日本ごうがふかいな協会広報

日本ごうがふかいな協会の広報ブログです。

最後に残るのが何であったとしても誰かがそれを見届ける必要がある

 どうもおもちくんです。

 文フリ金沢シーズンの記事を書くのにだいぶ日数がかかってしまった。今回が最後の記事である。

 

 坂本真綾といえば、何を想いうかべるだろうか。ガンダムSEEDのルナマリア、FF7のエアリス、空の境界両儀式、などなど声優としての姿か、歌手としての姿か、はたまたラジオパーソナリティとしての姿か、舞台俳優として、もしくは鈴村健一の奥さんというイメージの人もいるかもしれない。つまりそれだけ彼女は多彩に仕事をしていて、なんとなくぼくの中で、その多彩さと芯にある表現力というのが一体となっているなと感じるのが、第3シングルの「奇跡の海」である。ロードス島戦記シリーズ作品のアニメOP曲となった、どこか異国情緒の強い曲で、アマチュア合唱団に合唱曲化されたり、歌ってみたで検索すればかなりの数の動画が出てきたりと非常に人気で、とかく表現者にとってひきつけるものがあるのだろう、その動画の質も軒並み高いように思う。まあ、単に節回しが歌いやすいというのもあるかもしれないが。

 

「パンドラの子守唄」著:赫玉辛子(赫玉書房)

文体:32 空間:31 (半客観分野:63)

感覚:30 GF:30 (主観分野:60)

闇度:0.42 レート:なし

総合:123.42 (文フリ金沢4シーズン1位

 

 ということで、文フリ金沢シーズンを制したのは、赫玉辛子(あかだま・からし)氏の短編集であった。この方、別名義でプロとして活躍されている方で、そういったところも含めて安定だなと思って読んでみたのだが、表題作含め非常にダークな世界観と十分な熱量を帯びたままの社会に対する憎悪がストレートに表現されていて、この表現力と主張の力強さを正直に欲しいと思った。それでいて、どこか異世界のような雰囲気を帯びているのも不思議だ。特に、巻頭作の「ブラック・ゴシック・リバイバル」はどことなくスティーブン・キングのような趣で、引き込まれた。この引き込みがなければこの独特の、胸がすくようでどこかもやもやとしたものが残るような不思議な読後感を出すことは出来ないように思う。すべての作品が短編集を作り上げるために重要な役割を果たしており、その点で非常に完成度が高いなと思った。

 

 文フリ金沢全体で思ったのが、やはり文体そのものの味を引き出しているような作品が多くて、もちろんぼくがそういったものを好んで買っているということは否めないのだが、そこがほかのシーズンと大きく異なっているところだと思った。そして、その最たるものが今回1位となったこの作品である。様々なジャンルを忍ばせながら、そこに入る強烈な憎悪と批評性からくる描写、普遍性の高い物語にのせられる、クセの少ない文体。これらがしっかりと組み合わさって、ひとつの作品群、短編集として現れることの妙である。この作品に限らず、同人誌としての完成度が高い作品が多かったのが総じての印象だ。

 その割に評点がひかえめなのは、ぼく自身がやはりジャンクな味を好んでいるということを暗に示しているのかもしれない。逆説的、というか自己批評的でもあるが、シーズンレースでの評点は、同人誌としての完成度とイコールではない。完成度が低い作品が、高い作品のそれを凌駕していくなんてことはこの2年やってきても枚挙にいとまがないほどであるし、それは読者のみなさんも感じていることだろうと思う。だからぼくはこういった場ではその完成度についても正直に言及していきたい。

 

 ということで、文フリ金沢4シーズンについてはこれで終了である。次回はようやく、静マルシーズンへ突入だ。昨年のMVWに輝いた佐々木海月氏が満を持して登場したり、総合点1位を堅持する丹羽夏子氏の作品が入っていたりと、今から読むのが楽しみである。

