごうがふかいなのひとつの完成形といえるものだった。作者はモデル業も営んでおり、またそれでいてハイソな横顔を持っていると推察できるのだが、それでいてこの作品を文フリに持ってくるのか。「わかってる」感がすごい。非常にクレバーだなと思った。メタ的な意味で。おとぎ話の原型のような語り口と世界観だが、そこに見え隠れするメッセージ性の強さとまっすぐさ、そして鋭さに驚いた。この素朴さはすごいですよ。作者のパーソナリティが邪魔をしそうでアレなんですけど、本当にまっすぐでしかもコンクリートで塗り固められたごうがふかいなですから。

 ほんとさっきからごうがふかいなしか言ってねえけどみんなごうがふかいなが過ぎるんだって今回。

 

「Dear friend of Dusk」著:相楽愛花(素敵な地獄)(レート有:A)

 著者紹介の鬼才こと相楽愛花氏のDfDシリーズ最終作。他の作品と今作では分量にだいぶ差が出ているが、その差分がおおかた「ガパオ」とのセルフクロスオーバーにさかれている。ただ、この湿度と熱気あふれるややスチームパンクみが入ったSF空間の解説のようなものにもかなりさかれていて、全体としてシリーズの中ではもっとも面白く、また最終巻を飾るのに最適なものだったといえる。これまでの種明かしみたいなものも入っているので、シリーズの最初にこちらを読むのはおすすめできないが、読めないこともない。このゆるい感じがDfDのよいところです。相楽氏は書き手レーティング制度にのっとり、シーズンレース登録作品には一定のハンディキャップがある。そのため相対的には(実は)非常に高い評点なのだが、惜しくも選外となっている。

 ちなみに、Aは「まんまる双璧および四天王以外の、6点以上のハンデがある書き手」の意味です。以降、まんまる四天王はS、双璧はE、それ以外はBと表記します。

 

「ネイルエナメル」著:豆塚エリ(こんぺき出版)

 装丁がきらきらしていてとても目立っていた。豆塚氏は本当にすごい装丁の同人誌を出してくるのがよい。小説自体も、百合、いわゆるガールズラブを主軸としているものの、強烈な青春小説のテイストが強い。全体を通してぼくはうめき声を漏らしまくっていたように思う。この中でこれが比較的ごうがふかいなが低いという事実にただただ驚くが、それはそれとして描写が綺麗だし文体もすごい。パンチラインが明確なのが、普段は詩をメインで書かれている人だからなのかなと思ったり。すごく完成度の高い小説だった。なんで選外なのこれ。

 

 というわけで、番狂わせというほどでもないがやはり高度な戦いになってきている文フリ東京25シーズンレースである。この後も、まんまる双璧にあたる人の作品や、骨太なスチームパンクなどが控えている。まだまだどうなるかが見えない。

合理化されないことそのものが合理的なことって割とある

 どうもかーびぃです。

 ここまで2018ステージの参加イベントについてまとめていなかったので、簡単ではあるが、自分の思ったことを並べていきたいと思う。

 よもやこのメモ帳を見ている人に同人初心者的なひとはいないとは思うのだが、いるかもしれない、という運転方法は大事だ。そんな感じで読んで欲しい。

 

 2018ステージは、昨年秋の文フリ東京からスタートしている。現在は、その際に集めた同人誌を読み、一定の基準に基づいて評点化し、その上位となった作品については記事として特集し、そうでない作品についてもコメントをまとめるという「シーズンレース」というものをやっているが、まだ「文フリ東京シーズン」から抜け出せていないのが現状だ。とはいえ選外まとめがひとつできそうなので、これを書き終わってから書こうと思う。

 

 文フリ東京(第25回)は、去年の秋に開催され、雰囲気も陽気もそれなりで、安定していたイベントだなと思った。売り子として知人の協力もあり、非常に多くの作品を手に取ることが出来たし、その中で頒布水準も大幅に向上した。現金じゃない方法で謝礼をはずみながら、売り子を頼むというのもありだな、と思う一方で、売り子をしてもらうのにはそれなりに信用がないとだめだなあと思うし、そうなってくるとインターネットだけの付き合いの人とはなかなか難しいと思った。こちらからある程度足跡をたどれるような人間じゃないと、何か事故があったときに対応しづらい。売り子詐欺、とまではいかないものの、そういうトラブルの話はよく聞くし、ちょっと想像しただけでもセキュリティホールはやまほどある。そういう時に人間関係だけでどうにかできる程度には構築が済んでいる人じゃないと売り子は難しいし、そう考えると当面はよほどでもなければひとりでやるほかないのかな、とも思う。