どこにもない世界線を探して積み上げるだけの職業

 どうもおもちくんです。

 予想外に作業時間をとられていて、ろくにシーズンレースを進められなかった。が、ようやく書く気分になったので、つづきを書いていこうと思う。

 

 今や平成を代表する大人気バンドの一角となってしまったBUMP OF CHICKENの曲に「かさぶたぶたぶ」という曲がある。少年(?)のひざこぞうにできたかさぶたの視点から語られるユーモラスな描写と、だからこそのノスタルジックな雰囲気が小気味のよいサウンドに重ねられていく妙がきいていて、どうにも忘れられない曲である。

 

「いきとしいけるもの」著:今田ずんばあらず(ドジョウ街道宿場町)

文体:29 空間:31 (半客観分野:60)

感覚:30 GF:37 (主観分野:67)

闇度:0.444 レート:5.703(B)

総合:121.741(文フリ金沢4シーズン2位

 

 ということで、このメモ帳でもちょくちょく出てくるずんばニキこと今田ずんばあらず氏の作品が、特集記事ではなく純粋なシーズンレース上位として初めて記事化された。

 この作品集は、「モノ」が主人公となっている小説を集めたものである。それは宇宙ゴミだったり、石ころだったり、お道具箱のはさみだったりするわけであるが、どれもこれも、「モノ」に感情移入するような人間の視点ではなく、「モノ」そのものから語られているというのがキモであり、一貫しているポイントでもある。氏の作品集をはじめとした同人誌は、すべてが強固に一貫したコンセプトを貫いているところが非常に信頼できる。本当に「本」というものを深く考え、読まれるひとのことを第一に考えていると思う。彼の別の著作を読んでいても、そのエッセンスを強く感じる。

 また、この作品集は「過去からの脱却」ではわずかにのみ感じられた、氏の反骨精神というものを強く感じることが出来る。「イリエ」でも「過去からの脱却」でも見せることのなかった、ハードコアな存在感と自己主張が、この作品集では溢れんばかりに飛び出している。そういう意味でごうがふかいなであり、GF点は今シーズン2位の37点を記録している。

 ぼくは、同年代ということもあるが、テキレボ5で隣のブースの人間として出会ったときから、彼のことを同人活動上のライバルと考えて活動している。流麗に、器用に文体を変えながら、それでいて高いメッセージ性を保つ小説。頑ななまでに読み手のことを追求した装丁。イベント遠征の道すがらでは行商の旅と称して、フォロワーの方に自作を手売りしていくほどの営業力。全国各地の大小さまざまなイベントに出かけて、その告知を欠かさないまめさ。こんな同人屋の鑑みたいな人間をライバルとするのはいかがなものか、という意見はあるかもしれないが、これほどまでに全力である彼をライバルとすることで、ぼくは逆説的にこの世界にとどまり続け、踏ん張ることができるのではと考えた。そしてそれは今のところ成功している。彼がやれていることを、ぼくがやれないはずはない。やらないのならば何かしらの理由があって、そこがスタイルの差なのか経済力の差なのかそれ以外の要因によるものなのかを突き詰めていくことで、ぼく自身の問題に素早くフォーカスできる。そういった極めて合理的かつ利己的な理由で、ぼくはこれからも彼をライバルとして活動を続けるだろう。たとえその知名度や名声に天と地ほどの差ができたとしても、簡単にはライバルをやめないと思う。

 もっともそれはぼくにとって、というだけであって、彼にとってどうなのかは知らない。知りたいともさほど思わない。それは彼の勝手だし、彼をライバルとするのもぼくの勝手だからだ。

 

 なんだか半分くらいずんば論みたいになってしまったが、そんな感じである。

 次回は、このシーズン1位を記録した、プロの小説家としても活躍している方の短編集である。

此岸を往く船は何で動いていても「こちら」のものではない

 どうもおもちくんです。

 作業が詰まりに詰まっているうえにどこもかしこも原稿に追われている。なのでこの記事を書いている時間もないといえばないのだが、だけれど書きたいと思ったから書くのであって、そういうことはどれだけ仕事が詰まっていようが関係ないのだ。

 

 霜月はるかという、同人世界でも商業の世界でも、シンガーとしてもソングライターとしても活躍している、知る人ぞ知る方がいるのだが、この人の同人レーベルの音楽に「落日の迷い子」という曲がある。合唱出身と聞いたことがあるが、この曲を聴くと納得する。ボーカルとそれ以外の旋律線がどれもメロディアスで、常にハーモニーを奏で続けながら変化していく進行で、それでありながらアコースティックでもないところが非常に面白い。氏が持っている創作の軸のようなものを垣間見ることが出来る。

 

「天満」著:織作雨

文体:28 空間:31 (半客観分野:59)

感覚:27 GF:33 (主観分野:60)

闇度:0.396 レート:なし

総合:119.396(文フリ金沢4シーズン 3位

 

 ということで、織作雨(おりさく あめ)氏による短編集が今回の文フリ金沢シーズンの3位となった。半年以上前なので、どうやって手に取ったのかが全く記憶にないのだが、結論から言うとこの作品を手に取ってよかったと思う。

 5篇の短編からなる短編集であるが、そのどれもが平易な文体でありながら非常に深くえぐるような幻想色を出してきているのが心に刺さった。幻想文学、ともまた違う趣ではあるが、方向性としてはファンタジーというよりはそっちに近いように思う。ぼくは幻想文学があまり得意ではないのだが、その苦手である文体の不必要な重さというものがなく、柔らかめで、とても読みやすい。しかも、そうでありながら強い幻想感を漂わせられるというのがこの書き手の文体の強みであると思った。舞台や方向性はバラエティに富む一方、その文体が通貫されていて、短編集として非常に読み応えがあり、かつ、この書き手の凄みというものを感じ取れる作品になっていた。この方の他の作品を読んだことはないのだが、他にも読んでみたいと思うし、そういう部分で、この作品集は氏のエントリーモデルになり得ると感じた。

 書き手本人は表題作を好きだとあとがきで明言しており、実際読んでみるとその力の入れようからそれを感じ取ることが出来るのだが、ぼくとしては巻頭の「消滅」の完成度の高さに舌を巻いた。主人公と妻の会話のやりとりがかなり自然で、こういった部分に非常に細かく入り込んでいくタイプの書き手であると思ったし、この衝撃でつづきを読もうと思ったくらいだった。

 全編を通して読みやすく、また、いろんなイベントに出ていくとのことなので、もし興味があれば読んでいただきたい一冊である。

 

 次回は、全国各地を飛び回るあの人気サークルの異色作について、書こうと思う。

失った血液が鮮血かどうかなんて誰も気にしない

 どうもおもちくんです。年があけたところで、みたいなところはあるので普通に始めます。

 文フリ金沢シーズンをすべて読み終わったので、さっそくではあるが惜しくも記事化から外れてしまった作品について、コメントしていきたいと思う。

 

「二十光年ロボット」著:碧

 表題作ふくめ、SF風味が強い短編集。特に表題作が顕著なのだが、どの作品も、置かれている視点がかなりユニークで、独特の世界観がにじみ出ているのが印象的だった。ただ個人的には2作目の幕引きがすごくおもしろかった。こういうのが好きなのかもしれない。

 

「シズムアンソロジー」著:うさうらら 他5名(レート:1.000)

 装丁からその世界観を漂わせる、どこか耽美なアンソロジー。共通の設定を用いて創作されており、収録内容は、まさに百花繚乱、といった趣き。著者のひとりである紺堂氏が6.000のレートを保持しているため、それを書き手数6人で割ったものがレートとなっている。非常に強いこだわりを感じる。最後の一冊だったのでちょっとした思い入れもある。

 

「ごう散歩」著:繰り沼

 タイトルだけで買ってしまった。結論から言うとめちゃくちゃ面白かった。江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」の登場人物(郷田)からとられているらしく、「業」ではなかったか、と思ったが、そのスポット紹介と郷田のノリがなぜかツボにはまった。たのしい。