 この回は、別のサークルの合同誌にもお邪魔させていただいたり、懇親会にも参加したり、即席の新刊(という名のクソ短編集)を作ったりと精力的だった。

 あと、半年以上前だとなかなか思い出せないことが多い。

 

 文フリ京都(第2回)も、前回同様にかなり雰囲気が良かったように思う。京都は一般参加者の水準が高いように思う。そのため普段以上に知り合いの参加者からの訪問が多く、新規で、という人は少ない。厳しいがしかしぼく自身の広報活動の性格的にそれこそ、「一見さんお断り」というシステムに構造上なっているし、それが結果として自分にやりやすいフィールドなので、それはそれでいいのかもな、と思った。無理にスタイルを変えていく必要が感じられなかった。それはともかくとして、新年初のイベントだったので、「新春!ごうがふかいなおみくじ」を開催したところ、これが予想以上にウケた。なんとなく、イベントごとに何かを設定するのはアリだな、と思った。

 

 さて、文フリ前橋(第2回)について。そこそこ準備をしてきていたつもりだったのだが、ふたを開けてみると準備不足が多かった。前橋というパイの小ささもあるだろう。全体として小ぢんまりしていたのだが、このイベント、どの方向に向かっていくんだろうなあ、という不安が様々な細かい部分から表出してきていて、次回以降あらゆる意味で目が離せないイベントとなった。この回は、商売敵、もとい同業他者的な存在であるデビー・ポンプ氏と出会い、非常に多くの頒布を行ったことから頒布数自体はあったのだが、それがなければ惨敗といっても仕方がないくらいの水準で、今後の方向性をいろいろ考えさせられたイベントだった。

 

 この辺から職場が繁忙期に入り心身のバランスが明らかに崩れてきて何も準備ができないまま大イベントに突入していく。

 

 春の文フリ東京(第26回)は、それこそ散々な頒布水準であった。去年の実績には辛勝したものの、ここまでの頒布水準と、東京というある種のホーム補正を考えると、ガタ落ちといっても過言ではない。全体の雰囲気も、これまでよりどこか軟化した印象で、どうにもポジティブな感覚にならなかった。繁忙期を極めて疲れていたというのもあるかもしれない。感じたのは、「文フリ東京ってここまで騒々しかったっけ」ってこと。だったんだけど、よくよく考えたら初参加(17とか18だったと思う)の時のラノベ系ブースの列は今以上に無秩序で騒がしかったしイキリオタクがすごかった。だから単なるぼく自身の問題だったようなのだが、周囲にも同じ印象を抱いたひとはいたようだった。ただ、弊社のホームとして設定している以上、何らかの方針転換をしたほうがいいのか、それとも現行のスタイルを貫くのか、といったことは、この文フリ東京の部分だけでも考えたほうがいいように思った。

 

 文フリ金沢(第4回)は、カラスに襲われた以外はとてもよかった。前日入りしてゆっくりできたのも大きかったし、イベント当日も思いのほか手に取って貰えた。もっとも、この回は新刊「まんまるびより」があったのでそのブーストもかかっていたのだが、しかし規模を考えると非常に多くの頒布があったことになる。前回ゼロ頒布だっただけにうれしかった。金沢は、他のイベントと比べると参加者の選好に独自のクセがあるように思われる。そして今回はそれを示唆する結果となった。

 