 

「移ろい」著:桜鬼(波の寄る辺)

 破格の大型新人。この方にはなんとなくこういうイメージを持っているし、今もそこから変わることはないのだが、その処女作らしい。らしい、というのは、どうしてもそうであるように見えないからで、もっとも小説を書いて初めての作品ではないにしろ、この精度の小説を集めたものが初めての個人誌だというのか……ということに尽きる。個人的には「此岸花」が好きかな。今後の作品が少し楽しみ。

 

「サボテンの子どもたち」著:永坂暖日(夢想叙事)

 隣の隣だったか、テキレボなどでよく見るお名前だなあと思っていつかは読んでみようと思い手にとったのがこれだった。短編集なのだが、登場人物が全て関連付けられていて、同じ世界線の中での話だとわかる。各話の語り、に相当する、書き手の目線のやわらかさがすごく印象的だなと思った。どれもこれも非常に地に足のついたはなしであるなか、「銀杏夜話」だけがややファンタジックな世界観で、ちょっと意表を突かれたのと、それでいてなおオチまでしっかり優しい味、というのがとても心に残って、これが文体というものか、と気づいた。そういう意味でものすごく完成されているのではないかと思う。

 

「Black Sheep in the Cage ~その末裔は悲劇と踊る~」著:神谷アユム(青猫のすみか)(レート:B)(ごうがふかいな賞

 感情の銃撃戦を得意とする神谷アユム氏の長編BLダークファンタジーもこれで4巻になるが、これは氏の作風を極振りしたものだった。特に終盤の展開がすさまじい。ミステリやダークファンタジーの流れでいえば完全に王道に近いパターンで、その上でこの感情の応酬が繰り広げられているのは、凄まじい臨場感がある。こういう文章はぼくには一切書けないので本当にうらやましい(本音)。

 氏のシリーズ作品は徐々に相対的な評点が上がり続けているのが本当に面白いところで、逆のパターンはよく見るのだが、順調に右肩上がりをつづけているのはこのBSCシリーズのみである。今回、すわ記事化か、と思われるような評点だったのだが、惜しくもラインを外れてしまった。次巻はどうなるのか、楽しみである。

 ということでこれがごうがふかいな賞。

 

 いやはや、こうして並べてみると個人的に壮観だなあと思う。というのも、今回は後半の作品で順位が逆転することが多く、記事化間違いないと思っていたようなものでもラインを外れてここでコメントしているものが異常に多かったからで、予想通りの混迷した結果になったな、というのが正直な感想である。

 さて、次は3位の作品の記事である。今しばらく時間をいただきたい。

 

天上の歌姫を救うために旅立った彼らはまだ戻ってきていない

 どうもおもちくんです。

 

 去年で懲りた、とか言っておきながら、今年も創作の集大成の記事を書こうとしている。なんだかんだ、今年を総括する必要はあると思って、ここに書き残そうと思う。

 ということで、ここでは、今年を振り返って思ったことや、来年やってみたいことについて書いていきたい。

 ぼくがどういう人間で、普段なにを書いているのか気になった人は、このメモ帳の「シーズンレース関係」や「宣伝等」にカテゴライズされているものを読んでもらえれば、だいたいわかると思う。後述するが、そもそもぼくは自分の書いているものを明瞭に簡潔に説明できない。「ごうがふかいな」という概念はぼくが確かに発見したものだけれど、ぼくが書いているもので「ごうがふかいな」を含むものはそんなに多くないから、「ごうがふかいな」のひと、というのも不完全である。おそらくまともな活動としては、各即売会ごとに戦利品を評点化し、上位3作品について記事として紹介、それ以外でもひとことふたことブログでコメントする、という形式の「シーズンレース」であろうと思われる。このメモ帳を読んでいるほとんどのひとは、「シーズンレース」もしくは「ごうがふかいな」というキーワードから読んでいるのではないだろうか。というかそれ以外から読んでくださっている人は貴重だ。貴重であるとともに、おそらくそこまで有益なものが並んでいるとは思えないので、向いていないと思ったらすぐに読むのをやめてほしい。 

 

 ということで、本題に入ろう。

 

 2018年を、まず数字で振り返ってみたい。

 だが、弊社は秋の文フリ東京を境に年度を変えているのと、今年の秋の文フリ東京の前日に開催された「HUB a nice D」については2019ステージ(年度)の扱いなので、下記の統計には含めない。ご了承されたし。

 参加イベント数:11

※文フリ東京25、文フリ京都2、文フリ前橋2、文フリ東京26、文フリ金沢4、静岡文学マルシェ2、文フリ札幌3、テキレボ7、文フリ大阪6、あまぶん3、文フリ福岡4

 総頒布数:161(イベント限定頒布も含む有料頒布物の頒布総数)

 1イベントあたり:14.64部(小数点以下3桁めを四捨五入)

 ぼくの予想以上に1イベント当たりの平均頒布数が高くてびっくりしている。特に、6月の「静岡文学マルシェ」以降で平均を突破したイベントがテキレボしかないのがその理由だろう。文フリ東京25,26と文フリ京都2がかなり好調で、とくに文フリ京都2は限定頒布でおみくじを頒布(有料)したのでそれが数にカウントされているということもあった。おみくじだろうが有料頒布だから部数に含めるんだよ!!!!!

 まあそういうわけで微妙に数字をかさ上げしていなくもないわけであるが、それにしたって1イベントにつき15部近く頒布しているという結果はかなり衝撃的だ。ぼく個人の感覚でいえば、15はかなり多い。地方イベントなどに行くと、特に去年は0や1があたりまえで、多くても2ケタになるなんてことは大阪などの大規模なイベントでもない限りなかったし、実際今年もそれを大きく逸脱はしていないのだが、ずいぶん健闘したなと思う。少なくとも、数字だけでいえば、去年よりもずっと多くの方々に手に取られているという事実がある。これは、今後の活動を続けていくうえで大きなモチベーションの獲得につながる。ありがたいことだ。

 頒布数の分布は特に激しく、前半に集中している。文フリ金沢までの5イベントの合計が104なのに対し、静岡文学マルシェ以降の6イベントの合計が57と、ほぼほぼダブルスコアになっている。これの原因はよくわからない。特に後半が思った以上に伸び悩んでるなあと思っているので、多分後半落ち込んだ理由がわかれば、もっと頒布数を伸ばせるような気がする。

 もっとも、来年以降は出るイベントの数を減らしていく方針なので、必然的に総頒布数は減っていくと思われるし、そもそも頒布数を伸ばしたからといってぼくのモチベーションにそこまで影響するかというと、まあ微妙である。というのも、ぼくは他人の反応がどうであれ小説を書くだろうし、書いたものは本にしてイベントに出たいという気持ちも多分他の人からの反応如何で変わるようなものではないからだ。この辺は「おもちくんメソッド(後述)」で掘り下げていきたい。

 

 今年出した本

 「Ophiuchus Ep.0 発端」A5サイズ 300円(文フリ京都2新刊)

 「まんまるびより 第1集」新書サイズ 850円(文フリ金沢4新刊)

 「Ophiuchus Ep.1 断罪者の矜持」A5サイズ 1000円(テキレボ7新刊)

 「まんまるびより 第2集」新書サイズ 850円(あまぶん3新刊)

 「煤煙~浦安八景~」文庫サイズ 500円(文フリ東京27新刊)(※2019ステージ)

 

 5冊出した。イベントに多く出ているせいで感覚がマヒしているが、去年の3冊からさらに2冊も出しているし、しかも前半は完全に原稿が止まってしまっていたことを考えると、後半のエンジンのかかりかたが尋常じゃなかったのがうかがえる。しかし後半は執筆こそすさまじい(当社比)量だったが上記の通り活動実績としてはふるわなかったので、なかなかままならないなあとも思う。