 そして、昨日行われた静岡文学マルシェ(第2回)。こちらも、金沢とは異なる特徴があって、同人誌即売会という前情報なしにやってくる一般の方が多いということ。これは金沢とは別のクセがあり、頒布数としては弊社ではマイナスにかかわる部分が多いように感じた。しかし、イベント全体として非常に雰囲気がよく、同人誌即売会というジャンルに縛られることのない、地域イベントとしての目線でみるとこれほど面白いものもないし、また成功を収めているという意味でも稀有ではないかと思う。そう、どちらかといえば、純粋な同人誌即売会ではなく、文化的な地域イベントという側面があるのがこの静岡文学マルシェのようで、それが前記したように一般の方を巻き込む導線につながっているのかなと。そう考えると前夜祭というイベントと、その内容もかなり画期的である。創作同人界隈はコミュニティとしての側面とマーケットとしての側面が混在しているという風にぼくは考えているのだが、今まで参加した大規模な同人誌即売会は、どちらかといえばマーケットに訴えかける面が強く、地方の即売会イベントもそれに追従する形が多い、と考えていた。しかし、この静岡文学マルシェはコミュニティとマーケットを並立させているという点、むしろコミュニティを前面に押し出していて、しかもそれが閉鎖的な方向に向かわないような努力をされているなあと感じた。これは他のイベントでは見られていないもので、そこがすごいし面白いなあと思った。

 そしてぼくは、たとえ目的の頒布数が得られなかったとしても、このイベントは参加したいなあと思った。ぼく自身、頒布数や売り上げなどといった要素が第一目的ではないということを再々確認くらいになるがそういう発見をしたいいイベントだった。

 あと静岡おでん、衣がやわらかい厚揚げがすごいうまいんだけどこの辺だとどこで売ってんだろうなあれ。

「みんなのごうがふかいな展」の結果について

 どうもかーびぃです。この枕詞が予測変換されないくらいにはここを更新していなかった。

 ということで、お久しぶりです。ようやく、先回のテキレボ内企画「みんなのごうがふかいな展」に参加した作品すべてを読み終わったので、その簡単なコメントつきの紹介と、全体の概要をとりまとめたいと思う。

 

 なお今回の評点については、前回ご紹介した2018ステージ評価方式にのっとり評点化したところに、ごうがふかいな点のみ傾斜をかけている。具体的には素点を0.6倍したものに20点をプラスして上げ底をはかり、かつ、ごうがふかいな点での差別化が難しくなっている。このGF部門での差別化が難しいというのがミソで、なかなかに面白い展開になったのだが、試験的な部分もあるので、評点は原則非公開とし、下記の通り統計情報の標示および「全体評点で1位(みんなのごうがふかいな展初代チャンピオン)」と「ごうがふかいな点が最も高かった(ごうがふかいな賞)」もののみ該当作品を紹介するシステムとしたい。どちらも該当作品の著者には1かーびぃポイントをプレゼントします。

 

「みんなのごうがふかいな展」統計情報

 参加点数 10作品

 平均評点 122.9196

 最高点 136.946

 最低点 112.456

 ごうがふかいな点の最高(素点) 40

 (※平均/最高/最低は200点満点、GF点は50点満点)

 

 総評としては、やはり参加者がおもいおもいのごうがふかいなをぶつけてきただけあって、かなり白熱した戦いになった。また、作者のごうがふかいなとぼくが思うごうがふかいな、それらがみなそれぞれ違っていながらも理解可能な領域にあるというところも地味な驚きである。また、このシーズンがほかのシーズンと最も異なるのは、「不特定多数から読むものを押し付けられる」という部分であり、希望通り買ったものを読んで評点化するのとは大きく異なる部分での難しさがあったことをここに付け加えたい。

 特に、初代チャンピオンとなった作品と2位の差が非常に僅差で、その差は0.2点強しかない。小数点以下の評点方式は今回が初めてとなったが、それもあって史上初の接戦であった。

 さて、その各作品を紹介していきたいと思う。

 なお、拙作である「妄想(略」については割愛する。

 

 1.「灯色の風景」著:転枝(木の葉スケッチ)

 転枝氏のマスターピース的作品。小説後半の感情の爆発に作品の力点すべてが集中しているという意味で見事な中編だと思う。これが転枝氏のごうがふかいなである、という強いエネルギーをひしひしと感じるような純文学タイプの作品。

 

 2.「灰が積もりて嵐が来たる 絶命のユーフォリア Episode0 + trial」著:柏木むし子(むしむしプラネット) ごうがふかいな賞

 GF点が脅威の40点を記録した、ごうがふかいな賞を獲得した作品。トライアル版ということで序盤のみであったが、その圧倒的な”圧”がすさまじい。むし子氏はごうがふかいなを「性癖」と読み替えたようであるが、そこでひとつ、いや無数の筋をこの短い文章の間に収めきっているというのはもはや感服以外の何物でもない。続きも刊行されているようなので、このトライアル版を読んでびびっと来た方はぜひ。

 

 3.「神送りの空 -人の願い 神の願い-」著:唯月湊(神様のサイコロ)

 ハイとローを可変的に器用に織り交ぜたような、いわばトランスミッションファンタジーとも言うべき、スタンダードでありながらプログレッシブな雰囲気を併せ持つ不思議な作品。ファンタジー空間でありながらライトで親しみやすいキャラクターの語り口が強い引き込みを持っており、第1巻としてよくできた作品だと思う。次の展開への引っ張りにも余念がない。著者の唯月氏は、別名義で「梅に鶯」に参加している書き手なのであるが、唯月氏の書き手としての強みが存分に発揮されており、それであるがゆえのごうがふかいなが顔をのぞかせている。

 

 4.「日々是奇怪」著:三谷銀屋(UROKO)

 個人的にはこれが最ごうがふかいな賞なんですけど、評点化するとなぜか違ったのでこう自分でも不思議。小噺のような短編が並ぶが、そのどれもが高い構成力を誇りながらきっちりホラーの一面をのぞかせるという、三谷氏のカラーをしっかり表現している、氏の名刺代わりの一冊であると感じた。性癖とも文体のくせとも違う、三谷節のような独特の感性が光る作品集。これぞごうがふかいなである。

 

 5.「身を尽くしてもなお沈み」著:シワ(蒸奇都市倶楽部)初代チャンピオン

 ということで、この作品が評点136.946点を記録し、僅差でトップとなった。今まで紹介したものは、どちらかといえばキャラクター性や世界観というものがどことなく作者とリンクしがちといった側面でのごうがふかいなであったが、この作品はそれらとは趣を異にしている。作品自体は長くない、中編といった具合のものなのだが、そのスチームパンク的な世界観や、主要登場人物のキャラクター性にも依存しない、すなわち、純粋なストーリー構成において、強烈なごうがふかいなを残していったところが初代チャンピオンに輝いた理由なのだと推察できる。スチームパンクとしても、百合要素の強い作品としても楽しめながら、筋の通った作品であるので、前記2つの属性が好きな方にはぜひおすすめしたい。

 

 6.「Fetishism」著:神坂コギト(友引撲滅委員会)

 問題作、というべきだろうか。異常性癖について書かれた短編集なのだが、なんだろう、これが一番スタンダードにものを書いているなあという感想しかない。それくらいほかの作品が「ごうがふかいな」に傾倒しすぎていて、ものを書いているという感覚がないのである。神坂氏は人間がもつ「業」(≠ごうがふかいな)に迫るような作品が目に付く。この作品は、まさに氏の直球、それも剛速球であり、異常性癖短編集という異色の作品ながら、もっとも真摯にスタンダードに直進している文体で描かれているというのがミソなのだろうなと思う。今は活動を休止しているようであるが、活動しているのを見ることがあったらぜひ手に取ってほしい。

 

 7.「Cis2 サンヤー号にのって」著:新島みのる(ひとひら、さらり)

 この第1巻をテキレボ6シーズンで紹介したところだが、児童文学風のこの作品がなぜごうがふかいなであるのか、読み始めるまで、というか全体の半分くらいまで読んでも全くぴんと来なかったのだが、それは突然だった。この作品をこのタイミングで書いたこと、書けたことそのものが、氏にとってのごうがふかいなであったのだ。1巻とは打って変わって、複雑な世界観と繰り広げられる人間模様が氏の世界に壮絶な奥行を与えている。この作品は航海という行為が全体の軸となっているのが、作品のストーリー構成や語り口、そのすべてがまさに航海を表しているということに終盤で気が付いたわけだが、これほどまでに複雑なごうがふかいなをごうがふかいなとして認識し、あまつさえこの企画に参加してくださったことに感謝の念しかない。物語の途中というところでなかなか薦めにくいところであるが、かなりの力作であることは間違いない。

 

 8.「因果者の宴」著:高麗楼(鶏林書笈)

 韓国のポップシーンを見つめてきた著者によるエッセイ。氏が韓国という国に興味を持ったきっかけから、流行歌などの文化の変遷を分析しつつ、自分の心に残っている作品を紹介する、というスタンダードさを持ちながら、着眼点に独特な個性を感じるところが素敵である。軽やかでありながら興味深い読み物だった。

 