 あと、今年はコンテストにも応募した。もう終わったことなので明らかにするが、文學界の新人賞と、群像の新人賞に向けて原稿を書き、うちひとつを文學界に送り込んで、もう片方は断念した。その両方を来年に同人誌として発表したいところだが、結果の如何によってはそれも難しいかもしれないと考えている。そして、新たな試みとして、小説投稿サイト「カクヨム」のコンテストである「第4回カクヨムWeb小説コンテスト」と「カクヨムWeb小説短編賞」にも応募してみた。どちらも読者人気で第一選考を行うという投稿サイトらしいやりかたをしているが、これはこれで面白いと思いつつ、読者人気でやられちゃうと絶対残らないなあとも思ってしまう。

 ちなみに、参加した作品は下記2つ。

kakuyomu.jp

 ひょんなことから最愛の幼馴染を失った男子大学生真中浮人が、周囲の怪異を解決していく物語。現代ファンタジーでありながら最後は鮮やかに世界が崩壊していくという弊社最ごうがふかいなを誇る作品で、21万字は完結している作品の中では最も長いものになる。10万字以上という規定があったためこの作品しか参加できなかったため出したので、正直選考に進めるとは露ほども思っていない(なにしろ5年以上前に書いたものだ)が、それでもなんか祭りみたいになってるし応募要項は満たしているしで出すことに決めた。

kakuyomu.jp

 こちらは短編小説賞に応募した。1万字以内でそこそこ書けている中で、エンタメ要素を多分に含むというところではこれが適切ではないかと思う。ぼくはエンタメを書くのが得意ではないし、この小説もエンタメのつもりで書いたわけではないのだが、エンタメの要素は満たしているものと思われる。球体の生物が経営する酒場で繰り広げられる悲喜劇、といった感じだろうか。

 

 この1年で気づいたこと

 2018年で気づいたことはいくつかある。

 まず、ぼくは小説を書くのが少なくとも好きではないということ。これはもう認めざるを得ないだろうと思う。小説を書くよりも何十倍もゲームをしていたい。でも小説を書かないでいると死んでしまうかもしれない。だから書いているし、書いたものはせっかくだから人に見せたいし、見せることによって何か、風が吹いて桶屋が儲かるみたいな妙な相乗効果みたいなのが生まれればいいと思っている。それ自体が、ぼくがこの世界に生きた証みたいな、そんな感じだ。

 あと、意外と小説を書くことそのものが好きで同人活動をしている人が多い。多い、というのは、ぼくの考えではせいぜい7割くらいだろうと思っていたのが、9割くらいなんじゃないかと感じた、という意味である。少ないと思っていたわけではないが、予想以上に多かったので少し戦略を変えていこうと思った。これに関しては、むしろぼくの考え方が武器になるところがあるので、特に悲観はしていない。

 また、ぼくの小説は非常に広報が難しい部類のもので、多くの人の心に残るようなものではない、ということにも気づいた。これはいい悪いとかそういう問題ではなく、性質としてそうなるというはなし。ぼくの出す文体そのものが、多くの人の心に印象として残りにくいという、同人運営上としては極めて致命的な欠点が明らかになった。

 どういうことかというと、自分の作品の推薦文を書けないどころか、読み手にもなかなか書いてもらえないということである。ほかの、例えばそういったものが得意な書き手の手にかかれば、「この作品は眼鏡男子とメンヘラ女子のめちゃくちゃ危険でエッチな恋愛小説です」とかそういう紹介文を書けてしまうところを、ぼくはそういった風に書ける小説をそもそも書いていない、書けていないという事実が判明したのである。これはぼくの告知の方法を見ていればわかると思う。ぼくは主に、作品の説明としてジャンル名か「ごうがふかいな」しか言ってない場合がほとんどである。つまり、説明していないのだ。これではなかなか初見のひとが読もうという気持ちにならない。それはわかっているのだが、しかし具体的な説明力をもたないのだから仕方がないのである。