 9.「射場所を求めて 今田ずんばあらず短編集 大学の章、一」著:今田ずんばあらず(ドジョウ街道宿場町)

 「イリエの情景」でおなじみ、ずんばニキこと今田ずんばあらず氏の大学時代の作品ダイジェストとインタビューが合わさった骨太なよろず本。これを読むと、「イリエ」では見せなかった多彩な部分が見え隠れしている。氏の創作スタイルはともかくとして、七変化にも近い、多ジャンルを書きこなすというそのバランス力に関してはかなり秀でているものがあるのではないかと思う。人間、頑張ってもそれほど多くのジャンルを書けるものではない。気がつけばひとつに収斂してしまう人が多い中、この作品集では多くの顔がそこにある。絶版だが、後々秘蔵本になるだろうと予想できる作品集である。

 

 以上が、ごうがふかいな展特別シーズン参加作品の紹介である。

 2018ステージも後半になってようやく、シーズンレースを開始するという腰の重さであるが、どうにかまた、今年中にはすべてまとめおえることが出来ればと考えている。

 ということでよろしくお願いします。

 

 ラブホアンソロと文フリ東京シーズンについてはもう少し時間をいただきたい。

2017ステージ統計結果ならびに2018ステージの方針について

 

 どうもかーびぃです。あえてまともなタイトルにしました。いや、今までのポエムなタイトルだと後で検索するのめんどくさいなあ、と思って。

 

 というわけで、先日2017ステージを総括する記事を書かせていただく場があり、それに間に合うようになんとかこしらえたことによって少々疲弊していたわけで、この文フリ京都が終わった時期にこんなタイトルの記事を書くことになっている。メンタル的な調子がよろしくないのでその辺ご勘弁いただきたい。

 しかも、さらに言えば2017ステージは年度の切り替えを文フリ東京(秋)としているので、文フリ東京だけは2017年開催なのだが2017ステージではなく2018ステージになるという変則ルールなので、その総括をすっとばしている。そしてぼくはまだ文フリ東京ステージを始められる状況にないので、この点についてはしかるべき時に再度記事を書くことになるだろう。

 それはともかくとして、文フリ京都も終わったわけだし、ここで2017ステージのあくまで統計的な話と、2018ステージにおける評点方法についての説明をさせていただこうと思う。

 

 まず、全体の統計情報から。

 2017ステージ評点統計

 総評点化点数:129点(131点登録、評点化不能2点)

 評点平均:66.05(小数点第3位以下四捨五入)

(ただし、ステージ前半の上位作品については上方修正後のものを用いた。そのため、素点での実質平均は大幅に下がる。あくまで参考値)

 最高評点:86(テキレボ6)

 最低評点:47(文フリ東京24)

 70点以上の作品数:49作品

 通読性最高点:23(あまぶん2)

 通読性最低点:8(テキレボ5)

 宇宙感最高点:25(テキレボ6 2点、テキレボ5、文フリ東京23各1点、計4点該当)

 宇宙感最低点:12(文フリ東京24 1点、文フリ金沢3 2点、文フリ東京23 1点、計4点該当)

 残響度最高点:26(テキレボ6)

 残響度最低点:10(テキレボ6)

 

 全体の傾向として、通読性が低めに設定されやすいことや、宇宙感のばらつきが少ないことなどが読み取れる。

 各シーズンの上位については、前回書いた記事を参照してもらえれば、だいたいどんなものにどのように点がついているかを知ることは可能だと思うので、そちらをどうぞ。

 さて、このステージの反省点。

 2017ステージにおいては、3分野各30+嗜好10+闇度10の110点満点で評点を行ってきた。その平均値が66というのは、個人的な実感としてはかなり高い値で、先回も述べたように、なぜなら自作評点を59とある種の基準として置いているにもかかわらず、このような結果になっている。それは、ステージ後半、さらにいえばあまぶんシーズン以降にぼく自身の知名度が上がりそれまで認知されなかった書き手の界隈にもぼくの記事が話題になったり、ツイッターが活性化したりした結果、同人誌に関する情報が今までより多く入り込むことによって、ぼくが手に入れるものの質が(嗜好/品質ともに)向上したのだと考えられる。そのためステージ前半の上位作品については上方修正を行ったのである。

 さらに、評点傾向としてはジャンルの格差が少なからず存在している。SF、ファンタジー、大衆小説が上位をしめ、逆に、ミステリ、時代もの、恋愛小説は下位になる傾向が予想以上に顕著であった。ぼくはこれを「ジャンル有利/不利」と表現している。もっとも、ひとりの人間の判断だけで評点化を行う以上、このような偏りはあって当然なのだが、記事化の都合上、記事にできるのは各シーズンの上位3冊のみ。

 正直な話、これ以上は難しい。

 そうなると、どうしてもジャンル不利の作品にはスポットが当たりにくい。それはそれで割り切ってしまうというのもアリだし、今後の方針からすればそのほうが圧倒的にやりやすいのだが、いいものを伝えられないというのは個人的な感情としてなかなかに歯がゆいものがあった。

 また、評点の性質上、完全な客観性は担保されず、それはぼくがひとりでこの作業をやっている以上当たり前なのであるが、しかしどこからが完全な主観でどこからが客観的要素があるのか、そこが分野ごと、シーズンごとにまちまちで、シーズン間の評点の格差の原因にもなっているように思った。ステージで切っているので、それは出来ればなくしていきたいと思う。

 そこで、今回は評点方式を大幅に変更し、主観的なところを極力抑え、また、半客観分野と主観分野で評点を分けられる仕様にした。そして、前回は実のところ上位争いの結果に大きく響いたのがボーナス点であるはずの(嗜好点/闇度)であったので、それを小数点以下のフレーバーとしてのみ加算することにした。また、主観分野では逆に、ぼく自身がどう思ったのかを点数化できるように工夫を施した。

 結果、半客観分野(文体/空間各50)100+主観分野(感覚/ごうがふかいな各50)100の200点満点を基本とし、基準を2017ステージで最も頒布のあった弊社作品「V~requiem~」とし、その評点を117.48と定めた。

 以下、各分野に関しての評点基準を大まかに記す。

 文体(50点満点)

 構成されている文章(散文/韻文を問わない)の単純な面白さや技巧力を評点化。華やかさや渋さなどのまとまりがあるものに関しては高い点が付くように思われる。

 空間(50点満点)

 表現されている世界観を支えられているか、そもそも世界観を表現できているとぼく自身がみなせるかどうか、この点を評点化する。この点に関してはぼくの読解力にも関わってくるのでなんとも言えないが、しかし多くの人がなるほどと思うような世界観を表現しているものに関して評点を高くしたい。

 感覚(50点満点)

 構成されている文章ならびに世界観を読み込んだうえで、書き手が何を語りたいのか、そしてそれに対してぼくがどれだけこの作品を他の人に勧めたいか、という基準を感覚という2文字に収めるのはかなり強引だが、つまりはそういうことである。オススメ度、と読み替えてもいい。おそらく、上位争いで重要な評点分野になるものと思われる。

 ごうがふかいな(50点満点)

 せっかくなのでぼく自身が探究している「ごうがふかいな」についても、この作品に潜んでいるその強さや深さ、味わいについて、一応概念を発見した身として感じたままを評点化したい。しかしながらこれはなかなか主観的なものなので、前項のオススメ度的なものと相反する結果になりやすそうである。また、以下GFと記載する。

 嗜好(未加点)(10点満点)

 2017ステージとほぼ同じ感覚であるが、中央値を5に設定したい。なので、2017ステージよりもやや厳しい判定になると思われる。また、今ステージでは直接加点せず、GFの評点とこの評点を乗算等の傾斜計算をして小数点以下に処理したものを端数点として加点する。つまり、上記4分野の合計が同点になった場合のみ、この嗜好点が生きてくる結果だ。

 レーティング(減点要素)

 2017ステージで上位だった書き手は、その性質上、今後も上位を独占し続けるはずである。それを防ぐため、新規参入した書き手に対し優遇策として、「書き手レーティング制度」を導入する。これは、過去のシーズンの評点の平均を素点として、その書き手の記事化回数、首位の回数、また合同誌の参加数などを加味して傾斜化し、理論値上限を8として小数点以下第3位まで算出し、特定の書き手におけるステージ内レートとして、その書き手の作品の素点から減点処理を行うものである。単純計算で100点満点が200点満点になっているため、2017ステージに置き換えれば理論値上は最大で4点の差が生じることになる。小数点以下をつけることにしたのもこのレーティング制を生かすためである。これにより、新しい書き手が上位になりやすくなり、より活発で面白い記事が書けるのではないかと思っている。