 ぼくが普段、「シーズンレース」という評点形式の同人誌紹介企画を行っているのは、そもそもが自分のプレゼン力を高めるためという完全な私利私欲のもとにやっているのであるが、継続してそんな訓練を行っているぼくをもってしても自作を効果的に紹介するのは難しい。難しいし、正味のところ、そんな簡潔に説明できてしまうような小説ならば書かない方がマシだと思っている節もある(だがしかし、簡潔に説明をしていても書くのに値する小説も実際問題として存在する)ので、それはそれとして仕方がないのかなと諦めてもいる。同人活動を継続するにあたって、諦めというのは非常に重要なウェイトをしめるといってよく、ぼくはこの諦めのバランスにおいてのみ、同人活動に極めて向いているように思う。

 今年気づいたこととしてはおおむね上記のことだろうか。それ以外にも細かい部分はあるが、諸事情によりここでは割愛する。

 

 来年やりたいこと

 さて、2019年でやりたいことについても書いておきたい。どうせ次この記事を見返すのは2019年もほぼ終わりにさしかかった頃、と思うので、あくまで予定というか、備忘録にすらならない、ただのインスピレーションのマイルストーンとして。

 現時点で、アンソロジーをふたつ企画している。いずれも来年前半には刊行できるようにスケジュールを組んでいて、どちらも比較的シンプルなものにしたいと思っている。参加者の文体をそのまま楽しんでもらうような味付けにできればなあと思う。

 純文学系の公募、特に五大、あるいは六大文芸誌と言われる文学賞にはすべて応募してみたいと考えている。ただこれは来年に限った話ではなく、いずれは、というところ。前述のとおり文學界には応募してみたので、次は断念した群像や春に締め切りのある文藝、すばるなどにもアタックしてみたい。ただ来年はちょっと無理かもしれない。

 また、コンテストに出したものが平成の終わりを意識させるようなものだったので、できれば元号が変わったあたりで本にしたいと考えている。これはコンテストの結果にもよるので断言はできないが、おそらく一次落ちすると思うのでその点は問題ないと思われる。

 ここまで書いたものの続編で、まだまだ詰まっているものがあるので、それを解消していきたいとも考えている。もともと続編を書くことは得意ではないのだが、読み手にある程度の需要があるとわかったので、なんとなく考えてからようやく形になってきたものが、いくつかある。当該作品の在庫がなくなる前に作りたいとは考えている。

 最後、もっともやりたいことは、「おもちくんメソッド」と題した、独自のメソッド本、というていの哲学本を出すことである。というのも、前述したように、この界隈は書くことが好きで好きでたまらないひとが大多数を占めているので、そうでない人はぼくのように非常に肩身の狭い思いをすることになる。大多数の方々には想像ができないかもしれないが、そうなのである。そういったひとたちは、そうでない人よりずっとずっと、同人活動を継続していくことが困難な状況にある。やめたいならやめればいい、というのは正論だが、それではあまりにも、「もったいない」ひとが多いのもこの世界の残酷すぎる真実で、ぼくはそういった才能に溢れている書き手にできるかぎり生き残ってほしいと考えている。だからこそ、ぼくがふだんやっていること、意識していること、その奥にあるもの、というのを赤裸々に開示することで、ひとつの参考として欲しいし、参考としたいという需要が少なからずあるように感じたので、なんとか出したいと考えている。

 迷っているし、どうするかはまだまだ案の段階なのだが、「おもちくんメソッド」は「同人編」と「創作編」に分けようと思っている。片方だけ必要な人のほうが多そうだというのと、「創作編」のほうに実践的でないある種の哲学を書きたいという欲がある。ただ量が稼げないこともあるし、あくまで希望である。

 

 そんなところで、今年の総括の記事を書いてみたのだった。

 各イベントのレポートなどは、多分ぼく以上に詳細にうまく書いている人がそれこそ山ほどいるだろうから、ここで書くことはやめた。書くにもそれなりに人を分ける内容になりそうだったというのもある。

 というわけで、来年もよろしくお願いします。