 また、レーティングにより、ぼくが気に入っていると思われる書き手が可視化されるというのも導入した理由のひとつである。

 今回、2017ステージ終了時点で、下記に該当する書き手についてレーティングを算出し、付加情報として2018ステージのシートに組み込んでいる。

 ・2017ステージ内で、単独作品が2作以上評点化されている書き手

 今回は上記を満たしている書き手のみ対象として、レーティングを算出したところ、面白いことがわかった。

 全体としてレートは5から7.5までの間に収まっている。すなわち、最大で7点以上減点される書き手が存在する。

 また、7を超えた書き手は2人のみ、かつ、6.6から6.4までに4人も入っている。それ以下になると比較的一様に分布しているが、この6名だけ非常に目立つので、せっかくなのでここでご紹介するとともに、ぼくはこの7を超えた2名を「まんまる双璧」、6.4から6.6に入った4名を「まんまる四天王」とかってに呼ぶことにしたことここで報告する。

 以下、プロレスの入場文句みたいな文章と名乗りを書こうと思う。編集の都合上敬称略です。すみません。

 

まんまる四天王

 

 ひとたびその領域に足を踏み入れれば、圧倒的高精細な文章が緻密な律動と共に襲い掛かってくる。手製本のこだわりからも感じられる肌理細やかな気配りと、どこか植物を思わせるような柔らかな文体が読者を幻想へいざなう。

 細密の庭師「灰野 蜜」(レート:6.400)

 

 ストーリーのサイズ感と構成力は抜群、読者に対するホスピタリティ満載、完成度の高いエンタメ小説を作り込む強みを持つ。ストーリーを器用に進めながら、幻想的な文体も併せて魅せる職人芸に注目。

 浪花のおはなし職人「凪野 基」(レート:6.427)

 

 調整された躍動感と高度な構成力によって生み出されるのは、生命力溢れる小説。文章全体から漂う高密度なエネルギーが、読者をエモーショナルに引きずり込む。作中のキャラクターが醸し出す独特の色気も読みどころ。

 セクシャルおじさんの伝道師「オカワダアキナ」(レート:6.560)

 

 圧倒的個性(≒ごうがふかいな)を様々な空間と叙述を駆使ながら、TPOを考慮して適度に薄めるタイプの書き手。その技術力と独特な世界観で右に出る書き手はいないのではなかろうか。それが錯覚かどうかを、ぜひその心で。

 水棲空間の女王「孤伏澤つたゐ」(レート:6.600)

 

まんまる双璧

 

 ぼくが師と仰ぐのは、己を貫くその精神力と、高い叙述力に包まれた、煌めく刃のような、美しくも苛烈な世界観。研鑽を重ね続けながら生み出される珠玉のファンタジーたち。そのあまりの美しさに誰もが圧倒されるはずだ。

 美しき預言者「咲祈」(レート:7.120)

 

 ひんやりとした金属の心地よさ、硝子の持つ硬さと美しさ、そして土のあたたかさ。これらをすべて克明に、ことばにすることなく書き分けられることをぼくは知った。同時に、対比的にかたられるのは、ひとのあたたかさであることも、ぼくはこの人から知った。その絶妙な世界観と語り口は表裏一体にして完成されているといっても過言ではないだろう。

 空気の探究者「佐々木海月」(レート:7.333)

 

 ということで、前ステージで3度記事化され、83点という歴代2位タイの最高評点をもつ佐々木海月氏が最高レートで、その値が7.333となる。つまり、今後佐々木氏の作品の評点については、7.333点を引いたもので序列化するということである。これはかなりのハンデになるのではと思われる。

 それ以外にも、5点台からレートは存在しているので、該当する書き手の作品は同じように総合点からこのレートに該当する点数を引いた値でシーズンレースに参加する。もちろん、点数自体は総合点が素点となる。あくまでシーズンレース上でのみ、このハンディキャップが存在するという話だ。

 

 という形で、まずはテキレボ6シーズン番外編、みんなのごうがふかいな展特別シーズンから行っていきたい。これも2018ステージの評点方式を用いるが、一部、というかGF点に傾斜をかけることで2018ステージの統計からは除外したい。詳しくはその記事に述べることにする。

 

 寒い。寒すぎてサムスになる。